彼の声66

2008年

5月31日

 何を企んでいるわけでもないか。ただくだらないと思われる。まるで後だしじゃんけんだ。それでもまだ昨日の段階だ。たぶん君は己を信じられないのだ。何かの隙間から血が滴り落ちる。空想の産物か。動物の死骸を見るとどうなるのか。カフェインの力には勝てないようだ。だがそれで何に屈しているわけではない。それは奇跡か何かを再現しているわけか。そんなことは知ったことではない。誰も知らない出来事だ。何を空想しようと、頭の中にカビが生えているわけでもないだろう。君の中では何かが崩壊しているかもしれないが、それで世の中がどうなるわけでもない。体調を崩しているだけか。それともまた膝の状態でも悪化したのか。どちらにしてもあまり長くはないらしい。もう寿命が尽きようとしているのか。それで誰の同情を惹くつもりもないようだが、皮膚が紫外線の影響を受けやすくなっていることは確かだ。それにしてもあまり意味がないので、急に何かを探し出す。それも脈絡を感じられない。話になってないことはいつもの通りだが、それでかまわないような気もしてきて、そのまま何かを押し進めようとしているのかもしれず、その何かが重要な何かとならないところが、今のどうでもいいような状況を象徴しているだろうか。それもあり得ない嘘の一部を形成しているわけか。それこそ間違っているのだろう。どうも話以前の混濁した言葉の連なりが滞っているようだ。何かの行き詰まるとすぐに文章自身へと言葉が向かってしまい、その空疎な内容は自己言及的な様相を帯びるしかないようだ。しかしそれの何があり得ないのか。何か別の具体的な出来事について語るべきか。苦し紛れにそんなことを述べているのも何かの予定調和か。さっきから気になっているが、その何かとは何なのか。そうではないと思いたい。皮相的な問題にこだわるべきではない。だが深いところで何を理解しているとも思えず、どこに何の深層が提示されているのかを知りたいわけでもなく、たとえいつか隠された真相が明らかになっても、それは見せびらかし以外の何ものでもないだろう。画面上では気持ち悪い顔がお互いに不気味な笑みを浮かべながら向き合っている。それで何を説明したことになるのか。説明が足りない。君がそこから何を導きだせるとも思えない。不足しているのは他にもありそうで、それは何なのだろう。意味のない問いかけだけが過剰に出ている。他に何を無駄遣いしているのか。わかりきったことを尋ねないでほしいか。そういうことだ。ひたすらわかりきっているのだ。話が予定調和であることを証明するまでもなく、何となくそんな気がしているだけで十分か。そして眠たくなってくる。人は眠るために生きているようだ。別に低炭素社会を作るために生きているわけではなさそうだが、そこからどんな幻想が導きだされるのか。利潤の追求の仕方を変える必要でも生じているのだろうか。くだらぬこだわりに引きずられて取り返しのつかない過ちを犯し、悲惨な末路を辿るのがオチか。暴力に訴える犯罪者はそういうことになり、ありふれたことをありふれたやり方で行い、自らが抱いていた欲望に屈して、何となくそこで自ら墓穴を掘っていることにでもなるのだろうか。実際には犯罪者になっていないので、その心境に至れないようだが、それが心残りというわけでもないだろう。これからすぐに死んでしまうとも思えず、何もせずに眠ってしまうだけか。わかりかけていたことを睡眠によって忘れてしまうのが心残りだ。それで何を覆した気になれるのか。今がその時なのではないか。まだ粘っているようだ。執拗に何かを継続させようとして、寿命を縮め、そこから退くタイミングを見誤っている。それで本当に棺桶に片足を突っ込んでいるような心境になれるか。そんな気になりたいとは思わないか。ではなぜ退こうとしないのか。言葉と根気の浪費に拍車がかかっているようだ。まさにやってはいけないことをやっている気になれるというものか。それが犯罪者の心境に近づく早道であるはずもないか。ただわけがわからない。そして文章も終わりに近づいているような気もするのだが、なかなかゴール地点が見えてこないようで、焦るばかりで挫折してしまいそうになるが、さらに寝ぼけたことを述べるなら、そんな心境が君の望んでいた心理状態だったのかもしれない。たぶんそれは真っ赤な嘘だ。いい加減に言葉を並べながら虚無の前を駆け抜けようとして果たせず、途中で息切れとなってしまい、その場に座り込み、他の可能性を空想しているふりをして、わざとらしく泣き言を並べて拒絶され、誰かによって奈落の底に突き落とされたような気になって、今度は被害妄想を抱きながら、行き詰まりの原因を頭を覆っている虚無のせいにして、脚本家もどきの監督もどきがくだらぬ映画宣伝に勤しむ映像を画面から遠くはなれて眺めながら、何も思わない自らに安心している誰かのことを思えば、他に何をやる気になれるだろうか。何か苦しい言い逃れに及んでいるような気がする。それが君にはお似合いの切羽詰まった状況をもたらしているわけか。何を余裕こいているのだ。もっと冷や汗をしたたらせて、必死の形相で言葉を繰り出さなければ、まともな文章を構成できないだろうか。何を記すかは人それぞれであってもいいのではないか。


5月30日

 音楽を聴きながらちぐはぐなことを述べている。誰が何を考えているのか知らないが、どうやらそれは考えすぎて、頭の中で言葉が腐って分解してしまったようだ。踏みしめている大地は腐葉土か何かに覆われている。アスファルトの上ではあり得ないことか。それ以前に語っていることがでたらめのようで、説明が足りないのかもしれず、話の途中が省略されているようで、そんなわけのわからなさを笑いながら、森の中に誰かがいるらしい。要するに何の脈絡もなくおかしなことを述べているのだろう。誰かはそこで何をやっているのだろうか。ここに至ってやるべきことは何もないのであり、それで話になっていないのなら、始めからやり直した方がいい。何もやり直せる状況にない。頭の中で何かがおかしくなっているようで、そのとき君は何を忘れているのか。たぶん力が著しく抜けているのだろう。力の限界が極端に低下していて、誰かの語りがその水準に達していないのかもしれない。語るべき内容を失って、ただの文字列と化す。それが馬鹿げていると言うなら、何を基準にそんなことが言えるのか。何となくそう思うだけか。彼は世界中を飛び回って何を見つけたのか。ボールを蹴っているだけか。広く見聞を深めたのかもしれない。ところで彼とは誰のことか。とりあえず来月の初日は晴れている。無理矢理何を見出そうとしても、君はそれを批判する術を知らず、どこまでも晴れ渡った青空の中に何を見つけたわけでもない。空想の中で空飛ぶ円盤に向かって手を振っているのは君ではない。想像力の枯渇によってそういう言葉の並びが生じてしまう。誰かにとってはそれでも冗談なのだろう。そんな風にしてくだらぬ言説をさらしながらも、何かを変えなければいけないことはわかっている。気が散っているのだろうか。何も思い浮かばない。現状では何が可能なのか。何ができて何ができないかではなく、それをやろうとしなければならないと思うが、それとは何なのか。見た通りの文字列の中で、わざとらしい言葉の循環に遭遇しているらしいが、嫌気がさしているのではないか。では一刻も早くそこから抜け出たいのか。その前に何がそうさせるのかを知ろうとしていない。君には無理だろう。嘘に違いない。ならばできることとはそんなことなのか。君が知りたいのはそんなことではない。この世界は何を意味しているのか。現状はいつもの冗談に違いない。意味などあるわけがないだろう。意味があるから意味を知ろうとしている。意味がなければ知る必要もないか。君はそれを知りたがっている。君とは誰なのか。それはつまずきの言葉だ。世界について知ったついでにそれも知りたいところか。発想が貧困だ。いくら絶望のただ中にいようと、そこで誰が思い詰めているのではない。自殺はレクリエーションの一種だ。わからないことは何もない。言葉が偏っている。意識はどこで何をやっているのか。バランスを保つために何をやるべきなのか。そういうことではない。天気予報ばかり気にかけても何も始まらない。何を始めようとしているのではない。ならば何を否定しているつもりになれるだろう。どこで何が形成されているのか。事物が言葉の中にあるとは思えない。それはそれだけのことでしかなく、どれだけ言葉を繰り出してもどこへも達しないだろう。終着点がないのだから、目的地を目指しているわけではない。ではそれで何に気づいたことになるのか。終わりがないということだけか。問いかけの意味がわからない。たぶんタイミング的にはそういうことだ。それはどういうことなのか。何を蒸し返そうとしているのか。現状はそういうことでしかない。要するにどういうことでもないということか。いくら繰り返しても、何を問いかけているのかわからない。そこに何らかの欠陥がある。そしてその致命的な欠陥が君を支えているのか。君は不具合そのものであり、それが無駄に起因していることを誰かは知っているつもりだが、やはり意味がわからないか。わかるように語っていないのではないか。自ら記そうとしている文章を自らが理解できないようだ。誰がそれを記しているのでもないと思いたいのか。どこからともなくそんな意味のない疑念が生じている。ここはどこだろう。戯れに述べているだけで、別に記憶喪失になったわけではない。話の展開的にはありふれているか。ではそこで何を探しているのか。言葉がつながらないだけか。昼の光の中で何かがぼやけて見える。そのとき君は何があり得ないと思っていたのか。この世の何を馬鹿にしたかったのか。頭の中で何かが遠ざかろうとしているらしい。まだ寝不足気味のようだ。幻影はその場に遅れてきたのだろうか。そのままでは意味がつながらないだろう。影はそれでも何かを犠牲にしていると思っている。さらにわけがわからないのもいつものことだが、なぜそうなってしまうのだろう。本当は語ることが何もないのではないか。それが真実だとして、他にどんないいわけを思いつくだろうか。なぜ真実を認められないのか。面倒くさいからだろうか。理由になっていないような気がするが、それでも何かを適当に語ったつもりになれるらしく、少しは日付的な遅れを取り戻そうと努力しているのかもしれない。


5月29日

 相変わらず雨が降り続いていて、雨音を聞きながら目を覚ます。早朝らしい。画面以外の何を見つめているわけでもなく、ただそこに画面があるだけだ。何も突飛な発想が伴わず、それは当然の成り行きだろう。未だにそんな案配で、ひたすらつまらない言葉なり述べている現状があり、それがどうしたわけでもないが、何となく虚しさがこみ上げてくるように思われ、実際には何とも思わないのだが、それでもフィクションの中では何かが吹っ切れたような気になっている。しかしどこに登場人物が設定されているのだろうか。気分次第で虚構があることになっているわけか。実際には何もありはせず、いい加減に述べていることが嘘になってしまうか。話以前の話の中で矛盾していることは承知しているつもりだ。何がなんだかわからないが、君が示したい内容ではない。話に当てがないからそういうことになっているのだろう。他に原因は考えられず、そのまま適当に述べるしかないようだ。他に何がそこに生じているとも思えず、さらにおかしくも奇妙な具合になっている。それらの言葉の並びが信じられないか。君が何を述べたいのかわからない。そんなところで立ち往生している。笑ってしまう現状だ。何をそんなに困っているのか。誰が何に困っておるわけでもない。なぜそれを否定しまうのだろう。早朝に寒気を感じてしまうが、今は夜だ。仕事をしていたのだろうか。相変わらず今は何もない。やる気がしないのだ。他人は何に興味を抱いているのか。社会の制度をどうしたいわけでもなさそうだ。人間は人間でしかなく、人間以外の何者でもないか。神でさえない。制度の不具合についてとやかく言っていた誰はどこへ消えてしまったのか。君には自己顕示欲というものが備わっていないのか。それは誰の特性だろう。君に何が課せられているとも思えない。不具合を温存させたまま今に至っているのが制度の制度たるゆえんだ。人はそれらの不具合に魅力を感じている。公平ではないから自分だけは甘い汁を吸おうとしてそこに群がる。君は本気でそんなことを述べているのか。何となく感覚がずれているのかもしれないが、この世界はどのような危機に直面しているのだろうか。それについて何を語らなければならないのか。なぜか誰かが笑っている。君には関係のない話だろう。なぜ大げさな話題から遠ざかってしまったのか。リアリティを感じられなくなっているらしいが、くだらない社会の仕組みをせせら笑っているだけでは何ももたらせない。それはすごいことでもすばらしいことでもなく、何も考えられない間に季節が過ぎ去ってゆく。堕落しているとは思わない。何を肯定しているわけでもなく、何を否定することもできない。感性が摩耗してしまったのだろうか。それも君の知ったことではなさそうか。語り方が時代遅れとなっているようだ。時代などどこにもないか。君はこの世界に何ももたらせないが、もたらそうとしていないのだから、それは当然のことだ。今は何の時代でもない。すべてはすでに終わっているのだ。すべてとは何だろう。すべてでなければ何なのか。かつてギャグ漫画が流行っていた時代があったらしい。映画の中で冒険者を演じている俳優にリアリティを感じられず、物語の登場人物を透かして物語の限界が見えてくる。たぶん物語自体が馬鹿げているのだろう。魔法だの超能力だのが画面のこちら側に力を及ぼせないのだ。感動できないということか。画面の向こう側から襲ってくる大げさな呪いの言葉を無視して、適当な絵画を眺めて感動することもない。モナリザの微笑みにはひびが入っている。それだけ時が経ったということだ。数年前に話題となった最後の晩餐の暗号解きなど子供だましもいいところか。今こそ人が壁に塗り込められた絵に感動する理由を知りたいか。今は知りたくもない。では何を忘れようとしているのか。それが誰かが身につけた否定作用かもしれないが、本気になれない。終わりの季節を聴きながら、誰かがかすかな言葉を思い出そうとしている。何の脈絡も感じられず、唐突な印象を拭えない言説に親近感を抱いているらしい。不自然な文と文のつながり具合が好きなのか。何かおもしろおかしいような気分を求めているのかもしれないが、それで救われるような気持ちにはなり難いか。神はどこから君を救いにきてくれるのだろうか。救世主に救われる理由を知りたいか。誰もそんなものを求めているわけではない。理由がなくても救われるならそれに越したことはない。ならば冗談で神に救いでも求めてみようか。神は君自身の中に宿っているはずだ。妄想の中ではそうなのかもしれず、君は内なる神に救いを求め、ひたすら祈る毎日を送り、他に何もやろうとしない。それがその場で思いついた内容なのか。くだらないと思うなら、もう少しマシな日々を送るように努力したらどうか。君に何がわかるというのか。否定作用以外の文章を導きだせず、すべてを否定し、肯定的な言葉をどこかに置き忘れてきた結果が、そこでの単調な無内容を肯定せずにはいられない逆説を強いているのだ。それで何がわかったことになるのか。誰がろくでなし的な文章を記しているのでもなく、それらはすべて戯れ言の範囲内か。


5月28日

 また雨が降っている。気がつけば朝になっていた。それは昨日のことか。もう二日が経過しているのかもしれない。魔が差してしまったのだろうか。何も述べることがないのだから、何も記さなくてもいいのではないか。君には関係のないことだろう。何をそんなに笑っているのか。誰かの独り言がそんなにおかしいか。何も思いつかないのに笑っている。笑っているからどうだというのか。なぜ昨日の夕方から今朝までの記憶がないのだろうか。それほど眠らないと体調が戻らなかったわけか。誰かはそろそろ死ぬんじゃないのか。死ぬ人は他にいくらでもいるだろう。人間などいくら死んでもかまわないか。生きている必然性もないし、死んでしまうことも選択肢のひとつか。君は人間ではない。面倒なのだ。人間でなくてもかまわないのだろうか。そこに何かの呪縛でもあるわけか。ひたすら無駄な言葉が連なっているようだが、ここであきらめるわけにはいかないのか。いったい何について語っているのか。誰がどこで何をやっているというのか。誰かは他人より何十年か長生きしたいのかもしれない。それでも平均寿命より五十年も長生きした者はいない。大したことはないが、人はなぜそこに存在しているのか。歴史とは何だろう。何を信じれば納得がいくのか。文章になっていないような気がする。どうも誰かの頭の中はすかすかになっているようだ。人は自らが生きている時間の中で何をやりたいのだろう。何か目的でもあるのだろうか。別に目的があるから生きているわけでもないか。君に向かって何を問いかけても無駄だ。ただ雨が降り続いていて、執拗な天候に嫌気がさす。風邪でもひいてしまったのだろうか。雨空を鳥が横切り、何の感慨にも至らない心を和ませるでもなく、架空の意識は何を考えているわけでもない。言葉には限界がありそうだ。何も思いつかないのもその限界の存在を証明しているのかもしれない。あと五分で現実の世界に戻らなければならない。あり得ないことだろうか。何かようなものを探して、誰かの影はどこまで飛んでいってしまったのか。意味をなしようがない。何を面倒くさがってもどうなるものでもなく、ただとっかかりがつかないままに時が過ぎ去ってゆく。それで言葉が何を見出しているわけでもない。君はそこからどうしようとしているのか。何もできはしない。打つ手がないようだ。たぶん何をどうすることもできないのだろう。君はそこで途方に暮れているのだろうか。呆然とするような光景を目の前にしているわけではないはずか。ただの画面だ。さてどうしたものか。もう笑うことはできないだろう。真剣に討論するようなことは何もない。誰もいないのだから討論も何もないか。架空の討論なら作り話の中であり得るか。では誰と誰が何を討論しようとしているのか。君は人間のどんな性質を否定しようとしているのか。何を肯定できるはずもないか。たぶん予定調和だ。虚無に向かって何を問いかけても無駄だ。何の答えも返ってこない。それが楽しい状況をもたらしているのではないか。いい加減に言葉を並べて意味不明を装いたいか。無理な要求が受け入れられるはずもない。よく見れば影の首が曲がっていないか。それで何を醸し出しているわけではない。受け入れられない要求とは何か。君をどうして欲しいのか。どこかへおびき出してその正体を暴きたてたいか。正体も何もないだろう。それこそ君は影でしかないのではないか。誰の影でもなく自身の影が自らの実体をなしている。だから何だというのか。単なる苦し紛れの嘘か。君は語る相手を間違えているのではないか。それも違うと思う。間違えているのは語っている対象だ。そこには誰もない。そんなことはわかりきったことだろう。ただ強引に言葉を並べているだけか。そうであったらどうだというのか。何を開き直っているのだろう。誰かの目が血走っている。架空の表情をねつ造しようとしているのか。影に顔があるとは思えない。その顔は仮面か。無表情だからといって何を表しているわけではない。ただ疲れているだけか。疲れているのでどんな表情も作れない。それも苦し紛れの嘘か。できないものはできないだろう。何もできないからそんなことを述べている。誰も虚無からの作用を止められない。だから虚無に導かれるまま、開き直っていい加減に語っているわけか。そして何を悩んでいるわけでもない。君には何も見えていないようだ。架空の世界では大きな災いが降り注ぐが、それで何がどうしたわけでもなく、君はわけもわからず見とれるばかりだ。災禍に巻き込まれてもそれは作り話なのだから、痛くも痒くもない。では何に感動しているのだろうか。空疎なことをいつまでも語っている誰かにわけもなく感動してしまう。そこまで語る必要があるのだろうか。必要もなくそこまで語って何を期待しているのか。もたらされるのは誰かの無表情だけか。何も言わぬ沈黙の仮面が画面に映っている。そこからどんなメッセージが発せられるはずもなく、何を問いかけても沈黙のただ中に吸い込まれてしまい、どんな問いかけも跳ね返され、そこには誰の影も映っていないことがバレて、誰かの意識は自身の外部へと放り出されてしまう。そんなことがあり得るだろうか。あり得ないならそれも嘘に違いない。


5月27日

 ふと気づいたことを披露しているわけでもないが、それでも何かが変だ。いつもと何が違うのか。何も違わないと困ることでもあるのか。それで誰が困っているとも思えない。たぶんそれは考え方の相違だ。誰と誰の考え方に相違があるのだろうか。誰かがその場で抱いている思い込みこそ、勘違いの最たるものか。だがそれ以前に勘違いの内容が示されていない。わけがわからなくなり、とりあえず沈黙していると、風の音が聞こえてくる。そこで何を黙らせているのか。音楽は無限だ。誰かの感性とは関係ないだろう。少し前まで独り言をつぶやいていたようだ。そしてしばらく意識が遠のいていたのは、うたた寝の最中だったからか。何となくピントがずれているようだ。見えているものが見えていない。あまりにも外れすぎているのではないか。こけおどし的には無意識の奥に虚無があるらしく、その遥か遠くに底知れぬ闇がある。君の感情はどこへ消え失せたのか。いつものように何を語っているのかわからないから、嫌気がさしてその辺でやめてしまい、気晴らしに画面に向かって何を見ているわけでもないが、誰が見てもそれはただのファンタジーだ。映画のたぐいだろう。それはしばらく前の記憶に過ぎないが、ハリー・ポッターは子供だましなのだろうか。君も魔法使いになってみないか。違うと思う。では他に何を楽しめというのか。君は十年後の姿を想像できない。誰が何を眺めていようと、君にとってはどうしたわけでもないか。そんな風にして誰かの意識が不可能に覆われているようだが、冗談でもどうにもならないことは他にいくらでもある。なぜそれがどうにもならないのか考えたことがあるだろうか。それらの発言が配慮を欠いている。何を議論しているわけでもないだろう。でたらめに言葉を並べ、それとは無関係に翌日の天候は荒れ模様だ。しかし馬鹿げていないか。大切なのは自分のやりたいことをやることだ。そんなことを述べてどうするのか。誰かが簡単なことを言ってくれるが、君にはその意味がわからない。話の流れに脈絡を感じられない。何をめちゃくちゃにしたいのかわからない。それでいったい何について述べているのか。世の中の否定的な部分ばかり見ていると絶望的な気分になれるだろうか。どのような感性を文章の中に構成しているわけでもないだろう。言ってはならないことを誰かが言っているらしく、それについては何とも言えないようだ。そこで誰が何を述べているわけでもないことに変わりはない。それが信じられない。なぜそれほどまでにでたらめなことを述べているのか。ただやる気になれないだけなのか。それらの絵にどんな思いを込めているとも思えない。絵ではなく言葉の連なりではないのか。それらを支えていた感覚が去ってしまったのだろう。今ではどうでもいいことに成り果てた。ギターの音色に耳を傾ける。しらけた気分でいるらしいが、何も見当たらないのは今に始まったことではない。行き当たりばったりで何か述べているだけでは、そんな結果に陥ってしまうのも当然のことか。だからもう少し待ってみた方がいいのだろう。君には甘えの兆候がある。黙っているだけでは何ももたらせない。何か主張するべきことがないのか。何の主張もありはしない。述べているのが君ではないのだからそれは当然のことだ。君はどこへ行ってしまったのだろう。文章の中に君の痕跡を探しているわけではない。では何を探しているのか。破綻の痕跡か。すぐに人類が滅亡するわけもない。君には関係のないことだ。関係ないがわからない。わかったところで何でもない。誰かはなぜ国家間競争という幻想を抱いているのか。人はそんなにお国自慢がしたいのだろうか。いくらそれを馬鹿にしてもつまらないだけか。言説内で他国に対する配慮が欠けているようだが、それで何が愚かなのでもなく、要するに当たり前のことなのだろう。本の余興に過ぎないことだ。何も的を射ているわけでもなく、暇つぶしか何かのたぐいだ。少し前までどんな気分だったのだろう。資本主義の何が間違っているのか。幻想を抱いて何が悪いのか。それらの言説は何を開き直らせようとして構成されているのか。たぶん何が悪いわけでもなく、すべては正しい行いなのだ。金儲けにしのぎを削るのは良いことだ。そこでは誰もが典型的な動作を演じている。調子に乗って自らを見せびらかしたい。それが資本主義が推奨する正しい行いの正体に違いない。見栄を張りたいのだろうか。それだけでは嫌われてしまうか。では社会の役に立ちたいと表明してみればいい。君たちはそれで救われるのだろう。誰かも救われているはずだ。誰も彼もが自ら属する社会を繁栄に導きたいのであって、後の世代までその繁栄を長引かせたいと願っているのだろうが、そのような願いに報いるために、天が何かをもたらしてくれるはずだ。天災のたぐいか。神は確実に災いをもたらそうとしている。人々に試練を与えておもしろがっているのか。そうでなければ何なのか。君は神ではないので、君に訊いてもわからない。君は絶えず話をはぐらかそうとしているだけだ。できればそんなことはなかったことにしたい。だからひたすらずれて、話をわけのわからない内容に導こうとしている。


5月26日

 それは違うだろう。人類は知的生命体ではない。ただの感情的な猿だ。同じ種族の中で互いに争っている。その自己中心的な感性は救い難く、呆れるばかりの自意識過剰であるために、自らに対峙するような存在を見出せないのだ。外部に向かう視線が欠落しているようで、自らに利益をもたらすことしか眼中にない。それを許しているのは何なのか。自らを否定して何になるのだ。神にでもなるつもりか。何を批評しているとも思えない。勘違いも甚だしい。外は晴れて暑くなっているようだが、まだ何かやる気になっているのだろうか。相変わらず何が見出されているわけでもない。何を考えても何も思いつかず、それで何を考えていることにもならないのではないか。何を感じ取っているのでもないようだ。では何が違っているのか。それとは何だろう。以前と同じようなことを述べている。君の願いがどこかに届いている。それは天上界ではないらしい。空想したければいくらでもしていればいい。何を突き放したような物言いに終始しているのか。眠ってしまってはすべては無駄になる。それが嘘だと思うなら眠ってしまえばいい。何を明らかにしたいとも思わず、何が明らかにされることもない。当たり前の成り行きか。それでも嘘をついていると見なせるだろうか。確かに何が明らかになっているとも思えないが、そうやって同じような言葉を繰り返すつもりなのか。意味がないだろうか。意味を求めているわけではない。それが根拠の希薄な強がりを形成している。たまには弱がってみないか。それも意味不明のなせる業か。さらに意味がわからなくなる。たぶん冗談ではないような気がするのだろう。そんなことを述べている誰かは感情的な猿でさえない。ただの猫か。空想上ではそうかもしれないが、それは即興的な解釈だ。言葉以外の何をもたらしているわけでもなく、定常的な意味を担えない言葉の並びか。わざとわけがわからないようなことを述べているようだ。君はシャガールの絵を見たことがあるだろうか。それがどうしたのだろう。絵を見ればどんな認識に達するというのか。眠気が去って頭でも冴えてくるだろうか。何を云々したいわけでもない。記憶の断片としての挿話にも意味を付与したいようだが、どこでどうなってそんな気になるのか。そういう視点は感心できないか。視点とは何だろう。何を見ているわけでもないような気がする。それで調子に乗る必要はないだろう。田園地帯では人がまばらに住んでいる。人口の密集地帯で生じている幻想を共有する必要はない。文学に偏ることもない。君は君で何を考えていようと君でしかない。君でさえないのかもしれず、君以外の何者でもないのかもしれない。存在論的に矛盾していたいのか。それの何ができない相談を生じさせているのか。君は何もわかっていないのではないか。考えることを放棄していないか。文字を記すことは考えることとは無縁の作業になるだろうか。わざと間違ったことを述べている。そうしなければどうなってしまうのだろうか。果たして知的生命体という概念自体に肯定的な意味を付与することが可能なのか。試行錯誤しているふりをしている。わかりやすく述べようとしていないだけか。それで何を放棄していることになるのだろう。考えることを放棄しているつもりなのか。冗談ではない。自問自答によってどんな思考が形成されているのだろう。予定調和でしかない。わざと遠回りしているようだが、それを楽しんでいるふうはないらしい。何も簡単に述べられなくなっているのだろう。それがそこに生じている障害であり、そんな不具合が文章の継続を助けている。あり得ないことか。そして文章は自然と自己言及へと引き寄せられ、退屈な自家中毒を構成する。それで何を批評しているとも言い難い。それでもそんな状況に慣れていることに変わりはなく、何度もそれを繰り返すうちに、それが当たり前のことのように感じられてしまい、文章的な欠陥の上で誰かの意識は安住しているようだ。要するにそれがどうしたわけでもないということか。人が考えそうなことはどこまでもせせこましい。すぐに効率を重視しようとして、そこから最大限の利益を得られるようにしたいわけだ。君はそうではないようだ。無駄に無理を押し通そうとして失敗しているわけだが、いくら失敗しようと何の反省にも至らず、執拗に無理なやり方を繰り返して、結果的に自滅してしまうわけだ。だがそれは作り話の中で演じられている動作でしかない。そしてそんな作り話は実体化しておらず、空想の中でのみ語られているような虚構に過ぎない。しかしそれの何がフィクションなのだろうか。無駄な思考形態から生じている文章の中でさえ何もない。ただごちゃごちゃした言葉の連なりの中で何かが語られているような気がしているだけで、実際に読み返してみると、何を述べているのでもないことがわかってしまい、それらの空疎な言葉の連なり具合が奇妙な感性を想像させるだけだ。たぶんそんな風に文章を継続させるのは虚しいことだ。だが他にどんなやり方があるというのか。どんなやり方でもあるのだろうが、それができないだけか。そして君はその場から遠ざかる。いくらでも退くことができそうだ。


5月25日

 何か適当なことを語っているつもりになるが、それも昨日の延長のようだ。記された言葉が現状を裏切っている。ふとした弾みでそんなことを述べているのだろう。理由がわからない。それが理由ではないのか。何が理由なのだろう。何をとぼけているのか。理由を探しているわけではない。何も述べることがないのではないか。何が気に入らなくてもそういう流れなのだから仕方がない。自らが何を述べているわけでもなく、自然と言葉が連なるような成り行きに持っていかなければならず、自らがそうするのではなく、結果として何となくそうなってしまうわけだ。それはあり得ないことか。君が何をもたらしているわけではない。しかしそれが誰の冗談になるのか。何をとぼけているわけでもない。個人の感情などどのようにも制御可能か。状況がそうさせているだけだ。いつものようにわざとずれたことを述べているに過ぎないようだ。それでもその何でもない状況を何とかして変えなければならないのか。誰に頼まれたわけでもない。神にやるべきことなど何もない。誰も神ではなく、神という言葉が記されているに過ぎない。意味が違っているのではないか。君に意味を求めても無駄か。何もないから虚無なのではないか。どうやら休んでいる暇はなさそうだ。虚無であることが何をもたらしているとも思えない。いったい何が虚無なのだろうか。何でもないから虚無なのであり、そういう話ははじめから成り立たないだろう。平和な社会で暮らす人々は暴力に飢えている。紛争地域で暮らす人々は本当の飢餓にさらされている。そのどちらもが不幸なのだろう。誰もがそれでかまわないとは思っていないだろうが、何となく見解や認識の違いで済ますことはできそうだ。不幸だとは思わなければいい。娯楽と引き換えに忘れてしまえばいい。テレビでも見ていればそれで済んでしまうこともある。冗談でそんなことを述べても虚しいだけか。冗談ではないと思いたいのか。だがそれでは娯楽から遠ざかってしまう。お笑い芸人のショートコントで君は笑えるだろうか。笑えたからといって幸せな気持ちになれるとは限らないか。たぶんそういうことではないのだろう。その場の成り行きに逆らってまでして、自らの思い通りに事を運ぼうとしてはいけないのか。いったい君は何をやりたいのか。そこで何をやりたいわけではなく、どこで何をやりたいわけでもない。何をやりたいのかわからないようだ。何をやるにしても必ず邪魔が入り、結局何もできないような成り行きになってしまうらしいが、そんな成り行きにいつまで従わなければならないのか。だが何に耐えているわけでもなく、耐えようのない精神的な苦痛にさらされているのかもしれない。思い通りにいかないことだらけで、何をやってもうまくいったためしがなく、いつも頭の中で不満が駆け巡っている精神状態か。だがそれでどうしたわけでもなさそうだ。誰かはそんな状況の中に安住してしまっていて、そこから抜け出ようとする気が失せている。それが危険な兆候だとわかっていながら、どうしてもその気になれないのだからどうしようもない。気に入らないことは気に入らないこととして受け流し、自らは何も主張する気がないようだ。無気力に浸りすぎている。それでもなんとかしなければとは思えない。本当になんとかしなければならないのだろうか。気がついたら何とかなっていれば楽なのだろうが、そう都合よく事が運ぶとは到底思えない。事が運ぶとはどういうことなのだろう。早くつまらぬ言説の構築を終わらせなければならない。偶然の巡り会わせに期待しているのかもしれない。ではいつまで待つつもりなのか。待ち続けていれば何が到来するというのか。好機が到来するとすれば、それは何をする好機なのだろう。そうなるためには何か準備が必要だろうか。現時点では何をどうしようとも思えない。その時になってみなければわからない。その時が来ないまま一生を棒に振るつもりか。そうなってもかまわないだろうか。冗談なら許せる成り行きか。意味不明に逃げている。言葉に窮しているのかもしれない。世の中には泥酔する者もいる。意味がわからないが、眠たくなっているのだろう。何に溺れていようと、何かを成し遂げようとする意欲を見失わないことが大切か。さらにわけがわからない。そんなことを述べながらもすでにその身を滅ぼしかけているのかもしれないが、それでも述べなければならないことを見出さなければならないのか。それは努力して見つかるたぐいのものではないらしく、いつまでたっても行き詰まりを打開できないような気になって、その場でまとめようとする気を放棄したくなってくるようだが、今さら目新しいことを述べるわけにはいかないようだ。現に何も思いつかないのだからしょうがない。いったい君は何を怠っているのか。努力する甲斐もないことをやり続けているわけにはいかないのではないか。だからなんとかしようとしているらしいが、いつまでたっても堂々巡り的な言説に終始している。そんな成り行きの中に意識が埋もれているようで、事態が改善する兆しが一向に見えてこない原因の一端がそれらの文章に含まれているらしく、今こそそれらの文章を捨て去る勇気を持つ必要に迫られているのだろうか。それが冗談として受け流されては元も子もないか。


5月24日

 何となくそうかもしれないが、どうかしているのではないか。たぶんそうだ。どうかしているから何とも思わない。それでも何かやっているつもりになれる。何が欠けているかはわかっているつもりだが、わかったところでどうなるものでもない。意味をなさず、言葉が外れている。腕が痛い。無理をせざるを得なくなってしまったようだ。それで何となくわかってきてしまったようだ。人は何のために生きているのだろうか。冗談に逃げているみたいだ。君には理由がわからない。そして気がつけばいつもの言葉が並んでいる。誰かはただ生きている。そこに暮らしている。何を疑問に思っているわけでもない。夢を見ているのかもしれない。睡眠中はそうなのだろう。何が起ころうと深刻さが欠けている。そう思い込んでいるのだ。救いがない。救い難い状況にある。いったい何が見えているのか。君の未来ではないはずだ。君は未来に勝てないのではないか。それはどういう意味なのか。なぜそんな問いかけに答える必要があるのか。わからない。問いがそこにはない。やはり何も見えていないようだ。そこには言葉しかない。誰を見捨てたわけでもない。今日はだめなのだろう。何もできやしない。何かに見とれてしまっているようだ。そして言葉が透けて見える。そんなことはあり得ない。また嘘をついているのだろう。刺激が欲しい。人間はまだ生きたいのだろうか。君は人間ではない。言葉が君を構成しているようだ。何かが安易に語られているようだが、戦う理由はない。物語の中ではそうだろう。心の中で躓いてしまう。君は物語から遠ざかってしまう。夢の中ではそうだ。現実の世界では何でもないのだが、煮詰まっているのは当たり前のことだ。人間たちは自らの存在を大げさに捉えたがっているのだろう。たぶん人々の要求が見当外れなのだ。どこかのフィクションでは人類は空飛ぶ円盤に乗った宇宙人からの侵略にさらされている。現実の世界ではネズミやゴキブリやハエや蚊からの侵入にさらされている。どちらが真実なのか。どちらも真実なのだろうが、害虫と宇宙人のどちらとの戦いに真実味があるだろうか。誰が宇宙人で何が害虫なのか。君はどちらでもなく、何と命がけの戦いに突入しているわけでもない。ただ文章の中に君という言葉が記されている。別にこけおどし的な神話に興味があるわけではない。たぶんそれは人によって作られた物語なのだろう。言葉が自然に発生するわけがなく、それを記す者が必要か。それの何が真実味に欠けるのか。君は何をそんなに笑っているのか。それが本当だとしても信じられない。何か馬鹿げたことが起こってほしいのか。それらの出来事に興味があるとは思えないのに、彼らは何を見せびらかしているのか。すべては今あることの延長上にあるらしい。だからこうして悩んでいるのか。そんなわけがないだろう。ただ切羽詰まっているだけか。誰かが誰かに見下されている。それを端から見ておもしろがっている誰かには関係のない真実がどこかに埋もれているのかもしれず、それを誰が探しているのでもないが、君にはそれが真実のように感じられてしまうわけだ。それがどうしたのだろう。もう時間がないということか。あきらめるしかないということだ。それ以外に何を理解したいのか。先が見えている。神や悪魔の話に興味があるわけではない。漫画の主人公がどうなろうと君には関係のないことだ。だからといってそこで立ち止まっていいはずがないが、何となくさっきから集中力が切れているらしく、何もやりたくなくなってしまったようだ。やりたくてもできないのだから仕方がない。何もかもが馬鹿げているように思えてくる。小市民的な祈りに呼応することはできない。すでに夏のような天候か。それとこれと何の関係があるのだろうか。君は何かと何かを取り違えているわけか。わけもなく意味不明なことを述べ続けているだけか。勘違いの原因がどこから生じているわけでもなく、そこで何を探していたわけでもない。わけを探しても無駄か。わけもなくわけを探しているに過ぎない。それはどういうことだろう。もう少し生きろと命令されているわけでもない。神も悪魔も命令されるのが嫌いらしく、人から命令されるのが何にも増して屈辱なのだろう。だが今さら君に何ができるというのか。もう二日後だ。二日前の出来事など何も覚えていないはずだ。だが誰が君の記憶を消し去ってしまったのか。君という言葉に記憶も何もありはしない。確か二日前にもそんなことを記していたかもしれないが、誰がそれを覚えているのか。何を読み返す気も起こらない。ではなぜ人はそこで戦っているのだろう。漫画の中で架空の人物たちが戦っているだけか。だが神は作者の妄想などにつきあっている暇はない。内面の世界は何かのでたらめに起因している。それは誰の内面なのか。君はどこから始まってどこで終わっているのだろうか。君ではないのだろう。君に内面などありはせず、あるのは取り返しのつかない過ちだけだ。それらの思い違いは果てしない。そして言葉が君をどの文章に結びつけようとしているのでもなく、君を架空の存在として文章の中に縛りつけようとしているのでもない。君という言葉はすべての不在を象徴している。


5月23日

 怒りが込み上げてこない。その対象がないのだから当たり前のことだ。ではなぜそんなことを言うのか。架空の会話が成り立つような状況ではない。何となく気分的に現実から外れているようだ。作り話的にはそれはどういうことなのか。そうではないと述べておこう。現実が文章に影響を及ぼしていない。ここは未知の世界ではない。何もかもがありふれている。それがどうしたわけでもないが、果たして君に未来があるだろうか。現実に述べている内容はとりとめがない。取り立てて何を気にしているわけでもなく、何かをどうにかしたいのでもないらしいが、それの何が冗談だったのか。冗談でそんなことを述べているつもりなのだろう。ではそれの何が作り話なのか。さすらい人が話の中に出てくる。気晴らしのたぐいでそんな筋書きを構想している。構想するような話ではない。しかし何が話の中でそれを示しているのか。たぶん他人にはわからない何かがそうだったのかも知れない。すべてはでたらめで、偶然に頼り切って言葉を繰り出しているようだが、まったく話になっていない。そのついでに別の話を思いつこうとしているようだ。何かがおかしい。君は気が狂っているのだろうか。見つめている先には何があるのだろう。誰が画面に映し出された田園風景に見とれているわけではない。それとはまったく関係ないのかもしれない。誰かはこの世界に興味を失いつつある。そこに暮らす人は誰でも暴力を愛している。いついかなる時でも禁止されている行為を欲しているのだ。じっとしていられずに暴れだしたい。さかんに暴れる理由を求めている。隙あらば力まかせのやり方を目指している。だがそれで思い通りの展開に持っていけるだろうか。思い通りにいかなくてもかまわない。やらないうちから何を妥協しようとしているのか。他に何かうまいやり方を思いつけるか。何も思いつかなければ、あくびとともに眠ってしまえばいい。眠ってしまったら明日がやってくるだろう。それの何が気に入らないのか。必要以外ことは何もやらずに、なるべく他力本願でありたいと思っているようだが、君の他に誰がいるのだろう。誰が言葉を奏でることができるというのか。それをやろうと思っているわけではない。そこで誰かがかなり意味不明なことを述べている現状があるだけで、何となくそれは違うような気がするが、ノイローゼとはどういうことだろう。君はノイローゼなのか。他に何を馬鹿にしたいのかわからない。それ以上は何を語っても嘘になる。今でも嘘をついているはずか。今さらそれはないか。少し前までは、外は土砂降りの雨だった。語りたいことなど何もありはしない。ただ雨音を聞きながら、それがわからないと思っていた。誰かがいい加減なことをつぶやくが、相変わらず意味がわからない。気がつけば目の焦点が合っていないようだ。それの何がわからないのだろうか。やり直しがきないところまで語ってしまったらしい。怖くなっているとも思えないが、意識が言葉から逃げているのはわかっている。逃げなければどうにかなってしまうのだろう。そんな思い込みにすがりつき、なんとかそれで正気を保っているのかもしれないが、逃げずに今こそ現実を見つめ直すべきか。現実とは何だろう。それを見つめてどうするのか。時として人は理解できない行為に及ぶことがある。誰もがそうなのかもしれない。状況と成り行きがそうさせるのか。にわかには信じ難いような成り行きに遭遇することがある。理由など後からいくらでもつけられるだろうが、やはりその時点では信じられない。感情が行動に結びつき、何かを成し遂げようとしているのかも知れないが、それ以前に心が壊れている。それも嘘だろうか。誰かは焦っているのかもしれない。連ねられた言葉にまったく魅力を感じられない。何かが詰まっているようだが、それは排水溝の話か。何もわからないが、雨の勢いが弱まっている。それで何がわかったのだろうか。文章の行き詰まりを感じ取る。それで何を述べているつもりになれるだろう。かつてそんなことを繰り返し述べていた時期があったらしい。君は現実から逃げているのだ。君は不在だ。わざとそんなことを述べている。それはどういうことだろう。不在の君が何を語ろうとしているのか。そういうことではない。この世界はどこまでもこの世界であり、世界の外はあり得ない。そうではない。声は常に世界の外から届けられる。それは声ではない。背景放射などの雑音だろう。そこで言葉は君に似せられて発せられる。よくわからないことを述べているようだ。今さら修正は利かない。何を語っても無駄になり、君はそこから遠ざかれなくなる。要するに述べていることはまったくのでたらめなのだろう。君はそこで何を欲しているのか。指名手配犯と顔立ちが似ている。そういうことではない。音量がでかすぎるか。わざと何かをずらして語ろうとしているのはいつもの通りに違いない。そして何を語っているのでもないと思いたい。それが君のすべてなのだから仕方がない。できうる限りのことをやっているつもりなのだ。それで挫折や絶望を乗り越えられるとは思っていないが、何も成し遂げられないわけでもないらしい。


5月22日

 どうもタイミングが悪いようだ。なんとかしたいのはやまやまだが、たぶん何もやって来ないと思う。何もない代わりに今があるわけか。今という言葉の使い方が間違っているのではないか。意味がわからないが、そうではないと思いたい。そういう話ではなく、未来がない理由を聞かせてほしい。誰にとって未来がないのだろう。でたらめな理由などありはしない。言葉に窮して何かを逸らそうとしているのだろう。何かとは何なのか。目をそらしてあさっての方角を見る。そんな芸当が誰にできるのか。どんなにへりくつを並べようとしても、何も見つけられないようだが、それは求めようとして求まるものではない。それとは何なのか。君はそこで何をやっているのか。何かをやっているはずだ。これから何に向かうのも気持ちの持ちようだ。だが考えていることはそこにはない。ただひたすら蒸し暑い。何かに気持ちが押し戻されている。確かに翌日は暑すぎる。なぜ興味がわかないのか。天気の話をしているわけではない。でたらめに語って、少しは気が晴れただろうか。いつか雨が降る。雨が降ったら涼しくなるだろう。何かの勘違いだろうか。誰かがそこで見捨てられているのかもしれない。何かをゴミかごに向かって放り投げたようだ。鳥の話をしているわけではない。カラスが鳴いている。そして暗闇から何かが飛び出す。気持ちの中で何かを投げ出している。虚しさを逃れようとして、画期的なやり方を見つけようとしているのだろうか。見つかるはずがない。何も見つけようとしていないのではないか。相変わらず心は虚無に覆われている。心などどこにもないと思いたい。すでにそんな風に思っているのではないか。テレビが邪魔なのだろうか。どこに向き合うこともできない。問題は何もない。隠しようのない空虚だ。それは問題ではない。そこから問題が始まるのではないか。曖昧なことを述べているつもりになっている。でたらめに違いない。ニュースなど何もありはしない。それらはすべて旧聞だ。君は過去にしか興味がないのだろうか。なぜ未来を先取りして語らないのか。できないことをできるように語るのはおかしいか。無責任だ。世の中の制度に押しつぶされた者は過労死してしまうらしい。誰かは無理なことをやらされて疲れているようだ。君には関係のないことのように思える。力量を過小評価されている。まだそんな幻想を抱いているのか。何をやっているわけでもない。それも嘘の一部を担っている。わけがわからない。ますますわけがわからない。もうどうにでもなってしまえばいいと思う。もともと君に課せられた仕事ではないのだろう。負担が重くのしかかっているのはどこでも一緒だ。だがなす術がないとはいえないだろう。今こうしてつまらないことを述べている。君に課せられた重荷ではない。息が荒いようだ。膝の痛みが再発している。どこで何をやっているわけでもない。何もやらずに何をやっているのか。さっきまで誰かが眠っていたらしい。寝汗をかいているようだが、体調が優れないのではないか。何を思っているとも思えない。ではもうあきらめてしまったのか。あきらめるのはまだ早いか。空気は熱伝導率が悪いのか。そういう話ではない。隠された何かを探しているとも思えない。すべての中に何かがある。当たり前のことを尋ねないでほしいか。カラスがゴミをあさるようにくだらぬ何かを探しまわる。見えているそれは仮の姿をまとう。何も見えてこないのは相変わらずだ。闇の中で何を思うだろう。あくびが出る。それが君の限界か。そこから先に何があるのか。相変わらず蒸し暑い。見えない何かに導かれているとは思えない。暗中模索の日々を装う。とても微妙な何かが誰かの前進を妨げる。それだけのことだろう。どれだけ苦労していると思っているのか。映像がひっきりなし移り変わる。神経質になっている。心は空疎な何かを求めているらしい。道がそこで途切れているわけだ。何ともやりようがない。努力すべきではないのだろう。一人で重荷を背負い込んでどうするのか。ただわけがわからない。わからないことを述べているようだが、どこに逃げ道が用意されているのか。避難すべき場所が見当たらない。理解できるわけがない。それでもなんとかそこまでやってきて、途方に暮れる暇もなく、さらに言葉を連ねようとしている。無駄だろう。ひたすら無駄なことを述べている。そこまでやる必要があるのか。必要がないからそんなことを述べている。ため息が出る。ただ走り続けているだけか。それでもまだ先があるらしく、その先を見極めようとしている。やるだけ無駄だろうか。無駄でなければどんな報いを受けるのか。どんな結果を予測したいのか。すでに結果は出ているのではないか。君は負けている。負けているだけだ。あらゆる事物に負けている。そう思い込みたいだけだ。本当のところはわからない。仮に負けていてもわからない。勝負を挑んでいるとは思わない。常に外れている。どこまでも外れていて、ひっきりなしに逸脱している。そう思いたいだけだろう。そう思っているうちは何にも巡り会えない。かたくなにそれを続けようとしているだけか。そして虚しさに負けているのだろうか。


5月21日

 たぶんそうではないのだろう。何も考えられないのに言葉を並べようとするが、やはり無理のようだ。語る理由を見つけられず、また昨日の時間帯から抜け出られなくなってしまったようで、放っておけばさらに遅れてしまうだろう。何をそんなに苦しんでいるのか。何も思いつかないのだから苦しむより他ない。それで笑っていられるのだからかなり精神的に参っているのではないか。何か負い目を感じるような状況になりつつある。もっとまともなことを述べなければならない。君はどこへ向かって追いつめられているのだろうか。たぶん心の赴く先には空疎な言説が横たわっているはずだ。それで何かを述べているつもりにならなければならず、さらに負い目を感じるはめになる。そんなのは嘘だろう。冗談に違いない。今はそれも無理なのか。冗談であることが信じられず、何かに逃げようとしている姿勢から自己嫌悪が生じてくる。負い目を感じた後は自己嫌悪か。それが冗談だとはいわせないか。冗談でなければ無視していればいい。外は静かだ。静かすぎて怖くなる。そんな状況のまま夢から覚めたらどうなるのか。意味がわからないが、現実の世界では、鳥のさえずりと虫の鳴き声の他には何も聞こえてこない。また雨が近づいているのだろう。だいぶ蒸し暑いか。窓から吹き込んだ風を感じて目が覚める。夢の中ではそういうことだ。さらに意味不明か。何となく理解してしまえばそういうことだ。たぶん誰かが強引に他の音を消しているのだろう。こじつけも甚だしい。話になっていない。それでも誰かが語る作り話の中ではそういうことになっている。それは夢の中で語られていた内容なのか。何の話でもない。それに関して君は何も語らない。その場での沈黙が何を語らせるとも思えない。実際に誰かはさっきから何も語ろうとしない。誰かと君は同一人物の可能性がある。だから同じことを二度述べていけないわけではない。そんなわけで何も語る気がしないという表明は聞き飽きたか。どんなわけか理解できないふりをしているだけだ。それがどうかしたのだろうか。取り立てて何について語るつもりもなく、どのように語ることもできないことがそんなにおかしいか。ただ笑っている。心の中では笑っているつもりなのだ。誰が笑っているわけでもない。いつものようにそうではないと思いたいが、今度ばかりはお手上げ状態か。苦し紛れとはそういうことなのか。強引に語りたい話題に持っていこうとするが、言葉がそれを拒絶する。自ずから外れ、意味を担おうとせず、その辺に散らばり続け、それを記そうとする意識から逃げ出してしまう。何がどうなってそうなってしまったのか。当てが完全に外れている。本来なら今頃は何もせずにテレビでも見ている時間帯のはずだった。実際の時間帯では何を考えているのか。何も考えられずに途方に暮れているふうを装うでもなく、理性ではできないことがわかっているのに、なぜそんなことを考えてしまうのか謎だ。そんなこととはどんなことなのか。何をそこで開き直っているのだろう。まだ問いに答えていない。結局自らが何を考えているのかわかず、苦し紛れにひたすら関係のないことを語り続け、語りたいことを語ろうとしない。その辺に矛盾があるらしいが、それを改めることができずにいる。感情がそうさせているのだろうか。焦れば焦るほど言説が違った方向へ逸れていってしまうらしい。現状では何について語っているのでもなく、語り方について語っているだけか。そんな風に語っていること自体、とても正気とは思えないが、コーヒーでも飲めば正気に戻るだろうか。コーヒーを飲むか否かに関わらず、今も昔も正気だろう。正気だからこそ語ることができないのではないか。語ることが何もないのに語れるはずがない。それでも語ろうとしているらしいが、誰かはそれが間違っていると思っている。では語らなければいいのか。正しい行いを拒絶し続けているのはどこの誰なのか。君でなれば誰かは誰なのか。それがどうしたのだろうか。この世の何が問題なのか。何について語ろうとしているわけではなく、それがそこで顕在化している問題のひとつなのだろう。他の問題に関心がいかない。この世界に飢えた人が大勢いるらしい。投機的なマネーゲームによって貧富の格差が拡大し続けている。それがどうしたのだろう。その一方で平穏に暮らしている人も大勢いるはずか。そういう人の方が多いのではないか。彼らは何を見て見ぬ振りをしているのか。何も見ていないわけではなく、たとえニュースで悲惨な光景を見ていても何もできないのだ。実際に何をやる必要もない。そのせいぜいが地球に優しい生活をしていればいいわけだ。そう述べて彼らの何を馬鹿にしているわけでもないが、ごまかしがきかないようだ。何もごまかしようのない状況の中で暮らしている。合法的であろうと違法であろうと、それがそこでのすべての言葉なのだ。他に何があるとも思えず、ただ無駄に言葉を連ねて、何か述べているような気になっている。それ以上に何を望めばいいのか。何を望めるような状況でもなく、絶望するほど精神的に追いつめられているわけではないが、ひたすらなんでもないことを述べていることだけは確からしい。


5月20日

 何もかもが普通ではない。また何かの冗談だろうか。ただそんなことを思いついただけのようだ。他に何を思いついたわけでもないらしい。ではなぜそれについて語ろうとしないのか。何となくそういう言葉の並びなのだから、その場ではそういうことを語っているのだろう。相変わらずの空疎そのものだ。君はそこで何を望んでいるのか。人間とは何か。ただの言葉だ。どこかで何かが立ちふさがっている。語ろうとするのを邪魔しているわけか。そうだとしたら何なのか。面倒ならそのまま受け流していればいい。それが洗練された対応となるだろうか。何がなんだかわからないか。何がそこで語られているわけでもない。君はいつもの無視を決め込んでいる。徐々にその場の雰囲気に慣れてきたのだろう。それはそれでそういうことでしかない。それが当たり前のように感じられてしまうわけだ。そんなことはあり得ないと思いたいが、それが妄想の一部を形成しているとしたらどうだろうか。いったい君は何を思い描いているのか。それらの小説を読んでおもしろいと思うだろうか。たぶん読む気がしないだろう。外は晴れているようだ。仕事の最中に何を空想しているのか。それは別の時間帯での精神作用となる。何に夢中になっているとも思えず、何を望んでいるわけでもない。この世界がどうなっても仕方のないことだ。映画の中では何度も破滅的な出来事が起こっている。そうしないと人々の関心を引きつけることができないからだ。大地震でも起こればマスコミが浮き足立つだろうか。人が大勢死傷したらどうなってしまうのか。現実に起こっていることに照らし合わせればそんなことだ。至って平穏な日々の中で、誰かがそんなことを空想している。では君たちは何を実現しなければならないのか。老人にも貧乏人にも病人にも生きる権利があるらしい。たぶんその辺から国家の存在意義が生まれてくるようだ。裕福で健常な人々だけ生き残るわけにはいかないのだろう。国家の中で生きる権利がないのは死刑囚だけか。そんな国家は滅び去った方がマシか。そうなったら人々はどうなってしまうのか。そうなってみなければわからないから、そうなるように努力すべきなのか。たぶん国家はそこに暮らすすべての人々を、裕福で健常であるようにしようとしているのだろう。それは不可能な理念だろうか。しかし実質的には大部分の人が、老人か貧乏人か病人か、そのどれかに含まれているのではないか。国家はそう思い込ませないように努力すべきなのだろうか。しかしそのためにはどんなごまかしを用意すべきなのか。要するに働かせればいいのだ。死ぬまでせわしなく働いてもらえばそんなことを考えているいとまを与えずに済むだろうか。そんなわけで労働者は働いて結婚して子育てして家をローンで買って、そんなことに追われているうちに、気がつけば余命幾ばくもない老人になってしまえば、国家に対して不平不満を叫ぶ余裕もなくなってしまうだろうか。しかしそれではありふれた現状を否定的に述べているだけではないか。たぶん多くの人々はそういう営みを肯定的に感じられるように生きてゆかねばならないのだろう。何となくそんなこと考えているうちに虚しさがこみ上げてこないか。馬鹿げているのではないだろうか。そこからどうやって肯定的な意味や意義を導きだそうと、そんなのはごまかしに過ぎないだろうか。たとえごまかしであったとしてもそれを肯定すべきなのか。そこにどんな思い込みを設けたいのか。その思い込みによって現実を肯定的に捉えられるようになれるだろうか。国家主義者が考える国家像自体が馬鹿らしい。すべては幸福を実現するための幻想だ。たぶんその幸福を実現するための試み自体が不幸や破滅の原因を含んでいる。要するに否定的な言葉を操っているうちは楽しい気分になれるのであって、それは冗談のたぐいに違いない。たぶんそこで正気を保つためには生きる目的を設定すべきで、その目的に向かって行動しなければならず、そういう単純な思考が君を馬鹿げた妄想に導くのだろう。本当はそうではない。ただ何も考えずにうごめいているだけで、世の中を目的もなくさまよっているに過ぎない。その日その時に思ったことをおもしろおかしく述べようとしている。それでどんな思想に達するわけでもなく、それは単なる厭世観だろう。本当は国家などどうでもいいわけだ。犯罪に手を染めず、ちゃんと税金を払っていれば、国家の方でも文句はないはずか。後は何を考えていようと、どんな過激な発言をしようと、マスコミが取り上げて騒ぎにならない範囲内なら、自由にやってもらって結構なのだろう。そこから国家が破綻を来す原因は生まれないか。ならば反国家主義者を自任している誰かにはどんな戦略が必要なのか。ただ冗談でそんなことを述べているだけでは人畜無害だ。たぶんそれも誇大妄想のたぐいに違いない。いったい君は何を述べているのか。誰にふさわしい言説だとも思えない。そんなフィクションを語る資格など誰にもありはせず、自由は何の資格も必要としない行為を必要としているのかもしれないが、それで何がどうなるわけでもないのが唯一致命的な欠陥だろうか。ただ矛盾したことを語ろうとしている。


5月19日

 まだその先を見据えられるだろうか。その先とはどの先なのか。歴史の教訓に足を取られているわけではない。躓きの原因は他にあるようだ。たぶんその時の判断が間違うような巡り合わせらしい。言葉が適当に組み合わさって、誰かの過ちを形作る。それで何を述べているわけでもない。君には何もできない。過去の経験から学んでも、どのような結果が出るかはその時の運だ。君の思い通りになるはずがない。そんな思い込みからどんな認識に至れるのか。それでもなんとかしようとしているのだから、まったくご苦労なことだ。響いてくるのは無機質な音だけか。それが何を暗示しているわけでもないか。気に入らないことは他にもありそうだが、今そこで気に入らないこととは何なのか。たぶんなるようにしかならないような気がしているのだろう。たとえそれが思い違いであろうとなかろうと、そこから前向きな回答を導きだすのは不可能だ。何を語ってもそれ以上の見解を求めることはできない。この世界はいったいどうなってしまったのか。君の感じ方が変わってしまっただけなのか。何に対しても怒りがわいてこない。どんなに理不尽な行いが顕在化しようと、そこにはそれなりの必然があるように思われてしまう。しかしそれを許してしまってかまわないのだろうか。許せなかったら怒るべきなのか。何とも思わない。すべては君には関係のないことだ。なぜそこで思いとどまってしまうのか。内面から吹き出そうとするどんな否定的な感情も、吹き出す寸前で押さえ込もうとする。理由が欲しいか。何のことはない、我慢の限界に達していないだけなのではないか。気に入らないなら気に入らないと表明できないのか。いったい君は何を相手に語ろうとしているのか。空は曇り風もやみ、雨はとっくにあがっている。別にそんな天候が気に入らないわけではないだろう。もう夜だ。君はこの世界がどうなってほしいと思っているのか。どうにもならない。はじめからあきらめているのだろうか。君に何ができるだろう。君以外にも何もできない者が存在するらしい。それがどうしたわけでもない。誰もが何かをやろうとして、絶えず思い通りになるようにしようとしているのではないか。それがどうかしたのか。何がどうしたわけでもなく、何もかもがどうかしているのだろう。その結果がその時点での状況を形成している。君にはなじめない状況だ。だからなんとかしようとしているわけか。なんとかしようとしてどうなるわけでもないと思っている。やはりはじめからあきらめているようだ。少し前の時点ではあきらめきれないのに、次第にあきらめかけてきて、その時点ではあきらめている。要するに挫折しているわけだ。言葉を記すのが嫌になってしまったようだ。いくらでもそう思い込みたい。終わりにしたいのだろう。そして何かについて語りたい。空疎な内容はもうたくさんか。この世界が真っ暗闇に包まれる前にどんな言葉を発したいのか。それは冗談のたぐいだろうか。何を真に受けることもできない。言葉そのものが空疎な響きを内包していて、虚しさとともに空白に記される宿命なのだ。何がそれを促しているわけでもなく、自然と中身が抜け落ちてしまうのだろう。残った文章は事物の抜け殻として存在しようとしているわけだ。それが存在の不可能性をまといつつ、それでも文字を並べるように何かが誰かに命じているのだろう。君はそこで何かの罠にはまっているのだろうか。そんな生易しい状況ではなく、他の意識が君に関係することをためらっているのであり、その煮ても焼いても食えないようなものをなかったことにしたいのだろう。そんなものははじめから存在しなかったこととして、それを抜きにしてその先を語りたいのだ。だがそれで何がわかるというのか。わかっているふうを装っているのだろうが、それでわかっていることにはならない。だがわからないとも思えない。そこに何かがあるとしたら、それは事物の影だ。影が本体について語ろうとしているのだろうが、どんな説明を要するのか。実体を言葉で表現できるだろうか。何について述べているのでもないような感覚に陥っていないか。すでに誰かの術中にはまり込んでいるのではないか。冗談ですべての疑念を解消できるとは思わない。怠惰な心はどこまでも怠惰であろうとする。もうその辺でやめもらいたいわけだ。いい加減におしまいにしてもらいたいのだろう。結局自らができないことをやろうとしていることに気づき、そこから退く機会をうかがっている誰かに追従しようとする。いったい君は何について語っていたのか。君の他に誰がいるというのだろう。何も考えられない。考えようとすると頭が痛くなり、自分自身で自分の邪魔をしているわけだ。それが無意識に危険を察知している証拠となるだろうか。音がやけに大きくないか。うるさいくらいに響き渡る。そこは空洞なのだろうか。心を虚無に食い荒らされて、くだらぬ妄想も抱けなくなる。それ自体が妄想なのだ。確かに虚無はくだらぬ妄想だ。その時点ではそうなのだろう。ではそんな思い込みがいつ変化するのか。未知の時において何を悔い改めることとなるのだろうか。虚無に問いかけてみなければわからないことなどあるはずがないか。そう思い込んでいればいい。


5月18日

 虚構の中で君はどこまでもとりとめのないことを思い描いている。そしてそこで発せられたすべての言葉には限界があるらしい。言葉も心も無限ではない。想像力には限りがあり、物語に取り込まれてしまうような何かを持っている。際限がないのは虚無だけか。当時の天皇は何を統治していたのだろうか。今は飛鳥時代ではなく、君は一神教の支持者ではない。しかし一神教と飛鳥時代との間にどんな関係があるというのか。テレビを見ながら何を思いついたか知らないが、述べていることは相変わらずのでたらめで、真剣になって何を述べているわけでもないようだが、ならばさっきまでは、冗談では済まないようなことを述べているつもりだったのか。壁紙の表面を黒い犬が走り去る。閉じたシステムの中で何を示そうとしても、すべては空想の産物なのだろう。作り話の中にいる登場人物たちは、物語の外部との交流が必要だとは思わない。たぶんどこかで不具合が生じているのだろう。現実と妄想の狭間で苦悶しているのは架空の意識だ。現実の中で何かをつかみ取る前に、それを示す言葉だけが先行しているわけで、毎度のことで腹が立つ以前に笑ってしまうが、気がつけば久しぶりに影が何かを語ろうとしている。また冗談でそんなことを述べているのだろう。それらの映像を見逃してしまってかまわないのだろうか。たぶんそうではなく、その場に生じた偶然の巡り合わせで、何かを優先させる機会が到来してしまったらしい。どれほど本気になろうと、すべては作り話の範囲内で生じている言葉の連なりだろうが、そこに構成される架空の意識が、どんな話を思いついたわけではなく、テレビドラマなどで語られるありふれた話を見聞したいわけでもなく、ただ言葉を並べてつまらないことを述べているつもりになるが、それで何がわかるわけもなく、まだ何も述べていないことに気づくが、そこに生じているわかったようなわからないような説明もどきが馬鹿げているのだろうか。影はそれ以外に何を語るつもりもないらしく、何かを述べる代わりにひたすら言葉を並べているようだが、それで何を記していることになるのか。それらの言葉をいくら読んでも、何の幻想も抱けない。たぶん架空の誰かは言葉を記しながら夢物語でも見ているのだろう。意味不明である以前に述べていることが矛盾しているようだ。何のためにそれらの文章があるとも思えず、何も思いつかないうちに明日になってしまったようだ。意識が今日という時間帯から遠ざかる。語るべきことがまだ何もないのに、取り返しのつかないような言葉の連なりが生じていて、画面上で誰かが頭を抱えている画像が表示されているようだが、ついに君は何も語れなくなってしまったのか。そうだとしたらどうなのか。やめられるのだろうか。やめたら幸せになれる。そんな思い込みに誘われて挫折感を呼び寄せられるだろうか。他に何かやりたいことでもあるのか。ならばやりたいことをやればいい。過去の意識を言葉で拘束する気はない。そのつもりがあってもできないだろう。そう述べて誰を突き放そうとしているのでもなく、過去を蒸し返して、非難の的となるようなエピソードを探り当てるつもりもなく、それを話題になりそうな話とすり替えようとしているのでもない。彼岸で何かが君を待っている。それは誰かの死か生か、はたまた嵐の予感でもしているのか。文章的につながらない。だが他に何がやってくるとも思えない。さっきから同じようなことを延々と述べているようで、それを読み飛ばしている誰かは、飽きを通り越して呆れているようだが、たぶんそこには誰かの不満が渦巻いているのだろう。本来の君が語ろうとしているのはそんなことではない。本来がなければこの世界には何もない。あるのは誰かの作り話だけか。ありふれたことを語ろうとしても失敗してしまう。天気予報的には本当に嵐が近づいているようで、それは翌日のことだろう。そう述べて別に何をおちょくっているわけでもないが、何となくこの世界を馬鹿にしたくなってくる。そんなわけで物語は閉じたシステムだ。そこに目的があるからいけないのだろう。登場人物が目的に向かってしまうことが、話をつまらなくしているのだ。目的は仮のものでなければならず、本気でそれを達成しようとしてはいけないのであり、どこまでも目的から外れて、そこから遠ざかるように行動しなければならない。だから意味不明な話にならなければならない。わかりやすく語ろうとすると、それが目的となってしまい、この世界の無限性を示せなくなる。現実から遠ざかる代わりに真実から遠ざかってしまい、そこで語りが限定され、いったん有限の範囲が確定されてしまったら、そこで終わりなのだ。愚かな人々に理解されたら後は用がない。謎は終始なぞのままでないと興味を失ってしまう。だから話の始まりから終わりまで目的はわからないままであるべきだ。だがそんな冗談が君に通用するだろうか。それで何か不都合なことでもあるのか。そこで誰が愚か者に近づいているのだろうか。何を語ろうとしているのでもなく、語ろうとする意志を打ち砕き続けている。中途半端に説明しすぎているのであり、それが反省材料になることもない。


5月17日

 どうやら今日も今日の時間内にいるらしい。今のところはそうだ。今日はどうなるかわからない。昨日は危ういところで明日になってしまうところだった。それがどうかしたのか。相変わらずいい加減なことを述べている現状は変わらない。偉そうに何を述べているわけでもない。ここから先に何があるのだろう。抱え込んでいるのはどんなイメージでもない。音程が外れている。誰が歌っているとも思えない。まとまりがない。切羽詰まらないとまとまらないようだ。死に行く者に対して配慮が欠けている。不吉なイメージなのだろうか。誰かが森の中へ入っていく。今は夜だ。今のところはそうだ。何かの言葉が繰り返されているらしい。呪文のたぐいか。行く当てがない。未だに言葉は誰かの存在を示せない。誰もいないのだから示せなくて当たり前か。言葉が君の出現を妨げている。そんなのは嘘だろう。虚無はどこでもはびこっているはずだ。君の意志とは関係なく、そこに出現している。君に何ができるというのか。何をそんなに恐れているのか。何を恐れることがあるだろう。今日という時間から追い立てられて、明日にたどり着くはずが、それは昨日の時間帯だったかもしれず、そこで何を気にしているわけでもなかったことを思い出す。ならばもうあきらめがついたのか。できないことをやろうとしても無駄であることはわかっているはずだ。無駄であろうとなかろうと、語りかけの話は最後まで語らなければ気が済まない。人は自らが行っていることを知ろうとしない。それがどんな行為であるか定義できずにいる。そこで何を挑発しているのか。その辺の暗がりに何が隠れているというのか。時間切れかもしれないが、まだ何も終わっていないはずだ。君は何かに別れを告げている。何もできずにお手上げ状態なのに、そこから言葉を連ねようとしている。何も必死になる必要はない。自然体という状態を知りたくないか。安らぎとは何だろう。今さら何を奏でようとしているのか。残骸と残骸がこすれ合って雑音が響いている。もっと簡単なことを述べてみないか。暗がりで何かがうごめいている。殺虫剤を吹きかけたハエの羽音がやんでいる。寝言のたぐいか。言葉が状況に当てはまらない。何を語ってもそれは違うと思われる。この世はつまらないことばかりのようだ。空疎な文章の構築を極めるべきなのだろうか。すでに極まっているのではないか。まだどん欲さが足りないようで、うらぶれた姿の中に何があるとも思えないのは、想像力が足りない証拠になるだろうか。感極まって泣き出すような場面でもないだろう。さらに意味不明になり、まともなことを述べようとする気がないらしい。そこでは何もかもが足りないのだろう。急に口数が減ってゆき、黙り込んでいる。最初から無口だったのではないか。何がそうさせているとも思えない。どこまでも遠ざかっているわけでもなさそうだ。虚無に覆われながらも言葉を模索している。新たな連なりが欲しいのか。何を改めるべきでもないらしい。少しはまともに語らなければならず、何について語っているわけでもないが、何となく眠気をこらえて語りだしている。時間的にはどうなのだろう。今の時間帯に見せびらかすものなど何もありはしない。断言できるのはそんなことか。何か拍子抜けのような気がしてくる。不意にウサギの影が画面を横切る。通り過ぎているのはそんな場面ではない。その道はどこへ向かって延びているのか。道を辿ってどこへ行き着こうとしているのか。故郷はここにある。作り話の中に空疎な意見が眠っている。断言すべきことではない。何ももたらせないことを誇ってみせるのも見苦しい。わらをもつかむ思いでつかんでいるつもりのものは虚無ではない。言葉の感触がそれを構成しているわけだ。だからまだその先があるらしく、その先に言葉を連ねてゆかなければ、仮の答えに行き着かないのではないか。本当の答えなど提示するには及ばない。どこに何かのかけらを探しているわけでもないはずで、断片ならいくらでも転がっているはずだ。歩いている地面の感触は石ころまじりの何なのか。砂利道のたぐいか。実際に見えているのだから、わざとらしく盲目を装う必要はない。君がたどり着いたのは夜の時間帯なのか。それだけで何を説明できるだろう。今さら説明するまでもなく、そんなことを述べていること自体が何かの説明に結びついているはずで、そこで述べられていることがそこでのすべてなのだ。君はそこで力尽きているようだが、死んでいるわけではない。かろうじて息がありそうだ。なんとかしなければならないと思い続けている限り死ぬことはない。君の先には架空の君がいて、そこで意味不明気味に言葉が発せられ、そんな言葉を打ち消すような言葉の連なりが模索されている。やはりそれでもなんとかしなければならないのだろうか。あくびの連発であきらめかけている。心の隙間に何が入り込むこともないだろうが、言葉と言葉の間には別の言葉が差し挟まれ、誰かの思いとは違う思いをねつ造して、勝手に連なっている言葉をひとつひとつ吟味することもなく、ただの羅列だと思いつつも、それが取り返しのつかぬ過ちを招いていることを知っているつもりなのだ。


5月16日

 時間はいつまでたっても夜だ。昼はどこへ行ってしまったのか。昼は仕事をする時間だったのではないか。ただ疲れている。たぶん何かをやっていたのだろう。何もやらないで疲れるはずもない。今はまだ今日だろうか。今日でなければ今ではないのか。今は今に違いない。もうすぐ昨日になってしまうかもしれないが、今のところは今日なのだろう。そんなことはどうでもいいことか。何を肯定したいわけでもない。何を知っているのでもなさそうだ。何も知り得ないわけでもないだろう。時間の後に時間がある。時間しかなく、結果的に時間がない。急いでいるのだろうか。時間が場所の中に折り畳まれている。何を不毛なことを述べているのか。ただわけがわからない。冗談でそんなことを述べているらしい。いくらでも今日という時が訪れる。それが今日なのだから仕方がない。何か他に伝えることはないのだろうか。何がわからないのか。わかっていることを知りたいとは思わないのか。わかっていることとは何だろう。その物体は何なのか。言葉ではない。伝えたいことが見当たらず、途方に暮れているわけでもないが、何となくそんなことを述べている。背に腹は代えられない。たとえが間違っているのではないか。この世界はこわれものだ。災害によって壊れ続ける。地上は仮の構築物で覆われている。海がすべてを包み込もうとする。空へ逃れたところで満たされることはない。鳥は何に向かって羽ばたこうとしているのか。空疎な未来を受け入れられるだろうか。何か捧げものでも準備されているわけか。誰の怒りを鎮めようとしているのでもない。たぶんとりとめのない現象なのだろう。そこで絶えず可能性が模索されている。無理に生き残ろうとは思えない。本気になれないとはそういうことか。死にものぐるいで生きているわけではないということだ。だから簡単に自殺してしまうのだろう。嵐や地震に遭って九死に一生を得た人なら、わざわざ自殺などしないか。その辺にご都合主義が潜んでいる。放っておいても生きている者は自ら死ぬ権利を有している気になり、かろうじて生かされている者には自殺する余裕などない。自殺は贅沢病のたぐいか。死にたくなってみればわかることか。わからなくなっても自殺するのではないか。自殺する者の心に余裕があるとは感じられない。生きる術を見失っているわけか。君は生きているのか死んでいるのかわからない。行方知れずというわけでもないだろう。誰かは死ぬ気も生きる気もない。ただ生きているのだ。状況としてはそうなのだろう。そうならざるを得ないようなことを述べている。どうならざるを得ないのか。どうにもなっていないような気になる。今のところはそうなのかもしれないが、どうにかなってしまうとはどういうことなのか。突然誰かが幸せになってしまったりするわけか。そうなる必然性を感じられず、普通なら誰もが利己的に生き残ろうとすべきなのだろうが、それが思い違いか幻想のように思われてしまうとき、何をどうしたいのかわからなくなってしまうのかもしれず、自らの資産や子供を増殖させたい者たちにとって、そうした行為に及ぶ理由や根拠など改めて設定する必要もないのだろう。馬鹿げた行為なのだろうか。虚無に魅入られていると思っている誰かよりは健全な精神状態なのかもしれない。だが何を基準に健全か病的なのか判断できるのか。それは世間一般の価値観に沿っているかどうかで決まることだろう。とりあえずはそういうことにしておかないとまともな精神状態とは見なされないか。病的な狂気に脅かされている者なら、何となく実感がわいてくるのかも知れないが、その辺は君にはわからないことだ。何事にも本気にはなれない。この世の有り様が信じられない。現実の世界で起こっていることが絵空事のように感じられ、真実が反映されていないように思われてきて、見聞しているすべてはフィクションの中で恣意的な操作を施されているかのように感じられてしまう。頭に侵入してくる情報自体が馬鹿げているのだろうか。疑心暗鬼も限度を超えると心身症を誘発させるのかもしれない。他の誰もついて来れないようなことは述べていないはずか。何よりも具体的な出来事が記されていないようで、すべてはいつまでたっても謎のままでかまわないのか。それでは誰に何を伝えたいのかわかりかねる。彼は君に何を期待しているとも思えず、誰かが何を記していようと、それは君のことではない。その辺で現実感が希薄になり、心が何にはまっているのでもないように思えてきて、そこから先は惰性でいい加減なことを述べているように思われてくるのかもしれず、ひたすら遠回しに拒絶の態度を取り続け、受け入れ難い現実に対して、言葉によってどんな装飾を施す気にもなれず、何が受け入れ難いのかも示そうとせずに、ひたすら意味不明を装うつもりらしいが、それで何が解決するとも思えず、何かの答えが導きだされるのを先延ばしにしつつ、そんな答えがあり得ような成り行きを求め、結果として何をしようとしているのかもわからずに、ただ言葉を連ねている現状に嫌気がさし、徐々にやる気を失い。そういう展開を望んでいた自らにふと気づいたりするのだろうか。予定調和も甚だしいか。


5月15日

 気がつけばまた夜になっている。今から何を考えようというのか。一息ついている場合ではない。限られた時間の中で何をやろうと君の自由のはずだ。何かが邪魔をしているようで、なかなか前へ進まない。どこで何を語らせようというのでもないだろう。もはや君などどこにも存在しない。真実に目覚めてしまったのか。現実とは何だろう。述べていることがわからないのが現実か。何かのアレルギーかもしれない。まるで感覚がばらばらだ。冗談でしか現実に対処できていない。それは虚構の中での実態か。わざと矛盾させなくとも無理なのはわかっている。できるはずのないことをやろうとしているのだから、途中で挫折して当然だろう。わかりづらい言葉の並びにお手上げ状態だ。まさか文字アレルギーになってしまったのか。数週間ぶりにコーヒーを飲んだような気がする。体調を崩していたわけか。もう限界なのかもしれず、誰かはすぐに死んでしまうような成り行きらしい。アドリブが利かない。この期に及んで発せられるさらなる冗談とは何だろう。なぜ朝日が黄金色に輝いているのか。画面以外の何を眺めているとも思えないが、まったく脈絡を感じられない。文章として破綻しているような気がする。それでもなんとか継続をはかっているつもりなのだろうか。いつものことだが理由がわからない。同じような曲を聴いている。知っている人しか知らない音楽か。つまらないとは思わないのか。文と文の間に君の知らない言葉が埋もれているのだろう。それを知ろうとしてどうするのか。どうにもならないから知ろうとしているようだ。近頃は近眼が悪化しているのかもしれず、画面から少し離れると文字が判別できない。どこかに違和感を覚えるが、意味不明なのは当たり前のことだ。なぜ唐突にそんな風に述べてしまうのか。わざと違和感のある文章を構成しているつもりか。昔の君は何を目指していたのだろう。何か世間から脚光を浴びるような努力をしていたとは思えない。そうだとしたらまた文章の始まりに戻らなければならない。何がそうなのかわからないが、昔からそうであったためしがなかったように思える。今となってはどうでもいいことだ。そう断言できるだけ過去から遠くはなれてしまったのだろう。どこかの国のタクシー運転手がつぶやいていた。どうせ俺たちは負け犬だ。映画の中での台詞だろう。何に負けていたのか。成功を夢見る心に負けていたのだろうか。だがそんな答えはありふれている。演劇的な成り行きには興味がわいてこない。決して理解されてはならない。それが言葉を記す上での掟のようなものか。なら理解されずに終わってもかまわないのだろうか。理解を拒みつつも読ませなければならない。冗談でそんなことを述べているに違いない。作り話の中ではすでに誰かは死に体だ。理由がわからないが、そういうことにしておきたいのだろう。常識とは相容れない感性が何かの完結を邪魔している。終わらせようとしないらしい。死んでいるのに言葉を記そうとしている。ゾンビか何かか。彼らはそこで何を語っているのだろう。わけがわからないとはいわせない。本当に意味不明でわけがわからないのに、それでもそんな認識を拒絶させる何かがあるらしい。現実に空疎なことを述べているのに、それでかまわないと思わせる何かがある。何を戸惑っているのだろう。音を操っているのではなく、言葉を操っているのでもない。映像はどこへ消えてしまったのか。動かない画像を眺めている。現実の何を濾し採っているのか。それらの文章に濾過機能が備わっているとは思えない。印象だけで言葉を並べ続ける。何を認めようとしているわけではなく、咀嚼物があるとも思えない。他の何を利用したいわけでもなく、ただ偶然だけが支配する言語空間を構築しようとして果たせずに終わろうとしている。それの何が無理なのだろうか。何が決まっているとも思えない。無理に決まっていると述べたかったらしいが、気乗りがしなかったのだろう。どうでもいいことだ。どうでもよければ旅にでも出てみるか。必然性を見出せないが、街から街へ旅する人もいるらしい。自然の風景が嫌いなのか。とってつけたような転調を狙っているようだが、たぶんそれは嘘だろう。常識から遠く隔たろうとして、そんな努力を認めるわけにはいかないような気分になる。いつも何かに邪魔されてしまうのだ。遠ざかろうとして、実際にはまったく遠ざかっていないことに気づく。そこで死んでしまうのだろうか。誰がそんなフィクションを構想しているわけではなく、誰かがいつか死んでしまうのだろう。それとは何の脈絡もなく、そんな話などあり得ない。やはり意味がわからないようだ。現実にはなし得ないことをフィクションの中でやり遂げたように装うのは虚しいことだ。例えば課長から社長まで出世を遂げた漫画の主人公に何の魅力があるというのか。そういう批判はあてにならない。君が述べているわけではなく、誰かがそんなことを思いついただけか。読んでもいない漫画について何を語ろうとしているのでもなく、何となく受け流してしまいそうな現実に対峙することもできず、何も読む気もないのに、無性に御託を並べたくなるような成り行きの中に、それらの意識をおくことをためらっているのかもしれない。


5月14日

 どうも坊さんをいじめるとたたりがあるようだ。赤い衣の坊さんだとたたりも半端ではないらしい。チベットや東南アジアの坊さんは怖そうだ。相変わらず言葉に詰まって冗談の続きを述べているようだが、今さら慌てる必要はない。その気になればいくらでもやる時間はありそうだ。それは嘘かもしれないが、そんなことをいくら述べても時は確実に過ぎ去ってゆく。その気になっているのに水を差すことはないだろう。では何をそんなに慌てているのか。どこかで誰かが天啓でも受け取ったのではないか。ならば誰かは君に何を託そうとしているのか。たぶん託すべき言葉はどこにもないだろう。そこに何が見出されたわけでもない。説明を要するような現象は何もなく、そんな言説空間はどこにもありはせず、いつものように誰が何を語ろうとしているわけでもない。ただ雨が降り続いている。雨空を見上げながら何を思うこともなく、そんな動作が虚構であることに気づき、なんだか虚しい気分になっているのも作り話の中でのことか。誰がつまらない話を作っているのか。誰かが意味のない問いを発しているようだが、それが誰なのかあえて明らかにする必要はないか。そういう話ではないはずだ。雨もやんで今は夜だ。今までにどんな作り話が構成されたわけでもないが、今のところそれらの虚構に取り込まれているのは君以外にはいない。しかし登場人物が一人しかいないフィクションではつまらないだろう。誰もそれが話だとは思わない。もとから話など何もなかったのではないか。ではなぜここにやってきたのか。誰かはただ眠るのが目的で移動を繰り返しているのだろうか。君に何がわかるはずもなく、言葉を記している誰かにもわからないだろう。何も見えてこない。だがそれでうろたえるわけにもいかず、無駄に言葉を吐き出して、意識の中に埋もれた何かの断片を探し出さなければならない。唐突に何か思いつくだろうか。思いつかなければ現状維持か。とにかく人々は今ある制度を維持したいのであって、中には制度の改革を主張する者もいるが、それは制度の範囲内での改革なのであって、制度をぶちこわしてまったく新しい制度を作るための改革ではない。何よりもまずは自分の立場を保ちたいのであって、改革の結果として自らの地位が危うくなるような事態は避けたい。しかしそれで何が変わるというのか。いったい何を変えなければならないのだろうか。ただ世間から注目を浴びたくて改革を唱えているとしか思えない。それが誰かの宿命なのだろう。そういう話は適当なニュースでも見ればいくらでも見受けられることか。ありふれた話題は嫌いなのか。そこから遠ざからなければ何も語れなくなってしまうだろう。そうなる根拠がどこにあるというのか。何か考えさせるような出来事に遭遇したいのか。すでに出会っているが、忘れているのではないか。誰かはゲームの中にいるらしい。そこで何をやればいいのだろう。言うは易しで行うは難しか。その辺に乗り越え不可能な限界があることはわかっているが、それ以上に何を語ろうとしているのでもなさそうだ。ただそういうことなのだろうか。そのとき何を語っていたの覚えていない。君に何ができるだろうか。ただあきらめず、辛抱強く言葉を探ってゆくこと以外にあり得ない。そんなわけで結果はすでに出ている。やっていることは単純なことであり、やれることは限られている。そして同じような何かについてひたすら語ろうとしている。それがそこから導きだされた答えであり、ありふれたつまらない現実について語っている現状があるらしい。何も魅力を感じないような何かが意識を覆っているわけだ。君はそれを許せるはずもないか。遠ざかろうとして遠ざかれないのがこの世界の現状だ。しかしなぜこの世界についての説明が不足してしまうのか。言葉足らずになってしまうわけを知りたいが、それは状況を把握していない証拠にでもなるのだろうか。何をどう考えてもすっきりしないようだが、それでも思考の欠陥に気づくことはない。そこで行き詰まってしまう。迷っているのかもしれないが、血迷っているわけではない。それが思い違いのすべてなのか。言葉の断片以外は何も見当たらない。誰かの作り話の中では確かにそうだが、現実の世界ではどうなのだろう。視覚が何を感知することはなく、思考がどこに行き着くこともない。何を語ればいいのか。今さらそれはないだろうが、何も思いつかないのだから仕方がないだろう。ではもう終わりか。見当違いも甚だしい。すでに終わっているのに、この期に及んで何を終わらせることができようか。君は文章の終わりを知らない。君の人生はどうなってしまったのだろう。それらの作り話はいつ完成するのか。中断することはあっても完成することはない。いくら言葉を連ねても内容には至らない。いつまでたってもひたすら空疎なことを述べている。いったい君はこの世で何を守らなければならないのか。空疎なことを述べ続けるには何が必要なのか。ただ無駄に時間を費やし、言葉を浪費している。たぶんそれで悩んでいるのではない。書物から遠ざかり、まとまりのある文章を読む機会がない。そして言葉を記す動作が形骸化している。ネット上は言葉のゴミ捨て場か。


5月13日

 今日は明日になってしまうのだろうか。何を心配しているわけではない。どこへたどり着いたのか。作り話の中ではどこでもないどこかだ。そんな話ではなかったはずだ。何を語っているわけでもない。何も語らなくても言葉がつながるはずだ。それがあり得ない話になるだろう。何を本気に受け取ってもらっても困るか。気持ちがそこから遠ざかれなくなる。無理なのだろう。何を語っても空疎だ。神は何を見ているのか。天変地異で罪のない人が大勢死んでいる。そして君は冗談でそんなことを述べている。何が神の仕業なのだろうか。嵐や地震がそうだと言えるわけか。神はミャンマーや中国が嫌いなのか。北朝鮮もそうだったのではないか。かつて餓死者が何百万人も出たらしい。今の君には関係のない話だろう。だが君が何を語ろうと君の勝手だ。君は神ではなく、誰も神ではない。神は人ではないのだから、とりあえずはそれで正解か。では冗談で何を述べているのか。君にまつわる話ではない。ならば神はどこへ行ってしまったのだろう。宇宙の彼方か。何がならばなのか。適当な言葉が思いつかない。神の仕業だとしても誰も神を責めているわけではない。ただ冗談でそんなことを述べている。君はいつもうろくしてしまったのか。文が前後で意味的につながらない。違うなら違うと述べてみればいい。何がそこで違っているのだろうか。そこではなく、違っているのはどこでもない。ならば違っていると述べる意味がないだろう。君はそこで行き詰まっている。そして何を述べようとしているのだろうか。どんなことでもなく、そんなことだ。それで何を述べているつもりになれるだろうか。わかっているのはそんなことではない。だが何もわからないと述べるのも白々しい。ならば知っていることをすべて話すわけにはいかないのか。わけがわからない。必然性がどこにあるというのか。それは何を語らなければならない必然性なのだろうか。問いかけてばかりでは何も語っていることにはならない。君には何を語る資格もなさそうだ。だから語らなければならないのだろう。矛盾した語り方が好きらしい。国家は官僚機構を守るためにある。人がいくら死のうと官僚機構が維持されればそれでいいのだ。それはこの国にもいえることで、とりあえず官僚機構を維持継続させるだけの財源が確保されていればいいのであって、そのためには道路工事のための税金を徴収しなければならない。いくらもっともらしい理由をつけたところで、所詮はそういうことだ。たぶん仕事というのは遊びと一緒なのだろう。何かやっているふうを装えばそれが仕事になり、限られた予算の中でどの仕事を優先させるべきなのかといえば、それは自分たちの仕事だ。そこから各省庁間での不毛な縄張り争いが始まるわけか。法律を作って強制的に税金を徴収して、それを使って何かやるという仕組みがおかしいのではないか。それでは資本主義国家とはいえないだろう。やはり官僚機構も独自に商売をすべきであって、商売して利潤をあげて、そこから自分たちの給料を出すべきなのだ。たぶん税金なしでやっていくとなると、今のままでは無理なことははっきりしているが、なんとか将来的にそういう方向へ持っていけないものか。だが行政サービスのことごとくを料金制にしてしまうと、金を払えない貧乏人はサービスを受けられずに国家から見捨てられてしまうだろう。それでかまわないのだろうか。ならばこの際給料を受け取る公務員数をゼロにして、国民がボランティアの奉仕活動のように一定期間公務員として働くことを義務としたらいいのではないか。むろん議員も奉仕活動の一環としてくじ引きか何かで選ばれた人がやったらいいだろう。しかし何を笑っているのか。正気とは思えないようなことを述べているような気もするが、ところで荒唐無稽であり得ないことかもしれないが、もしそうなった場合、道路工事の費用はどうやって捻出すべきなのか。とりあえず車で走った距離に応じて、道路使用料でも徴収すべきなのか。それなら走った距離だけ燃料を消費するのだから、ガソリンや軽油から税金を取るのと大して違わないのではないか。道路使用料を徴収した方が、将来電気自動車が主流になっても工事費用に困らないか。だがそんな風にして国家全体が資本主義一辺倒になってくると、そこに暮らす人々の心が荒んで嫌な世の中になりはしないか。しかし今の税金制度と資本主義は相容れない構造を有している。そういう曖昧な二重構造を温存させていると、資本主義の欠陥が見てこず、貧富の格差などの矛盾をうやむやにしつつ、いつまでたっても資本主義と国家の延命に手を貸しているだけで、それに変わるやり方が模索されないままになってしまうのではないか。とりあえず二十世紀には資本主義に代わる制度として一時脚光を浴びた国家社会主義が崩壊してしまったのだから、今度はとことん資本主義をきわめて、その矛盾や欠陥をあぶり出し、資本主義を崩壊させる意味でも、中途半端なことはやめて、一度国家全体が資本主義に染まるべきではないだろうか。しかしさっきから何を笑っているのか。誰かが冗談でそんなことを述べているのがそんなにおかしいか。


5月12日

 たぶん手遅れになってからでないと気づかない。人間とはそういうものだ。それだけではない。手遅れになってからうろたえ、無駄な悪あがきを繰り返し、往生際の悪さと醜態をさらけ出す。平静を保つことなどできはせず、冷や汗を隠しながら冷静なふりをしているが、その目つきはうつろだ。君に課せられた試練はどこでどうなったのか。どんな危機を切り抜けてそこへたどり着いたのか。これから何をどうしようとしているのか。ただ何も思いつかず、何も語ろうとしない。たまにはそんなこともある。不吉な響きだ。何が響いているのか。正気に戻るための手がかりが欲しい。理由がわからない。すでに正気なのではないか。誰が狂気にとらわれているのだろう。君のことを語っているわけではない。誰もそんなことは訊いていない。君の都合を訊いているのでもない。誰もそこには存在せず、辺りは沈黙に支配されているつもりか。何をわかり合えるというのか。誰もいないのではないか。それはわからない。意思疎通がとれていないのではないか。たぶん何を述べているのでもないのだろう。予感が的中したのだろうか。あくびが出る。大した予感ではなかったらしい。本当は何の予感もしなかった。出来事は唐突に訪れ、誰かの心を動揺させる。君の都合に合わせているわけではない。君は何も知り得なかった。話の内容を知りたい。飽きてしまったのか。そういう話だろうか。そうではないと思いたいのだろう。それが最善のやり方だったのだから文句は言えないはずか。今さら何を述べているのか。相変わらず何も思いつかず、誰かが海の歌を聴いている。それが不吉な響きだ。やっと何を思い出したのか。曲が何かの一部を構成しているらしい。言葉はどうしたのか。どこかに置き忘れてきたとは言わせない。誰が何を言うのだろう。文句など何もなく、そこで言葉を記しているのが誰であってもかまわない。君である必要すら感じない。もう君は忘れてしまったのか。あの時のことを理解しているとは思えない。ようやく言葉がつながる兆しを感じている。本気でそんなことを述べているのだろうか。途切れ途切れに何かの音が聞こえてくる。何を説明すべきなのか。まったくの音信不通というわけではなかった。すべては断片的に推移する。要するに話にならないわけだ。苦労してみなければわからないが、それがわかったとしても、苦労は水の泡となる。いったい何が無駄だったのか。余分な情報でしかないようだ。いつまでも淡々としていられるだろうか。的を射るような答えではない。それは何かの妄想に違いない。だが簡単に割り切れるだろうか。何を述べてたらいいのかわからないか。たぶん君の出番ではないのだろう。もっとちゃんとしたことを述べなければならないが、それができないのだから仕方がない。少し近視眼的になっただろうか。そういうことではない。ただ面倒くさいだけか。ひたすら面倒くさいような気もするが、そんなやり方に安住しているのだから、それはそういうことになるのだろう。そんな君に内容を求めるのは酷か。そうであるなら他にやりようがないものか。しかしなぜそんなことが繰り返されるのか。そこにできないことがあり、一方にできないことをやろうとしている者がいるわけか。そんな簡単な図式を提示しても、何も解決には至らない。できないものはできないのだから仕方がなく、それをやろうとしているのだからなおのこと仕方がない。人間あきらめが肝心か。ならば執拗に繰り返されるそれらの言葉は何のためにあるのか。そういう問いかけが出現するために言葉が組み合わさっている。無理にそうすることはない。誰の意図か知らないが、そういうやり方が気に食わない。嫌な感じがしたら、そのまま退散するに限る。義理人情も何もあったものではない。ただ寒いだけのような気がする。気に入らないことは山ほどあるが、いちいち気にするのも大人げなく、何とかそれらのどこかで妥協をはからなければならず、くだらないことはくだらないままに、うまくいかないことはそのまま受け流し、そんな現状を放置し続けるしかないようだ。できないことをやろうとしてもできないだけか。結果がわかっているならやらなければいいのだが、それをやりざるを得ないからストレスがたまるのだろう。まったくままならない世の中だ。だからそんなことは早く切り上げて眠ってしまえばいいということになるが、そうはいかないのがその場の成り行きなのか。納得するまでその場を離れられなくなり、なんとか納得しようとするが、後味の悪さばかりが感じられ、その場を去り難く、足に根がついているように動けなくなる。そんなことがあり得るだろうか。すべては冗談から生まれた現実に違いない。たぶんそんな認識は間違っているのだろうが、自らにそう言い聞かせないとその場を立ち去れなくなる。その辺にどうにもならない事情があり、次回は状況を改善する手だてを模索しなければならないが、巡ってくる機会はたまにしかなく、また同じような過ちを犯してしまうのがありがちなパターンだろう。たぶんそれでもどうにかしなければならないのだろうが、やはり結果的にはどうにもならずにあきらめざるを得ないような成り行きになってしまうらしい。


5月11日

 何かをやる気になったのか。やることは決まっていて、それはいつもの作業になる。今は夜なのだろうか。すでに夜になってしまったようだ。今日は冷える。冗談ではないのだろう。何も実感がこもっていないようだ。何の述べることがないのも昨日と同じか。危機を迎えているわけではないが、聴いている曲がそうなのだから仕方がないか。そこで言葉が停滞しているのもいつものことか。いったいいつまでそんなことをやっているのか。同じことの繰り返しを経なければそこへたどり着かず、たどり着いたところが終わりの時か。終わりに向かって何かが構築されようとしているようだが、具体的に何が構築されるべきなのかは不明のままだ。神話とは何なのか。それが今ある現状とどう結びついているというのか。現実の本質を探ろうとする時、神のうちに何を幻想すべきなのか。もろいことを述べているような気がする。冗談で終わりにしたくないのだろうか。こけおどしの言葉か。装飾的にはそうなのかもしれない、それは君の時間ではない。何かを逸しているのだ。しかし時期とは何だろう。季節とは何だろうか。頭がこんがらがるような言葉の組み合わせに恐れおののくことはない。わざとそうやっているのだから、狂気の深みにはまり込んでいることはなく、常に軽薄な領域で何かを述べている。案外簡単なことなのだ。わかりやすく状況を説明することの方が困難を極めるだろう。君がどんなに工夫を凝らしても、肝心の中身がないのだから、実質的には空疎な文章だ。しかしそれが結果ではなく、結果はその後から提示されることになる。それは誰にとっても無用な結果になるだろうか。ところで神話の話はどこへ行ったのだろう。君に向かって話しかけているわけではない。急いで終わりまで語ることはない。何かもったいないような気がするわけか。そんなことをどう述べても何もわからないだろう。何について述べているつもりなのか。神話の世界では人知を超える現象によって人の運命が決まる。現実の世界でもそうなのではないか。人の努力によって何が変えられるのだろう。たぶん多くの人々によってそう信じられているのだ。努力することによって現状を変えられると思っていないと、誰も努力しなくなってしまうだろうか。君はそうは思わない。しかし誰かがそれを信じている。君という存在を信じている。誰の思い込みなのだろうか。たぶんそういう話ではない。誰の努力も無駄になったわけではない。誰かは自らの努力が無駄になったと思い込みたいのか。そう信じて疑わず、無駄な努力を繰り返している自らを哀れに思っているわけか。そう思い込みたいのだろう。まるで言葉遊びの続きのようだ。時として虚しさを覚える。人には人それぞれに役割があるらしいが、そんな思い込みから人間社会が構成されているとしたら、それは幻想以外の何ものでもないのだろうか。幻想だとしたらそれを捨て去るべきなのか。捨て去ってしまったら何も残らない。その程度のことだ。では夢とは何なのか。幻想にとらわれていると不自由になる。くだらないと思っているとどこまでもくだらなくなり、そんなくだらぬことについて語っている自らが恥ずかしく思えてくるか。それでも努力を惜しまないとすれば、努力しているとうのものとはいかなる評価を得られるのか。まったくの的外れだが、わざとずらしているのだろう。その辺に本気になれない心境が垣間見える。ごまかしがきかぬようなことを述べている。それはどういうことだろう。何でもなければ何でもないことになるだろう。わざとわからないようなことを述べている。誰かは翌朝に東へ向かわなければならない。そんな嘘をつく動機が見当たらないが、たぶんなんでもないようなことに思われ、この世の何が幻想なのかも忘れたふりをして、なんとか体裁を保ちつつも、意識は完全に幻想から遠ざかっているのに、なおも幻想を信じようとしている。意識以外の何が信じようとしているのか。人は何かに縛られていないと気が狂ってしまうのだろうか。この世界は人間にとっての牢獄か何かか。常に監視されているわけではないと思いたい。たぶん他人に自分と同じ考え方を押しつけてはいけないのだろう。自分の至らなさとともに他人の自分に対する至らなさもせめてはいけないのかもしれず、なんとか衝突を避けつつ、無駄に遠回りしている自分を愚かだと思いつつも、そうしなければならない必然性も尊重すべきなのか。何が正解で何が誤解であるかに境界線はない。そのとき犯してしまった過ちを後で後悔しても始まらないが、後悔してしまう必然性も認めなければならないようだ。それでどうなるわけでもないが、どうにもならなくてもそう思ってしまうのだから、それはそれでそういう経緯で紆余曲折があるということだ。今さらそれを改めることはできない。改めようとすれば改まるかもしれないが、改まったところで、また別のあら探しをしなければならなくなるだろう。欠陥などいくらでもありそうで、それらの欠陥を無限に改めているうちに寿命が終わってしまうかもしれない。それでも改め続けるべきなのか。そうしたいなら一生それをやり続けていれば暇つぶし程度にはなるだろう。だがそれだけで終わらせるつもりにはなれないか。


5月10日

 わかっていることは限られている。雨空なのか曇り空なのか、どんな風に感じることもできない。何を思うこともなく、何かの途中から雨が降ってきた。聞き覚えのある声がする方向へ向かっていくと、どこへもたどり着かなかった。はじめからたどり着く気がしなかったようだ。意味が見えてこない。見えるはずのない意味を探しているわけもなく、わかりづらいことを述べている現状があり、それが何か奇跡的な成り行きだとも思わず、ただ気が散っているだけかもしれず、ますますおかしくなっている。そんな風に語るのが重要なことだとは思わない。わかっている言葉の並びとは違うらしい。それで何を示しているわけでもない。何も示せないからそんなことを述べているのか。そんな成り行きに頼ろうしている。他に意図を感じられず、誰の思惑から逃れようとしているのでもなく、結果として何を語っているのでもない。ただそういう言説はありふれているだろうか。そういうやり方ではその先に物語を奏でられない。終わりの予感がするのか。さようならという言葉を思いつく。世の中がつまらないと思うなら、その後に待っているのはさようならか。人々は何を食い止めなければならないのか。本音というのはどの辺にあるのだろうか。虚無からこの世界を救うつもりもないはずか。誰がそんなことをやらなければならないのか。自由であることと不自由であることの狭間にどんな思いが詰め込まれているのか。まだそこまでいっていない気がする。途中で挫折しているのかもしれない。たどり着く気がしない。目的を見出せないのだからそんな風にしか思えないのだろう。それでは何かを破り捨てなければならなくなり、どこまでも現状から遠ざかる必要に迫られている。わけがないようだ。相変わらず何かが不明のままだ。ただ音楽を聞き流している。それが真実ではないのだろう。着実に前進したいのだ。それは無理な高望みだろうか。何を望んでいるのだろう。眠りを妨げられていらついているのでもない。そこで切れたらおしまいか。冷静になって物事を考えるような現状でない。それでも楽しいとうそぶくならば、何となくしらけてくる。その後に言葉が続かないことはわかっている。だから余裕が感じられないわけか。何かの虚をついて行動に出ているのかもしれず、そんな行動に正当性を当てはめたいわけではないが、それで結果的にうまくいっていると感じるのはなぜだろう。それが君のやり方なのだから仕方なく、君独自の間合いで思い通りの行動に出たわけだから、それはそれでよしとしておこうではないか。それが成り行きということか。その場ではそうなのだろう。結果がどうあれ、何となくうまくいっているつもりになる。いったいどんな結果を思い描いていたのか。君はそうやって何を裏切ってしまったわけか。とぼけるのもいい加減にしてほしいか。そんなわけでまだ余裕があるらしい。精神的な余裕なのか気持ち的な余裕なのか、そのどちらも同じことかもしれないが、何となくわけがわからないと思いたい。難しく考えるのが億劫なのだろう。何かが間延びしていて、なぜそんな言葉を使うのか理由を導きだすことは困難だが、いかれていることは確かか。そんな理由を理由として提示して、頭がいかれているから何を述べても勘弁してもらおうと思っているのかもしれないが、そういう理由も何となく嘘のような気もする。君が述べようとしていることはその他に関わることらしい。だがそれで何を述べていることになるのか。なぜそんな風にして誰かの思いから外れようとするのだろう。それが君のやり方なのだからそれはそういうことと受け取る以外になさそうだが、それで何がおもしろいとも思えず、思えないからどういうわけを導きだせるはずもなく、何となくという言葉を多用して、なんとか何かの感じを持続しているようで、そういうやり方がいいとは思わないが、それでもそれがその場でなされる語り方でないわけではない。要するに何を述べているのかわからないというわけだ。世の流れは君をその場にとどまらせない。わかりきったことを述べているようだ。何か追憶の中に浸りきっているような音楽を聴いている。君が知っているのはそういうことではない。そのとき彼が述べていた内容とも違い、何かを助け出すような行為でないことははっきりしているようだが、誰かはそこで何を見捨てようとしていたのか。てんでバラバラな絵が連なり、それが何らかの物語のようなものを醸し出そうとしているようで、それについて語ろうとして失敗しているのかもしれないが、適当なタイミングで次の曲が流れ始め、そんなことはすぐに忘れさせるような成り行きに身をまかせることもできず、その場に置いてきぼりになりたいような気もするが、今はあえて先を急いで、その場から立ち去らなければならないらしい。何が気に入らないということではないが、それがその場で感じ取った流れなのだから、その流れに逆らうにはそれ相応の覚悟が要るような気がして、今はそんな覚悟はできていないので、その先に巡ってくるであろう次の機会にそれがあるかどうかわからないが、とりあえず今は終わりを回避しているような結果を受け入れている。


5月9日

 行き過ぎた言動に終始しているようで、それは作り話の中でのことだから仕方がないが、そこで君は何に配慮しなければならなかったのか。過去のことだからどうしようもない。誰から助け舟がだされるわけでもなく、何とはなしに一人で何かを背負い込んでいた時期もあったらしく、そこで何をやっていたかは定かでないが、それでも作り話にも限界がありそうに感じられ、何も思いつかず、その辺で言葉を連ねる作業を放棄しているかもしれない。わかっているのはそんなことではなく、どんなことだとも断定できないが、映像や漫画における暴力的な描写を超えて、この世界が何をもたらそうとしているかはよくわからないが、ただ理性という幻想を見ないように振る舞うのは難しい。何を述べているのかわからなくなる。繰り出された言葉に酔っているのか。そこでお前はお前を見失うべきだ。わざとらしい天啓に違いない。虚構の中に実体があるわけがない。実体がなくとも意識がある。それが作り話の正体か。君はどんな話を言葉によって構成しているつもりなのか。そのつもりもないのに何を語っているとも思えず、架空の作り話のことなど知るわけもなく、それは誰が知っていることでもない。わけもわからず否定を繰り返す。一刻も早くそこから退散したいわけか。それこそわけがわからない。そして何がどうなってそうなるわけもなく、ただ何かについて無駄に言葉が費やされているらしい。本当のところは何もわからない。状況の変化を味方につけていないようだ。何かを隙をついて言葉を繰り出しているとも思えない。だが意識が何かの虜というわけでもない。本当にそこから遠ざかれるのだろうか。わけもなく心配するようなことではないはずだ。気がつけば意味のない自問自答に陥っている。だからそんな状況を何とか変えなければならない。それがそこでの建て前なのか。ならば本音がどこにあるというのか。たぶんなんとかしなければならないというのが本音なのだろうが、それで何とかなるとは思えず、思い悩みながらもひたすら時間と言葉を浪費している現状がある。実質的には何を語っているわけでもない。やはり無理なのだろうか。無理だと思うならやめてしまえばいいのだろうか。何を笑っているのか。そんな記述が愉快な気分を醸し出している。相変わらずつまらないことを述べているようだ。たぶん何かが外れているのだろうが、たがが外れていることは疑いの余地がない。できないものはできないだろう。時間がないのだからやりようがないか。今さらそれはないだろう。そういう宿命を受け入れるしかない。冗談だろう。なるべくなら冗談で済ませられるだろうか。何をふざけたことを述べているのか。また無駄に言葉が連なっている。誰かの意識は独り言の独白にはまっているらしい。他に何ももたらせないようだが、そのままで許されるのか。誰が許すというのか。それ以前に無視されているのではないか。誰に無視されていると思われるのか。君は君の存在を無視しているようだ。無視しているのは君だけではない。誰も彼もが誰かと君を無視している。そんな思い込みによって被害妄想を形成できるだろうか。なぜそうしたいのだろう。作り話の中では誰に向かって何を述べているのか。無駄な問いかけが延々と続いているようだ。それだけの文章でしかない。それでは不満なのだろう。そんなことはわかっている。わかっているからそんなことを述べている。ではそれ以外に何を述べられるというのか。何も述べられないからそうなってしまう。そう思った時点で終わりなのだ。何が終わっているのか判然としないが、とりあえず言葉を並べようとしているらしい。単刀直入にものを述べることはできない。対峙すべき相手がいないのだから、何を主張しても始まらないか。議論がかみ合う前に議論する相手を捜す必要に迫られる。それも冗談のたぐいだろうか。君は何によって疎まれているのか。たぶんそういうことではない。日本にパンダを送ろうとしたり、卓球してみたり、その手のパフォーマンスによって、国内向けの体裁を取り繕うとしているのかもしれないが、それだけではないだろう。そうすることによって何かやっている気になりたいのだ。それが外交ということか。無駄で無意味なことにこそ価値がある。そんな強弁を許す土壌がどこにあるのか。どこにでもあり、どこにもない。それらの何を批判しているとも思えないが、自らは何をどう思っているのだろう。それは君に課せられた批判ではない。そこで誰が何を批判しているのでもなく、彼らはチベットの旗を振り、フリー・チベット!と叫んでいるに過ぎず、取り立ててどんな主張があるわけではない。具体的に何を批判することもできず、人道問題がどうのこうの言うのが関の山か。とりあえず人は生かされなければならないのだろう。保険料を天引された七十五歳以上の老人も、ミャンマーで嵐に遭った人々も、死にそうな人を迅速に助けるのが人道主義ということか。君にはわからない。そんなことをやってどうするつもりなのか。どうもしなければ人はただ死んでゆくだけか。後先のない老人に延命治療を施すのが無駄なのか。あるいは自然災害で死にかけている人々に食料や医薬品を届けるのが無駄なのか。たぶんそんなことはないと思うのが人道主義なのだろう。


5月8日

 どうも意識は前のめりになって何かを継続させようとしているようだが、明日を先取りするまでには至らない。何となくまた遅れてしまう予定らしいが、語るべきことが何もない。いつもの冗談だろう。それでも言葉を並べ、何かしら語っているような気になりたいのか。この世界に対する否定的な見解ならいくらでも述べられるだろう。しかしそれを述べてどうするのか。ただ述べるだけで、後は無視され、そのまま放置されるにまかせるということか。それが楽しいだろうか。何に対して復讐したいわけでもなく、その対象がどこにも見当たらないことが、とりとめのない言説の構築へと誰かを導いているのだろう。たぶんそういう段階はとっくの昔にクリアして、通り過ぎてしまったのかもしれず、今誰かの意識がどこにいるのかは定かでない。そして何を語ればいいのかわからない。冗談だろう。冗談でなければ何も語れない。そんなわけでまた停滞の時間帯に突入してしまったらしい。何を語ろうとしても叶わない。少し静かにしてくれないか。そよ風が部屋の中に吹き込んで気が散っている。眠たいのだろうか。魅力を欠いた音楽を聴いている。そんな気がする原因を探りたいわけではない。君には何もわかりそうもない。わかる気がしないのだから何ともいえない。何をどうすればそうなってしまうのだろうか。ただ適当に言葉を連ねていればそうなるような気がする。力を出し切ってしまったような気もする。心身ともに消耗してしまったのだろう。心が灰になってしまったのだろうか。そういうたとえは何を暗示しているのか。語り続けるには刺激が足りないようだ。すべてはあり得ないたとえ話の中で語られている。そういうことにしておこう。だから何もない。それで話はどうなったのか。相変わらずのままだ。そこから先へ進めない。君はそこから遠ざかれない。遠ざかろうとしていないからだ。気分的にはどこまでも退き続ける。前へ進めないようだ。それで何を語っているつもりになれるだろうか。意志薄弱だと思いたいのか。神経が衰弱しているらしい。話は自らの存在を否定している。それが何だと思っているのか。何でもなければどうしたというのだろう。そういうことではない。たぶんそうだと思っている。以前と同じような内容だ。表面から何かの色がにじみ出てくる。水墨画のたぐいか。何かが腐っているのかもしれない。青い絵の具のにじみが雲のように見える。空を見上げているのだろうか。時間がないわけではない。時が経てばみんな同じような具合に消えてなくなるだろう。神経をすり減らして何も感じられなくなる。無理を重ねているようだ。ここから遠ざかるまでに言葉が尽きてしまうかもしれない。こことはどこだろう。空の青さばかりが印象に残っている。文字が言葉を表現しない。どこかでずれているような気がして、そのずれを修正できていないのだろう。方向がまったく違うのか。具体的な話はどうなったのだろう。継続の意志はどこで途切れてしまったのか。君は何を続けているつもりなのか。そこには限界があり、それを超える内容を伴った言説を導きだすことはできない。それとは何だったのだろう。それを思い出すことはない。どこかに何かがあり、それについて誰かが語っていた過去と未来があったらしい。作り話の中でのことだ。理由もなくため息が出てくる。そんな風に虚無について語るべきではないのだろう。あり得ない話の中に君の影が映っている。それが鋭い感性の発露だとは思えない。そんな風に述べている。他に何があるというのか。何かの他には何もない。君にとっては何かがすべてであり、絶えずその何かについて語ろうとしているわけだ。それこそあり得ない話だ。自らのやり方を制御しなければならない。抑制がないとメリハリがつかない。無駄なことを述べていないと気が済まないらしいが、期待は持てないようだ。いつも期待はずれになるように語ろうとする。おもしろおかしいことが嫌いなのか。そこで立ち止まるべきではないのだろう。予言者は衝撃的な未来を語ろうとして、自らが世間から脚光を浴びようとしている。だからいつも予言が作り話のたぐいになってしまうらしい。それでも詐欺ではないのだろう。予言者でも社会の中で生きる人間に備わった本能には逆らえないのだ。曲と曲の狭間に不連続な瞬間がある。それは曲の中でも見受けられるだろうか。君は何の話をしているのか。予言者はつまらない未来を予言してはいけないのだろうか。していけないということはないが、それでは世間から注目されない。予言が当たるとはどういうことなのか。何でもないようなことを的中させても誰からも注目されず、衝撃的な事件が起こることを予言し、それが実際に起こらなければ世間から注目されない。要するに予言者は世間の要求を受け入れて、絶えず衝撃的な未来を予言し続けなければならない宿命にあるらしい。いったいこれからどれほどの衝撃的な事件が起こるのだろうか。とりあえずマスコミが騒ぎ立てなければ衝撃的な事件とはいえず、予言者はマスコミが騒ぐような事件を予言しなければならない。そのためにはマスコミの動向に敏感でなければならず、絶えずニュースを見て、どのような事件を予言すればいいかを探る必要があり、世の中の流行り廃りにも目配せしておく必要も出てくる。また予言してそれを発表するタイミングを逸しては、いくら事件を正確に予言しても、誰からも見向きもされない危険性もある。それ以前に予言を発表する場がなければどうにもならないか。そのために必要なのがメディア戦略になるだろうか。まずは有名人になることが先決か。


5月7日

 今日はどんな天気なのだろうか。わかりきったことを知りたくもないか。たぶん晴れているのだろう。何がメディア戦略なのだろう。あいた口が塞がらない。またいつもの冗談で述べていることに違いない。どこまでも本気になれないようだ。今日の天気とメディア戦略との間にどんな関連があるのだろうか。君はどちらとも無関係か。かなり焦っているふりをしているようだ。本気でないのは百も承知で、出てもいない冷や汗を拭ってみる。何がくだらないのかわかりかねる。ならば気分は爽快だろうか。理由がわからない。君はその手の現象を捉えている。なんだかわからないことではない。知っているのにとぼけてみせる。彼らがくだらないことにこだわっているのにはわけがある。ちゃんとした理由もあり、その理由に基づいて行動しているわけだ。それは自己表現のたぐいなのだろう。仕事であれ遊びであれ、何かをやっている以上はそれにこだわらなければならない。投げやりな気持ちでやっているのにもわけがあり、それはやる気がしないからだ。誰かは君に何を教えたいのか。自らのやる気のなさを教えてどうするのだろう。そして誰に教えるつもりもないことを知りたがってどうするのか。君に向かって何を語っているのでもないらしい。やはり冗談でそんなことを述べているのだろうか。何を見聞しているとも思えない。成り行きは君とは無関係に進行している。着実に言葉が積み重なり、何やら得体の知れぬ文章を形成しているつもりになる。誰かはそんな風にして何か適当な内容を記述しているつもりだ。君にはわけがわからないだろうが、彼なりに筋の通ったことを述べているつもりのようだ。結果として出てきたものは君にはチンプンカンプンの内容だ。また疲れて理解力が減衰しているのかもしれない。それで何がかまわないわけもないが、何となくちゃんとしたことを述べる必要に迫られているような気がする。人に生きる道などありはしない。それを否定したければいくらでもできるだろう。ではそれをやらない理由は何なのか。人という言葉に具体性がないからか。勘違いも甚だしい。そういう語り方にはなじまない概念もあるのだろう。何もかもが支離滅裂なのかもしれず、その散らばり具合が人を人以前の断片に分解していて、人としてまとまりのある概念に至らせないようにしているのかもしれない。何に対しても本気になれない原因もそんなところにあるのだろうか。そしてそれが勘違いだとか思い違いに結びつき、何となく現状から言葉の連なりを退かせているわけか。気持ちが退いてしまう。そんなことを述べても何の意味もなさないような気にさせてしまうらしい。人に目的とか使命とかいう言葉は結びつかない。世の中の何が問題なのかといえば、人に目的を課そうとする思惑なり意志だ。絶えず何かのために生きなければならないように人を追い込もうとしている。ではなぜそうしなければならないのかといえば、それはそうしないと社会が立ち行かなくなるからか。中国などはオリンピックを成功させるために人を大量に動員している。そんな目的のために動かなければならない人々に未来はあるのだろうか。たぶん未来ぐらいならあるのかもしれない。その未来こそが人に課せられた究極の目的か。自らのあるべき姿を追い求めるために未来という時間帯がある。今もそうだろう。自らに割り当てられた時間内に自らのあるべき姿に至らなければならないわけだ。夢を追い求めるとはそういうことだろう。それを達成するためには無駄に時間を浪費しているわけにはいかないか。窮屈な考え方だ。君は何をあきらめているのだろう。究極の何かを目指すこともなく、ただ何も思っていないような気になっている。何となく流れ去る景色を目で追いながら、何を思うでもない。それはそれだけのことなのだ。人は目的から逃れられない。やるべきをやらなければ明るい未来がやってこないか。ならば冗談もそこまでだ。まじめになって何かに取り組まなければならなくなる。疑念を覚えることはいくらでもあるだろう。気がつけば気持ちがそこから離れていっているようだ。それの何がおかしいのか。彼らはどこからやってきたのか。唐突に違うことを記してみる。気晴らしのつもりか。彼らとは何だろう。何が彼らを行動に駆り立てるのか。彼らにはどんな目的があるのだろうか。君は彼らとは無関係だと思っている。彼らとはすべての人間のことだ。その時の気まぐれでそんな嘘をつくと収拾がつかなくなり、さっきまで何を述べていたのか忘れてしまいそうになる。たぶん言葉を記している誰かの目的をぶちこわしにしているのだろう。無意識のうちに何か利いた風な結論が導きだされてしまうところを阻止しているのかもしれず、偶然の巡り合わせが目的を台無しにしようとしている。本気になってはいけない。わかりやすいようなことを述べるべきではない。彼らという言葉にはそういう無目的に導く役割でもあるのだろうか。それによって何を述べているのでもないように文章を終わらせなければならない。それがそこでの架空の目的だ。誰かの目的とは相容れない方向性を持っているらしく、そうすることで誰かの目的も君の存在も無化したいのだろう。なぜそうしなければならないわけでもなく、ただわけもなく言葉を並べている。


5月6日

 今から何をやろうとしているのか。やることは決まっていて、それはいつもの作業だ。文学でも芸術でもなく、ただ言葉を並べて文章もどきを記すことだ。近頃は考えるのが面倒くさいから、そういうことにしてある。別にやけくそ気味になっているのではないが、何となくそんな風にしか感じられず、その作業がすばらしいなどと思ったことはなく、無感動を常として、まったく幻想を抱けなくなっている。それがなんなのかわからないが、少なくとも馬鹿げていることは確かだろうか。何が馬鹿げているのだろう。君は自殺する人の気持ちをわかってあげられるだろうか。近親者が自殺すると人は動揺するだろう。想像できるのはそういうことだ。たぶん自殺する人は孤独なのだろう。誰かは冗談でそんなことを思っている。本気になれないのだ。絶望すれば誰でも自殺を考えるものか。そうだとしたら君はどうするべきなのか。絶望して自殺してみればわかるというものか。そういうことでしかない。自殺も暇つぶしのたぐいでしかない。やはり冗談でそんなことを述べているのだろうか。君は思い詰めることができないほど絶望しているわけか。それはどういうことなのだ。思い詰めたら自殺するしかないかもしれないが、絶望しても自殺する危険性があるのではないか。たいていの場合、たぶん自殺したら家族が悲しむだろう。それだけのことでしかない。他人の自殺を笑うほどの状況ではないのだろう。誰を憎んでいるわけでもなく、蔑んでいるわけでもないが、感情を表に出してもつまらない。では自殺の何がつまらないのか。時にはおもしろがって支離滅裂なことを述べたくなり、それに成功したつもりになって高笑いの最中だろうか。誰が何を述べているのかわからない。それも冗談のたぐいなのだろう。人は進んで絶望すべきであり、悩みに悩んで思い詰めるべきなのだろう。些細で瑣末なことに一喜一憂すべきなのだ。馬鹿げているかもしれないが、馬鹿げていて結構なのだろう。自殺してもかまわないが、それは馬鹿げている。末期がん患者なら真剣に自殺を考えるべきか。机上の空論以前にどうでもいいようなことを述べているらしい。冗談でそんなことを述べるべきではないが、そんな正論はここでは通用しない。では君は誰に向かって、死んでしまえ、と言い放つべきなのか。心当たりは何もない。対象を絞り込めず、困ったふうを装い、最後の一撃にすべてをかけているわけでもないだろう。空手の試合ではない。ならば何が冗談から生じているのだろう。これを読んだら自殺を思いとどまってくれるだろうか。冗談でそんなことを述べているので、真に受けてもらっては困るか。どうやら誰かは親身になって他人の悩みを聞いてやるほど暇ではないようだ。ただ正論を吐きたくない。自殺するほどの価値があるような者は世界中探しても誰もいはしないか。誰もが中途半端ながらくた人間なのかもしれず、愚かなまま生きて死んでゆく定めにあるらしい。そんなくだらぬ人間が世界中にはびこり、わけもなくうごめいているだけか。君たちはそこで何をやっているのか。スポーツを眺めているのがそんなに楽しいか。また冗談でそんなことを述べているのだろう。クイズ番組で珍回答を連発するタレントを見て笑い転げていても仕方がない。それほど心が純真ではないはずだ。わざとらしい演技が透けて見える。君は何に対して無関心なのだろう。簡単に考えるなら、自殺は社会的な損失なのだろう。働き手がなくなり、その穴埋めのために残された者たちが苦労を背負い込む。それだけのことでしかないか。自殺する理由とは何か。生きていても周りに迷惑がかかるから自殺すれば、死んだ後にも後始末などで周りに迷惑がかかりそうだ。そういう場合はどうすればいいのだろう。人知れず旅にでも出るべきなのか。そうなると周りの人々が捜しまわらなければならなくなり、結果的に迷惑がかかるだろう。要するに生きても死んでも行方知れずになっても、どのみち周りに迷惑がかかりそうだ。そういう場合はどうすればいいのか。そういう状況は落語の題材にでもなるかも知れない。また冗談に逃げたくなっているようで、本気になれないらしい。君にとっては自殺などどうでもいいことか。その気になってみれば身近な問題とはなりそうだが、たぶんそこにたどり着くまでに気の遠くなるような回り道と迷路を抜けて行かなければならず、そんなことをやっているうちに自殺のことなど忘れてしまうのかもしれない。現状ではそんな終わりにはたどり着けそうもない。確か芥川龍之介や川端康成や三島由紀夫などは自殺した有名人だろうが、彼らには自殺する理由があったのだろうか。それぞれに自殺に至る経緯がありそうで、十把一絡げに考えるのもいい加減きわまりないだろうが、君はそこからどんな結論を導きだそうとしているのか。彼らにはユーモア精神が欠如していたのかもしれない。心に余裕がなかったのだろう。それは結論ではなく、何だろう。何でもないのではないか。ただ君は笑っているようだが、そこで何を軽んじているのだろうか。生きることに絶望しているのに、ユーモア精神も何もあったものではなく、心に余裕があったら自殺など考えないか。ただ当たり前のことを当たり前のように述べて、一通り笑い転げたふりをして、それで今回は終わりとしておこう。


5月5日

 さらに先を急いで今日に近づくつもりらしいが、今日に至ってどうするのか。それは今日ではなく明日かもしれないが、明日になったらどうするのか。昨日から何を思い描いているのだろう。明日になったら何をやるべきなのか。たぶんそれは今日やるべきことではないのかもしれず、だからやってはいけないというわけでもないのだろうが、先走りすぎると己の寿命を縮めてしまうような不安に駆られ、そんな嘘も織り交ぜながら今日を目指す言葉の連なりは、この先どうなってしまうのか。それは君が決めることか。決めたからといって、決まり通りに事が運ぶとは限らない。事が運ばなかったら、脇道に逸れてわけのわからない成り行きに身をまかせるだけか。この場合の脇道とはどんな道なのか不明か。意味不明な言説に持ち込みたいだけなのかもしれない。要するに君の知ったことではないというわけだが、誰の知ったことでもないだろう。いったい誰が言葉を記しているというのか。それが君の知ったことではないの原因か。では誰に向かってそんなどうでもいいようなことを語りかけているのか。すでに辺りは夜になっているが、昼に向かって意識は語りかける。それは真昼の太陽が君に向かって照りつけるのと同じことか。何が同じなのか。調子に乗ってわけのわからないことを述べている。たぶん今は勇み足の連続なのだろう。本気になれない芸術のように、何となく甘えの構造を受け入れている。わけのわからなさを売りにしているようだ。それで何がどうなるのだろう。もう少しわかりやすい決まり文句のようなことを主張したらどうなのか。どうもしないだろう。話のおもしろさに惹かれるようなことは唾棄すべきか。ただの強がりの現状肯定で、開き直り以外の何ものでもないか。たぶんそれで楽しい気分でいられるのかもしれない。無責任にならなければそんなことばかり語ってはいられない。自らの言動などに責任を持つべきではないか。何が具体性を担っているのか。わけがわからないだけではおもしろくない。現状から逸脱したいのだろうか。それが現状そのものだという事実を否定したいか。ますます何かのどつぼにはまりつつある。それも間違いだらけの一部を構成しているわけか。過ちとはどのような時に正当化されるのだろうか。誰がそこから退こうとしているのでもなく、すべてから意識が撤退した時に初めてその場を覆う虚無の正体でも見えてくるだろうか。虚無の正体は虚無だ。それは虚無そのものだ。言葉なのだから仕方がないだろう。言葉は虚無以外の何ものでもないか。時には意味を担っているはずだ。それでも楽しいのだろうか。楽しいか否かは関係ないだろうが、どうしても逸脱したくなってくる。その場が窮屈すぎるのかもしれず、何を述べてもくだらないような気になり、それが嘘だと知りつつも、そんな嘘をついていないと間が持たないような気分になり、それがどのような間なのか定かでないが、何となくそんな気がするだけで、そこに明確な理由や原因があるわけではないことは百も承知で、そんなことを述べている現実があるらしく、そんな現実に逆らいつつも、そこから抜け出ることはできず、現状に流されて現状のままにとどまり、とどまっているのか流されているのか、はっきりしないような言葉の連なりに、直面しているような受け流しているような、それも本当のことではないのだろうが、そんな作り話の続きはそういう話の続きから形成されているらしく、それがどこから始まったのか知らないが、いつの間にかそんな風に語っているそれが、誰かの作り話を言葉でなぞっているのかもしれず、君が語りつつある偽りの物語も、それの一部を構成しているのかもしれず、何が物語か知らないが、なんでもないようなことを語っているつもりのそれが、虚無の物語なのかもしれない。たぶんそれがそこでの暫定的な結論なのだろう。君はどこまでも偽りの存在であり、それは不在以前の消滅すらできない存在なのだろう。意味がまったくわからないか。何を知るつもりもないような、話以前の話もどきになっている。そのとき誰かは何を記しているつもりになっているのか。たぶんそれは無駄で不要な言葉の連なりになっている。そして他の誰もそれを修正するつもりはなく、そこに記されているそれが誰かの記述のすべてなのかもしれず、その場合のすべてとは偽りのすべてであって、すべてという言葉が意味的に裏切られるようなすべてなのだ。またずいぶん回りくどく語ろうとしているらしいが、それで何を述べているつもりになれるだろうか。ただ言葉を急いで記して破れかぶれなことを述べているだけか。それだけなら人畜無害もいいところか。誰かはそれでかまわないと思いたいらしい。今の君が何を語れるというのか。何かしら語っている現実があるらしいが、それで本当にかまわないのだろうか。気に入らないなら他のことを述べてみたらどうか。それができないからそんなことを述べているのではないか。そんなこととはこんなことであり、そういう感じでだらだら言葉をつなげているわけだ。それで何がどうなるというのだろう。たぶん何もどうにもならないだろうが、それでもひたすら語り得ないことを語る努力を続けている。君にはあり得ないことだ。誰にとってもあり得ないことだろう。相変わらず冗談でそんなことを述べているらしい。


5月4日

 遅れながらも何となく何かを語っているらしい。つまらぬいいわけはもうたくさんか。しかし語るようなことは何もないのだから仕方がない。それで何を正当化しているわけでもないだろう。そんな状況だから何を述べてもくだらなく思えてくる。それで何を卑下しているつもりなのか。そうではないような気分になるが、冗談で何を述べているのか。わからないだろうか。そういうやり方が好かないようだ。何が好ましくないのだろうか。世間の話題について語ろうとしないからか。それ以前に述べていることが空疎だ。それだけのことに時間を浪費している。まったく無駄なことだろうか。何日か後の夕日を眺めながら漠然と将来に思いを巡らせたりしているのだろうか。君に将来があったりするわけか。心がどこに引っかかっているわけでもない。ただ今とは違う言葉の連なりを構成したいようだ。誰かの心がそんな思いにとらわれているうちに、他の誰かがさっきと同じような言葉を連ねて、マンネリを助長しているようだ。たぶんそれが何のためにしているわけでもないことが気に入らないようで、何となくその辺で文章の構成を放棄したくなってきて、何を語る気も起こらなくなり、失敗に終わった過去の試みが脳裏をよぎったりするわけか。君に何がわかるというのか。それは誰の口癖なのだろう。何かの制御が利かなくなっている。もうすぐ夜の闇に覆われ、すべてが黒く塗りつぶされるような世界に移り変わることがどうしたというのか。まったく意味を知らないようだ。とりとめのないことばかりだ。何を思っているわけでもなく、それがどうしたわけでもないらしいが、この世から遠ざかろうとしているわけでもない。ただまったく意味を解さない。それは本当につまらない試みなのだろうか。君はそこで何を語っているのか。たぶんそこで振り出しに戻ろうとしているのだろう。何もかもがはじめからやり直されるわけではないが、何となくはじめから記述を再開したくなっているようだ。その辺でわけがわからなくなるのだろう。それでかまわないのか。いつか真実を語る日が来るのかもしれないが、今のところはでたらめが先行してしまっているようだ。君はそれらのでたらめの中で息をひそめ、隠れ続けるつもりなのか。できるならその隠遁の真実を知りたくなってくるが、それもでたらめの続きになってしまうだろうか。わかっているのはそんなことでしかない。それがそこでの成り行きを構成しているのだから、君はそれらの成り行きまかせの状況を受け入れるしかないようだ。さらに夜が近づいている。心の背後に誰かの意識が迫ってくるようだが、それが何を表現しようとしているのかわからず、ただの複雑怪奇を醸し出すような案配に状況は推移しつつあり、たぶん間違いだらけの言語表現を記述しているのだろうが、それでかまわないと思ってしまうらしく、君はそんな風にして現実から飛躍して、妄想の力を獲得するつもりらしいが、それはあり得ないやり方か。何でもないことだ。言葉だけならいくらでも飛躍できるだろう。そして結果的には常軌を逸してしまう。やはりそれだけのことなのか。そんなやり方ではつまらないと思わないか。何がつまらないのかわからないが、その時の気分次第で同じことを語っていても、つまらなかったりおもしろかったりするらしい。そんな風に語るのは怠惰に流されている証しとなり、それで何かを語っているつもりなら、それでもかまわないのだろうが、それはそういう水準で語っていることに過ぎず、相変わらず何について語っているのか定かでなくなり、ただの自己言及の繰り返しのようにも思えてくるが、その場合の自己とは空っぽの文章そのものになるだろう。要するに空疎な文章に対する印象を言葉にしているわけか。虚無の言葉だ。無駄で無意味ですばらしい言葉の連なりに違いない。何を強弁しようとしているのではなく、すでに夜になっていることを誰に気づかせようとしているのでもなく、見たまま聞いたままの言葉からはかけ離れて、意味から遠ざかるための試行錯誤の軌跡となるだろうか。まったくのでたらめか。わかっているのはどういうことではないような気がするが、何となくそんなことを述べていると安堵してしまうのだろう。今はそれだけの文章しか導きだせない。それでよしとしなければ先へ進めないだろう。だが先には何があるというのか。先にはその先があるだけだ。先に進むことに意味はないが、何らかの達成感がもたらされ、つまらない自己満足に浸れる。今はそれを肯定しなければならない。夜の闇にまぎれて猫が姿を消す。そんな思いついた出来事にも意味を見出せず、そこからどんな物語が始まるわけもなく、自己嫌悪を経由するほどの自己もなく、それは真の回り道ではないのだろうが、回り道に真も偽もないような気がして、ただ回り道をしているだけの現状を肯定も否定もできなくなる。何も認められないのかもしれず、何を認めようとしているのでもなく、どうしようもなく言葉を連ねている現実に突き当たり、それで何を主張するわけもないことに呆れ返るでもなく、そのままの現実を誰かの意識が受け流していることに他の誰かが気づき、それがその時点での認識となるのだろう。


5月3日

 今は夜ではないが、夜が今になることもある。何を知っているとも思えない。すでに夜になってしまったようだ。遠くを見る目に何の興味があるだろう。時間を気にしている。時が経ち、何かが腐ってどうなるのだろう。相変わらず意味がわからない。疲れた目つきに見える。誰かの思い過ごしだろう。君が何を知っているとも思えない。なんとかしようとしているらしい。柑橘類の香りを嗅いでいる。何を知っているわけではない。では何を悩んでいるのだろう。わからないことを語る気にはなれない。文章になっていないような気がするが、意味のつながりを考えていないのかもしれない。世間の話題に興味が向かない。何がどうなってそうなったのだろうか。君は何に見放されているというのか。被害妄想も甚だしいか。何かが確実に終わっているようだ。それでどうしたわけでもなく、誰かはひたすら言葉を記し続け、何かに行き詰まってどうにかなってしまったようだが、やはりそれでどうしたわけでもないと思っている。もう深夜になってしまった。相変わらず何をどうしたいのかわからず、言葉が意識をどこへ導こうとしているのかを知りたくなるが、ついてゆけないようだ。何となく取り残された気分になっている。早くそこから抜け出たいのだが、そう思うたびにそこで眠ってしまい、さらなる遅延の深みにはまっていってしまう。それでも前進しているのだろうか。何かを述べていることは確からしい。強風が吹き荒れているようだ。わからないことはそれだけか。君が知り得ないことを知りたくなってくる。聴いているのは同じような種類の音楽か。そのとき何を夢見ていたのだろう。どんなところで何をやっていたつもりなのか。なぜ疲れているのか。膝の痛みに加えて足先も痛くなる。それで何がどうしたわけでもないだろう。強がっても痛みが消えるはずもなく、そのまま痛みを放置しつつ、何をどうしようというのでもないらしい。そこから遠ざかろうとしていたのではなかったのか。そんなことも思い出したようだが、あまりにも唐突すぎないか。あくびが出る。何をひたすら述べているのか。そこから何らかのこだわりが滲み出して、誰かの行く末を不安視している意識を押しとどめる。それはどういうことなのか。そのままの意味だろう。どこの周波数帯でもそれほど代わり映えはしない。今は何について語っているのだろうか。しっくりくるような時間帯ではなかったということだ。今はどうなのか。ただ何となく語っているようだ。たぶん失うべくして失われた場所と時間と機会なのだろう。それがなければ先へ進めなかった。今はこうしてあるのもあの時の散財が利いている。君はそこで何をなくしてしまったのか。そんなことにこだわるべきではないのかもしれない。すでに結果が出ている。君は時間に追われているつもりだが、すでに追い越されてしまっていて、実際にさらなる遅れが生じている。また眠たくなってしまったのだろうか。現状で把握しているのはそういうことか。たぶんやる気が失せているのだろう。それだけのことでここまでやってきた。何をつかみかけているとも思えない。すべてを台無しにしているのかもしれない。誰かはそれでかまわないと思っている。何に明け暮れているわけでもない。状況の変化に精神がついてゆけない。それはあり得ないことだが、何を否定しても事実は事実だろう。ひたすら語り続けることなど不可能なのだ。そうに決まっていると思い込みたいらしいが、何かがそんな思いを裏切ろうとしているようだ。そう願いたいものだ。君が何を知っているとも思えない。もはや自問自答の世界から逃れられないのだろうか。残骸なのかもしれない。そこで何かを思い出している。たぶんひたすら思い出そうとしているのだろう。何を思い出しているのか。それは思い違いのたぐいだ。何を断言しているのか。自らの勘違いを改めようとしていて、それが思い違いなのかもしれない。言葉が先回りして、思考の邪魔をする。考えあぐねている。抜け出す方法があるというのか。まだ終わったわけではない。とりあえず考えているようだ。迷っているのだろう。さらに迷い続け、結論に達する手前で立ち止まり続ける。何かのきしみが直ったのだろうか。そこに病気があったわけではなく、他に治療箇所があるとも思えない。何も述べられないのだろうか。すでに述べているそれらは何なのか。無駄に言葉を弄しているに過ぎないのだろうか。そうだとしたらどうなのだろう。少なくともそれ以上の結果を求めている。虚無に寄りかかって言葉を繰り出すような作業はおかしい。ではそれ以上に何を付け加えたいのか。ついてゆけない。正気の沙汰でない。それだけではないと思っているようだが、散らばっていた言葉が一つにまとまろうとしていているのだろうか。それは気晴らしのたぐいだ。消えかかっていた何かを再び灯そうとしているだけか。何かとは何なのか。いくら問いかけても答えは出てこない。そういうやり方なのだからそれに従うしかない。誰の命令を受けているわけでもない。それはいい質問だ。それは誰の台詞なのか。何かの順序が逆なのかもしれない。しかしそれで間違っているだろうか。


5月2日

 また言葉がバラバラに散らばっているらしい。心臓の鼓動が聞こえてこない。心がこもっていないと言いたげだ。虚無がそうさせているわけでもないだろうが、夢の中で言葉の残骸から遠ざかろうとしている。自意識は完全に何かを見失っているようだ。ひたすら見失い続けている。記述の中でそんな馬鹿げたことを述べているうちに、何やら目が覚めてきたようだ。理由はわからない。文章は相変わらず何の主張にも至らない。たぶん何を知っているわけでもないのだろう。とりとめのない思いにとらわれているようで、そうでもないのだろうが、ただ時が過ぎ行く。何が心の中から消え去ろうとしているのか。この世界から君がいなくなる理由などありはしない。覚悟はできているのか。どこからいなくなるわけでもないだろう。必死になって誰かの不在を打ち消そうとしているようだが、それはどういうことなのか。誰かにとっては君という言葉がまだ必要なのだろう。では何を静観しているのか。意識が消え去るままにまかせているようで、相変わらずそうなる理由が見当たらない。いったいそこからどうすればいいのだろうか。誰も彼もが死にものぐるいというわけにはいかないようで、がんばりたい人だけそうやっていればいいだけだ。取り立てて君が何を語る必要も感じられず、どうやらその辺で必要以上に言葉を並べすぎてしまったようだ。それで飽きてしまったのだろうか。そんな風にして空疎なことばかり述べている現状があるが、そこから何を批判しようとしても、そうする義務を放棄したくなる。わけがわからないが、それはどういうことか。しらけているだけかもしれず、どこかで何かをやる義務が生じてしまうのを避けているような気がしてならない。誰かの意識が胡散臭い予言か何かに惑わされているのだろうか。そんな気がしているだけで、確信があるわけでもなく、合理的な理由など何もない。テレビを見ていたら無駄に時間が経ってしまったらしく、そこで何かが滅びようとしている。冗談に違いない。あり得ないことだろう。君は滅びたくても滅びようがなく、他に滅びる対象を見つけられず、その代わりに無駄に言葉を連ねていたら、何かから少し遠ざかれたような気がする。何かとは何なのか。誰かが何かという言葉を発する暇を探していたのかもしれず、それは誰の発言に近づくこともなく、単なる記述の水準にとどまりつつも、何を述べているのでもない君について、何かを付け加えようとしているようだが、意識が薄れつつある君に何ができるというのか。何を指せようとしているのでもなく、それはいつもの無駄な問いかけになるだけか。それに対する答えが返ってくることはないだろうが、誰が返答を期待しているわけでもなく、それでもあるとしたら、それはあり得ない返答であり、何かがそれを物語っているかも知れないが、要するに誰かが安易なことを述べているとしか見なされず、それ自身に魅力を感じられない。どのように述べても、それらの記述が具体的な話題に結びつかず、なぜそうなってしまうのかわからないが、ひたすら無意味なことを述べているとしか思えず、そんな言葉が誰かを狂わせているのかもしれない。それは静かなる狂気ということか。言葉で格好を付けてみても虚しいだけだ。だがそれで問題が解決したつもりになれる。それが何の問題なのか知らないが、何について述べているとも思えず、君は雑音まじりの音楽を聴いているらしい。何がいいとも思えない。しかしなぜできないのだろう。いつまでたってもそのままだ。まったく作業がはかどらず、半ば焼け気味にいい加減な言葉を並べまくり、それで終わらせようとしている。がらくたに囲まれ、言葉もがらくたのように並んで、意味がわからなくなるが、それでも文章だといえるだろうか。そこで同じようなことを述べているのはわかっている。気に入らないことが山積しているようで、めちゃくちゃな気分になっているのかもしれない。取り返しがつかなくなっている。たぶんそれでも終わらせなければならないのだろう。悩ましくも馬鹿らしい言葉の並びに唖然として、北欧の沈まぬ太陽のような気分になる。でたらめなことを述べているのだろう。今は白夜の季節ではない。冗談ではないが、笑えない冗談を求めているわけでもない。具体的な話題を求めているわけだ。話の題材を探しているわけか。ならば無理に述べる必要はないだろう。君には無理なのだから他をあたってほしい。徹夜などするには及ばない。そんな状況ではないことはわかっていて、今にも眠ってしまいそうなのに、何に義理立てして眠らないつもりなのか。そのつもりのないのだからそういう話ではなく、たぶんどういう話でもない。話になっていないようで、そんなことを話している場合ではないのかもしれない。会話になっていない。君が求めているのは会話ではなく、ただの沈黙か。それがその場での格好付けを示している。いくらあり得ないことだと思っても、実際に格好付けを狙った言説を繰り出しているはずか。そうする理由がわからない。ところで今は誰がどのへんで何を語っている最中なのか。君のことを述べているわけではなく、語っている内容はいつもの空疎だと思われる。


5月1日

 何をそんなに慌てているのか。どう考えても無理のようだ。相変わらず無駄に言葉を並べている。とりあえず翌朝は曇っていたようだが、それがどうしたわけではない。たぶん何も考えられないだろう。どうやら自ら記した文章を理解できなくなってしまったらしい。それはあり得ないことか。冗談でそんなことを述べているようだが、誰の意識がそこに介在しているのだろう。介在とは何か。この世界には何が介在してこうなっているのだろうか。たぶんすべてが介在しているはずだ。それはわかりきったことで、現状ではそうやってくだらない問答を繰り返していることになる。だがすべて以外に何があるというのか。誰か