彼の声652008年3月31日それは気まぐれから生じていることではない。悩んでいる場合なのだろうか。壁のひび割れが拡大している。今さら遅いが、そうではないと思いたい。間に合わないことについて何かいいわけでもあるだろうか。何が間に合わないのだろうか。たぶん何かが間に合わないのだろう。君はその地平から飛び立つことができずにいるらしい。何となくそこで帳尻合わせをしてしまう。それがつまらない動作であることがわかっていながら、あえてそんなことを述べてしまうのも、予定調和のうちだろうか。何をだましているわけではない。誰に急かされているわけでもなく、誰が急いでいるわけでもないが、誰かがせわしなく動き回っているらしい。そんな状況から何を想像できるだろうか。この世界に魅力を感じられない。何もかもが君からはなれていってしまう。たぶん何かが狂っているのだろうが、その狂いが致命的な崩壊をもたらすとも思えず、たぶん狂ったままにしておいても何がどうなるわけでもないだろう。どこかの山のてっぺんから誰かが意味不明な叫び声を発している。そういうことにしておこう。それが不都合な真実だとは思えないだけか。どうやら歩きすぎて膝がいかれてしまったようだ。疲労がたまっているのだろう。これ以上歩けないとも思えないが、いずれは痛みに耐えきれなくなってしまうだろう。そうなったら医者通いの日々が待っているわけか。それで何が報われるというのか。それとは無関係に誰かと誰かの視線がどこかで交わっているらしいが、それで歩くことから解放されるとは思えない。なぜ無関係なことを挿入したがるのか。たぶんそこで切羽詰まっているのかもしれない。苦し紛れはいつものことか。だが当てもなくさまよっているわけではない。誰かはそこに何らかの覚悟を読み取れる。さらにわけがわからなくなることを承知の上で、わざと常識から逸脱しているのかもしれない。まだ意識は今月に入ったばかりのようだ。堕落とはどういうことなのか。何かにかこつけて他の何かを引き寄せようとしている。やはりわけがわからない。それでも亀裂が広がっているとは思えない。無様だとも思わない。その辺が見解の相違に違いないが、何を述べてもそうなってしまうのだから、それは自然の成り行きだろう。ならばもうだめか。だめだと思えばだめに決まっているが、何がだめなのかわからないか。そういう手法は倫理的によくないということだろうか。発作のたぐいだろう。喘息なのかもしれない。まだ外は寒く、強風が吹き荒れている。気候的に未知の状況に遭遇しているわけか。それで何がわかるだろう。仕事を怠けたくなっているのかもしれない。確かにいつもとは少し雰囲気が異なるようだ。誰もそれをやめようとしない。君が思っているのとは感覚がだいぶ違うようだ。なぜそうなってしまうのか誰にも理解できない。君はそこからさらに逸脱しようとしているらしく、不意に襲ってくる眠気と闘いながら、必死で何かにしがみつこうとしているようだが、貧乏揺すりも次第に激しくなり、何となく正気を保てなくなってきているみたいだ。まったく嫌気がさしているどころではないか。何をそんなに苦労しているのだろうか。何かを述べることがそんなに苦痛なのか。たぶん君にはわからないはずだ。たぶん何も苦痛とは思わないのだろう。実際に心身ともに痛みきっているのに、そういう痛みには鈍感を装い、内面の荒廃も隠そうとせず、いついかなる時も強がってみせる。それでは通用しない。何に通用させようとしているのか知らないが、とりあえず通用しないらしい。どこの誰にも世間体という圧力がかかっている。それで何を観念させたいのかわからないが、とりあえず世間体を取り繕いたいらしく、他の皆と同じ動作を完了させたいようだ。それはまったく常識的な判断なのだろう。しかし今さらそれに誰が屈しようというのか。たぶん何もわからない。どこかで変化する糸口をつかみかけたこともあったかもしれない。果たして今はどうなのだろう。今がその機会だとは到底思えない。たぶん判断がつかない状況なのだ。どうしようもないのかもしれない。取り返しのつかない事態を招いているようで、そんな大げさなことでもないようにも思えてきて、冗談のようなこの世界の中に存在しているとも不在だとも思えてくる。要するにいつまでたっても曖昧なままなのであり、それが君の意識ではないことはわかっているが、何を意図してそんなことを述べているとも思えず、君にどんな思惑があるとも思えない。ただ言葉が組み合わさって文章が構成されているに過ぎず、それ以上の真実がどこに隠されているわけでもない。そういう意味で君の試みが何を超えることもないように思える。ではこのまま低水準の言説にとどまってしまうのか。水準がどうのこうのいえるようなものでもなく、何を持って基準としているわけでもないだろう。すべてがその場の思いつきで述べていることであり、それが思いつきだと見なせるほどの確信さえなく、ただ何となく文章が記されていて、それがどのような効用を狙っているとも思えず、惰性としかいえないような無内容を延々と記しているに過ぎないのかもしれないが、それで自己言及に至っているかも怪しいところか。とりあえず何を目指しているのでもないらしい。3月30日別に誰が宝探しをやっているとも思えない。彼がどこで何を語っているのかは知らない。何を探しているわけでもなく、誰かは骨折り損のくたびれ儲けというわけでもないだろうが、結果として無駄骨を折ってしまったわけか。それほどでもないだろうが、たぶんそうなのだろう。本当にその場所には何もないようだ。たぶんそれは違うと思う。何もなければさらにつまらなくなってしまい、そんな終わりのない言葉の繰り返しに嫌気がさしてくる。君は何を考えているのか。何も考えずに無駄に言葉を連ねている現状に変わりはなく、遅れを解消できないまま来月に入ってしまったようだが、それはいつものことでしかないだろう。無理なのだから仕方がない。君に責任はない。誰の責任でもなく、君以外の誰が責任を取ろうとしているわけでもない。そういう問題ではないだろう。ただ現状に行き詰まっているだけか。その辺がよくわからないが、君がそこで何をやっているのかも問うつもりもない。ではどうしたら何か気の利いた言説を導きだせるのか。現状はそういうことでもないのかもしれない。どういうことでもなく、たぶん惰性で何かを語ろうとしているようだ。しかしそれだけでは気が休まらないのではないか。別に何かを述べることによって気を休めようとしているのでもないか。その辺で微妙なことを述べているつもりらしい。何を述べているかは知らない。取り立てて思うところもない。では本当にこの世界は行き詰まってしまったのだろうか。拙速に結論に到ろうとすべきではない。そこから言説を導きだすのは無理なのかもしれない。無理でもかまわないから遠回りしてみるべきか。いったいどこへ向かうつもりなのか。向かう先がわからなければ遠回りしようがないか。実際にこの世界はどこへ向かっているのでもないように思われ、向かう先など何もありはしない。誰がそう思っているのでもない。その辺に無理が生じている。眠いなら寝てしまえばいい。誰も起こさなければ永眠してしまうか。しかし死が間近に迫っているとは思えない。それは何でもないような雰囲気だ。実際に何でもないのだろう。本当に何でもなく、何でもないからこそ、この世界が退屈に感じられてしまうわけだ。それでも人に生きる術が備わっている。人間たちが作り上げた社会が人間を生かしているらしい。それはどうしようもなく馬鹿げたことだ。信じられないような愚かさのただ中にいるらしい。だが君はそれで何を見いだしたつもりになれるのか。君自身が愚かなのか。何に導かれているとも思えない。そんな言葉の積み重なりが君を裏切り続ける。言葉を連ねた結果として、何も述べていないことに気づかされる。ただそれだけのことに時間を浪費している。それで何がわかるというのか。何もわからないとすれば、それは何かをわかろうとする行為とは無縁なのだろうか。何を思っているのでも探っているのでもなく、ただ言葉を並べているとしか思えない。それだけのことに無限の時間と労力が必要なのか。やはりそれは冗談では済まされないことのように思われ、それだけでも誰かを途方に暮れさせるには十分な状況か。それで何がわかるのだろう。わからないからそんなことを述べながら自問自答を繰り返しているのではないか。まったく意味も意義も見いだせない行為だが、それで君が気が利いているとは到底考えられない。しかしなぜ気が利いていることと無駄な行為が関係するのだろうか。いったい何と何を関連させれば、まともな文章が構成できるのか。記された言葉と言葉との間に何の関係も見いだせないということがあり得るだろうか。そうやってさらに無駄に言葉を弄して、何か述べているように装っているようだが、やはりそれは冗談ではないらしい。冗談ではないがまともとも思えず、本気で何を語ろうとする気概が欠けているのかもしれない。それはどういうことなのか。誰かがどこかで人間不信に陥っている。唐突にわけがわからなくなる。君には関係のないことだろう。ならば他に何が関係していると思われるのか。君が君自身から遠ざからなければ人間不信を解消できないだろう。気がつけば貧乏揺すりが激しくなってくる。寒いのか。突然のみぞれにうたれ、身も心も冷えきってしまったのだろうか。今は晴れているようだ。ところで何が人間不信を構成していたのか。君に何がわかるというのか。何もわからないわけではないが、わかっていることとそれとの間には何の関係もなさそうだ。だからそこでくじけてしまい、言説的な挫折を味わう。たぶんそれが君のすべてなのだ。語っている無内容のすべてが君の心に突き刺さり、二度と立ち直れないような挫折感をもたらしているようだが、一方でそれがそこでの作り話を構成していることも確かであり、君は自らに嘘をつきながら、そこでの継続の糧としているように感じられ、結果として得られた虚無の言葉に頼り切って、それらの文章を作り上げているように思われる。しかしそれで何がわかるというのか。何もわからないことから生じる焦りからそんなことを述べてしまうのかもしれない。それでも文章に変わりはない。何も変わっていないようで、その変わっていないと感じることから、それらの文章の継続がはかられているようで、その場の成り行きと偶然の巡り合わせを利用して、そんな風に述べているらしい。それはどういうことなのか。3月29日どうやら最後の言葉を述べてしまったらしい。本当にもう終わりなのかもしれない。しかしそれはいつものことだ。誰かの文章は年がら年中言説の終わりを迎えているらしい。だが今回は何も状況を把握していないようだ。それどころか積極的に何も知ろうとしない。言葉がまるでバラバラだ。君には冗談が通じないようだが、何を説明しようとしているのか。さっきから述べている意味がわからない。しばらく我を忘れてどうしていたのだろう。昨日はひたすら自らに嘘をついていた。今日の誰かはひたすら笑っているのではないか。わけもなく笑っているようだが、明日の自分は構造的に世の中の仕組みを知ろうとしているわけではない。さらにわけがわからなくなる。それは病気のたぐいかもしれない。心の病に違いない。簡単に気が狂っているのかもしれない。冗談でならそんなのもありだろう。だがそれらの言葉の並びに強烈な個性を感じるのはなぜだろう。言葉を並べながら何を行き詰まっているのか。そこから飛翔できないことがそれほどの落胆を呼び込めるだろうか。人によって感じ方に相違があるようだ。文字が小さすぎてよく見えないだけか。他に何を読もうとしているのだろう。膝の痛みが日増しに増してくる。糖分を取りすぎているようだ。それとこれとは関係ないだろうが、ただ漠然と言葉を並べて、そんな画面を眺めている。それらの状況が改善に向かうことはなく、ただひたすら悪くなる。そこで誰が何を述べようとしているのかわからない。だいいち言葉がない。どこに言葉が並んでいるのだろう。それが画面上で述べられていることだとは思えない。たぶん興味がないのだろう。何に対しても興味がわいてこないようだ、せわしなく言葉を連ねているようだが、今がそれほど忙しいとは思えない。確かに余裕はないが、何に忙殺されているわけでもない。よそ見ばかりしていると事故を起こしてしまう。だがそれで何を恐れているのでもない。ではいったい何がままならないのか。ただひたすら努力しているようだが、現状では無駄に言葉が費やされ、途中から何を述べているのかわからなくなり、あきらめて開き直ってみても虚しいだけか。君はそうやって偽りの敗北を認めようとしているわけだ。しかしなぜ敗北が偽りなのか。何に対して敗れ去っていることが嘘なのか。この期に至って何が認められないわけでもなく、やはり二日遅れの日付になっているようで、別にそんな些細なことに誰の共感を求めているとも思えない。他の誰が共感を得られるように語ろうとしているわけでもなく、なぜそうなってしまうのか、なんて現時点ではわかりようがない。それに関して君が何を考えているのか知らないが、すでに答えは出ているはずで、それ以上いくら考えても、他には何も出てこないのではないか。ならばそのすでに出ているはずの答えとは何だろう。何がそこでの答えなのか。それは使い古しのおもちゃでしかなく、それを使って何が求まるとも、何がわかるとも思えず、だからすでに答えは出ていると述べているではないか。そう述べて、わざとらしく振り出しに戻ったつもりになり、一安心したいらしいが、二日後の雨空の下で何が救われているとも思えない。また誰かが冗談でそんなことを述べているだけのようだ。昼になれば晴れてくるだろう。今はもう夜になっている。夜になったからといって、何を述べているわけでもない。それが嘘であることは承知しているようだ。偽りの言説にとらわれている。どうしてそうなってしまうのかわからないが、それがその時の成り行きなのだから、その状況を真摯に受け止めるべきか。いったい何を間違えているのだろうか。勘違いも程々にしてほしい。君には君のやり方があり、それを忠実になぞっていけば、自ずから出口に至るはずか。すでにそこが出口だ。どこをどうやってそこに至ったのか知らないが、とりあえずそれが出口なのだろう。確かにそれが出口という言葉であり、それを記せばそれが出口なのだろう。そんなごまかしでかまわないのだろうか。今は他に何も思いつかないからかまわないのだろう。久しぶりの意味不明で心が和んでいるようだ。冗談ではないだろう。たぶん何も述べられない。だから言葉を連ねているのか。わけがわからないことはいいことか。夢を見ていたのかもしれない。誰かは今も夢を見続けている。それは魔法ではない。気がつけば画面上で言葉が組み合わさって文章が形成されているではないか。それが夢の続きだったらどうなってしまうのか。誰かが歌い続け、それを聞きながら虚しさを振り払おうとするが、それができないことを知る。しかしもたらされたのは絶望ではない。少しでも前向きにこの世界をとらえ直さなければならない。たぶん何かを肯定すべきなのだろう。その何かが間近に迫っていることを感じ取るべきなのか。それが君の勘違いでないことを祈りたいが、そこから言葉が解き放たれているとは思えない。もう少し具体的なことを述べてみたらどうか。不自然でぎくしゃくした言葉の並びを超えて、自然な成り行きに身をまかせ、得体の知れぬ雰囲気を醸し出そうとしているのかもしれず、それが不可能だとは思わないだけのようだ。3月28日すべては後からわかることだが、たとえわかったとしても、さらにわからないことが出てくる。たぶん予測不可能なのだろう。やはり昨日の時間帯から前進できないようで、それどころか状況はさらに悪化して、無駄に一日が費やされる。その時君は何について述べていたのだろうか。まったく思い出せないのは何も述べていなかったからか。何もかもが現実から離れている。心が現世から隔離されている。しかしなぜ冗談でそんなことを述べているのか。それは何かの間違いに違いない。それでも君は何かを知っている。それに関して何を述べているのでもない。では他に何が関係しているというのか。ここはもう少しおちゃらけたことを述べるべきだ。例えば芸能人がテレビの中に隔離されている。そう見えるだけだろう。ならば金持ちが高級住宅街に隔離されている。その区域から外に出られないわけではない。では野球選手が球場の中に隔離されている。何がではなのだろう。すべてが君から遠ざかり、ただ眺めるための存在と成り果てている。だからどうだというのか。今後この世界には何も残らないかも知れないが、別に疎外感が増しているわけでもなく、逆に誰もが現世とのつながりを求めている。しかしメディアが一般人とそうでない人たちを引き離す。それが犯罪者であれ俳優であれ、彼らが作り出す話題の中心に、何か特別な人間がいないと困るわけだ。話題にならなければ伝える価値などありはしない。そんなわけで例えば大金を持て余し、マネーゲームに興じている人たちは、一般人でもその他大勢の人々でもない。とりあえず金持ちは羨望の対象であり、その意味で伝える価値のある人種なのだろう。要するにメディアは現代における究極の司祭だ。情報を操ることによって、資本主義という宗教を全面的に支えているわけだ。彼らが取り上げるものは常に何か特別な物であり、伝える価値のある存在なのであり、そこに聖域が築かれ、彼らがその価値を認めたものは聖なるものとなり、彼らが流す情報に洗脳された浅はかな一般大衆が、その特別な存在の周りに群がり、それを崇め奉り、それが存在すること自体をありがたがってしまう。そこで君たちは何を追い求めているのだろう。それは言葉ではない。言葉でなければ何なのか。君は冗談でそんなことを述べているのかもしれない。この世に宗教に染まらないものなどありはしない。何もかもが商品として分離され、人々は金を払ってそれを買わなければ手に入れることができない。それは幻想ではなく事実なのだ。メディアに欲望を植え付けられたものたちは、手に入れる必要のないものまで手に入れなければ気が済まなくなる。君はどうなのか。どのような欲望に苛まれているのだろうか。ただ眺めるだけなら金を払わなくても済みそうだが、実際に君は何を眺めているのか。それは言葉の連なりであり文字列だろう。そして今はそれさえも読もうとしない。真実を知るのが面倒くさいのだ。そしてつまらないことを述べているようだが、君は何かに影響を受けているらしく、そんな付け焼きの知識によって、かろうじて文章の継続をはかろうとしているようだが、さっき再開したばかりで、もう行き詰まってしまったようだ。たぶんそれらの言説には息切れがつきものなのだろう。何かを述べている途中から何も述べられなくなる。自らが述べていることがくだらぬ妄想から生じているような気になり、自己嫌悪に陥って、それ以降は何も述べられなくなってしまい、しばらくは立ち直れそうもない。そんな嘘がどこでまかり通るのだろうか。たぶん何を通したいわけでもなく、誰にも認められないようなことを述べていたいのかもしれない。それが言語的な巡り合わせから生じている文章なのだから、それを認めないわけにはいかないようだ。そんなわけで何もできないうちに二日が経過してしまったらしい。日付的にはそうなのだろうが、実際にはあの時からいくらも経っていないはずか。まったくどんな時でもない時があの時なのだから、それは任意の時間であり、もしかしたらほんの一瞬の間だったのかもしれない。君はたまらずうなだれて、自らの至らなさを詫びるしかないか。理由がわからないのはいつものことだ。たぶん苦し紛れにそんなことを述べているのだろうし、そのうちに終わってしまうはずだ。その時の君が何を強調しようと、それらすべては聞き流されて、無視されているうちに忘れ去られ、すぐに何を語っていたのか思い出せなくなる。そのとき人間は君以外の何者でもなくなってしまう。それはどういうことなのか。単なる付け足しにしては苦し紛れではないような気がする。君が君から分離する日がいつやってくるのか。それはどういうことでもなく、何の使用価値もないがらくた的な物言いが再現されている。わざとわけがわからなくなるようなことを述べているだけか。ことは簡単には運ばず、様々な紆余曲折を経てなお曲がり続け、その奇妙なねじれ方に疑念を抱いているわけだが、誰かの意識はそれとは別の箇所に興味を抱いているようだ。君の方はまだそこまで至らない。途中でくじけて一休みの最中を装い、そのままあてもなくさまよい続けたいのかもしれず、これまで述べてきたすべてをひっくり返したい衝動に駆られているのだろう。3月27日つまらないことにこだわりながら、退屈な日々を送り、空を見上げて何を思うこともなく、その漫然とした暮らしから抜け出ようとする気も起こらず、つまらないと思えばいくらでもつまらなくなるような世界に嫌気がさしているようだが、何か気晴らしでも探す気もしないらしい。心は鬱状態なのだろうか。君は新しい何かを求めているのかもしれないが、遭遇するどのような事物にも魅力を感じられないのはどうしたわけか。ただ状況が面白くない。そんな気持ちを覆すことができずにいる。だが行き詰まっているのは君だけではないはずだ。誰も何ももたらせない。何がどうしたわけではなく、それだけではないからだ。他に何があるというのか。世の中には追いつめられる人がいる。追いつめられて無理心中などをしてしまうらしい。そんなニュースに接して何を思うわけでもない。それは明日のことだ。そしてどうも昨日でもなくなったらしい。さらに遅れて一昨日のこととなってしまったようだ。他人事ではなく自分が追いつめられているようだ。たぶん気が狂っているわけではないのだろう。なんとかしようともがいているのかもしれない。疲れがたまっている。だがそんなことは言っていられないようだ。この時間帯を逃したら後がない。内容など何でもかまわないのか。たぶんそういうことなのだ。そういうことでしかなく、どういうことでもない。誰もが死にものぐるいでがんばらなければならないのだろうか。本気で生きてゆきたい者はどうしようもなくそういう成り行きになっていくのだろう。そこに人間の動物としての宿命でもあるのだろうか。おかしいと思えば思ってもらって結構なのだろうか。ならば自殺する者たちにはどんな本能が働いているわけか。答えは過去の行為の中にあるらしい。君はそこで行き詰まってしまうだろう。どこまでも行き詰まってしまい、ついには絶望的な気分になる。要するに精神的に追いつめられて。生き続けるのが面倒になってしまうわけだ。そんなわけで自殺が頭をよぎるのだろうか。どうだとしたらどうだというのか。動物的な本能とは何の関係もありはしない。説明がそこで行き詰まり絶望的な気分になる。ならばそこで自殺したくなるわけか。君は何に追いつめられているのだろう。ただの時間的な余裕から見放されているわけだ。やはりそれで何がどうしたとも思えないが、冗談の範囲内なら、作り話の中で誰かが自殺したくなるのも無理はない。実際の誰かはそんな心境からはほど遠いはずだ。一晩眠ったら嘘のような気分になる。昨日のトラブルが嘘のように爽快な気がしてきて、そんな嘘をついても何も動じないようだ。そうやって誰もが老いてゆくのだろうか。どうだとしたらどうだというのか。そこにどんな救いを見いだしたいのだろうか。くだらぬメンツやこだわりを押し通したい者が自殺してしまうわけだ。生き延びて苦痛を味わうことがいやなのか。破滅して自己崩壊を起こす以前に自らが主導で破滅したいのかもしれない。自然の成り行きに逆らって自らが決断を下したいのだろう。自らの死を先取りして、それによって自然に打ち勝ったように感じたいのかもしれない。ならばそれは文明的な病であり、人間として工夫を凝らして、自然を克服したつもりになる方法のたぐいなのではないか。無理心中した者にとっての家族とは自分の所有物なのだろう。事業に行き詰まって一家離散する前に、家族が自分の手を離れて自然の成り行きにゆだねられる前に、自己のコントロール下で決着をつけてしまいたいわけだ。やはりそれはエゴイズムのなせる業に違いない。確かにそういう説明ならそういうことになるが、メドロラマ風に解釈するならば、家族を愛するがあまり、家族の行く末を案じて、不幸な末路に至る前に終わりにしてしまいたいということになるのか。だからそれがどうしたということか。君にとっては何でもないことか。まったく深刻な気分とはなり難い。たぶんそれは人間の行動パターンの一つに数えられる反応に過ぎないか。人には動物として様々な習性があり、その中の一つが一家心中と呼ばれる行動だ。こうなればこうなるという選択肢の中の一つなのだろう。では君はそこからどんな結論を導きだしたつもりになれるのだろうか。そんな文章を後から読み返してみれば、そこに何らかの結論と読み取れる箇所を見つけられるかもしれないが、それがどうしたというのか。たぶん君にとってはどういうことでもなく、そんなことを述べても虚しいだけなのかもしれない。もはや人という言葉から連想される意味や概念自体がくだらなすぎるように思われ、そこに積極的な肯定性を見いだすことは不可能になりつつある。すべてが否定的な意味や概念で構成されている言葉が人間というわけか。冗談で述べているのだろうか。そう思いたければそれでもかまわないが、何となく早朝から何を述べている気にもなれない現状の中で、そこからどうやってやる気になるかが問題となっているような気もしてきて、なんとかその辺で踏みとどまって、その先に希望やら可能性やらを見いだしたいらしく、その後の誰かを乞うご期待ということになれば、自殺などする気にもなれないはずか。3月26日眠気の到来とともに言葉が意識からはなれていく。順序が逆のような気がするが、間違っていてもかまわない。今がその時なのだから、多少の誤りは大目に見てもらいたいか。誰に向かって述べているのでもない。その時とはどんな時なのか。それは過ちを犯す時なのかもしれず、春になるとおかしな行動に出る者が多くなるようだ。何かのきっかけで連鎖的に複数の者がそういう行動に及ぶらしい。冬眠状態の狂気が一気に目覚めたわけか。それは個々の事例における特殊性を無視した見解だ。そういう捉え方はくだらなすぎるか。別に面白ければそれでいいのではないか。面白くなくてもかまわない。また翌日にずれ込んでいるようだ。何をやってもそうなってしまうのだから、それは仕方のないことだ。たぶんここから先は何もない。君は何も語れなくなる。今がそういう状態なのか。実際にはどういう状態でもないが、気まぐれにそういう状態だと思い込んでおこう。そう思うしかないらしく、出口はそんなところから開けてくるのかもしれないが、依然としてそれがどうしたわけでもない。何もおかしくないように思われるだけで、そこからどんな文章につながっていくとも思えない。ただひたすら眠いのであり、それが春特有の季節的な現象なのかもしれないが、やはりそれがどうしたわけでもない。短絡的にどんな結論に至れるはずもなく、現状では何について述べているのでもないらしい。それはいつものことだ。何をどう述べても何が変わるとも思えない。言葉が続かない。それらの文章に何を期待しているわけでもない。現実に何が生成されるわけでもない。要するに君が述べることができるのはそんなことなのだ。その辺で期待はずれになるらしい。だからあきらめて何もない現状を受け入れざるを得なくなる。それではつまらなすぎるか。ならば適当に悪あがきでもすればいい。いったい何が君の目標となるべきなのか。悪あがきとはそういうことなのか。何となくそれは違うような気がする。無駄に言葉を連ねるだけではだめらしい。何も思いつかなくても自然に出てくるものがある。それが文章なのではないか。君にとってはそうなのだろう。それで満足できるならそういうことになるだろう。満足できなければ技巧を凝らしてみるしかないか。それが気に入らなかったらやめればいいのだろうが、一番気に入らないのがやめてしまうことなのではないか。その辺がおかしいのであり、自己矛盾を起こしているのだろう。そこから出口に向かっているはずが、いつの間にか入り口に出てしまう。その道筋を君が記憶しているわけだが、やはりそれがどうしたわけでもない。記憶が君自身を構成している。それらの文章が君なのか。焦点が定まらない、まとめようとする気がないようだ。それでも君は君自身であり続けようとするだろう。君は空疎そのものなのではないか。どんな疑念も虚無に吸い込まれ、答えなど何も返ってこない。応答がない。君はそこで何をねつ造しているのか。ねつ造しているのは君ではなく、誰かがねつ造という言葉を使いたくなっただけのようだ。気まぐれのたぐいだろう。君はいつまで経っても本気になれない。何をやっているふうも装えない。何のつもりもなく、実際に無気力に近づいている。現実を前にして何をイメージすることもできはしない。季節が春であることと無関係とは思えないが、なぜかどうしようもなく大人げない。それが嘘だと思うなら思っていてもかまわないが、そこで何を認めることができないのか。ただ遠回りがしたくなる。まともなことを述べるのが苦手になっている。正論を述べられない。そんなのは昔からそうだろう。言葉が無駄に費やされるのが正常な状態なのだ。そこから抜け出るわけにはいかないらしい。今がそんな流れの最中で言葉を連ねている。今とはいつのことなのか。それが無駄でなければもっともらしい結論に導かれるはずか。そうでないとすると今はいつなのか。少なくとも過去ではない。日付的には昨日だが、今は今でしかなく、冗談の範囲内でも今だ。そんなことを述べているうちに、わざとらしくもわけがわからなくなり、立ち直れなくなってしまうのか。誰の話でもない。笑っている場合でもないらしい。ではなぜそんなに余裕があるのか。君が語ろうとしている未来の今には誰もいない。それがあり得ない時間帯だからか。君には今しかなく、未来などありはしない。そこに言葉が存在しない。意味がないのだから仕方がない。今を語ることに意味を見いだせないようだ。今が特別な時だとは思えず、重要な時だとも思えない。すべてはうやむやに終わってしまうだろうし、そうなって当然のような成り行きになってきているのだろうが、無理なものは無理なのだろう。たぶん犠牲がなければ前進はない。富を得るためには犠牲がつきものだ。その犠牲が得られた富に見合っているかどうかはその時の気分次第か。基準などあってないようなものだ。ならばどうしたらいいかなどという対案はあり得ず、その先には破滅以外はあり得ないのだろうか。君にそれを知る手だてがあるとは思えない。たぶん知らなくてもかまわないのであり、知り得ないことを知る必要はないのだろう。ならばどうしたらいいのだろうか。3月25日今回は何の紆余曲折もなく翌日になってしまう。何かトラブルにでもなったら気晴らしになっただろうか。それで何がわかるわけでもない。空は晴れていて、聴いている曲もいつもの通りだ。だから何について語るはずもなく、今日も至って無内容だ。きっと君とは無関係のどこかで誰かと誰かが闘争を繰り広げているのだろう。それについて何を語ればいいのかわからない。たぶんそれは漫画の中の話に違いない。実際には誰もない。それはこの世界から隔絶した時空間のように感じられ、そこで何が行われているわけではない。その代わりに何かが聞こえてくる。それは歌声のようでもあり、そよ風が梢を揺らしている音のようにも聞こえ、何となく心地よく感じられるようだ。しかしそれで誰が癒されるのか。言葉がひたすら連なっているのを眺めているだけで、それを読んだつもりになれるだろうか。文章はどんな内容に至りたいのか。誰がそれを後押ししているとも感じられない。それが何を意味するとも思えないが、そんな言葉の連なりを利用しながら、誰かがこの社会と闘っているらしい。そんなつもりで何かを述べている。誰かにとってはそれが幻想だとは思えない。君はそこから何を導きだすつもりなのだろう。突然眠気が覚めた理由でも知りたいのか。そんなつまらない理由などいらないか。ならばそこから何を語りかけようとするつもりなのか。状況を見誤っているのかもしれない。この世界の中で貧困が拡大しつつあるとは思えない。投機に使用する目的で無駄な資金が大量に流通しているだけではないのか。目的はマネーゲームをすることでしかなく、それが一時的に石油や穀物相場に流れ込もうと、物価が上がり、一般市民の商品購買意欲が減退するだけだ。それの何が貧困に結びつくのか。君は実際に貧しさに苦しんでいる人の痛みを知ろうとしない。知らなくてもかまわないのかもしれない。たとえ貧富の格差が取り返しのつかぬほど広がろうと、そこにどんな不都合が生じているとも思えないだろう。金持ちは贅沢品を買って、貧乏人は生活必需品を買えばいい。生活必需品すら買えなくなったら飢えて死ぬだけか。死ぬのがいやなら自給自足で食っていくしかないだろう。そうやって貧乏人は自然淘汰の対象になってしまうわけか。たぶん人間が他の野生動物と同じ扱いを受けるようでは、世の中が成り立たなくなってしまうと考えているようだが、野生動物でさえ、絶滅間近になると保護の対象となるように、役所にでも出向いて生活保護申請でもすればいいのだろうが、それさえもなかなか手続きが難しいようで、浮浪者が巷にあふれかえるようにでもなれば、行政が何とかなるように思案するようになるかもしれないが、現状はどのようになっているのだろうか。たぶん現状は現状のままであり、君が見聞した範囲内で見た通り聞いた通りの現状でしかなく、そこから何が導きだされることもないだろう。将来的には金品を介した交換形態が成り立たなくても人が生きてゆけるようになれば、貧困問題は解消されるだろう。たぶんそこで人が何のために生きているのでもないことがわかるわけだ。資本主義が消滅した時点で目的がなくなってしまう。そんな風に思われるのは何かの勘違いに起因しているのかもしれない。ならば芸術とは何なのか。人が自らを自らの作品として作り上げようとすることは何なのか。それが目的なら、それは自意識過剰のなせる業か。現時点での人間は金を得ることが目的であり、金を得るために仕事をして、金を得たら、その金で物や夢を買い、物心ともに豊かな生活を送ることが目的となっているようだが、そんな幻想を支えているのが資本主義なのだろう。冷静になればそれは馬鹿げた制度のように感じられないか。制度内からそんな制度を疑ってみても、制度を変える原動力とはなり難い。ではどうすればいいのだろう。どうもしなくてもかまわない。あきらめて制度を受け入れるべきなのだ。そんな戯言を誰が受け入れると思っているのか。受け入れなければどうなるというのだろう。やはりどうにもならないか。どうやら無駄に言葉を弄するばかりで、君は何を実行する気もないらしい。何をやったらいいのかわからないか。こうして文章を記しているではないか。そういうやり方がすべてを台無しにしている。今さら何を試みても無駄か。何をでっち上げる気にもなれず、結論を下したくないのかもしれない。それはどんな結論になるのだろう。現状とはどうにもならなくなってしまった現状なのか。何の言葉も出てこない。それは現状ではないだろう。いつまでも無駄なことを語っているわけではない。とりあえず誰が豊かになろうと貧しくなろうと、君にとってはどうでもいいことのように思われ、貧富の格差が広がろうと狭まろうと、君には無関係なことだろう。深刻な気分になれないような現実の中で暮らしていて、例えば資産運用やらマネーゲームやらをしている連中がうらやましいとはまったく思わない。意味的には間違っているだろうが、それは虚業のたぐいのように思われ、単なるばくちの一種としか感じられない。彼らは大掛かりなパチプロみたいなものだろう。3月24日たぶんこの先に何が起ころうと、思い知ることは何もないだろう。思い知らされることなどもたかが知れているはずで、それについて何の感慨も抱けないはずだ。何を述べようと、それはただの言葉だ。それから何を連想することもなく、外ではカラスが鳴いている。たぶん今は明け方なのだ。そして時は過ぎ行き、すぐに昼になってしまい、さらに時が経てば夜になる。夜になれば明日に近づくだけか。何もない心理状態を言葉にすればそんなところだ。たぶんその先には何もない。だからそこで終わってしまうわけか。何もなければ何も終わらない。終わらなければ勝手に終われないだろう。そんな居心地の悪さに嫌気がさしてしまう。原因も理由もないのに気が散って、君は何も述べられなくなる。意識はこの世界から飛躍したいのか。たぶんそういう話ではない。日常の出来事はどうということはなく、どこかでありふれた事件が起こっているのもいつもの通りだ。そんな状況から誰も飛躍することなどできはしない。それが世の中なのだから仕方がないか。現実は果てしなく、感知できることはありふれている。そこで何を認識しようとしているのでもなく、何も認識できないわけでもなく、ただそんなことを認識している。それが現状なのだろうか。それの何が現状なのか。何も現状とはいえないのではないか。ならば語っているすべては作り話のたぐいか。そうであったとしてもそれが現状なのだろう。それは大したことではなく、誰かの心が虚無にとらわれているに過ぎないのではないか。そんなのはあり得ない話だろうか。意識がどこかへ逃げているのではないか。語るべきことは何もない。語ろうとしているのはそんなことではないだろうが、実際に誰かが語っている内容は何もない。そして立ち直ることができなくなり、そんな雰囲気に流され、その場を覆っている虚無に飲み込まれ、気がつけば自己嫌悪的な自己言及が果てしなく続いている。君はそんな現状を感知しているらしいが、そこから抜け出ようとして、いつものように君なりの試行錯誤を繰り返して、そんな文章を構成している現状を変えようとしているわけだ。しかし本気ではない。揺るぎようのない信念が君の前に立ちはだかっている。人は何のために生きているのでもなく、誰のために何をしようとしているのでもない。そうは思わないとすれば、そこにはどのようないいわけが現れているのか。君がいいわけをするために何を用意しているとも思えないが、誰かによって用意されているそれは、いいわけをするには何の用もなさないような言葉の連なりだ。誰に向かって何を述べているのでもなく、自らに何を問いかけているのでもない。言い聞かせるべき自己がどこかへ消失している。それについて何とも思わないなら、そこで終わりにすべきなのに、未だにやめようとしない。いったい君はその先に何があると思っているのか。何がどうなることを期待しているのだろう。この世界は変わりようがないとは思わないのか。たぶん変わっていくのだろう。そう思っているうちは変化を感じ取ることができる。君の思惑とは無関係に変化するのだ。たぶんどうにもならないわけはない。いつ何時でも常にどうにかなっているのだ。どうにかなっているから今がある。だから短気を起こして精神的に暴発する必要はない。事件の容疑者になる必要はない。夢をあきらめたら幸せになるだけだ。幸せになればそこで止まってしまう。たぶんどこにも出口はないのだろう。夢など抱いているわけではないと嘘をついておこう。嘘でなくてもかまわない。どんな認識に至りたいのでもなく、何を知ろうとしているわけでもない。何も知り得なくてもかまわない。ただ移動を繰り返していて、そこから見える光景が定まらない。認識や見解が定まりようがなく、考えていることにとりとめがない。誰が何を考えているのかわからないようだ。そんなことを誰が知る必要もないか。それは君に課せられた動作ではない。そこで誰が何を語ろうとしているのでもなく、他に何が語られているのでもない。では何が語られているというのか。それは果てしない問いかけの連続であり、執拗に繰り返される自己言及だ。自己がないのに自己について語ろうとしている。わざと矛盾をもたらそうとしているかのように思えてくるが、それが自然の成り行きなのだとしたら、この世界はどうなっているのだろうか。どうにかなっていると同時にどうにもなっていないのかもしれず、そこには様々な思惑が渦巻いていて、常に誰かが何かをどうにかしようとしていて、そこに感情が作用してうんざりさせるような結果がもたらされる。意地の張り合いという消耗戦が至る所で行われているわけだ。まったく馬鹿げているとしか思えないが、それが人間社会という構造がもたらす宿命のようにも感じられ、どうやらそれをさけて通ることはできないようだ。そしてそんなくだらぬ闘争に明け暮れているうちに年老いて、誰かの一生はその幕が閉じられてしまうのだろう。そんなことが延々と繰り返されているのが人類の歴史そのものなのだろうか。いったいそこから何を学ばなければならないのか。仮に何かを学んだとしても、それが戦略だの戦術だのに応用されて、相対的に他者より戦上手になるだけのような気がするだけか。3月23日なぜか何かが重くなる。再起動したら解消してしまったようだが、さっきまでの重さは何だったのだろうか。何でもないことであってほしいが、とりあえず忘れることにしよう。すでにそれから半日が経っている。翌日は雨が降っているようだ。相変わらず君は仕事に追われている。休日がないのだから仕方がない。曇った空を鳥が横切り、君をとりとめのない気分にさせる。君が君でないとしたら、この世界について何を思うだろう。何も感じないなら、自らが存在する意味がないか。意味がないのは望むところか。勘違いにもほどがある。誰かが宗教を利用して覚醒しようとしているらしい。彼によればこの世界は終わろうとしているそうだ。君はその末法思想に踊らされ、自暴自棄になったふりをしながら、何でもできるような錯覚を抱き、気晴らしのために人でも殺めてしまうわけか。そういう理由ではない。作り話的にはもっとわかりやすい理由が推奨される。人を殺すための理由など何でもかまわないのだろう。理由をあれこれ思案しているうちに、そんなことはどうでもよくなってしまうだろう。今の君は眠らなければならず、気がつけば目の焦点が合っていない。たぶん損得勘定だけで世界を説明しようとすれば、わかりやすく単純な構図が浮かび上がってくるのかもしれないが、他に何を考慮すればいいのかわからないところが、それらの説明を多用してしまう結果に陥らせているようだ。いったい君にはそれに代わる説明を持ち合わせている雰囲気が感じられるだろうか。何を回りくどいことを述べているのか。そこに無意識の介在でも導入したいのか。何となく説明できない何かに操られている可能性があるのかもしれないが、それが何なのかわかろうとしてかまわないのだろうか。かまうもかまわないも、それができると思うならやってみたらいいだけの話でしかないはずだ。できなければ他の誰かが君にわからせることでも期待すべきなのか。他に何を望んでいるのだろう。たぶんそれは何もできないことのいいわけになりそうだ。何も語れず、次第に何も述べられなくなる。やる気がそこで萎縮している。ならばそこで終わってしまうわけか。何が終わっているのだろうか。楽しい思い出に囲まれて、やがてどこか遠いところへ旅立ってしまうのか。安易な解決法をとるべきではない。誰が何を悩んでいるのかわからず、それについて何を述べたらいいのかわからないところが悩ましいか。そういうやり方も好ましくないらしい。今こそ真正面から問題に取り組み、誰にも理解可能な回答を提示できるように努力すべきか。冗談でそんなことを述べているだけではらちがあかない。しかしある意味ではそれでかまわないのかもしれない。誰もが気晴らしのための悪戦苦闘を期待しているはずだ。目標に向かってひたむきに努力する姿を見ていると気晴らしになるのかもしれず、そんなテレビ番組が今日もどこかで放送されているはずか。たとえ紋切り型の内容であろうと、そういう内容だからこそ逆に安心できるわけか。しかし今さらそれを馬鹿にしても仕方がない。今や誰もがこの荒んだ世の中を真っ当なあるべき姿に向けて変えようと思っているはずか。もしかしたらそれも冗談に含まれる言説か。皮肉ばかりではうんざりしてしまう。そんなことを述べているうちに最終的な回答期限を過ぎてしまったらしく、あらゆる方向からの一斉攻撃にさらされてしまうわけでもあるまい。何を馬鹿なことを妄想しているのか。まったく自己嫌悪に陥るための自己さえ見当たらず、何もなければ何も考えられないだろう。何もない状況を如何ともし難く、そんな嘘をどうすることもできないようで、そうやって言葉を連ねている現状を変えるわけにはいかないらしい。理由など何もないとすかさず嘘をつく。それ以上の何を求めたらいいのか。求められないから現状があるようだ。たぶん内容的には単純なことを述べているのだろう。ぐだぐだいいわけに終始しているだけのように感じられ、それに対する嫌悪感で不快な思いをしているのかもしれず、何のことはない、そんなことをひたすら連ねているに過ぎないように思われてしまう。まだそこから遠ざかれていないようだ。他にどんな感覚を有しているわけでもないが、そんなところで立ち止まって何をしようとしているのか。もう述べるべきことはすべて述べてしまったのではないか。他に何があるのだろう。何がどうなっているわけでもなく、それは自然な成り行きなのかもしれない。ただ感情の赴くままに行動していると、テレビに映っている容疑者の彼のようになってしまう。たわいないことでしかないが、それで人命が失われると大騒ぎになるわけだ。メディアはそこで何を追求しようとしているのか。犯罪を防げなかった警察の失態を責めているだけか。それだけなら予定調和の範囲内だ。たぶんそんなことの繰り返しが誰かの感覚を麻痺させているのであり、大方その手の殺人ゲームが彼をそのような安易な行動に走らせたという結論にでもたどり着いてしまうのかもしれず、日頃からたまっていた不満が爆発して、そういう行為に及んでしまうハードルを低くしているのが、彼が以前から熱中していたゲームのたぐいにでもなるわけか。3月22日たぶん意識は今日に舞い戻っているのだろう。そしていつものように何もないことに気づき、大して落胆するでもなく、何となく眠くなりながらも、こうして言葉を記している。そしてわかったようなわからないような、本当のことのような、あるいは偽りを述べているような気になり、次第にどうでもよくなってきて、投げやりな気分でいる誰かの存在を無視しつつ、ついでに君の意識もなかったようなつもりになりながらも、結局何を述べているのでもないらしい。どうということはないことだ。そんなことはどうでもいいということか。だが他に何について述べる気もないようで、ひたすら無意味な言葉を無駄に連ねようとする。芸術とは何だろう。誰に向かって何を示そうとしているのか。そこで何を眺めているのか。見るべきものは何もない。単調な成り行きになっている。何かが果てしなく繰り返されているような気がする。感じ取っている現象は君には理解できない。何がどうなっているのかわからず、それについて何をどう述べたらいいのかわからない。そして明日になる。もう一夜明けてしまったらしい。調子を崩している。何かに取り憑かれたように何をやっているわけではないと思いたいが、他にどのような状況に遭遇しているわけでもなく、出来事は至っていつも通りに起こる。たぶんどこへ至っているのでもないのだろう。翌日の空は晴れている。予報では西から雨雲が迫っているらしいが、とりあえず一日晴れているのだろう。出口はない。そんなことしか述べられない状況に変わりはないようだが、つまらないと思ってしまったらそこで終わりか。終わりようがない状況で終われるはずもない。君はそこで何をやっているのだろう。誰かが幻想と戯れている。攻撃的な本能をちらつかせながら、なんとかその場を取り繕うつもりらしいが、何のことやらさっぱりわからない。曲がったことが嫌いらしい。それは人間的な弱さの顕われか。しかし何について語ろうとしているのかわからない。人はどうすれば何か適当なことを語ることができるのだろうか。人のことを語ろうとしているわけではない。何か事件が起きないと語ることができないらしく、人々は絶えず容疑者の出現を待ち望んでいる。そんな風にして物事を単純化してはいけないか。この世は浅はかな人々ともに存在しているわけか。要するに何かしら気に入らないことがあることが、語るための原動力となっているわけか。ではチベットの人たちは何に対して抗議しているのだろうか。彼らは中国の国内で虐げられているわけか。その辺で架空の議論が噛み合なくなる。なぜこの世界では民族単位で虐げられたりしているのだろうか。また宗教や宗派の違いで殺し合いをしたりしているのか。たぶん幻想なのだろう。他にはけ口がないから、文化の違いに目がいったりしているわけだ。心が満たされたないから自己同一性の理由へ向かったりする。要するに君たちは仲間を必要としているわけだ。似た者同士で共同体を構成して、グローバリズムに対抗しようとしているわけだ。それである程度は満たされるのだろう。時と場合によっては命がけになれたりすることができる。それはすばらしいことだろうか。当人たちにとってはすばらしいことに違いない。だがそれ以上にすばらしいことは金儲けに成功することだ。経済的に豊かな暮らしができれば民族的もしくは宗教的な結束など後回しにできるだろうか。そう安易に事が進まないところがややこしいところか。彼らはそれらの結束を利用して金儲けをしようとしているのではないか。自分だけではなく自分たちの仲間も豊かになってほしいと思っているのだろう。そのためにはさらに仲間同士の結束を強めて、異教徒や異民族に立ち向かわなければならなくなる。立ち向かうとは何も殺し合いをするためにそうするだけではないだろう。彼ら相手に商売をして金儲けをしなければならないということか。彼らの命を奪うのではなく、金を奪い富を奪わなければならず、商売によって合法的に事を進める必要があり、それは何も敵対関係になる必要はなく、相手を喜んで金を払ってくれるお客様としてもてなす必要も出てくる。そこから暴力的な収奪ではなく、共存共栄のあり方を模索する必要が出てくるのだろう。相手と物心両面で様々な関係を築くことで、不幸な暴力の応酬から徐々に脱却していかなければならないのだろうが、そういう方向で行くなら、あからさまな差異を強調するのは得策ではない。たぶん人々はたわいないことに執拗なこだわりを持ち、そこから幻想としての差異を際立たせ、自分たちの存在をの特異性を誇示したくなるものだ。そこに個性と呼ばれる愚かな概念が生じてしまうのだろう。そして自己同一性の根拠としての個性にすがりつき、それによって他者に対する優越性を感じていたいのだ。そんな優越感に浸っている間は幸せなのだ。たとえ今は貧しくとも不幸であっても、自分たちは神に選ばれた民族なのだ、などということになるのだろうか。しかしそんな単純な構図を提示して恥ずかしくないのか。いったい誰に対して何を述べているつもりなのか。どうやらその辺が思考力の限界らしい。3月21日何のことやらわからない。たぶんわかっているのだろうがわからない。わからないということにしておきたいのかもしれない。わかってしまうことが気に入らないのだろうか。簡単にわかってしまってはまずいわけか。近頃は終わってしまった後の日々のようだ。簡単に終わりを通り越している。そして今日はなぜか異常に眠い。そこにもっともらしい謎があるわけではないが、理由ぐらいは提示すべきか。もっともらしくなくてもかまわない。そんなことを記しているうちに、何となく指先がしびれているような気がする。何を書いているのでもないのに、心なしか文字が揺れているように見える。君は何に驚いているのだろうか。あるいは呆れているのだろうか。また誰かが意味がわからないようなことを述べているのか。だが笑ってしまうにはまだ早いだろう。まだ何も起こっていない。いったいそれは何を意味するのか。言葉を記せば何が起こるのか。言葉の連なりは何かに影響を受けている。君はそこで何を忘れてしまったのか。忘れているから思い出せない。そんなことを述べているうちに眠ってしまい、どうやら本格的に一日遅れの状況になってしまったらしいが、運命は誰の手にゆだねられているわけでもないようだ。それは誰の運命でもなく、誰がどのような宿命にとらわれているわけでもないだろう。そこで何を試みようと、すべてはなるようにしかならず、そこから脱却すべく変革を試みようとすれば、どうにもならないような抵抗に遭って、やりきれなくなって怠惰に屈するよりほかはないか。そうであるならなおのことを言葉を連ねるべきだ。出口が見えずに心を閉ざしている場合ではない。しかしそれはいつの話なのか。そのとき君はどう振る舞っていたのか。何かから逃げ出そうとしていたのかもしれず、逃げ切れなくなって、あらがうのをやめてしまったのかもしれない。だが今となってはどうでもいいことか。あれから簡単に年月が流れた。そのとき何があったわけでもなく、そんなことは忘れてしまったのかもしれない。忘れようとしても忘れられないことなど何もない。だが何を忘れてしまったのか。空を見上げてあくびをしても何も思い出せない。それがどうしたわけでもないところが、何も考えられない原因となっているのかもしれない。何の危機感も感じられず、そんなわけでもう終わってしまったようだ。いったい何が終わってしまったのか。まともな言葉の連なりを示そうとして、それが果たせなかったことを悔いているとも思えず、さらに何を語ろうとしているのでもなく、その時点で終わっているのだろう。そして呆れている。まだ何か語るべきことがあるのか。批判すべき要素がない。だから退屈なのだ。退屈な世界で何もやらないからさらに退屈になる。文字を記しているではないか。それが退屈な作業の最たるものか。人は人それぞれに退屈な空間を有している。そんなでたらめもくだらない。では他に何がくだらないのだろう。この世もあの世も退屈か。さらなるでたらめに心が沈んでいく。他に何が浮き沈んでいるとも思えないが、まったく気分転換にもなりはしない。そんなわけで今回の行き詰まりの根は相当深いのかもしれず、未だその時間帯を脱していないようだ。抜け出るタイミングがまったくつかめず、気がつけばあくびをしながら画面とにらめっこの最中だ。ひたすらそんな状況なのだからどうしようもない。そんな状態で人はなぜ幸せになれるのか。そういう問い自体がでたらめだ。実際は何もやっていないわけではないはずで、毎日仕事に明け暮れている。そして夜になって、憂鬱な音楽を聴きながら何を述べているわけでもなく、ただ言葉を連ねようとしているわけだ。そういう感覚がわからない。君には何もわかっていないようだ。そんな現状に退屈しているなら、何か危険なかけにでも出てみたらいい。破滅を体験したいのだろうか。すでに破滅していたのではなかったか。破滅していて終わっているのに、なぜそこから何かをやろうとしているのか。すべては冗談なのだから仕方ない。いつものようにまったく本気になれないのだろうか。ひたすら雑なことを述べているようだ。背後でうごめいている何かには目もくれず、延々と言葉を並べてそれを少し離れて眺めている。そうやって現実を感じ取っているつもりのようだ。何もない現実なのだろうか。何もなくても何かがあるはずだ。だがそれを探してどうするのか。探せば何かが出てくる。その何かを記せば文章が出来上がる。それは安易なやり方だろうか。そうだとしたらどうするのか。君は何もないことを楽しんでいる。この期に及んで下手な小細工は通用しない。通用しないからだめになり、何がだめなのかを探ろうとするが、そんなのは見え透いた予定調和のやり方だ。しかしそれが面白い。そんなでたらめなことを述べている誰かが気が狂うでもなく、淡々とした毎日を過ごしているだけで、至って平和な日常に何を感じることもなく、ただひたすら時が過ぎ去っていくだけのように思われ、そんな日々が退屈に感じられ、そこで同じような言葉が循環していることを何とも思わず、そして自らが何かを見いだしていることを文章の中で確かめようとしているわけだ。ひたすらそうなのだから仕方がない。3月20日言葉と言葉の間に空隙がある。あれから五年が経ったそうだ。今も手詰まり状態に変わりはない。無意識がそうさせるのだろうか。何となく衰えているようだ。研ぎすまされた感性とは無縁だ。またいつもの冗談に逃げている。君は何を考えているのだろう。何も考えられないのかもしれない。言葉は何を語っているのだろう。それは言葉ではない。ではなぜ終わってしまったのだろう。何が終わってしまったのか明らかでない。気がつけば天井がぐるぐる回っている。どこかで誰かがうずくまっているらしい。妄想の始まりをつかみ損ねている。誰の悪意を感じているわけではない。でたらめな言葉のつながりは何かの端緒なのだろう。それが終わりの始まりを意味している。うずくまっているだけでは何も始まらない。もう眠気は去ったのだろうか。瞬く間に時間が過ぎ去り、今日の終わりも通り過ぎようとしている。隠された物語などどこにもありはしない。そこはただの墓場だ。骨が転がっている。何もかもがあっけなく過ぎ去ってしまい、いささか拍子抜けの感を免れ得ないが、そんな言葉遣いはおかしいか。それが現実なのだろう。以前とは感じ方が違っているのかもしれない。どんな出来事にも希望を見いだせない。何かがおかしいが、その何かをどう表現したらいいのかわからない。枯葉舞う季節からどれほど遠ざかったのか。そういうことではないだろう。今は秋ではない。この文章が季節のことを述べているとは思えない。今は十三年後の未来なのか。現実が崩れ去ってから久しい。奇をてらっているみたいだ。闇の中から光景を眺めている。あり得ないことだ。外れているのだろう。何が外れているのでもなく、何かが外れているのだろう。単なる矛盾か。話の本筋が見当たらないから、本筋から外れて語っているのでもない。お茶をすすりながら、画面を眺め続け、近眼であると錯覚する。あり得ないつまらなさだ。君の感性は怠惰から解き放たれて、何を述べても退屈に感じられなくなる。そんなことを述べている場合ではない。何を述べても現実から遠ざかり、その先に話を構成できなくなる。それは無駄な試みになるらしい。君にとってはそうなのだろう。たぶん誰にとってもわけがわからない。君は孤独なのか。かつてのそんな台詞を思い出すが、君はその先の言葉を知らない。そこに居合わせていなかった者にはわからない。実際にそれが何を意味するとも思えない。ありふれたことを述べているのだろう。話など何もなかった。その時点で語るきっかけを失っている。そんなに長い期間ではなかったようにも思えるのだが、誰もが過ぎ去っていることは確かだ。くだらぬ感情とこだわりによって過去の人となってしまったわけか。他に何を持ち合わせていたというのか。何をやっているとも思えないのはどういうことか。それは疑念ではない。では何なのだろう。笑うための言葉か。誰のための言葉でもない。さりげなく言葉をずらしているつもりらしいが、魂胆が見え透いている。どんな魂胆なのだろう。何が魂胆なのか示してみたら面白いだろうか。そんなものなどありはしない。ただそう述べてみただけか。それでもかまわないだろう。夜は誰のための時間でもない。理由になっていない気がするが、理由とは無縁なのかもしれず、答えを出すのが面倒くさいのであり、何かを置き忘れたままでは終わりたくないのかもしれない。君は未だに内容を求めている。だが今さらやり直しがきくとは思えない。できることといえば、その先に言葉を連ねるだけか。何をわかろうとしているのではなく、何がわからないのかを知ろうとしているのでもない。知り得ないことを確かめたいのでもない。何を述べても実感が伴わず、誰が語っているのでもないように思われ、まったく本気になれないのはもちろんのこと、それを誰に向かって述べているとも思えない。そういうやり方が積み重なって今の状況がある。それを知り得ただけでも以前より進歩したということか。何が進歩したというのか。たぶん何かが進歩したのだろう。そういうことにしておこう。本当はそうではないのだろうが、何となく気が抜けているようだ。気が抜けてしまって、何を述べようとしていたのか忘れてしまったらしいが、そんなのは嘘に決まっているか。気がつけば意味のない独白だらけになっている。何が気に入らないのだろう。すぐ笑う理由を知りたいのだろうか。せせこましいのは嫌いなのだろうか。当てにならないことを気にしすぎているのかもしれない。何について言葉が示そうとしているのかわからない。無意識がそうさせるのかもしれないが、今日は何もかもが外れているようなので、ついでに意識も無意識も外れて、言葉も文章から外れて、何を示しているのでもないような成り行きを目指しているのだろうか。それがどういうことなのかわかるわけがないような言葉の連なりになっているのかもしれない。だからそれはどういうことなのか。やはりわけがわからないと述べておけばいいのだろうか。ただ笑っているだけでは何もわからない。たぶん何について述べているのでもないのだろう。今日は笑っているだけで終わっている。3月19日どのように述べても納得し難い。空は曇っていて、すぐに雨が降ってくるかもしれない。もう夜になっている。その時から数時間が経過しているが、その時とはどんな時でもない。任意の時なのだろう。何がわからないのかまったくわからなくなるが、とりあえず今は夜なのだろう。何に気づいたわけでもない。屋根をたたく雨音によって我にかえったような気がする。誰が正気を取り戻したわけでもない。そういう語り方なのだから仕方がない。記憶に残っている何かがその場でのこだわりを生じさせる。不可能なことではない。敏感なのだろうか。君はそれに気づいている。頭の中に何かが到来している。そんな気がするだけか。なぜそれを見ようとしないのか。今が今日なのだろう。ゲームのたぐいだ。行き詰まる攻防の果てに電源を切る。機械としての機能が失われ、ただの物質と化す。根回しが足りなかったのだろうか。誰かが言いたかったのはそんなことではない。そこで意識が飛んで辺り一面に言葉が散らばり、部屋の中に埃が舞っているようだ。大事なことを忘れていたのかもしれず、それについて考えることを怠っていたらしい。もう焦る必要はなさそうだ。見えている光景を閉ざすように寝入ってしまう。安心しきっているらしい。たぶん夢の中で飛躍しているのだろう。理由も根拠もありはしない。何かが途切れているのかもしれない。君には関係のないことか。関係の有無にかかわらず、誰にとっても由々しき問題とはならない。人心が離れてしまっているのだろう。人類に未来などなく、ただ右往左往するばかりのようだ。なぜそうなってしまうのかわからないか。君にもわからない。誰にもわからないのだから君にも誰にもわからないだろう。それとは何なのか。それでなければならない理由などありはしない。そういう文章なのだから、そう記している現状がある。それで何がわかるというのか。何かが変容しつつある。それは結果ではなく、感性の賜物でもない。要するにでたらめなのか。何もないと言ったら嘘になるだろうか。誰も何も言わず、一言も発しないだろう。沈黙が辺りを支配する。範囲が定まっていないのだ。それはゲームではない。何を待っているとも思えない。何かが静かに舞い降りているようだ。依然として雨音を聴いている。それが音楽だとは思えない。雨が降り続いているだけか。やむことがあるのだろうか。いつかはやむだろう。延々と降っていたら地上が水没してしまうだろうか。想像の範囲内ならそれもあり得るだろう。今はそんなことを思っているわけではない。ドラマの中の登場人物には役割がある。現実の世界では必ずしもそうとは言い切れないか。役割を当てはめることはできる。それは恣意的な試みになるだろうか。心の中で空想を膨らましているようだ。それが何かの文章に反映することもあるだろう。君がそれを記しているわけではない。君に役割が備わっているのか。それはどんな疑念なのか。一息ついている場合ではないか。でたらめな言葉の中に埋もれている心を引っ張りだすわけにはいかないか。現実感が何もない。君ではないのだろう。誰も君ではない。ただの雰囲気だろう。ただの言葉でしかない。誰にも巡り会えない。映像に誰かの影が埋もれている。それは心ではなかったようだ。では何がそれらの言葉を支えているのか。でたらめな言葉だ。秩序らしきものが崩壊している。誰かがそれを知っているはずだ。理解するための鍵を探している。鍵が必要だと思っているようだ。勘違いも甚だしい。著しく本道を外れている。遠ざかってみても景色はかわらない。どこから遠ざかろうとしているのか。道がどこにあるとも思えない。何に遭遇しているわけでもない。実際には夜のようだ。意味がわからない。いったい何を考えているのか。まだ文章は終わっていない。明日も雨なのだろうか。そこから何を捨て去ろうとしているのだろう。ギミックに浮かれている場合ではない。何かが明日に引き継がれようとしている。誰かは目的を探しているのかもしれない。さらに言葉が遅れて出てくる。つながらない文章に腹を立てているようだ。率直に驚いている。実感としてはそうかもしれず、誰の実感とも思えないが、そうなのだろう。実際には狭い選択範囲の中で何かを選び、それに関連した何かを記しているような気がする。何もかもがあやふやなのかもしれない。君が追い求めているのはそんな現象ではない。嘘をつくのもいい加減にしてほしいか。何が嘘なのだろう。冗談で真実の扉を開く鍵を握っているのだろうか。いつもの苦し紛れか。何がなんだかわからないが、たまにはそういう展開もアリか。片目を瞑ってみればすべてがわかることだ。要するにでたらめなことを述べている。そんなことははじめからわかっていることか。君に知らせるつもりはない。わからないことを知らせようとしている。酔っているのかもしれない。やけくそというわけでもないだろう。まだ明日まで時間はたっぷりある。どうしても続けようというのなら、そのままでたらめなことを語っていてかまわないはずだが、なぜかその辺で一区切りをつけてもかまわないようなタイミングだ。だからどうだと言いたいのか。3月18日翌朝はとりあえず晴れていた。そこにどのような気休めを見いだそうとしているわけではないが、とりあえず空は晴れている。君の気分とは裏腹というわけでもない。ただの風景を眺めながら何を思うこともなく、余裕を持って辺りを見回しながら、とりあえず適当に何かを思ってもかまわないのだが、思わないわけではない。それはいつもの冗談に違いない。近頃は何が冗談なのか判然としないようだ。周りを取り囲む状況に負けているのかもしれないが、それでかまわないと思っているだけか。当分はそんな状況なのだろう。何を説明しているわけではない。それは誰にとっても関係のない状況だ。ただ空が晴れていて、晴れた空の下で気が狂った人々が右往左往しているわけでもなく、人々が普通に暮らしているのだろう。想像力が枯渇しているのかもしれないが、石油の枯渇よりは深刻でない。要するに君には関係がないようだ。そしてくだらぬことを思いつく。そしてが余分だろうか。次いでつまらぬことを心配しているようだ。切羽詰まっていないのでやる気が感じられない。何かを使い果たした気分だろうか。寝不足で疲れているのかもしれないが、君に何がわかるわけでもない。相変わらず空気中に花粉が舞っているようで、目の周りがかゆくなり、よく見れば空は薄曇りの様相を呈しているようだ。季節は春になってしまったのだろう。平和なのだ。それが実感できるほど平和だ。苦境に喘いでいるとは思えないが、荒廃した気分なのかもしれず、他に何ももたらせないことからくる焦りをそのまま放置して、それについては何とも思わないが、とりあえず紛争地域で暮らしているわけではないので、無意識の中ではとりあえず平和らしい。そして今日も仕事に励もうとしている。テロや暴動が相次ぐ地域で暮らす人にとっての平和とはいかなるものなのか。平和すぎてもうろくしてしまったのかもしれないが、そんな贅沢な悩みなどあり得ないか。どこで何をやっていようと、人々は絶えず不幸であり続ける。現状に満足できないというわけだ。何でもありの世界の中で、何もないという苦しみに耐えているのは不幸なことだが、一方でそれでかまわないと思われるのはどういうことなのか。どんな精神状態であろうと、そんな風にして生きている現状に変わりはなく、それと同時にどんな風に生きているとも思われず、ただそこに意識も興味もないと思われてしまう。もしかしたらそれこそがなんでもありの世界の本質なのではないか。何でもありとは何をやっても無駄ということかもしれない。何かがあると同時に何もないのであって、いくらでもあるからそれらに興味を抱けないということだ。たとえ希少価値を伴った物事があろうとなかろうと、希少価値という概念とそれに対する人々の対応や反応がありふれているのであり、物質的も精神的にもそんなのはどうでもいいことやものだ。価格的に高かったり安かったり、それらの入手が容易であったり困難を極めたりするだけのことで、何ら驚嘆すべき要素が見当たらず、また何に驚嘆しようとどうしようと、それらの驚嘆が長続きするはずもなく、メディアによって消費され尽くせば、ただの粗大ゴミと化すだけだ。そうやって何かを否定的にとらえようとする視点そのものがありふれていて、まったく何をどう述べようと、そんな説明が繰り返されているだけで、それを真に受ける気力もなく、怠惰な忘却作用が時の経過とともにすべてを押し流してしまうだろう。何を否定しようと、それらをいくらでも否定できる限りにおいて、それらに対する否定は無効なのだ。そして無効であるとか有効であるとかいう意味的な効力を超えて、何かについて述べざるを得なくなり、無駄で無意味だと思いつつも、それについて語らざるを得なくなり、語っていること自体が現実からもたらされた作用そのもののような気がしてくるのだが、それに逆らってひたすら沈黙を守ろうとしても、今度はそれらの沈黙自体が現実によってもたらされた作用と思われ、どうあがいてもそれらの現実の中に自意識がつなぎ止められている現状をどうすることもできなくなる。そんなわけで誰かがそこで挫折しているのかもしれないが、それがどうしたわけでもなく、同時にどうもしないわけでもなく、ただそんな成り行きの中で言葉が連なって記され、それを読んだ他の者のまぶたを重くさせ、居眠りに導いているのかもしれないが、やはりそれがどうしたわけでもない。君は君で何とかその先に言葉を記さなければならなくなり、それらの文章は居眠りの最中の誰かの肩を揺り動かすこともなく、ひたすら連なってゆくのだろうか。しかし何をそんながんばっているのか。馬鹿らしいと思うならやめてしまえばいいことでしかないが、なぜか未来において交わされる予定の架空の約束を果たさなければならず、それに向かって少しでも先に言葉を連ねなければならず、そんな強迫観念を利用しつつも、心の中では予定調和の響きを思い出し、それに照らし合わせて判断を下したいところだが、今は言葉を弄するのに手一杯で、とても冷静な判断を下せるとは思えず、何かを先延ばしにして、それに寄りかかりつつ言葉を連ねている現状があるらしい。3月17日時間に関する戯れ言にはとりとめがない。そんなことを述べているうちに、たぶん明日になってしまうだろう。今は今日だが、数時間後は明日に違いない。終わる頃には明日になっていて、その時は今日なのだ。それは誰の時間でもなく、誰の言葉を介して時間が進行しているわけでもなく、ただ過ぎ行く時間を感じているうちに、時が経っていることに気づくだけか。何も感じなければ時が経っていることも感じないか。だからどうだというわけでもないが、何となく鬱陶しい状況でも経験すれば、そのとき時間が早く経ってほしいと願っているかもしれない。今は戯れ言のたぐいで時間稼ぎの最中か。いくら時間稼ぎをしたところで何を思いつくこともない。チベットでは暴動が起こり多数の死傷者が出ているそうだ。来月になれば暫定税率の一時的な失効によってガソリンの価格が安くなるのだろうか。君は何に一喜一憂しているわけではない。世界的に政治も経済も行き詰まっているようだが、それが憂うべき事態だとは思えない。どうやらこの世界は魅惑のワンダーランドからはほど遠いようだ。映画の中ではそうかもしれないが、それを見ているだけでは体験したことにはならないのだろう。映画の中に入り込んで役を演じている俳優などは仕事でやっていることでしかない。それによって多額の出演料が入ろうと、何かの賞をもらおうと、それはそれでそういうことでしかないだろう。見ている側も演じている側も、現実の中で何かを得ているだけか。しかしそれ以外に何があるというのか。例えばチベットで殺された者と、ガザで殺された者との間に何があるというのか。君はそこに何を見いだしたいのか。興味がないと言ったら嘘になるだろうか。たぶん興味がないのだろう。他人の反発を買いたいわけではないが、とりあえずは興味がない。興味のある話題を探すのが面倒くさいのかもしれない。チャンネルを切り替えればサッカーの試合が行われている。たぶんそういう話ではないのだろう。音楽を聴きながらテレビを見ているだけでは、人として最低限使うべきまともな言動から逸脱するだけか。本当にそうなってしまえば楽しいだろう。言葉を弄して何かの深淵に行き着くことなどあり得ないか。ならば何のための文章なのか。ただの暇つぶしでやっていることではなさそうか。何かの妄想が君の周りを取り巻いているわけでもない。今は電車の中でキーボードを叩いて、それなりに言葉を記しているはずだが、そこにどんな理由を見いだしたいのか。架空の時空では、君がどこかへ行ってしまっているのかもしれない。おかしな言語表現を多用する気にはなれず、君の機嫌を損ねてしまったわけか。そういう言葉のつなぎ方が不自然でおかしいと思われる。馬鹿げているのはもとからそうなのだから、その辺に自由があるとすれば、心の裏側に何かの荒野が広がっていると見なしても、たとえそれがおかしかろうと、それなりにしっくりくる情景に出会えたような気がするのだが、それらの荒野には人影がない。それは説明を要するようなことか。何が見いだされているとも思えず、言葉以外の何が記されているわけでもない。しかし絵の具の乗りが薄い。ただの意味不明に陥ってもかまわないから、暴動を武力で鎮圧した中国政府でも非難してみたらどうか。心情的に許されないとか述べてみたら、それなりにそれ風の言説が出来上がりそうだが、そんなことをやって何になるというのか。とりあえず人は賢くあるべきではないようだ。ただ携帯端末を眺めつつ、メールチェックかゲームで暇つぶしでもやるべきなのか。しかし何が賢さの尺度や基準となるべきなのか、その辺が判然とせず、何となく時流に押し流されているふりを装いつつも、それが何を意味するとも思えず、意図や思惑を超えて、怠惰で優柔不断でその後にそれ風の言葉をいくら連ねようと、そんなことは問題とはならないようで、その先に何を述べても、誰かの本心からはかけ離れているように思われるが、それでもまだ言葉を連ねようとすれば、それは何を意味することも二ならず、そこからどんな意図が導きだされることもないだろう。それは誰の意識から出てきた文章でもない。何かのきっかけを取り逃がしているようだ。ふとそんなことを思いついて、急いで軌道修正や方向転換の用意をしているのは誰でもなく、何を模索しようと、それは誰の意思の反映だと見なすこともできない。まだ君には余裕があるのだろうか。だいぶ座席が窮屈になってきたようだ。首の曲がった顔を眺めながら、何を思っているわけでもない。あくびが出てくるだけか。夜はまだ長いようだ。明日までには時間がある。そして明日になったからといって何が起こるわけでもない。何も起こらなければ何も思わないだろう。そんなことの繰り返しが日常を構成しいているのであり、そこで何が起ころうと、何ら目新しくも興味深い何かではない。それが何でもないからこそこの世界が持続しているわけで、そこで何かが起こったとしたら、それは作り話の中での出来事となるだろう。そうやって絶えず期待はずれをもたらすのがこの世界の本質なのかもしれない。3月16日久しぶりに昨日の出来事になってしまったようだが、その出来事の中身を語ることができない。忘れてしまったわけでも思い出せないわけでもない。ただ面倒くさいだけなら、言葉を連ねる必要などありはしないだろう。人はなぜ水を必要とするのだろう。水がなければ生きてゆけないが、ありすぎるのも困ったことか。それと同様ではないだろうが、人はなぜ言葉を必要とするのか。語る必要のないことまで語る必要はない。では必要なこととは何なのか。テレビではまた誰かが謎解きゲームの最中だ。それに興じる必要のない君には興味のない話か。映画の中では誰かが逃げ回っているようで、それを追いかける人々とハラハラドキドキのカーチェイスの最中だ。自ら体験したこともないくせに、ありふれた映像に何の感慨も抱けない。だからその後のことは誰にもわからない。たぶん映像の中の誰かはどこかでどうにかなったのだろう。一応はそういう話は時間がくれば完結してくれる。それを見ていた君と映像の中の誰かとの間に何か特別な関係はなく、それについては何の反応も示さないから、君はどうにもならない。君は何も示せない。そこで語る理由がない。それでどうしたわけでもなく、どうもしないからそこには誰も存在しない。実質的には何を語っているわけでもなく、その代わりにどこかの時空で他の誰かが存在しているようだが、他に何が存在しているわけではない。他とは何なのか。それではわけもなく意味不明か。君はそれでかまわないのだろうが、誰かの気持ちの中では何かが薄められている。だがやる気がしないのは今に始まったことではない。どこかで何かが切れているのだろう。誰かの意識がそこでこう着状態になっていて、記しつつある文章の中で何かがひたすら停滞している。そんなことを記しているうちに指先がしびれてきて、それ以降は心が動かなくなる。それは興味がないのとどう違うのか。ならば文章はそんなところで終わってしまうのか。終わってしまうには理由が必要か。この場合理由とはこじつけのたぐいか。何をこじつけようとしているのか。この世界に興味がないから終わってしまうのだろうか。何が終わろうと、それとは別の何かがどこかで起こっている。どうせ君には関係のない事件だろう。少し声がかれているようで、たまらず水分を補給する。そんな嘘を積み重ねているうちに、何か興味を引く話題でも見つかったか。誰かの言葉はどこまでも分散していて、他に何が見つかったわけでもない。誰かが井戸の中を覗き込んだら底に水がなかった。当てが外れたらしく、何も見いだせずにさっさと退散する。井戸には興味がないが、机の上を片付けられなくなる。床にはペットボトルが散乱している。気がつけば音楽が延々と鳴っている。まったく興味がない。誰かのライブ演奏なのだろう。花粉症なのかもしれない。今さらそれはないか。猜疑心と虚栄心のどちらを選ぶべきなのか。冗談でそんなことを述べているのだろう。そこから先へ言葉がつながってゆかないらしい。意識はそこから遥か後ろへ退いている。そこでひたすら待ち続けている。やがて何かがどうにかなる機会が巡ってくるだろう。気休めとしてならそんな希望もありそうだ。君はまだ状況が良くなる可能性を捨てきれない。そんなわけで延々と続く無駄な言葉の連なりを維持しようとしている。継続こそが可能性なのか。そこに意志があるらしい。どうにもならない現実に屈しようとしない。終わりがわからないのなら仕方がない。気分的にはそういうことなのだが、何がそこでの気分を反映しているのだろう。まだ半分までしか言葉を連ねていない。ノルマという概念が重くのしかかり、押しつぶされそうになりながら言葉を記している。そこで何を空想したいわけでもなく、言葉が現実をとらえることを望んでいるらしいが、それが虚無だったらどうするのか。また自己言及の罠にはまっている。できないことをやろうとしているのかもしれず、それが現状だとしたら、君はそれを受け入れられるだろうか。間違っても映画のような結末には至りそうもない。意識が何を必要としているとも思えないから、言葉もいらないのだろうが、それでは文章にならないだろう。ではそこで終わってしまうのだろうか。何が終わるのだろう。何かを終わらせようとする意図が感じられないか。いったい何を終わらせようとしているのか。そんなことを述べているうちに突然耳鳴りがしてくる。確かに何かの終わりには違いない。気がつけば何も考えられなくなっている。君はそこから何を導きだそうとしているのか。虚無の他に何があるのか。何も思いつかないようだ。たぶんそれが言葉によって導きだされた結果なのであり、現状とはそういうことなのだ。そんな行き詰まりを打開する手だても思いつかず、今は何を述べていいのかわからなくなっているようだが、何かの終わりに臨んで、おかしな言語表現を試しているとも思えず、本当にそれが終わりの風景なのかどうか判然としないらしい。いったいそれが本当の終わりなのか。どうもそれは違うようだ。何もないのだから終わりもない。終わりもなければ始まりもなく、それは話になっていないのだろう。話ではなく単なる言葉の連なりだ。3月15日何がつまらないといっても、今日が今日だとつまらないか。明日になれば明日になるだろう。何を語ろうとしているわけではない。ただ笑っている。自らの愚かさに嫌気が差したか。何が愚かだと思うのか。そういう紋切り型の切り返しには飽きている。近頃は物忘れが多い。さっきまで何を考えていたのかすぐに忘れてしまい、それが何を意味するのかもわからず、それとは何だろうと自らに問いかける日々が続いているようだが、作り話の中では確かにそうなのだろう。実際に誰が何を語っているかは不明のままだ。何かごちゃごちゃした雑音のような音が耳の内側から聞こえてきて、そんなことはあり得ないと思いつつも、それが何だかわからないと頭の中で繰り返し暗唱している誰かがいるらしい。ただの意味不明だろう。バスケット・ボールの中継録画ももうすぐ終わる。すべての時間より今が良いとは思わないのは当たり前だとしても、その先にどんな言葉を並べたらいいのか迷うところだ。それは技術的な問題なのか。それだけではないと思いたいが、いつものように話の中身が何もない。何もなければ話にならないはずだ。それで君は満足しているのか。アニメや漫画の中では人が簡単に死ぬが、現実の世界でも事情は変わらないか。人々は何に抗議しているのだろう。特定の文化を共有する者たちは自分たちの国家を持ちたいと願っているようだが、それを共同幻想の一言で片づけるのは酷すぎるか。ごり押しする人々にとってそれは煩わしい障害物にすぎないのだろう。そんなことは眼中にないらしく、とりあえず暴動を鎮圧して治安を回復したらそれでいいのかも知れない。だがそれで何を述べていることになるのか。その不機嫌な気分の理由を言葉で示してほしいか。何もないのかも知れない。それは誰の感覚でもあるらしく、そこでは誰もが不機嫌に振る舞っているようだ。そしてその場で何を述べているのか知りたくなる。遠くからまた雑音が聞こえてくる。何事にも本気になれないのは今に始まった症状ではなく、いつの頃からか知らないが、今では自然と身についた癖のように感じられる。とにかく平静を装うことが最優先されているようだ。そんなことを思っているうちに口の中が苦くなる。それとこれとは関係のないことだろう。そんな精神状態で自らに何を言い聞かせても無駄か。無駄でなければ今後どのような気分を維持すればいいのだろうか。殺伐としていると思われるのはどうしてなのか。この世界が君の心に何をもたらしているとも思えず、それは蛇足にすぎない言葉だ。理由がないのはもとからそうなのだろう。君の存在理由など何もありはしない。そこにはもとから誰もいないのだ。それは誰の意識でもなく、誰も何も語っていないのだ。ただひたすら言葉を繰り出しているのは誰でもない。記された言葉は誰のものでもなく、何となくそんなことが記されているだけで、それが何に対する答えにもなっていない現状があり、そんなどうにもならない現状の中で、誰が言葉を連ねることができるだろう。たぶん冗談でそんなことを述べている場合ではないのだろう。それは過去の記憶だ。何かがそこで繰り返されている。何を構成しているわけでもなく、どんな意図が隠されてるわけでもない。空疎な構築物を提示しているわけでもない。だがそれで何を述べていることになるのか。言葉を記しているつもりの誰かはさらに不機嫌になってくる。それは君の意図するところではない。君にどんな意識が宿っているというのか。すべては作り話の中の出来事であり、そこから誰かが架空の感覚を構成しようとしているだけか。現実の世界では常にどこかで彷徨っているはずだが、何が彷徨っているのだろう。たぶん言葉が散らばって意識が散乱し続け、文章をややこしく飾り立て、そこに醸し出された空疎の中に何らかの雰囲気を漂わせているのだろう。やはりそこで何が述べられているわけでもないらしく、ただ適当に言葉が連なっているだけのように思われ、それで他の誰が満足するはずもないだろうが、君は至って平静を保とうとしているようで、そこに並べられた気まぐれの中から、それ以外の気分を選び取ろうとしているわけではない。それまでに感じ取っていた雰囲気のすべてを否定して、何もない現状を作り話の中から抜き出し、そんなわかりにくい言い回しを好んで使う理由を言葉で示せないことに業を煮やし、ただのわけのわからなさでその場を取り繕っている風を装い、現実に直面している問題から逃げてしまいそうになるのだが、思い直している間もなく、事態は思いもよらぬ方向へずれて行き、君の手の届かないところで何らかの決着が図られようとしているのかも知れない。何が君をそうさせるのか。君がそうしているわけではないとすると、君ではない誰かに君以上の何を期待できるだろか。その辺で文章が破綻しているのだろう。誰かはもとからおかしいと思っていたようだが、それでもそんなところまで言葉を連ねてきたのだから、それはそれでそこで繰り広げられていた無駄な努力も受け入れられなければならないのかも知れない。3月14日予報では雨だったはずだが、なかなか降ってこない。だがそれで何に困っているわけでもなく、ただ何も感じ取れない状況のただ中にいるようだ。夜になってからようやく雨が降ってきて、何となく気が抜けてしまっている。それは誰に求められている結果でもなく、君は自らに降りかかってきた危機を真に受けることができない。冗談のように思われるらしく、まったく深刻に受け止められないようだ。たぶん危うい均衡の上に成り立っていた信頼関係が突然崩れ去ってしまったのだろうが、なるようにしかならない成り行きをどうしようというのか。それは君に課せられた仕事ではないらしい。試合はすでに終わっているようだ。テレビの中ではそうなのだろうか。君には関係のない試合だ。もとから何かの勝負事にのめり込んでいるわけもないか。では何に関係あるのかといえば、それは何もしないことだ。理由にも答えにもなっていない。虚無的な物言いに終始している。それでもうまく事を運ばなければならないようで、事態は慎重にならなければならない局面にさしかかっている。なぜも何もなく、何となくそう思っているだけのようだが、できることなら避けて通りたい気もしているようで、それが何かの思い違いであることを期待しているらしく、明日の朝になって目が覚めたら、それが夢の中の出来事だったということになってほしいか。君は現実から逃げているようだが、無理もない話かも知れない。それほどまでに精神的に追いつめられている。しかしそれがどうしたというのか。どうかしているのだろう。どうかしているから動揺している。うろたえているのか。一気に押し流されてしまうかも知れない。それは泥流か何かのようなものか。何のたとえなのかわからないが、別にわかる必要はない。そんなことを述べているのだから、それはそれで認めざるを得ないことだ。自分でもわからないことを述べているわけで、無意識がそうさせているとしか思えないような雰囲気を感じているのだろうか。たぶんそれは誰の実感でもないだろうが、結果としてうまくいっているのならそれでもかまわないか。ただ言葉がそう記されているにすぎず、それについて誰がどう思っているわけでもないらしく、何となくそんなことを非人称の誰かが述べている。そう見なして間違っていないだろうか。たとえ間違っていようと、そんなのは無視してその先を語らなければならなくなる。何も語らずに語っているわけだ。冗談でそんな矛盾を受け入れようとしている。受け入れられなければそれでもかまわないだろう。どちらでもかまわないと思うのが好きなのか。誰でもない誰かが、ただ何となくそんなことを述べているのが好きなのかも知れない。結果として誰が何を好んでいるわけでもなく、誰の了承を得たいわけでも望んでいるわけでもない。ただ何かを肯定するのが面倒なようだ。この世界そのものの在り方を認められない。あまりにも馬鹿げていないか。何もかもが押し流されてしまってもかまわないと思っているようで、実際にそうなりかけているのかも知れない。すべてが何かに押し流されつつある。そんな実感を抱きながらも、その何かを言葉で言い表すことができない。ではそんな状況は君に有利に働いているのだろうか。有利とか不利とか判断する材料も基準も見あたらないが、ただ何となくそうなってほしいと思う方向へすべてが流されているのかも知れない。わからないと思いながらも、一方ではそんな確信もあるようで、その辺が微妙なところかも知れないが、やはり何となくそれでもかまわないと思いたくなってくる。誰でもない誰かは自然と曖昧なことを述べている現状を肯定したくなってくるらしい。だがそれで何を否定していることになってくるのか。冗談ではないと思いたいのか。冗談でなければ何なのか。たぶんそれが冗談なのだろう。いったい自らが何を述べているのか理解できない。それが冗談そのものなのだ。冗談でなければ何なのか。何でもなければそれも冗談と見なしてかまわないだろう。それはどういうことなのだろうか。やはりそれはどういうことでもなく、ただの冗談なのだろう。そうやって何もないその場を空疎な言葉で取り繕っている。それがそこでの現状となる。たぶん誰かの作り話の中身がそこに反映されて、どうしようもなくそうなってしまうのだろう。そんな君には逆らいようのない流れの中で、ひたすら押し流されてしまっているようだ。それ以外に何を述べたらいいのか。誰に尋ねたらいいのか知りたいとも思わず、ただ言葉がそう記されているわけだ。君が何を記しているとも思えない。首をぐるぐる回しながら、肩こりをほぐす動作もほどほどに、誰かがいつもの音楽を聴いているようだ。わかっている現状の中に、誰の意識の存在を確かめるでもなく、ひたすら言葉を組み合わせて文章を構成しようとしているだが、それがそこでの作業なのだから、それを認めなければならなくなる。何もない現実が嘘に覆われているようだが、それで気が済むはずもない。3月13日今は意識がない時間帯だ。夢の中というわけではなく、話の細部にこだわっているわけでもない。何を語っても報われることはない。はじめから何も期待していない。記憶の断片が文章として記される。誰かは何をやっているのか。言葉を記しているはずだ。どこへも行き着かないだろう。それは言葉ではない。否定すべきものなど何もない。すべてを肯定しなければならないが、そのすべてとは何だろう。たぶんこの世界に肯定すべきものなど何もないのだろう。なぜ認識した事物を否定したり肯定したりしたいのか。メリハリをつけたいのだろうか。笑っているのはなぜだろう。考えがまとまらないらしい。夜の闇が何を意味するとも思えないが、少し静かすぎないか。また遅れてしまうのだろうか。間違っただけだろう。間違ってしまったことに意味などありはしない。ただ間違えたということだ。そこからどんな思い込みに結びつけようと、間違えてしまっていることだけは確かだ。休んでいる暇はない。しかしこれから何をどうしようというのか。まだそこから抜け出る算段を思いつかないわけか。闇は闇でしかないだろう。頭の中が暗闇で覆われている。そういうたとえはわけがわからない。病が進行しているとも思えない。単純なことにこだわりすぎているのか。そういう雰囲気を感じ取っているようだ。何とかそこから抜け出なければならない。それらの行き詰まりを打開しなければならない。できないと思っているのだろうか。たぶんできないだろう。何ができないのかわからないが、たぶんそうなのだろう。目的は何なのか。なぜそのように語ろうとするのか。話せばどのようにも解釈できる。だからそれを推し進めたらいい。無理なことはわかっている。だから執拗に語ろうとしているのだろう。同じようなことを延々と語っているわけだ。人は言葉の無駄な循環を好む。人でない君には理解できないことだ。贅を尽くすという意味を取り違えている。何について語っていようと、そういう語り方は間違っている。昨日と同じような音楽を聴いている。君に何がわかるというのか。わかっているからそんなことを述べているのではないか。わかっていたら教えてくれないか。なぜ紆余曲折を経ないとわからないのか。つまらぬ迂回を省いて直接真実にたどり着きたい。何かが消え去ろうとしているようだが、それは誰が望んでいることでもない。できれば意識をこの世に残して立ち去りたい。その際は謎めいた予言でも必要だろうか。それは誰が考えていることでもない。思い違いをしている場合ではない。トリックはテレビドラマの中だけで通用しているのであって、実際の世界ではそれよりも偶然の巡り合わせの方が圧倒的に多い。君は相変わらず疑心暗鬼に陥っているのだ。霊が誰に語りかけているというのか。そこで繰り広げられている何がまやかしなのだろうか。君はきれいに事を運びすぎる嫌いがある。必要とあらば泥にまみれることをいとわない誰かとは正反対のやり方を貫こうとしている。それが今までに繰り返してきた敗北の原因だろう。きれい事で済まして、無理に勝とうとはしない。そんなやり方に行き詰まっているのではないか。そして行き詰まりを楽しんでいる。何を強がっているのか。誰が強がっているのか。貧乏揺すりばかりの毎日に嫌気が差しているのではないか。いつものようにわけがわからないが、それはどういうことなのか。そういう語り方がおかしいのだろう。何か語っているように装うのもよくない。感情の変遷が言葉をつなげているわけでもないはずだ。喜怒哀楽ばかりでは理性を呼び覚ますことはない。それでも冷静になれるとでも思っているのか。目を覚ませば冷静になれるはずだ。夢を見るのをやめてしまったらいい。そのついでに何も批判できなくなってもかまわないか。なぜそういう成り行きに向かおうとするのだろう。鬱状態から抜け出る必要がありそうだ。立ち直る機会を与えてほしい。無駄に言葉を並べるのは慎まなければならない。わざとそう述べているのだろう。現状は何に踊らされているわけでもない。ひたすらきっかけをつかみ取ろうとしている。そしてそこから抜け出なければならないはずだ。もうすぐ何かの終わりがやってくるはずで、それに向かって呼吸を整え、準備をする必要に迫られている。それは何のための準備なのだろうか。気が狂うための準備などいらないか。他に思いつくことなど何もありはしない。別に腹が据わっているわけではなく、今のところは準備が整っているわけでもない。それは君に課せられた使命ではないはずか。要求がエスカレートしているのかも知れないが、君の知ったことではなさそうだ。誰かがやっていることが幼稚に思えてくる。何も仮想敵など作らなくても話のつじつまなどいくらでも合いそうだが、積極的にどんな話をしたいわけでもない。誰かはそこで寝ころんで何もやろうとはせず、その先に話を続けるつもりもないようだが、ならばそこで終わってしまってもかまわないのか。いったい何が終わろうとしているのか。すでに何かが終わってしまったようだ。3月12日何もそこまでやることはないか。誰が調子に乗ってごり押しに拍車をかけているわけでもないようだが、そう思いこんでいるのは誰なのか。面倒な事態になるのは避けたいと思っているが、そうもいかない状況が近づいているらしい。気のせいだろうか。何を笑っているのだろう。この期に及んでまだ余裕があるらしい。何となく当事者ではないような気がするだけか。しかし何が君をそこに引き留めているのだろう。理由など何もありはしない。やる気になれないのだから仕方がない。たぶん気まぐれなのだろう。それに構成物としての話の外観が一向に見えてこないのはいつもの通りだ。だが心で何を見ようとしているわけでもなく、目で暗闇の光景を眺めているとも思えず、ただの無駄な言葉が邪魔物のように話の進行を妨げる。それがただではないと思いたければ、それなりの理由をねつ造しなければならないだろう。ではそれをやめておいて正解なのか。それとは何なのか。無駄に言葉を弄して語ることの何が気に入らないのか。たぶんそういうことを述べているわけではない。だが何を否定したいわけでもなく、肯定する要素が空疎な話の中に見あたらないだけか。軽薄な印象だけが残っているようだ。調子が狂っている。いつもの展開ではなさそうだが、いつまでそれが続くのか。何かを否定していることは確からしい。思い出そうとして思い出せないことがありそうで、それがどこかにつっかえていて、なかなか表に出てこない。何となく消化不良気味だ。おそらくそれは言葉の意味ではないのだろう。意識は常に現実に引き戻され、やってもいないことをやっているような思い込みを改めさせられ、何もやっていない現状を突きつけられて、誰かがそこでうろたえているらしい。だがそれで何がわかったのか。君の話ではなく、誰の話にもなり得ないか。そういうことではないようだ。少し精神的に疲れているのかもしれない。何について語っているのか。テレビではどこかの俳優が謎解きの最中だ。ドラマの中で事件でも起きたのだろう。それはまたもや君には関係のないことで、わざとらしくそんなことに言及するつもりもなく、目の前を誰かが通り過ぎるように去って行くだけか。そうやって無駄な言葉の積み重なりが徐々に文章へと変貌してゆくらしいが、そこでも何も語られていないような気がするのは、誰かの思い違いだろうか。君は何をやめたいのか。腹の底からわき上がってくるものは何だろう。調子を崩しようがない。だから何を思っても無駄なのだ。心の中で何を投げているわけではないのだろうが、あきらめかけたことを思いとどまるのには骨が折れそうだ。新しい音楽を入手するのにも事欠いている。ただ機械が立て続けに壊れているだけだろう。君の目は節穴か。その台詞の出現理由をねつ造できるだろうか。事欠いているのは理由だけではない。それらの文章はどのような実情を反映しているのだろうか。いつものように語ることが何もないわけか。君がそれを知っているのではない。耳の聞こえが少し悪いようだ。今それに気づいたとして、それをそのまま記述して何になるのだろう。君は正直ではない。何が正直に述べなければならないことでもないだろう。いつもそんな心境ではいられない。どこかの謎解き探偵はつかみかけた真相を暴露する機会に恵まれないか。そこで何か言いかけたようだが、何を察知したのか知らないが、慌てて口をつぐんでしまう。それが演技でない証拠がどこにあるのだろう。天井を見上げても、蛍光灯以外は何も見えてこない。そんな当たり前の現実の前に何かが屈しているようだ。そこに漂っている空気が君を包み込み、どうでもいいような雰囲気を感じさせるが、空気を震わせて伝わってくる音楽を聞き流して、何も思わない心境が深まるでもなく、何が心境なのかわからないが、現状に呆れていることだけは確かなようだ。何か裏切られたような気がする。誰かがトチ狂っているのだろうか。あるいは勘違いも甚だしいか。ここに至ってもまだ何についても語っていないような気がする。無駄な言葉ばかりが堆く積み上がっているような現状だ。しかし無駄でないという概念がわからない。具体的に何について述べたらいいのだろうか。たぶん馬鹿げている。何について述べてもかまわないのだろうが、その気になれないのは当然のことか。現実を直視しているからそうなってしまうようだ。直視できなければどうなってしまうのだろうか。不都合や不合理や不条理を受け入れなければならなくなる。たぶん自らに正直に生きるなら、それらの馬鹿げた風習に逆らわなければならないのだろう。冗談としての恐怖政治もどきには断固として抗議の意を示さなければならない。何とかそういう線での努力が期待されているようで、実際に長いものには巻かれずに、無駄な抵抗を試みているようだ。そんなやり方ではいけないのだろうが、現時点ではそうなるしかない。しかし本当にそうなってしまっているのだろうか。そこで笑っているのはなぜなのか。3月11日何かがおいていかれている。適当な紆余曲折を経て、ようやく今日へ逆戻りだ。何が逆なのかわからないが、何となくそんな表現が合っているような気がする。何がふさわしいとも思わないが、その場には何かが欠けている。今日の空は晴れているだろうか。何が見いだされているとも思えない。いつまで経っても君は答えを導き出そうとしない。結論が出ているのにそれを無視している。あえてそうしているのではなく、それは自然の成り行きなのだろう。つまらない現状をどうすることもできない。何かおもしろそうな話題はないだろうか。言葉で検索しても無駄だ。ありふれた文章に巡り会い、それを読んで落胆するほどのこともないだろうが、つまらないことにこだわっているのは致し方ないとしても、それ以外に何がもたらされているとも思えず、そんな現状の中で何を思っているわけでもない。そんな嘘をつきながらも言葉の組み合わせを模索しつつある。君が現状に何を期待しているとも思えない。標的が君でないのだから仕方がない。そこで何を捉えようとしているわけでもなく、言葉は至って空疎な並びを維持継続しているようだ。他に何を読みたいとも思わない。見聞したことは心の奥底で消滅する。何を知りたいのではなく、知っていることを忘れようとしているのでもない。言葉を繰り出すことに慣れているようだが、それは危険な兆候だろうか。何とも思わなくなったらそこでお終いかも知れない。繰り出された言葉は物事の本質を射抜こうとしない。君の意志でそうしているのではない。すべてはその程度のことなのだ。別に心の醜さを表現しようというのもでもなさそうだが、何となく清廉潔白を装うのもくだらないような気もしていて、それらの感情のすべては大したことはない、と高をくくってしまいたくなる。本気になってはいけないと思うが、本気にならなければ馬鹿にしていることになってしまうのだろう。それでもかまわないといえばかまわないのだろうが、そこで彷徨っている心にしてみれば、やっていられないというのが偽らざる実感なのだろう。そしてそれがややこしい事態というわけでもないのだろうが、世の中はそんなもんだとしか思えない。やはりそれでは結果的にこの社会を馬鹿にしていることになってしまうが、そう感じてしまうのだから仕方のないことだ。人間社会は残念な人たちによって構成されている。それ以外にどんな可能性があるというのか。何を期待したらいいのだろう。どうなってほしいとも思わない。世の中のどんな動きを強調しようと、それは世の中に踊らされている人たちによって動かされている。無自覚に馬鹿踊りをする人がいないと何の話題にもなりはしない。騒ぎ立てる人がその身を削って愚かな行為に走らなければ、出来事は何も起こらない。ただじっと息を潜めている人ばかりだと、何もないのと同じことか。そこで何が行われているわけでもなく、ただ生きて暮らしているだけの日々となってしまうのだろう。それでもかまわないのだろうが、たぶんそういう沈黙の重みに耐えられなくなってしまい、お祭り騒ぎ的に何かを企画演出したくなる人が必ず出てきて、そんな人を中心としてそれなりの出来事が起こって、浅はかな人々の興味を引きつけるようだ。たぶん浅はかでなければお祭り騒ぎにはならず、何が起こったことにもならないのだろう。それが君とどのような関係があるのか。世界の有り様が君の心境を反映しているとは思わない。君には関係のないことなのだろうか。関係がなければどうだというのか。君はまだ傍観者でいられると思っているわけか。あるいは傍観者から当事者に移行しつつあるのだろうか。そんな現状を理解しようとは思っていないはずだ。実務はもっぱら影にまかせきりのようで、本人はどこで何をやっているのかもわからず、たぶん行方知れずと見なされてもかまわないのだろう。そんな放浪者気取りの誰かが作り話の中に登場する。脈絡は何もない。目的など何もありはせず、はじめから話しらしき話はない。実態として誰かは延々と言葉を記しているようだ。それで何か不満でもあるのか。まだ何か言い足りないことでもあって、それが心残りであったりするのだろうか。たぶん自然に涌き出でる感情に惑わされてはならないのだろう。そして不合理で不都合な現実を受け止めなければならない。はじめから公平であることなど期待してはならないということか。人々は皆不平等な境遇にあるらしく、持たざる者は妬みや嫉みによって均衡を取ろうとしているのか。それは何の均衡なのだろうか。はたして感情の暴走によって何の穴埋めが可能なのか。それを許すとして、いったい誰に責任があるのだろう。たぶん転嫁する対象はどこにも見あたらないはずだ。その場の状況がそうさせているのかも知れず、一時的に君に不利な状況がもたらされているようだが、予断は許さない雰囲気に包まれているようだ。何となく攻勢をかけている側が最終的には悲惨な末路を辿るような気がするが、何について述べているかは誰かの想像にまかせるとしよう。3月10日どうやら明日になってしまうらしい。今日は何もできない成り行きになっている。もう今日ではないだろう。君は闇の中に何を発見したのか。これから何が行われようとしているのか。馬鹿げたことが語られている。たぶん君は蚊帳の外にいると思っているのだろうが、本当のところはよくわからない。うまくいくはずのないことをやってきたのだろうか。今までは今までにすぎず、これからどうしようというのか。どうにもできなければ今のままだ。何もなければ何ももたらせないか。そういう語り方も今まで通りだ。ならばどうしたらいいのだろう。気休めでもかまわないから、何か目標でも立てて、それを達成するように努力を続けるべきか。目標とは何だろう。君はこの世界で何をやればいいのだろうか。それはままごと遊びのたぐいになるだろうか。ままごと遊びを何にたとえているつもりなのだろうか。別に調子に乗っているわけではなく、何をやろうとしているわけでもないが、たぶん君は楽しそうに振る舞うつもりなのだろう。確かに作り話の中ではそういう筋書きなのだが、それは筋書きといえるようなものではなく、話など何もありはせず、話がないのだから筋書きもありはしない。要するに現状が気に入らないようで、おもしろくも何ともないというわけか。それで何を語っているとも思えない。君には君特有の空虚が残されている。それは空隙のたぐいかも知れず、何を語っているとも思えないような言葉の連なりだ。はたして幼稚なことでも述べているのだろうか。ただ妙な雰囲気に包まれているらしく、そこから抜け出られないと同時に、どこへも行き着かないような気がしている。魂などどこにもありはしない。あるのはただの戯れ言にすぎず、それはでたらめな言葉の連続となりそうだ。世間では誰もが自己主張にとらわれ、自らのやっていることの浅はかさを理解できないようだ。それは愚かな行為か。今やっているそれもそうなのだろうか。まだ何を語っているつもりにもなれない。すべてが馬鹿げているように感じられ、現状も現世もまったく肯定できない。ではそこで何をあきらめているのか。仕事を辞めたら何がわかるのか。そういう話にはならないだろう。そこから逃げ出せない状況にある。そこで自らの存在が否定されているように思える。それでもこの世界の片隅で暮らしていることになるのだろうか。君が主張すべきことはない。自己主張などくだらぬことだ。君はその先へ進まなければならないのだろう。進んだところでどうなるわけでもなさそうだが、とにかく進まざるを得なくなる。君にはそんなやり方が似合っている。それはどんなやり方なのか。ただ孤独に言葉を記し続けるだけか。それのどこがいけないのか。それらのどこで意識が舞い上がることもなく、ただ息を殺してじっと待ち続ける。何を待っているわけでもないのに、あてもなく待ち続け、ひたすら言葉を記し続け、その行き先ははっきりせず、内容としては何を語ることもない。呪詛ではない。誰に復讐しようとしているのでもない。恨み辛みとは無関係に、ただ言葉を記し続ける。それが非難されるべき行為だとは思えない。なぜ自己主張がないのか。この世では何も主張すべきではないのかも知れない。君はすでに外れているようだ。何も真に受けることはできない。人々はそれらの演劇空間の中で何を演じているつもりなのか。なぜ気づかないのだ。何に気づけばいいのだろうか。何かを見物していることは確かで、それは狂態のたぐいかも知れず、精神に異常を来しているとは思えないが、それでも何となく踊らされている人が多すぎる。自己主張という行為こそが何らかの幻想を生んでいるわけか。踊らされている人々は自己主張に余念がなく、要するにがんばっているわけだ。がんばって何かを達成しようとしている。そこで君たちは何を信じているのか。この世界が存在していることの他に何を信じたらいいのだろうか。それで君は幸せになれるだろうか。具体的に何を求めているのか。君は自らがどうなってほしいのか。自らには興味を持てない。この世界にも興味を持てず、何についても無関心だ。そしてそんな作り話には意味がない。そう思っているだけなのだ。思っていなくても思いたいわけだ。君はそれが嘘であることを承知しているのか。何やらわけがわからなくなる。いつものことには違いないが、それで何がもたらされているわけでもない。自己実現という幻想を捨て去ってしまったらしい。そして何が何だかわからなくなる。少し休まなければならないのだろう。他に説明を要さないからそうなってしまうわけだ。それはある種の必然性を伴っていて、自己顕示欲がなければ人でなくなってしまうようだ。そこで何が矛盾しているのか。いくらでも矛盾しているが、それが何だからわからない。答えを導き出そうという気がない。人が群れ集うのに理由が必要だろうか。それは人としての習性に違いなく、そこから何らかの関係が生じるのだが、中にはそれを嫌って閉じこもる者も出てくるようだ。3月9日どうも意識が現状を捉えていないようだ。耳を澄ませば何かが微かに聞こえてくるような気がするが、辺り一面は静寂に包まれている。きっと気のせいだろう。その状況にふさわしい言葉を思いつかず、またいつもの時間帯へと逆戻りだ。虚無が君を呼んでいる。そこでは何かが繰り返されていて、執拗に同じ夢を見ているような気分になる。君は何を笑っているのだろう。君ではない誰かも笑っているようだが、何を嘲笑しているとも思えない。ではなぜそれほどまでに誰かの没落が期待されていたのか。他に誰が何を期待していたのだろうか。今度は君がどうなってほしいのか。なぜそれほどまでに言葉を連ねる必要があるのだろう。それは君に課せられた作業ではない。では何が同床異夢なのか。誰がそんなことを思っているわけではない。理不尽な扱いにも怒りを覚えない。たぶんそこには何もないだけで、感情のはけ口などどこにもありはしない。取り立てて醜い心をあらわにする必要もないだろう。他に何が求められているわけでもない。ただ水分を補給しているだけか。話とは何の関係もない動作だ。君はロボットではないので、自らの過ちをいとおしむ傾向にある。影や闇は君の一部を構成していて、さかんに意味不明な言葉を操作しながら君を間違った方へと導いているようだ。そして君は語り得ないことを語っているつもりなのか。わかっているのはそういうことではないと思っておこう。誰がそう思っているのでもなく、君はそれを何とも思っていないようだ。実際に何がどうなっているわけではない。誰かがくだらない計画を構想しているのかも知れないが、それを全力で阻止しようとは思わない。なるようになるだけだろう。結果がどうなろうと、それは誰かの思ったとおりではないはずだ。だからやりたければやってみたらいい。君はいつものように傍観者を超える立場を占めることはない。逸脱するには論理的飛躍が必要か。何から外れる必要があるのか。正気を外れてどこへ行こうとしているわけでもなく、どこへも行かず、そこでうずくまる。気分が優れない。思ったように作業が進まず、言葉から見放されているような気がする。誰が酒とバラの日々に埋もれているのだろう。またそんな曲が巡ってくる。コーラを飲みながら春になってしまったらしき夜を送っている。花粉症で気分が優れないのだろう。今はまだ日曜日の時間帯に入っている。独白が進む雰囲気にはほど遠い。ではどこで立ち往生したらしっくり来るのか。それほど乾燥しているとは思わない。今さら言葉をずらして意味不明を記してもつまらないだけか。その気になれないのだから、そのままに状況が推移するしかない。コーラは酸っぱい炭酸水だ。わざとそんなことを述べている理由を探して、さらに迷宮の奥深くに足を踏み入れようとしているとは思えないが、君と何が関係ないのかわからないだけか。興味が続かない。ただ音楽を聴いている時間が過ぎて行き、気がつけば目の前から言葉が消えている。今までに何をどれほど我慢してきたと思っているのか。そんな風に誰かがほざいている不満の言葉も君の記憶にはない。水分は十二分に補給したはずだ。失速しているのはテレビ画面の中のマラソン走者か。誰も助けてはくれないだろう。はじめからそういう話の筋書きだったのか。わかっているのは他でもない。罠にはまって苦笑いが顔にへばりつく。遠くから壁に掛かった絵を眺めている。暗い色調とありふれた構図に心が曇り、その批判の対象を無視しようとする。実際には何を眺めているのでもない。興味深そうに装うのはおかしい。意味深な仕草も映画の中に押し込まれる。思い通りに事が運ぶように祈っているわけか。そして期待はずれの明日を予想する。鼻づまりを解消することもできず、楽しそうな言葉の並びに呆れている自らを滑稽に思う。カフェインが効いているようだ。健康を損なっているのだろうか。コーラを飲み終わるとゲップの連続になる。炭酸水がそんな結果をもたらす。それがどういう影響をもたらしているのか理解できない。この世界がどうなるわけでもないことぐらいはわかっているはずか。君にはまた機械が壊れることがわかっていたはずだ。だからこうして古い機種を残していたのだろう。意識とそれに付随して生じている経験は、いつまで経ってもそこから抜け出られずにいるようだ。それは誰の意志とも交わらず、何がやりたいのかわからないままに、そんな現状を言葉でなぞっているようだ。それで何がわかったのか。とりとめのない世界が漠然とあるらしい。それに関して君の見解を待っている者は誰もいない。それでも前進させなければならず、そんなことをやっているうちに、自然と事件に遭遇する時がやってくることを想像する。だがそれ以外の時間帯においては何をやればいいのだろう。わかっているのはもうすぐ文章が終わるということぐらいか。たぶんそれでかまわない。はじめから期待はずれなのだから、今はその内容のつまらなさを楽しまなければならない。どう楽しんでいるのかわからないが、何も苦渋に満ちた顔でいることもないか。少しは息抜きも必要なのだろうが、そればかりではつまらなくなる。3月8日目を凝らして何を覗き込んでいるのか。明け方の地上に何かが舞い降りる。君は嘘をついているのではないか。話の中に神が降臨する。おとぎ話の中では北風が強い。朝になれが日が昇り、夕方になれば日がまた沈む。それは毎日繰り返されていることだ。そうやって一日が過ぎ去り、また明日になってしまうのだろう。そこでひらめいたことは忘れてしまってもかまわない。すでに忘れているのかもしれない。記憶に連続性が欠けている。君が求めているのとは異なる状況が到来しているようだ。ここは漫画の世界でもアニメの世界でも映画の世界でもなく、ただの世界だ。だからそんな断りはいらないだろう。ただの世界で何をやっているのか。何もやっていなければ言葉も連ならない。君にはそれが似合っている。たぶんそれは何の意味もないことだ。この世界で何かが違っていることは了解済みのはずで、その何かについて語ってきたのではなかったか。だが今さらそれを思い出してみても何も始まらないだろう。過去のことは過去のことだ。未来に何が持ち越されているわけでもない。たぶん面白くも何ともないことでも思い出しているのだろう。その思い出がどこで語られているわけでもなく、それとは何の関係もないことが文章として記されているわけだ。君にとっての娯楽とは何なのか。安らぎのひとときには何をやっていることになるのか。眠っているだけではつまらないだろう。誰にとってもそれは何でもないことだが、君は疑心暗鬼に陥っている。だが疑り深いわけではない。被害妄想というわけでもないだろう。心が凍り付いているわけでもない。では何なのか。他に何も思いつけないだけか。他がないのかもしれず、今このときに何か述べているということ自体が場違いなのだろう。何かに押しつぶされそうになっているのかもしれない。たぶんそれでも何かを知ろうとしているのだろう。それが気に入らないわけか。現状では何の希望も見いだされぬまま、不快な状況が長続きしてしまう。どうやらそれは暗く長いトンネルの中での出来事になっているらしいが、はたしてそれを考え直す必要があるのか。それは誰の思い込みなのだろう。君は黙っていればいい。沈黙を守っていれば、やがてそれがわかる時がやってくる。だがわかってからではもう遅いはずだ。すべてが過ぎ去った後からわかる時が訪れ、もう手遅れだと悟ってしまう。それでかまわないのだろうか。かまわないはずだ。思い出とはそういうものだろう。いずれそれがわかる時がやってくる。君はその時まで正気を保っていられるだろうか。冗談でならそういうことになる。そういうこととはどういうことでもなく、ただそういうことなのだ。あちらも必死のようだ。それはどちらでもなくあちらなのか。たぶんそれは馬鹿げた試みに違いない。まかり間違えば嫌がらせのたぐいとなってしまう。常識が通用しない世界になる。絶えず目の前に障害物が立ちふさがっているわけだ。何をやろうとしても邪魔が入る。心が腐るような成り行きになってしまい、やる気をなくして投げやりな気分を呼び込んでいるようだ。それでもなんとかしなければならないのか。やはり馬鹿げた成り行きになっているらしい。それは自ら招いた不幸にでもなるわけか。そうなった原因など知りたくもない。誰が何をやろうとしようと、そんなことに関心はないが、それらの試みにどんな結果がついてこようと、それを受け止めるべきなのか。他に何ができるというのか。それは現実の世界ではなく、誰も感知し得ない虚無の世界だ。それを知ろうとしているわけか。そんなことはないと思いたいが、君はどこへ向かっているつもりなのか。そこに意識はなく、誰がそれを操作しようとしているのでもなく、ただそこに立ちふさがっていて、そこから先へは一歩たりとも踏み込めないようになっている。君はそんな何もない場所で何を探しているのだろう。どこに希望が潜んでいるのか。ただ音楽を聴いているだけで救われてしまう。それはどんな救いなのだろうか。君はどうやってそこまでたどり着いたのか。何を知ろうとしていたわけではないし、何を試みていたわけでもない。心が満たされることはないだろう。それでかまわないのだ。何となく悲惨な光景を眺めていればそれでかまわない。誰かと誰かが意地の張り合いをしている。そんな話も書物のどこかにこびりついてはずだ。君はまだ黙っている。何を思い出そうとしているのか。たぶんそれらが醸し出す曖昧さのただ中に誰かの本音らしき思いが漂っているのだろう。それらの文章に言葉以外の何がつまっているとも思えないが、そこから何を導きだす気にもなれない。ならば君はどこで通用していないのか。誰かは沈黙に押しつぶされそうになっている。君の言葉を押しつぶそうとしているのではない。むしろどこか広い言語空間へ解放しようとしているのではないか。今でも自由という偽りの不可能性が可能となるように言葉を組み合わせて文章を構成しようとしているはずだ。今のところはそれが失敗に終わるような予感はしていないようで、一時的に行き詰まっていると感じるなら、とりあえず言葉の配置を換えてみよう。3月7日何かがぶちこわしになっているかもしれない。唐突に何を思っているのか。君はなぜかそんなことを考えている。どんなことを考えているのか言葉では示せない。たぶんそんなのは嘘だろう。また冗談でそんなことを述べているわけか。それらの空疎な内容を知りたくなってくる。誰かはありもしない話を続けようとしている。それで何を語っているつもりになれるだろう。なろうと思えば何にでもなれるわけもないか。作り話の中ではそうかもしれないが、その辺で何となく節度を保とうとしているのかもしれない。それは何のための節度なのだろう。気が狂うためには他に何が必要なのだろうか。そういうことではない。たぶんそれは成り行きまかせに何か別のことを言い放とうとしている動作だが、それと同時にどこか拍子抜けしているのかもしれず、その先に話が進まないようだ。それで何がどうなるわけでもないようだが、何となくそこから逸脱させようとしている。何についてつまらないコメントを連発したいわけでもないだろう。君はすでに言葉を使い果たしている。だから沈黙せざるを得ない。それではつまらない事件に首を突っ込むこともできはしないか。はじめからそんなことをやろうとしていたわけではない。だがそれではため息以外に何が出てくるというのか。言葉は相変わらず空疎な文字列に含まれている。意識はどこにあるのだろう。そんなことに興味があるわけではないが、それで現状維持になっているとは思わない。ではむしろ後退しているわけか。少なくとも前進しているとは思えないだろう。他に何が見いだされているとも思えない。何かがあらぬ方角を向いている。世の中で起こっていることはつまらない。そういう決めつけを裏付ける根拠というものを誰が提示できるだろうか。誰が何を示したがっているわけでもないか。言葉の使い方が間違っているようだ。他に不安感をかき立てるものでもあるだろうか。それはものではなくことか。問題なのは人を取り巻く状況でない。何でもなければ困ってしまう。何もないということはないだろう。他の誰を馬鹿にしようというのでもない。ただ何もないだけでしかない。それで間を持たせようというのが無理なのか。まだその先があるのだろうか。それは話ではない。実際に話すことは何もない。それでかまわないのではないか。何もあきらめていないが、最終的にはあきらめた形となっている。それを認められないだけだろう。要するにだだをこねているのだろう。自らの運勢を変えることはできない。それは占い師の言葉か。そこでは何が機能していないのか。機能していないのは何でもない。結局何も分からないのではないか。誰もが苦労しているようだが、まあ本当に無理なのだろう。では他の誰に期待したらいいのか。人にも物にも事にも期待すべきではない。何に対しても期待すべきではない。悪い意味での他力本願ではなく、自らが積極的に何かをやるべきなのだろう。しかしそれで何を批判していることになるのか。そういうことではないのだろう。さっきから無駄に言葉を連ねるばかりで、本質的には何も語っていないのではないか。どこにも出口がないのかもしれない。悪あがきのたぐいに終始しているわけか。そうだとしたらどうだというのか。他に何もなければそれをやり続ける以外にあり得ないだろう。だから困ってしまうのではないか。人はそれらの空虚の意味を知ろうとしない。知らなくてもいいことまで知る必要はないだろう。だめなときは無意味な言説に終始すべきなのか。そういう話の展開なら何もなくても致し方ない。そんなときの雰囲気を誰かが体現しているらしいが、そこからどんな成り行きが展開されるわけもなく、そんな空白地帯で断末魔の叫びを発することもなく、淡々と空疎な内容を言葉がなぞっていくだけだろう。それでその場は丸く収まってしまう。そら見たことかと後から誰に批判されることもなく、夜の闇に誰かの意識は溶け込もうとして、ひたすら沈黙を守っているらしい。それで何が分かるのか。何かを分かろうとして言葉を連ねているわけではなさそうだが、何かしら語っているそれを誰が理解しようとしているとも思えず、ただ空白の時が着実に過ぎていくだけのようだ。そこに記された言葉の並びが誰かの沈黙を表しているらしいが、他の誰かはそれについてどう思っているのだろうか。いったい何に耳を傾けなければならないのだろう。意識はまだ真摯に受け止めるべき意見に出会っていないようで、それに対する反論も用意されていない。このままでは記された何もかもが架空の出来事となってしまい、他に何を記すべきか思いつけなくなり、その代わりに無理という言葉で出来事の不可能性が示されるわけか。たぶんいつもの冗談に違いない。そしてそれ以外にあり得ないことが、そこでのどうしようもなさを示しているのだろう。もはや何をどう語ろうと取り返しのつかない過ちになっているようで、それは何も語らないのと同じことなのかもしれず、そこに記されたすべてが君のやる気を削ぎ、何かを裏切っているような気配さえ漂ってくる。3月6日君は何に魅せられているのか。それはただの言葉の連なりにすぎない。意味不明なのは技術的な不手際か。まだ準備が足りないのだろうか。今のところは何をやるつもりもない。何もできないようだ。ならばくだらないことでも述べていれば事足りるはずだ。事足りないから困っているのではないか。いったいどうなってしまったのか。何がどうなったのか分からない。どうにもならなくても分からない。とりあえずそんな言葉は嫌いなようだ。君が必要としているのは水だ。なぜそうなのか理由はない。嘘をついているようだ。それ以外は演劇的な成り行きに見とれていた時間帯もあったらしい。何がそれ以外なのか。それ以外を拒否している現実がある。君以外の誰が呪いの言葉を求めているのだろう。認識力に劣っている。人と人との関係が稀薄になっているそうだ。いつの時代もそんなことが言われている。何となく社会に蔓延している不安がそういう言説を理由として求めているのだろう。人々はこの世界で何を守っているのだろうか。この世界は悪意で満ちているそうだ。その悪意を取り除くのと同時に、何かを取り戻さなければならないそうだ。ちなみに君は失われた過去を取り戻そうとしている。本当にそういう筋書きならば、そこから感動的な物語でも奏でられるのだろうか。何によって奏でるつもりなのか。ここには何一つ楽器などありはしない。あるのはただの言葉のつらなりだけで、画面の背後から音楽が聞こえてくるが、それはスピーカーのたぐいだ。たぐいではなく本物のスピーカーかもしれない。要するにそうやって無駄に言葉を連ねているわけだ。しかしそんなことを述べて気が済むはずもなく、自虐的に何を語れるわけでもないらしい。何となく状況が馬鹿げているのだろうか。そう感じられるのなら、その原因でも探ってみたらいい。くだらぬ対抗意識のかけらもなく、誰と何を競い合っているのでもないらしい。無理なことをやればそれだけ危険が近づいてくるだろう。それでもごり押しすれば後で悲惨な結果が待っていることだろう。それを承知で勝負にでているのかもしれないが、少し浅はかすぎないか。今はそれに対抗するのではなく、ただ必要最低限のやるべきことをやっておけばそれでいいのかもしれない。人には人それぞれに割り当てられた領分があるとでも思っていればそれでかまわないはずだ。本当のところはわからない。わからないからあまり真に受けるわけにもいかないだろうが、君は他人に道を譲ることができるだろうか。いきなり何の脈絡もなく何を思いついたのか。それは戯れ言のたぐいかもしれない。本気になれないのは毎度のことで、何一つここには示されていないように思えてくるが、それは本当のことではない。事の真相を知ろうとしていないのだろう。どんなときでも自分は自分であり、他人は他人なのだろうが、そんな認識が何に役立つとも思えず、ただそう思っているにすぎないことだ。それでも誰かは君であり続け、理由など知る必要はない。それのどこに真実が含まれているのか。理由を探ろうとしてはいけない。そう思われる根拠を示す必要もない。人は本質的に何のために生きているのでも努力しているのでもない。ただそう思っているだけにすぎず、そこから理由を求めようとすれば、間違った結論が導かれてしまうだろう。無理なことをやれば自滅するに決まっている。君はただそれを待っていればいいということか。とりあえずできうる限り最善を尽くして結果を待つべきだ。それ以外にやりようはないだろう。もうすでに滅びへの道を歩みだしている者もいるようだ。何も勘に頼り切って神秘主義に染まることもないか。現実はここにある。そこにもなくどこにもありはしない。ここにあるのが現状のすべてだ。誰かの掌の上で踊らされている者は悲惨だ。自らの哀しい境遇に気づいていないようだ。自分が主導権を握っていると思い込んでいるようだが、それは取り返しのつかない勘違いだ。君はそうなってしまった者の雰囲気を感じ取っているらしい。あるときは戦略を練っているつもりなのだろうが、そして今それを実行しているつもりなのだろうが、それに巻き込まれた者たちは嫌々彼に従っているだけのような雰囲気を漂わせている。そんな彼は次第に裸の王様に近づくだろう。チンケなおとぎ話の主人公を演じさせられている自らに気づかないのだ。周りの者たちは皆心を痛めているのかもしれない。誰も王様が裸だと言い出せずに困っているわけだ。果たして君はどうなのか。君はただ眺めているだけで心が痛まないのか。君がその裸の王様の標的となっているとしたらどうだろう。彼が君に勝つために有形無形の様々な圧力を加えてきているとしたら、君はそれに対抗して何らかの策を講じなければならないのではないか。冗談ではないか。君はそれを冗談だと思っている。なぜ危険にさらされているのに無防備のままなのか。君には関係のないことだからか。たぶん彼が標的としている君は、君とは別人の君なのだろう。彼の幻想の中に君とは別人の君がいるわけだ。とりあえず今はそんな別人の君に君の身代わりとしてがんばってもらうしかない。しかしなぜそこで君は笑っているのか。理由は薮の中だと嘘でもついておこう。3月5日どうも頭が重い。何も考えられず、思うように体も動かない。それでどうしたわけでもないが、何となくそんなことを述べているうちに終わってしまうような予感もしている。たぶん言葉がもたらされていないのだろう。気に入らない状況になっている。頭の中で虚無の領域が拡大しているのかもしれない。過去のことは何も思い出せない。それは君の言葉ではない。きっかけを求めているとも思えず、それが何を招くきっかけなのか不明のまま、ただきっかけを求めている。それがなければ何もでてこない。しかしそれの何が不安なのか。何もなくてもかまわないはずだ。確かに何がどうなっているわけでもない。日々変わらぬ状況なのだ。そういう述べ方が変わらない状況を呼び込んでいる。何が違っているというのか。勘違いにもほどがあるだろうか。皮肉の一つも繰り出してみたらどうか。仕草に余裕が感じられないが、それが誰の仕草なのか定かでない。そんな風にしてかろうじて言葉をつなげている印象だ。今はそんな風にしか述べられない。この世界の中で生じている何について述べたらいいのかわからない。例えば無駄なおしゃべりがどこかで繰り広げられているようだが、それについて何を批判する必要もないような気がしているだけか。それを何か別の言動に結びつけることができるだろうか。そこから前向きな意見が生じるとは思えない。では影は後ろ向きに何を考えているのだろうか。目一杯自分から退いているつもりか。わけの分からないことを述べているだけのようだ。それで何がかまわないとも思えないが、何を感じているわけでもない。感じられるのはそんなことではなく、すべてが終わりに向かっていることであり、そのすべてとはどのすべてなのだろうか。唐突に何が終わってしまったのか。まだそのときを迎えていない。それは今から何年後のことだろう。別に何を予測しているわけではないが、たぶんそのときまでには何かが確実に血肉と化していることだろう。またわけの分からないことを述べているようだ。冗談でそんなことを述べているのだろう。なんとかしなければならないと感じて、焦っているのかもしれない。事を急ぐべきではなく、今はじっと辛抱のときなのか。利いた風なことを述べるべきではないか。それらは何に対して向けられた疑念なのか。そうやって無駄に言葉を連ねていることに良心の呵責でも覚えているわけか。君のどこに良心が宿っているのだろう。とりあえず今は水を飲まなければならず、それとはまるで関係のないことを述べなければならないようだ。水を飲まなければどこかに倒れ込んでしまう。それは思い過ごしではなく、誰かが実際にそうなってしまうだろう。急速に老いてくる。無理な話に持っていこうとしているようだ。そこであきらめきれないのだろう。何かを見届けなければならない。勝手な思い込みの正体を見極める必要がある。君は誰に追われているわけでもなく、君自身が犯人である必然性も感じられない。また妙な方向へ話が逸脱しているようだが、いったい誰のことを述べているつもりなのか。具体的に何を語りたいのだろう。わざとそんな風に語ろうとしているわけでもないはずか。たぶん君にとってはそういう回り道が必要なのだろうが、まだるっこい印象を拭えないことも確かだ。何について述べているとは到底思えないわけか。そういうもどかしさの中から、たまには本音でも漏れてくることを期待したい。今はまだ何もでてこないが、いずれは何か適当なことを語っているときが訪れるのだろう。それがいつになるかは偶然の巡り合わせが決めることか。そこへ至る成り行きを誰が呼び込もうとしているわけではない。まったく付け入る隙を見いだせずにいる。虚無の防御が完璧に近づいているのかもしれない。もはや手も足もでない。そんな嘘をつきながら隙が生じるのを待つとしよう。無駄な悪あがきだと思ってはいけない。実際に誰かはそう思っているのではないか。分かっているならそれでもかまわないだろう。ふぬけの心が目の前で揺らめいているように感じられ、そんな幻影を空想している自らは頭がおかしいと思われる。今でも時々過去を思い出そうとしているらしいが、それと現状とのつながりが見えてこない。やるべきことをやっていないような気がするだけか。たぶんきっかけとは過去において巡り会っていたはずだ。それをそのまま受け流し、さっさと通り過ぎて今に至っている。そのときはそれでかまわなかったのだろうが、今になって何かに響いているようだ。いったいそれはどんなきっかけだったのか。それを取り逃がさなかったら、今頃どうなっていたのだろう。何を想像してみても、今となってはどうなるはずもなく、後悔が先に立つわけもないが、何となくそこでの素通り状態が、現在においての誰かの人格形成をもたらしているのだろう。何を粘って言葉を弄しているとも思えない。何を悔やんでみても何も始まらず、実際に言葉が連なっている先には、何が待ち受けていることもないような気もしているのだが、それは誰の終わりでもなく、君の終わりとも違うのか。3月4日空がぼんやりと雲っているのは大陸から飛んできた黄砂のせいだろうか。そんな情報に惑わされているだけか。別にそれでもかまわない。スポーツ紙の表面では相変わらず大げさな言葉が踊っている。そういう表現はおかしいか。意識がどこへ向かっているとも思えない。相変わらずメディアが期待するようには興味を示さない。欲望の対象があからさますぎるか。何を浅はかに夢想できるだろう。とりあえず商品が売れなければ困るということか。そこに矛盾が生じているらしい。君に何ができるわけもない。そこには夢想と幻想があるだけか。実体が何もない。現状の何がよくなっているとも思えない。そんな否定的な感慨に浸っていると楽しくなってしまうか。それは違うと思うが、そんなことを述べていると正気を保っていられる。それも幻想のたぐいかもしれない。幻想を抱いていないと現世のみすぼらしい姿を見てしまう。誰が何をやっているわけもなく、ただひたすら動き回っているにすぎず、そこに微細な差異を見いだそうとして、どうでもいいようなこだわりによって、社会に悲惨な差別化を定着させようとしている。勝ってもいないのに勝ち組になり、負けてもいないのに負け組に入れられ、それをおもしろおかしく言い立てられ、何となくそういうことだと思い込んでしまうわけだ。実態としては誰もが普通に暮らしているだけだろう。古代の王侯貴族が巨大な墓や神殿を造って自らの虚栄心を満足させたのよりはマシになってきたのかもしれないが、やはりそういうことをやりたがるのが文明に毒された者たちがやることだ。それらの廃墟がお国自慢的に世界遺産として賞賛されるのは滑稽きわまりないか。例えばガウディによるいびつな建造物を見て感動してしまうのも、同じ文明中毒者として波長が合うことの証だろうか。芸術家のたぐいが作り上げる作品という事物は、それらの虚栄心の賜物とどう違うのか。自らの存在を作品という手段によって世界に認識させようとする試みととらえればは同じようなものか。自分が成し遂げつつある偉大な業績をこの世界に残したいわけだ。彼らはそれ以外に何を欲しているのだろう。やがて自らの存在やその作品が消え去り、世の中から忘れ去られてしまっては困るだろうか。倒錯としてなら消滅を目的として強がってみせることも可能か。自分は忘れ去られるために存在しているというわけだ。何となくその浅はかな魂胆が透けて見えてしまうかもしれないが、そんなやり方ももてはやそうとすればそれなりに支持する人がでてくるのだろう。人それぞれで価値観が異なり、そこに多様性の調和というありふれた観念が介在しているように思わせてしまうのかもしれない。それらの何を賞賛しようと、幻想で済ませてしまえば、それで何か気が利いたことを述べているような気にさせる。何となくそんなことを考えているとむなしくなる。例えば風雨によって浸食された奇岩の風景と人間の作品の間にはどんな類似点があるのだろうか。作品が人間の所有物である必要はないと思わせる。誰が何を作り上げようと、何らかの形で利用されている限りにおいて、それは石器や土器と同じように道具の一種でしかない。もちろん道具を用いて作品を作り上げるのだろうが、作り上げたそれが無用なものでしかないと思われても、どこかのギャラリーにでも展示されれば、それは人を呼び集めるための道具と化す。何かを見て感動したい者たちが群れ集う場所にはそういう作品の存在が欠かせない。そして感動するための道具は何も作品でなければならないわけではなく、それは自然の風景で事足りる。野山や海にでも出かけていって、日常とは違う環境に身を置けば気晴らしになるのだろう。ただ眺めるだけではなく、そこで体を動かせば日頃の憂さを忘れてしまうわけだ。君はそれをくだらないと思うわけか。くだらなくても必要不可欠なことのかもしれない。文明は人々を疲弊させるのであり、自然は疲弊した人々に憩いや安らぎをもたらすのだろう。誰かはそういうありふれた見解に異を唱えたくなってくるが、一方でありふれたことを述べていると安心する。久しぶりに常識的な結論を導きだしたような気になって、内心ほっとしているわけか。冗談ならそれでもかまわないのだろう。だから人による造形も自然による造形も大したことはない。何かを見聞して感動するというこれまたありふれた心理的な作用を誘発させるだけだ。たぶんそれは驚くべきことなのだろう。そしてそんな驚くべきこともありふれたことで、真に驚くべきことではない。この世界はどこまでもありふれた事物によって覆われていて、それに感動したり驚いたりしている人間の心理作用もありふれている。それらはどうでもいい物事なのだろうが、それがないと生きてゆけない人たちもどうでもいいような存在なのだろう。しかし生きてゆけなければどうなってしまうのだろうか。退屈にやられて気が狂ってしまうわけか。そんな単純な成り行きにはなり難い。たぶん人は退屈にやられて芸術家にでもなろうとするのだろう。自分が驚嘆するような作品を作り上げようとする。3月3日いつまでも心を閉ざしていても仕方ないだろう。そこで何を試されているのか知らないが、誰かの忍耐にも限界がありそうだ。今のところは何を語っているのかもわからず、意味も気分もあやふやなまま、時間的にはやっと今日になるが、もう夜だ。すぐに明日になってしまうだろう。誰かが携帯電話で話している。小声で何をしゃべっているのか知りたいわけではなく、他の誰がそれを聞き取ろうとしているわけでもない。そんなことを思っているうちにも、もうそこまで何かが迫っているようだ。それは自らが終わってしまうときかもしれないが、別に大した出来事ではないだろう。この国について誰かが何かを語っているようだが、厭世観の塊の君には何の関係もないことだ。だが今さらそれが冗談だとも思えないか。ではそれらの何を真に受けるべきなのか。ただそれは馬鹿げた構造を有している。ロシアや中国の内情について何を述べたらいいのか。それらはみんなニュースで知っていることだ。取り立てて君が述べるような内容ではない。そんなことを記しているうちにまた眠たくなってくる。薄れゆく意識の中で不意に誰かの台詞がよみがえってくる。人生のやり直しはきかないが、作り話の中では何でもできそうだ。だが何でもできるといっても所詮は作り話の範疇でのことだ。そこで誰が何をやり直そうとしているのでもないらしい。君ははじめからあきらめているようだが、どういう経緯であきらめてしまったのだろうか。過去において何かになろうとしていた時期でもあったわけか。そういう方向での考え方が行動を不自由にする。しかし自由とは何だろう。そこで声高に何を主張しているわけでもなく、この世界がどうなってほしいのでもない。だがそうでなければ何なのか。またしばらくうとうととしていたらしい。気がつけば何かがどうにかなっているようだ。ただ時間が経っている。たわいないことにとらわれているようだが、なぜ電車で座っていると眠くなるのだろう。この際でもどの際でも、そんなことはどうでもいいことだ。ならば他に何があるというのか。今は何かの思い過ごしに似た心境だ。まったく何がなんだか分からないが、それでかまわないのだろう。自分に何かを言い聞かせているつもりらしく、それ以上の何を求めているわけでもない。何となくそこから考え込んでいるようだが、しばらく経っても何を考えているのか分からないままだ。いったいどこにきっかけがあるのだろう。今さら体勢を立て直そうとは思わない。そういう話ではないはずだ。とりあえずきっかけはどこにもないらしく、今は何も考えなくてもかまわないようだ。そんな無駄話ならいくらでも構成できる。そういう姿勢がよくないのだろうか。分かりきったことを問わないでほしい。よくなければ改善しなければならない。改善できなければそのままだ。それで話になっているだろうか。誰かは何の話をしているのか。誰が何を謙遜しているわけでもなさそうだ。述べていることの意味が分からない。それは毎度のことだろう。いつもそうなのだからもうそれが当たり前のような気がする。電車の外は寒すぎる。そんな思い込みで電車に乗っているわけではないだろう。ただそこに目的があるはずだが、それが目的ではないと思い込もうとしている。それで何が分かったことになるのか。少なくとも怠惰のただ中で何を考えているわけではない。述べていることのほとんどが自問自答であることは確かだ。だからつまらない。しかしつまらないから楽しくなってしまう。それはわざとらしい矛盾であり、見え透いた嘘には違いないが、何となくそれでかまわないと思ってしまう。本当に冗談ではないのだろうか。冗談でなければ何なのか。冗談以外の何かを想像できるだろうか。仮に想像できるとして、その空疎な妄想の中身を知りたいところだが、その先に作り話の内容を構成できず、その辺が想像力の限界であることを悟ったふりをしつつ、何を想像しているわけでもないことを隠す気にもなれず、それでも何かについて語っているとすれば、それは自己言及もどきの作り話になるのだろうか。そういう結論では何となく拍子抜けか。納得のいく結論にはなかなか巡り会えないようだが、何に納得したらいいのか分かりかねる。納得するとは何かをあきらめることではないのか。それで何をあきらめたことになるのだろう。例えば誰かがそこで人間不信に陥り、ありふれた感慨を抱くとしても、そこからどんな話が生じるわけでもなく、誰かはひたすら自らが記している内容について語ろうとしているようで、実際には具体的に何を語っているのでもなく、ただ言葉を記しつつある自らの心境について語っているにすぎず、それを超える内容を導きだせないことに落胆しつつも、そんな自らの能力の限界を知っていることに安心して、そこにひたすら安住しようとしている。だからいつまでも同じようなことを語っていられるのだろう。それがある意味では狂気の沙汰を招いているような幻想を生じさせているらしく、何となくそれらの空疎感に興味を抱く者もいるらしい。だがそれで何を語っているとも思えない。3月2日今日は何か適当な話題について言及できるだろうか。誰がそれを期待しているのか。たぶんこれから語ってしまうのはそういう話ではない。いつもの空疎な語りが始まろうとしている。冗談ならそんな話でかまわないはずだ。冗談でなければもっと切実な内容を構成したらいいが、結局何について語っているのでもないらしい。まだ結論に至るのは時期尚早か。今日の君には何かがひらめいていて、それで何がおかしいわけではなく、笑っているわけでもない。弱音を吐くとはどのような状況において発せられるのだろうか。気休めでも気晴らしでもかまわないから、何か夢物語のような現実でももたらされないものか。誰がそんなことを思っているわけではない。何に対して反論したいのかわからない。たぶんそれが君の文体なのだろう。何を意図しているわけでもなく、ただひたすら意味不明を装っている。それらのどこに君がいるのだろうか。言葉としてならいくらでも君という言葉が記されているが、それが何を意味するのかわからない。君は君でしかないだろう。それだけのことにどのような言葉を弄ぶつもりなのか。何が気に入らなくてそんなことを述べているのか。君はその場から退き、そして誰もいなくなってしまったのだろうか。そうだとしたらどうなのか。電車の車内に風が吹き込む。駅に着いてドアが開いただけのことだ。ところで何か息苦しくないか。誰かが練炭でも不完全燃焼させているのだろうか。一酸化炭素中毒に特有な症状か。この際ありふれた自殺願望などなかったことにしよう。文章の意味が分からない。何やらやけくその気配もしてくるが、何となくそういう話でもないような気がする。この世の中には何が必要なのだろうか。人と人の間に生じる信頼関係か。ではいったいどこの誰を信用すべきなのか。誰かは唐突に抽象的なことを考えようとしているらしい。そこに至る具体的な経緯が見えてこない。ただ無駄に言葉を弄しているだけでは信頼関係など生まれようがないか。君はこの地上に何を回復させようとしているのか。冗談でそんなことを述べているようだ。さっきからひたすら考えようとしているが、何も思いつかないわけではないと思い込もうともしているようで、その結果がそれなのだ。それとは何だろう。何でもなければ安心できる。たぶんそこで何がおかしいとも思わないのだろう。どうやら冗談でそんなことを述べているわけではないようだ。そこで突然咳き込んでいるにも理由がありそうだが、とりあえず結核ではない。君は君自身を信頼していないようだ。いつも疑念のまなざしを自らに向けている。君はくだらぬ妄想しかもたらせないのではないか。なぜ妄想がくだらないと決めつけるのか。まだ膿を出し切っていないようだ。何かの傷口が化膿していたらしい。それは過去の出来事だろう。今さらペレストロイカの意味を知ろうとしているのはどこのどいつでもないらしい。確かにわけが分からない。言葉が散らかっている。そこで何を瞑想しようとしているのか。釈迦の涅槃像の姿でも想像しているわけか。誰かはそんな風にして空疎な内容に徹しているわけで、それ以上は何を語ろうとも思わないが、決してそれは何かの決意表明ではない。決すること自体が不自然な印象を含む。そして君はさらに馬鹿げていると思う。状況とはそういうものだろう。眠たいのなら眠ってしまえばいい。他の誰からも何も期待されていないのだから、その程度で結構だ。ドアが開いて車内に冷気が入り、さっきまでの眠気が一気に覚める。だがそれで覚醒したわけではないだろう。だらけているのだろうか。それで悟りの境地にでも至ったつもりなのか。またなるわけもない心境を記している。やはり君は冗談でそんなことを述べているようだ。だから今は以前とは違う状況に入ったらしい。モードが違うわけか。何が流行って何が廃れているかも分からないのに、モードがどうこう言うのは馬鹿げているが、何となくそんな言葉を記すと気持ち的にしっくりくる。冗談ではないだろう。冗談であると同時に冗談ではないのか。それはいつもの記述パターンに相違ない。なぜ言葉を散らして空疎感を演出しようとするのか。そういう自問自答には嫌気がさしているが、とりあえず今はそうではないと述べておこう。何やら真っ当な話になるのを拒否して、ひたすらそこから逸脱しようとしている。話の本筋から外れて、話自体を忘れ去ろうとしている。しかし思い違いとはどういうことなのか。何が違っていると思われるのだろう。まったく勘違いにもほどがある。話にすらなっていないのに、話自体がこんがらがっているように思わせようとして、結局それに失敗している。それらの文章の中では、言葉のつながり具合のすべてがまともではない。たぶん何かについて言及しているのだろうが、それが君と特定の出来事を関係づけるには至らないようだ。君はいつもこの世界から拒絶されていて、誰も振り向かず、振り返ったところで誰がそこにいるのかも分からない。今さらこの世界について何を語っても無駄なのか。あるいはそう思っているうちは無駄なのか。では今からどうしろというのか。誰に向かって何を語っているのだろうか。3月1日何かの用意ができているようだ。誰かがその場を立ち去ろうとしている。もう虫の息だろうか。思わせぶりに何を述べているわけでもなく、どこへ誰が消え去ったとも思えない。君が死ぬはずがない。誰の死に立ち会っているわけでもなく、唐突にそんなことを述べている。そんなやり方があったらしいが、しばらくそれを忘れていた。とりあえず何を述べてもでたらめの域を出ない。暗闇で考え込んでいるうちに、いつの間にか今日になっていて、そして何かが終わろうとしている。抽象的なことを述べているはずもないが、君の気づかないところで、案外何かがそうなのかもしれない。いつ気が変わったのだろうか。いくら試行錯誤を重ねても、結局は何も見いだされなかったらしい。君はそんなことを述べながらも、あやふやに事態は推移していく。そこで何を語るつもりだったのか。何かに見とれていたらしい。今は夜だ。ただそれだけのことだろう。夜明けが近い時間帯で、すでに翌朝になっている。そして空白に夜と記すと、そのまま眠ってしまう。言葉の記述が何を意図するわけでもない。ただ意識はどこにも到達できないようだ。淡々と時が経っていく。それを君はどう受け取るべきなのか。状況が君に有利に働いているとは思えない。だが悩んでいる場合ではないらしい。やるべきことがわからないまま、やるべきことをやるだけか。わざと矛盾している。気分が乗ってこないのはどういうわけなのか。その理由を探るつもりはないらしく、何を語るような状況でもないような気もするが、何か注意を怠っているのだろうか。それが何の理由になり得るのか。語ろうとしているのは理由ではない。では何を語ろうとしているのか。それは語り得ないことかもしれず、他に何を語ることもできない。今語っているそれがすべてなのか。そうだとすれば相変わらず空疎な内容に終始しているようだ。語ることに嫌気がさしてからだいぶ経つ。君はなぜそれを邪魔するのか。やめようとすると必ず目の前に立ちふさがり、誰にかに沈黙を強要するわけか。話が分からない。何をどう理解していいのかわからず、困ってしまうらしい。しかし何を語っているのだろうか。すでに終わっているはずだが、そこから延々と言葉が続いているようだ。そして相変わらず無内容に終始していて、何について語っているわけでもないのに、ひたすら言葉を連ねようとしている。具体的なことを語ろうとすればいくらでも題材がありそうだが、なぜそれをやろうとしないのか。例えば身の回りで起こっていることに言及しないのはどういうわけか。言葉を真に受けることもなく、映像を真に受けることもない。何が問われているわけでもなく、何を知ろうとしているわけでもない。何を見聞しようと、それらの中に真実が含まれていようと、それを真に受けるわけにはいかないようだ。君はそこで何を疑っているのか。何に頼ることもできず、何を利用する気も起こらない。絶えず何かを予感している。無意識が誰かの行動を決定する。行き先を決めるのはその場の成り行きだが、それを感知することができず、いつも結果からそのときの動機を推測するしかないらしい。虚無は君に何をさせるつもりなのか。君の意志が君の行動に介入できない。君は何かに操られ、取り返しのつかない過ちを犯し続け、君自身が消滅するきっかけを絶えず生み出し続けるが、作り話的には、否定の作用によって難を逃れることになっている。それはどういうごまかしなのか。外れてい 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