彼の声62

2007年

9月30日

 慌ただしい日常に埋もれ、誰かは詩的な文章表現を見失っている。他に何を見ているわけでもないだろう。見ているのではなく、失っているだけではないのか。そんなのはもとからなかったことか。それは何かの決まり文句だろうか。なぜ先月の時空にとどまっているのか。そんなわざとらしい言い回しも今日で終わりにさせたいようだ。まったく冗談にもならないことを述べている。いつまで経ってもそんな調子で何かを述べ続けなければならない。もうそういうのはなしにしたいところだが、どうせ来月の月初めには同じようなことを述べているのだろう。いつまで惰性で続けていられるのか。そのときになってみなければわからない。いつか終わりが訪れる。そこで何かが途絶えてしまうわけか。いつまでも冗談で逃げられるわけもない。車内は蒸し暑さでうんざりするような空気に覆われ、誰もが長袖を着てきたことを後悔しているはずか。だがそれと終わりとどのような関係があるのだろうか。わざと関係のないことを述べて、少しでもどんよりとした曇り空での下の蒸し暑さを忘れようとしているわけか。外に出ればそれほどでもないことに気づくはずだ。しかしそれがどうしたわけでもない。何も感じられなければそこで行き詰まるというわけでもないらしい。君にはまだ述べなければならないことがあるようだ。だからといって何を急かされているわけでもなく、ひたすら迂回し続け、回り道の途中で道草を食い、まったく話の本筋に戻れなくなる。そんなことを述べているうちに電車の車内も空いてきて、蒸し暑さも少しは軽減したらしいが、そこから何が見いだされているのだろう。外は相変わらずの曇り空だ。聴いている音楽は二十年前のものだ。その曲だけだろう。他はまた違う年代になる。他に何を楽しんでいるとも思えない。また冗談でそんなことを述べているらしいが、それの何が冗談なのかわからないのもいつもの通りだ。郊外に建ち並ぶマッチ箱ハウスの一つ一つに誰かの人生が詰まっている。そういう表現は差し障りがあるようだが、見えているのはそれだけではない。何も見えていないと言ったら嘘になるだろうか。言っているのではなく、言葉を記しているのだろう。それで何を述べているつもりでいるのか。誰を見下しているわけでもなく、そんなことを述べている君には何もありはしない。それも嘘のたぐいか。曇り空の下で暗めの音楽を聴いていれば憂鬱な気分に拍車がかかるか。それもそれでその場の状況にマッチしているというものだ。要するに何を思ってみても、何を述べてみても、それはそれでそれなりのリアリティを伴っているのかも知れない。君はそんなところで生きている。それが君でないとは言わせないか。架空の登場人物ではないらしい。誰かでもない。たぶん君は君ではないのだろう。夏の日差しの下で太陽を呪っていたわけではない。語っている内容に現実感がない。気分の青さを青いと述べていては何のことなのかわからないか。そこからどうやって遠ざかるつもりなのか。わかっているのはそんなことではない。至上の愛はどこへ行ってしまったのか。まったくの的外れかも知れない。それは誰かの曲だ。何となく述べていることが支離滅裂になってくる。その程度で息切れ状態になってしまうらしい。やる気がしなくなる。いつの間にか曇り空が晴れてくる。日が射してきて暑くなってくる。先ほどの蒸し暑さとは質が違うようだ。たぶんもう秋なのだろう。それがどうしたわけではないが、人は誰でも狂うときがあるのだろうか。思いつきに理由は伴わない。何かが偶然に左右されながらも、何となく一定の方向性を伴いながら、文字の連なりとなってそこに立ち現れる。君が見ている風景に終わりはない。君自身が見ている途中で息絶える。風景はこれから先何十年にもわたって連なり続ける気配だ。あり得ない風景だ。いつの間にか架空の話になりつつあるようだ。その中では誰が何を語っているのでもない。風景が車窓から離れない。常に一定の速度で流れてゆく。音楽も延々と続いてゆく。あくびが出るほど退屈だ。高圧電線の下にも家並みが連なっている。電磁波の影響で癌になるだろうか。そんなことを心配するような立場ではないだろう。人はどこでも生きて行けるのであり、そしていついかなる時でも生命の危険にさらされており、何かの巡り合わせでどんどん死んで行く。そこからどんな真実が見いだされようと、それはテレビ画面が伝える程度のことだ。その場限りの適当な感動がもたらされ、時が過ぎれば忘れ去られてしまうだろう。そして忘れた頃にまたよみがえり、飽きられるまで性懲りもなく繰り返される。だがそんな否定のための言い回しが鬱陶しいのだろう。語っていて嫌になってしまうようだ。ならばその辺でやめておけばいい。何かもっと楽しそうなことを述べるべきか。本気でそう思っているわけではない。誰のことを述べているわけでもなく、誰から頼まれたわけでもないのに、そんなことを述べているだけか。遠くを見渡せば雲が山並みを隠しているようだ。


9月29日

 この世界のどこかに深刻な状況に陥っている地域があるらしい。それをメディアが深刻でない人々に伝えようとしている。たとえば君はそんな成り行きに感動している。そこでどんな行動に訴えかけようとしているのか。何かそれに同調したような言葉を繰り出せば事足りるのだろうか。あるいは彼の地域で命を落とした人々に哀悼の意を示さなければならないだろうか。他に何かやらなければならないことがあるはずか。まさか冗談でそんなことを述べているわけか。ならば君に何を語る資格もありはしない。ただ音楽を聴いている。君にできることはそれだけだ。それは気休めや気晴らしではない。そう思っていればそれでかまわない。君は毎日朝から晩まで仕事に明け暮れていて、他に何をやるどころではない。それの何が楽しいのだろう。では少しは楽しみにうつつを抜かさなければ人間ではないか。たぶん冗談でそんなことを述べているのだろう。冗談以外の言説などあり得ず、他に何も思いつかないようだ。それで何を語っているつもりなのか。つもりではなく、本当に何か適当なことを語っているのかも知れない。深刻な地域でも我関せずで暇つぶしにいそしんでいる人もいるはずだ。人それぞれであり、何をやろうと他の誰から文句をつけられようと、そんなのは君の知ったことではないのだろう。何と関係があろうとなかろうと、君は君自身とは無関係に言葉を連ねようとするだけか。それは君ではない。それとは何だろう。文章の言わんとしていることを知りたいのか。誰かがどこかで居眠りの最中のようだ。後から付け足されたエピソードとはそういうものだ。話の辻褄を合わせようとしていない。苦痛を伴うのだろう。考えあぐねて話の筋を放棄する。どうやら意味不明は怠惰の証のようだ。そこから先で頭が休憩中だ。何かを投げ出している。誰が何を知ろうとしているのでもなく、夢にも思わなかった成り行きを期待しているだけのようだ。たぶんそこで神経衰弱に陥っているのだろう。それが君のねらいだ。君は何を勘違いしているのか。人形使いにでも興味があるわけか。誰がそこで造形師と呼ばれていたのだろう。何と何を関連づければそういう答えに導かれてしまうのか。君には何もかもがわかっているはずだ。それが被害妄想に結びつくこともわかっている。それに気づかせて精神的に追い詰めようとしている。たぶんそれが冗談のなせる業なのだろう。いったんそう述べてしまうと、そこから先は意味不明になりそうだが、そういう几帳面さが誰かの思うつぼを形成しているらしい。たぶん誰かはそう思っている。そしてそんな予測を覆すような驚きをもたらしたいのだろう。何とか攻撃の対象を精神的に追い詰めたいわけだ。そうならなければ何も楽しくない。やっている意味がないというものだ。君はそれを利用して言説を展開しているつもりになる。そうやって今日も欲望の断片を餌をネット上に振りまいておけば、それに飛びつく輩が罠にかかるというしかけか。それはそれで楽しい。攻撃の対象も自らが罠にかかって喜んでいる。そういうわけで君はかなり鈍感の方だ。何を見ても何も感じないふりをしているようだが、それが強がりかどうかは、それらの攻撃の結果を見てみないとわからないだろう。そこから遠ざかりたいのに遠ざかれない。そんな冗談もそこでは有効だろうか。君はかなり頭が悪いのだろう。ネットに頭を侵されている。それがすべてではないことに気づいているのに、そこから離れられない。それが君の悪い癖のすべてか。何のことはない正常な精神が示す徴候をなぞっているだけのようだ。まったく突飛さがない。驚きが欠けている。冗談ではなく真面目なのだろう。ひたすら勤勉さに追従し続け、気がつけばつまらぬ老人になっている。誰もがそうなるように君はそうなってしまう。そしてその先には死が待ち受けていて、死が君の精神を分解してしまうだろう。それはそれでつまらない成り行きだ。ならば何かそこに救いを付け加えれば事足りる。それは冗談に対する信仰にでも結びつくだろうか。何やら宗教のたぐいになりそうだが、宗教には金がかかりそうだ。この世界では何をするにも金がかかる仕組みなのだから仕方がない。そういう成り行きに甘んじていると、何が起ころうと何とも思わなくなり、驚きの欠けた人格を宿している心を持つことになるだろうか。だが誰かはそういう言い回しの回りくどさに感動している。何を強調しているわけでもなく、何もないことを言葉が淡々となぞっているだけのようだが、そこからどんな驚きがもたらされるというのか。すでに驚いているのではないか。まったく信じられない速度でキーボードを叩いている誰かが目の前にいるらしい。よくそんな嘘をつけたものだ。至る所でつっかえていて、とても滑らかな動きとはいえない。だがそれでかまわないのだ。それでそういう文章が構成されてしまうのだから、それらの吃音的な文章も捨てたものではない。そしてそんなことを述べていると楽しくなってくる。まったく嫌がらせにも利用すべきものがあるらしい。何やらそれらのコメントに感謝の気持ちでいっぱいになる。


9月28日

 できないことをできるわけがない。また誰かはつまらないことを考えているようだ。頭の中で何かが消えている。何かわかっていることがあるすれば、それは日付が先月のままということか。何となく置き去りにされているような感覚を覚えるが、その間隔が縮まってきたようにも思える。それだけ今月に近づいたということだろうか。近づけば近づくほど痛みを伴ってくる。それと何か勘違いをしていないか。わかっていることを言葉で表現しているわけではない。誰のせいでもありはしない。誰が悪いのでも社会が悪いのでもない。そういう風になってしまうことに必然性があるだけか。アホみたいだが、それを受け入れなければその先へ進めないらしい。どうやらその辺で行き詰まっているふりをしている。それが演技というものだろうか。何を大げさに考えているのか。正当な評価からはほど遠い意見だ。隠喩として何を述べているわけではなさそうだが、それもいつもの意味不明と受け取ってしまえばいいということか。そこで述べていることにいかなる正当性もない。だがそれで何を否定していることになるのか。月夜の晩に誰かが吠えている。それはアフリカ系の声だ。そこからいつものように意味がわからなくなる。冗談半分で泥沼に足を踏み入れているようだ。だがそこで誰がもがき苦しんでいるわけもない。今し方目が覚めたところか。そうではないだろう。夜の時間帯に話を進めなければならない。他の誰かが本能に基づいて行動しているようだ。きれい事を述べているのが気に入らないらしく、さかんに誰かの欲望を煽り立てようとしているようだが、世の中にはそれ以外の言説があることが気にくわないのだろうか。何とか貶めたいのだろう。君はいったいそこで何を説明しているのか。わけがわからないだけでは気が済まないことはわかっている。だがそれ以外に何を述べているのだろうか。誰もそのことについては感知していないようだ。そんなことはいくらでも無視できる。無視されて何がおかしいのだろう。作り笑い以外のどんな表情を求めているのか。すべては演技に違いない。たとえ本心から何を述べていようと、それが演技になってしまう。もう馬鹿げた意地の張り合いはやめにしようではないか。リベンジとかいうくだらぬ言葉にしがみついている輩は人間のくずに違いない。今も冗談でそんなことを述べている。画面が心なしか傾いているようだ。何がそんなにおかしいのか。それを疑念に思っているわけではなく、ただの暇つぶしに心が傾いているだけらしい。それをどう加工しようと、もとからあった余裕を包み隠すことはできず、まったくの遊び半分で述べている実態が明らかになっている。それが何かの役に立つという偽善のいいわけを放棄している。だからそこに潜んでいる邪悪さを見透かされている。たぶんそれが何かを書く理由になっていないのだろう。君たちはこの世界の何を伝えたいのだろう。東南アジアの軍事独裁国家が行っている不正義を告発したいのか。身を挺して命を落として何かしら成果を上げたらしいが、彼はそこから何を導き出したのか。結論は先送りされている。そこには様々な利害関係が錯綜していて、とても君の思うような理想の国家を築き上げることは困難だろう。もちろん本気でそう思っているわけではない。ただ何かを述べ続けていると眠たくなってくる。だが答えが風の中にあるなどと無責任なことを述べていたいわけではない。たぶんそこで語られていることはすべて嘘に違いない。君の主張はそれとは別のところにありそうだが、それはどのような内容を構成すべきなのか。正しい答え自体が間違っている可能性があり、それをことさら強調したいわけではないが、何かを伝えるという行為が何らかの成果を上げていることが気に入らないのだろうか。そういう職業もあるということだ。君には彼らの思いを理解できない。自意識過剰の疑心暗鬼にとらわれている。歌でも歌っていた方が気楽かも知れない。だがそこに観衆などを想定しているわけではない。何をどう攻撃しても、それはそれで一定の成果を上げられるのだろう。ただそれだけのことだ。それだけのことに血眼になっている人が多すぎる。ところで君はどこの誰を攻撃しているつもりなのか。何にくだらぬコメントを付け加えなければならないのか。空疎な文章が君の標的となっている。そこでは馬鹿げたことが述べられていて、それが人畜無害であるどころか、まっとうな市民に害を為すような内容が提示されている。しかしまっとうな市民とはそのような基準に当てはまる人々なのだろう。試しに月給二十万ぐらいで職安に従業員募集をかけてみればいい。応募してくる十中八九は欠陥人間のたぐいだ。君はそんな嘘を真に受けることができるだろうか。格差社会がどうたらこうたら言っている人の気が知れなくなるだろう。しかしそこから何がわかるというのか、この世界には欠陥人間以外の人間がどれほどいるというのか。それらの人間のうちで自らがまっとうな人間だと勘違いしている人がどれほどいるというのか。


9月27日

 それはプラネタリウムではない。誰かが夜空を見上げているふりをしている。雨空を見上げて何を求めているのか。それは今から数日後のことだろう。他に何を思っているのでもない。疑わしいのはそんなことではない。取り立てて何ともないが、何か不満があるとすれば、それはこの世界に存在していることか。確実に誰かが実在しているらしい。その痕跡を文章が辿ろうとしている。そんなのは嘘に決まっている。知らず知らずのうちに遅れを取り戻しつつあるらしいが、すでに間に合わないことはわかっている。また馬鹿げたことを述べている。正気ではないのだろう。何が大切だと思っているのか。わからない。わかるわけがないと思っている。そういう成り行きには不満が残る。あくびをかみ殺しながら何を思いだしているのか。またしばらく無駄な時を過ごさなければならない。やっていることはたかが知れている。たぶん愚かなのだろう。情報が足りない。誰かは下世話なことしか述べられないようだが、それを嫌っているわけではない。毎日それを楽しみにしているのだろうか。わかるわけがないのかも知れない。世の中には何かがあるらしい。方々で不具合が生じていることは確かなようだ。インスタントコーヒーは苦い。ほろ苦いのではなく、ただ苦い。慣れてくればそれで済んでしまうわけか。嫌がらせのたぐいかも知れないが、それはそれでおもしろいような気もしてくる。ただわけがわからないだけでは面白味に欠けるらしい。それをどのように判断したらいいのかわからない。簡単に削除できるので後腐れはないようだ。何もかもが雨音にかき消されてしまう。何を聞いていたのか忘れてしまったらしい。言葉が君をよけて通る。歴史とは何だろう。発想が貧困だ。思わせぶりはもうたくさんか。何のことを述べているのかよくわからないが、何となくそんなことを述べているらしく、それが何だかわからないでは済まないような気もしてきて、付け焼きの知識を利用して、利いた風なことを主張しているつもりになる。それで何がわかるのだろうか。頭も気持ちも緩すぎる。それほどぬるま湯に浸かっているとは思えないが、何となくそんな気がしてくる。それに関して人にはどんな感情が生じているのだろう。もちろん何に関しているわけでもない。人は人と殺し合い、そうでなくても嫌がらせがしたいのだろう。未だ人という存在はそんな水準にとどまっている。誰かが権力の虜となれば、そこから暴力が生じてくる。直接もあるだろうが言葉による暴力もあるらしい。気に入らなければそうなってしまうのが、人の人としての弱さに違いない。君は人でないので、そんなものにつきあっていられないか。では人の他に何を否定すればいいのか。意味がわからないが、それに関して感想は何もない。だから何に関して感想を述べようとしているのでもないらしい。まともな反応を期待しているわけではないらしい。誰がそこにいるというのか。誰もいなければ何も想像しようがない。下界は長雨の季節に入ったようだ。雨に打たれすぎると肺炎になる。情けなくならないか。やはりそれでかまわないのだろうか。君はそこから遠ざかりたいようだ。またいつもの不可能に関する話をしたいらしい。そのままゴミくずのたぐいで終わってしまうのだろうか。それでもかまわないと述べていたではないか。本気になれないならそれでもかまわない。どこの誰が大げさなことを述べているわけではない。たぶん何を述べてもかまわないのだろう。ここはそれだけのことだ。偉そうなことを述べている場合ではないらしい。そういう論理ではないのだろう。論理ではなく何なのか。冗談でもなさそうだ。外ではただ雨が降り続いている。人の知恵は浅はか極まりないか。たとえこれから先に宇宙を旅しようと、そんなことはどうでもいいことかも知れない。人はいつでも破滅する。いかなる場合でも正解を選べない。否定している対象が間違っているのだ。それで何を余裕こいているのか。ここに至って何を語っていいのかわからない。まるで何かに打ちのめされてしまったようだ。君は何かに負けてしまったらしい。いつもながらのつまらない宣伝にはうんざりさせられる。何も物語っていない自らにも嫌気がさしている。誰かはそんな否定口調をおもしろがっているようだ。しかし歴史が繰り返されるはずがない。目的は何もない。ただ一方的に時間が過ぎ去っている。場所を移動している暇さえない。だがそれで困っているのは誰でもないはずか。人が人として成り立っているのは周りを取り巻く空虚のおかげか。何もないから人は人として存在できるはずだ。そこに何かがあればたちまち消え去ってしまうだろう。理由も根拠もありはしない。君は君でしかないことを再認識すべきか。今さら何を述べても無駄だろう。雨がすべてを流し去ってくれるか。そんな都合のいいことはない。ではどこで悩みを解消したいのか。調子に乗っている誰かをどうしようとしているのだろう。何をどうやろうと、してやったりというわけにはいきそうもない。


9月26日

 ずいぶんと回りくどいこと述べてきたようだ。何と戦っているのかわからなくなる。虚構の登場人物はマンガの中の敵が味方に見えてくる。虚無に魅入られているらしい。雨空が晴れ渡り、水面からのぞき込み、何かをねらっている。断片的な文字列だが、つながっているわけではない。どこで途切れているのかわからない。感覚がおかしいのだろう。雨音が聞こえてこない。耳が遠くなってしまったようだ。鼓膜の振動を神経が感じられないのかも知れない。いつものように嘘をついている。精神の鍛錬を要するような未来ではない。過去が重くのしかかってくるような現実でもない。焦点が合っていないようだ。軽い眠りの中で意識が遠のいている。頭の中で天予報が繰り返される。何を占っているわけでもない。たぶん何事もなかったということだ。何かやめる理由があるのだろうか。たとえば誰が総理大臣になっていたわけでもないし、それに替わって他の誰が総理大臣になったわけでもない。すべては架空の出来事だ。君は現実の出来事にさえ本気になれない。なぜ世界の国々は特定の何かを封じ込めなければならないのか。何に本気にならなければならないのか。実際にその立場になってみなければわからないのだろう。戦闘で多くの人々が命を落としている。そういう水準で物事を考えるのは時代遅れのようだ。人が殺されている現実を受け止めることができない。君たちは無駄なことをやろうとしている。別にどうということはない世界に暮らしているだけか。そんなことはいつの時代でも日常茶飯事でしかない。嫌ならそこから目を背ければ済むことだ。それで済んでしまえるくらい無責任が充満している。それを無責任とはいわないのではないか。ただの好き嫌いのたぐいだ。いったい何が争点となっているのだろう。君に語るべきことなど何もありはしない。そこで振り出しに戻ってしまうわけだ。賽の目を無視して先へ進んでしまう。なぜ政治家を脅さなければならないのか。現状の何に問題があるというのか。問題があるとすれば、それはこの世界には退屈で死にそうな人々であふれかえっているということぐらいか。無駄に長引かせている。アフガニスタンを放っておけない人々も中にはいるらしいが、それがどうしたというのだろう。何かメンツでもつぶされてしまったわけか。戦争の負けを認めたくないのかも知れない。そもそも勝ったり負けたりするような戦争ではなかったはずだ。いったんやり始めればいくらでも長引かせることができる。そしてそれがどうしたわけでもなく、ただ殺し合いをやり続けているだけだ。作戦も何もあったものではない。すでに作戦は失敗に終わっている。それ以上何をやればいいというのか。たぶん何をやろうと、それはそれほど重要なことではない。どこの誰が死のうと生きようと、そんなことは誰にも関係ない。またそれをやり続けてもやめても、後から思えばそんなことはどうでもいいことになるかも知れない。彼らは彼らで侵攻してきた外国の軍隊から祖国を解放するために戦っているつもりなのだ。他にもっともらしい理由などいくらでもありそうで、そこにそれらしい闘争があり、何らかの目的が生じているとしても、目的に殉じるほど愚かなことはない。君たちは目的に騙されている。そしてそれは受け入れがたいことだ。受け入れがたいことを無理に受け入れようとしても、それはできない話だ。たぶん外国の軍艦か何かに燃料を給油するしないとかいうのは枝葉末節なことに違いない。もういいんじゃないの、ということでしかないだろう。そういうことを真面目に議論しようとすること自体が馬鹿らしい。なぜそこから勇ましいことを述べなければならないのか理解に苦しむ。国際貢献とかなんだということを主張したがる人の気が知れない。何かそこにせこい損得勘定でも働いているわけか。中東地域からの石油の安定供給がどうのこうのいっているのかも知れないが、それは商売の話だろう。石油を売りたい国があり、それを買いたい国があれば、普通に商取引すればそれで済むのではないか。海上輸送にも一応は保険がかけられていて、商品がちゃんと目的の港へ届かなければ、保険会社が困るだけだと思うが、その他に何か対策を講じなければならないわけか。何かというとすぐに軍隊を差し向けなければ気が済まないというのも物騒な話だ。軍隊を繰り出して何を威張っているのだろう。誰かの妄想によれば、今度はニューヨークあたりに原爆でも落としてもらいたいのか。そうなればまた多くの人が死んでしまうのだろう。何となく馬鹿らしい話の展開に呆れている。もし本当にそうなったとしても、それはそれでどういうわけでもないか。ビンラディン氏もいつの間にか復活しているようだ。また平和な時代が訪れたら、誰かタリバンに破壊されてしまったバーミヤンの大仏を復元してもらいたい気がするのだが、ツインタワーの跡地にそれよりも高いビルを建てられるのだから、アメリカならそれくらいのことをやってほしいと思う。そういう余裕があるところに国としての魅力が宿ると思われる。間違っても日本にはできないことだろう。


9月25日

 たぶんそんな話をしているわけではないのだろう。実際には何も話していないようだが、沈黙に耐えられないので、何かそれとは違うことを述べてみようと思う。しかし間に合わせの言葉では間に合わない。だが何を裏切っているわけでもない。作り話の中では何かの衝撃に見舞われ、頭がくらくらしている。理由もなくいきなり何かの境地に達しているらしい。いったい何が迫っているのだろう。危険を回避しているつもりのようだが、総合的に判断して、もう話も終わりに近いはずだ。そんな大げさな判断を実施しなくても、そんなことくらいすぐに見当がつくはずだ。しかしそのときが来ても終わっていないとしたらどうするのだろう。どうもしないが終わりが近いことを確信している。間違っても始まったばかりではない。それでも続けていれば、いつか見たこともない幻影に巡り会えるかも知れない。誰かはそんな意味不明な期待に惑わされている。希望的観測の意味を知らないようだ。そんなことはどうでもいいことだろう。それはいつもの決まり文句に違いないが、何をぶち壊そうとしているのでもない。誰かは何を待ち続けているのだろう。すでに待ちくたびれている。必死さが足りない。わけのわからないことを述べようとして、何やら馬鹿げた言葉の組み合わせを模索しているらしいが、心の中ではあきらめの境地に達している。今さら何を語るつもりもなく、何も語れないことを悟っている。だが別に血迷っているわけではない。破滅の時はとうに訪れ、それをくぐり抜けて今がある。そういう認識が甘すぎるのか。提示された選択肢の中から何を選ぶべきか迷っている。たぶん何も選べないまま時間切れとなってしまうのだろう。そんな間に合わせの言葉には空疎な響きがつきまとう。それとは別の時空では、悲惨な境遇の誰かから怨念のこもった台詞を浴びせかけられる。君はそういう話を信じていないはずだ。ではそれは誰の作り話に含まれるのか。何かに手間取って無駄に時間を使ってしまったらしい。だがわざと遅れているわけではない。何となくやる気が失せてしまったようだ。そこで君は過去を忘れている。本当に何も思い出せない。それが嘘なら何か適当な記憶を思い出せるかも知れないが、それ以前に根性がねじ曲がっている。ならば思い出すのが面倒くさい。架空の意識は漠然とした状況のただ中にいるらしい。何を考えようにもとりとめがない。いったいこの世界は君に何をやらせようとしているのか。少なくとも君やらせようとしているのではない。機転を利かせてその場を切り抜けようとしているが、それがなかなかうまくいかない。もはや運にも見放されてしまったのかも知れれない。そんな状況を空想しているようだが、まったくリアリティを感じられない。まだ状況を十分に説明し切れていないのだろうか。言葉が足らないのかも知れない。しかしそこで行き詰まる必然性を感じられない。虚構として語るには内容が不十分のようだ。すでに何を語りたかったのか思い出せない。たぶんそれについて語りたかったのだろう。それは馬鹿げた内容になっている。ところでそれとは何だろう。何でもないからそれと呼ばれているだけか。それでは話にならない。要するにそれはそれでしかないということか。ではなぜ今の日付に追いつきたいのか。すでに今月中には無理だろう。そうまでして何も述べないつもりか。すでに述べているではないか。他に何をやっているというのか。ならば言葉の羅列によって何を間に合わせようとしているのか。何をやっているとも思えないようだが、それでもなお文章が構成されてしまう。ジャズとは何だろう。いきなりわけがわからなくなる。実質的にそれを聴いている現状がある。作り話的には沈黙の中だ。何も心に響いてこない。それは音楽ではない。だがジャズの話をしているわけではない。風の音を聞いている。木枯らしの季節が待ち遠しいか。すでに数日後は涼しくなっている。君はそこで判断を誤っているつもりだ。いつものようにわざとそうしているのだろう。時は気まぐれに過ぎゆく。音楽も気まぐれに途切れる。音楽プレーヤーのスイッチを押せばそうなるだけか。気持ち的にはそこまで来ているのに、なかなか前へ進めないようだ。気がつけば同じような言葉の繰り返しとなっている。ただわけがわからないだけではもの足りず、そこに色をつけてみたくなる。いったいこの世界の何に失望しているのか。君の思い通りにはなりそうもない。それでも人間と呼ばれる動物は生きている。君を置き去りにして時間だけが進んでいく。人と人の間から何かが出現しようとしているが、それは神ではない。まるで虫けらのような存在だ。他の何が不在というわけでもなく、どこに不在を埋め合わすような事物があるわけでもない。心は何ものにもとらわれない。無色透明な境地に近づきたい。そんなのはまやかしに決まっているだろうが、絶望にも希望にも振れない位置に誰かの意識を導きたいらしい。しかし何をわかろうとしていないのだろう。少なくともすでに終わってしまったことは承知しているはずだ。問題は何が終わってしまったのかを確認することか。


9月24日

 どうも調子に乗りすぎている嫌いがある。勘に頼りすぎると大きな失敗をしてしまう。他に何を信じていいのかわからないが、それも経験のうちだろうか。とりあえずほどほどのところで妥協しなければならない。それができればそれに越したことはないが、往々にしてそうならないのが世の常だ。うまいところで終わらせられない。だがそれがその場の成り行きなのだから仕方がない。結果的にそうなってしまった事実を受け入れるべきだ。しかしそこからどんな教訓を学びとればいいのだろうか。なぜかそれが失敗に終わったとは思えない。実際には数限りない失敗の連続かも知れないのに、少しも残念に感じられず、ならば失敗でもかまわないはずなのに、それが失敗だとは思わないのはどういうわけなのか。失敗を失敗として受け入れられないのか。そうであったとして何がどうなるのだろう。まだ手元に残った事物があるだろう。すべてを失ったわけではなく、ほんの些細な損害を被っただけで心理的に動揺している。だがそれで何がどうしたわけでもない。代わりはいくらでも補充が利くだろう。すでにそれらの失敗を忘れようとしているではないか。今までやってきた数々の失敗が経験を構成している。結果的に残るものは残り、失うものは失ってしまっただけか。そこで事物を破壊してしまったことが失敗と見なされ、それを再構築したくなってきて、それに向かって努力する気になれば、それはそれで失敗もそれなりに役に立っていることになるのだろうか。君はそこからどこへ向かっているつもりなのか。何をやり遂げようとしているのだろう。そんなことはわかりきったことか。誰に何を伝えようとしているのでもなく、何かを語っているつもりもなく、そんな予定調和の言説が君にはお似合いなのか。何を卑下しているのか。それが誰かの混乱した感情を示しているのかも知れず、ちょっとした理性の乱れに乗じて早く言葉を記さなければならなくなる。いったん開いたドアがすでに閉まりかけている。その間にほんの少し向こう側の風景を見たような気がしたが、もう忘れかけていて、次いで何をやろうとしていたのか思い出せなくなる。どうも馬鹿げたことを述べているように思われる。文字盤と針のなくなった腕時計を眺めながら、時間が経つのを忘れていたらしい。中身が空っぽのまま腕に巻かれているようだが、それはまるで用を為さないのに、捨てがたい魅力を宿しているようだ。百円ショップにでも寄って内部におさまる時計を探すとしよう。本気で探そうとしていないだろう。偶然の巡り合わせに期待しているわけだ。そんなものに遭遇しなければそれでかまわないはずだ。何をどうやってもそこまでたどり着くと思っている。それ以外の何を期待すればいいというのか。たぶん無駄なのにその無駄を体験したいのだろう。期待とは期待はずれを期待することか。期待はずれになってみればおもしろい。それをことさらうそぶくわけでもなく、淡々と成り行きを見守るしかないようだが、それが自分の体験として語られる段になると、とたんに力説する羽目に陥りそうだが、今はそれでもかまわないだろうか。いったいそこで何をやっているというのか。破壊と創造を交互に繰り返すとしても、それが何になるのか理解できなければ、それはまったくの無駄なこととなるらしいが、無駄でけっこうと思っているのだから、それは呆れた動作に結びつくかも知れない。何に呆れようと君の勝手だ。何やら問題意識を共有したいらしいが、それはまったく問題外のことでしかない。君にとってすべては壊れるために存在しているようだ。機械が壊れ人が壊れ社会が壊れ世界が壊れる。何が原因というわけではなく、各段階での破壊が相互につながっているわけでもなく、ただ壊れるままに壊れている。それがどうしたのか。壊れるのが嫌なのか。いったい誰が壊れているのだろう。今日もどこかで誰かが壊れている。君は壊れたくないのだろうか。誰が何を壊そうとしているのだろう。そういう言葉の循環は何かが壊れていることを正当化している。壊れかけの頭が何かを考えている。いつものフレーズがそこから生じてくる。君はそこから遠ざかる。架空の地上から飛び立ち、どこか得体の知れぬ場所へ降臨する。あり得ないことだ。言葉が君を裏切っている。何を無視しているのか。たぶんいつまでも関係のないことを述べているのだろう。君はそこから遠ざかれない。忘れた頃にまたその場所へ舞い戻ってくる。理由はわかっている。どうしても無視できない事物の存在を見届けなければならない。それも嘘の理由になってしまうのだろうか。だんだん呆れてものもいえなくなってきたようだが、やはり君はそこから遠ざからなければならないのか。ならばどうやってやめたくてもやめられない事情をねつ造できるだろうか。なぜそこまで突き詰めようとするのかわからない。どのように述べてもそんな風にしか事態は進行しないようだ。言葉が飽和状態に達して、そこで文章が行き詰まり、そんなわけで空白の時が訪れている。


9月23日

 まだ何かを語る気力が残っているのだろうか。何もないのにそれはないだろう。何について述べているのでもないのに文章が構成されてしまうのはおかしいか。さりげなく何かの影が上空を横切っている。君とは関係のないところで誰かと誰かが戦っているようだ。君がそこに関係するにはそれを読めばいい。フィクションは君の心を魅了するだろう。そんな嘘を平気でついている現状をどうすればいいのだろう。それも君には関係のないことか。述べていることが君には関係のないことだとすると、君の存在にはいかなる必然性があるというのか。何もなければそんなことを語る必要はない。必要もなく語っているとすれば、それは単なる気まぐれで述べていることか。それで話が行き詰まってしまい、また苦し紛れに虚無を持ち出してきて、それで何か適当なことを語っているつもりになれるかも知れない。だがそれでは虚しくならないだろうか。毎度のことながらもそんなことばかり語っていると、気が触れていると思われても仕方のないことだろうか。それは意味のない狂気と見なされるかも知れない。君にこの苦しみがわかるか。誰かがどこかで寝言をつぶやいているらしい。何が狂気であろうとなかろうと、そんなことは取り立てて驚くことではない。なぜならそれらすべては君には関係のないことだからだ。まったく身にしみていないようだ。語っているすべてが他人事のように思われ、そこからどのような興味にもつながらず、ただ状況に即した語りではなくなっている。さらにそこから逃げているわけだ。それだけのことでしかない。言葉から逃げるために言葉を弄している。君はそういうフィクションについてどう思っているのか。まだ意識は正気に戻ってきていないようだ。狂気を弄んでいるつもりのようだが、まったく本気になれない。それを真に受けることができない。どこで何が行われていようと、そこから遠ざかっていれば何とも思わないでいられる。そしてそれを利用して、さらなる無関係を言葉によって構築しようとしている。いつまでそれらの現象を無視していられるだろうか。たぶんいつまでも無視していたいのだろうが、それが叶うとしても、そこから虚しさ以外のどんな感覚を導き出せるだろうか。冗談でそんなことを思っているようだが、それを真に受けることができない以上、今さら何を批判しても無駄だろう。結局独我論的な言説さえも導き出せず、ただの意味不明に終わってしまいそうだが、それでも何を真に受けるわけにもいかない。そこで繰り広げられているすべては何でもないことだ。人は人でしかなく、神は神でしかない。フィクションの中ではどちらも架空の存在でしかあり得ない。現実の世界でもその大半は不在のまま、ただそれについて語られるだけであり、語られている間は何を示すこともない。いくらそれについて語られようと、実際に出現しない限り、それはいつまで経っても架空の存在の域にとどまる。要するにいくらでもあることないこと無責任に語ることができるわけだ。それらの言説の何を信用できるというのか。君はそこで何を見ているのだろうか。立ち現れた風景の中には人も神もいない。だいいちそんなのは風景ではない。模様が塗り込められた壁紙を見つめながら何を思っているのだろうか。要するに君は人とも神とも対峙できない存在になりはてているわけだ。ただ言葉を並べてそれを防波堤として活用しつつ、外部との接触を断っているつもりらしいが、そんな認識もありふれたフィクションの中に絡め取られてしまうように意図的に操作されている証か。絶えず何かを持ち出してきて、それについて語っているように装い、それらの言葉によって実際の現象から遠ざかる。それで何を述べているのかわからなくなり、否応なく導き出された意味不明を否定しつつも肯定せざるを得なくなる。はたしてそれが創造といえるだろうか。それでも何かを構築していることは確からしく、印象として何かを述べていることは確からしいが、その確からしさが意味不明なのだから、それはわけのわからない矛盾を物語っているのかも知れない。だがそこから何も出てこないのはどういうわけなのか。何が出てくることを期待していたのかわからない。何となくその辺が冗談に通じるところがあるのかも知れないが、君はそこで具体的に何を述べているのだろう。ただ矛盾や不具合を放置し続けている。何も成立させようとしていない。すべてが成り立ち得ない話だからこそ話になっていないのであり、それによってわざとらしい混乱を招いているようでいて、それが予定調和の範囲内におさまるような配慮が為されているのかも知れず、破綻を来しているようにも思われるが、それでかまわないところが調和なき調和として機能しているのだろう。要するにつまらないことを述べているのだろう。そういうやり方ならいくらでも可能なはずだ。確かにそれで継続の可能性を夢想することはできるが、実際に無内容を記し続けるとどうなってしまうのか。誰からも相手にされなくなってしまうか。


9月22日

 どう考えても関わり合いのあることではない。何となくそれについてまともに語るのが面倒くさくなる。そこで誰の意志が優先されているのでもないように思えるのだが、この世界では何が栄えて何が衰退しているのか。誰かの意識は世間の流行り廃りに興味を持っているらしい。現実に多くの感性がとらわれている。確かに何について語っているのでもなく、そういう単純な問いはくだらないと思っているだけのようだが、そこでそんなことを述べる必要性を感じないのはどういうわけなのか。どこまで述べてもどこにも至らないような気がする。それらの言説はどこかへ至ろうとしているのではなく、ただ架空の大地を彷徨っているだけなのではないか。冗談で何を述べようと、それは天から君にくだされた使命ではない。偽りの神が君に何を告げようとしているのか知らないが、その言葉を信じてはいけない。信じる以前に新たな言葉を記さなければならなくなる。要するに語ろうとしていることを繰り出された言葉が裏切っているわけだ。現実を無視しながら現実を見据えようとして、無駄な努力に余念がない。そんなわけでかなり無理なことを語ろうとしているらしく、それはいつものことだが、何かおかしいと思わないか。何がおかしいのでもなく、現実の何もかもが無視されているのではないか。それがおかしいとは思わないのか。妄想のただ中で自意識は予定調和気味にそこから遠ざかる。まだ遠ざかりきれていないだろう。近景を遠景と見間違えているのだろうか。どこの庭園のただ中にいるわけでもないが、それで何をやっていることになるのだろう。やっているのではなく、考えているのではないか。そこからどうやって文章の終わりに到達すべきか考えあぐねている。これ以上無駄で無意味な試みを続けていくと、まったく冗談では済まなくなるだろうか。すでに冗談の域を超えている。何が冗談なのかわからなくなっているようだ。それについて誰かが何かを述べているのかも知れないが、相変わらず君のことを述べているのではない。少なくとも君は何について語っているのでもない。その架空の場から閉め出されている。たぶんそれでもかまわないのだ。そこにとどまる理由など何もありはしない。やるべきことはすでにやり終えているのだから、それはそれで仕方のないことだ。だからその場から遠ざかろうとしているのではないか。さらに迂回して虚無の場から遠ざかり、どこでもない魂の不在の場所で、何を目指しているのでもないような言説を構成しようとしている。それこそ虚無の思うつぼか。結果的にそういうことになってしまうのだから、今はそれを受け入れるしかないだろう。だがそれでかまわないのなら、今度はそこにとどまるべきではないのか。とどまってどうするのだろう。気休めに何を思えばいいのか。君に託された希望などどこにもありはしない。唐突に希望という言葉が出現する意味がわからないのだが、君の影はそこから何かの隙を突いているつもりのようだ。何かの機会をうかがっているのだろうか。それは終わりへの始まりか。ならば虚無が誰かの心を覆い尽くす前に、適当な文章を構成しなければならない。しかしそこから意味が出てこない。意味が通るようにしようとしているわけではなく、たぶんわけがわからないままでかまわないのだろう。虚無はそういうあきらめの境地に至るのを期待していたのかも知れないが、それに対して罪悪感の欠片もない。いったいそれで何が申し訳ないのか。その場の気分でそんな印象もありだろう。そして何も探れなくなる。苦し紛れの安易な批判に歯止めがかからない。だが思い悩むことはないだろう。先がまったく見えていないが、見ようとしているのは誰の目でもありはせず、どこから何を眺めているのでもないらしい。それではまったく事物を捉えられないだろう。いったい君は何について述べようとしているのだろう。さっきからそんな問いかけが繰り返されているだけか。それがどうなれば他がどうなるというのか。ただ何もわかろうとしていないだけのようだ。それでどこかの振り出しに戻ってくる。誰が双六をやっているわけでもない。目の前にはどこかの夜景が広がっている。ただそう思っているだけで、何をどう思ってみても、それがその場の状況であるわけがない。困惑したくないだけで、何となく終わらないための配慮がなされている。それで何がわかるのか。誰かが楽しそうにそうつぶやくべきなのかも知れないが、とりあえずそこでは無言のままだ。楽しみは後に取っておくべきなのか。わかっているのはそんなことだ。何の感慨もない。感情がどこかへ先回りしようとしている。なぜそんなところで待ち伏せしているのか。何の到来を期待しているのだろう。彼には終わりが見えているようだ。そう思っていると気が楽になる。それは現実から逃げている証拠になるらしいが、終わらない現実がいつまで続くのか誰にもわからない。一応はそこではそういう筋書きになっている。君は本当のところを述べたくないようだ。時に流されている。時流から遠く外れている。矛盾したことを好んで述べているようだが、それがどうしたわけでもないらしい。今さらそれはないだろう。


9月21日

 迷路を進んで謎解きに胸ときめかせて、自家中毒気味にありふれた意見を述べてみる。たぶんまたでたらめなことを述べているのではないか。それらの文字列は無意味を呼び込んでいる。それで何になれるわけもないだろう。誰かは文字を連ねることによって神になりたいのだろうか。それはくだらぬ冗談に違いないが、ここに及んで空白の時を過ごしているつもりになる。文章に意味を見いだせず、そう述べている意味がわからない。君は何もできはしない。それは的外れな意見だ。的そのものが消失している。すでに気づいているのだろうか。気がつけば画面に背を向けている。背後にも視線があるらしい。誰の背後に君の視線を想定しなければならないのか。それらの謎解きは暇つぶしのたぐいか。そう述べて何を批判しているわけでもなく、また後戻りできなくなってしまったようだが、誰かはあまり気乗りしない状況の中にいるようだ。そこで架空の対話が行き詰まっている。相変わらず意識が身体から遠ざかり続けている。何か秘密があるのだろうか。苦し紛れかも知れないが、それに関しては何も明らかになっていない。君はそこから何を予想しているのだろう。また嘘でもついているのだろうか。何を予想したところで、この世界がどうなるわけでもなく、これから先もどうにもならない状況に変わりはない。高をくくっていたわけではない。ありふれた状況に即しつつ、つまらぬ冗談を述べているだけのようだが、現実の世界では何が行われているのだろう。たとえば生徒は先生に何を教えるべきなのか。順序が逆であることは承知している。またどのような理由からたとえ話を持ち出しているわけでもない。それについて考えさせるものがあるらしいが、いくら考えても何も出てこない。所詮は付け焼きの知識だ。反論されればたちまちしどろもどろとなってしまう。それで何を述べていることになるのかわからない。まったくやる気が失せている。何もたとえ話になっていない。腕時計を改造したからといって未来にいけるわけでもない。ただ時間が進んでいるだけか。時刻を合わせればたちまち今に戻ってくる。そんなのは嘘に決まっている。だが何となく雰囲気的におもしろいことを述べているような気になる。錯覚だと思っているわけか。現実と虚構の間に言葉が差し挟まれ、何となくそれで気が済んでしまう。それらの物語の中では人が殺されなければならない。なぜそれに反発してしまうのか。たいていの謎解きには殺人事件が絡んでいる。そんな冗談のついでに、小さなひまわりの花が気にかかるらしい。腕時計の革バンドが水を吸い込んでふやけてきた。もうそろそろ使い物にならなくなるだろう。言葉が内容を見いだせずに迷走しているようだ。たぶん本気になれないのだろう。馬鹿げたことを述べている自分が信じられない。冗談でもそう思いたいようだ。俄に笑いがこみ上げてくるが、それは何かのごまかしに通じるものがある。何となく停滞している。時間的に切迫しているわけでもないだろう。何が故障しているわけでもない。気持ちが逃げているようだが、考古学者は古代に逃げたまま戻ってこない。それが現代における逃避のスタイルとして定着している。そんな嘘でも冗談になるだろうか。そこで何を見いだそうとしているのか。何も見いだせないから現実逃避に向かっているのではないか。だが現実から逃げているだけでは何ももたらせないことはわかっているはずだ。そんな偽りの言説に染まりつつ、本気でそんなことを述べているわけでもないことを確信している。しかし勘に頼ってばかりでは先がない。何も展望が開けないこともわかりきっている。しかしそう述べているすべてはつまらない冗談なのかも知れず、さらに冗談である以前に戯言のたぐいかも知れない。そこで終わって誰が困るというのか。同じような製品を同じようなメーカーが売り出して、それを同じような人々が買う。そこからどのような謎解きが生まれるのだろうか。何がありふれていると言いたいのだろう。格差社会について云々している人々はくだらない。誰もが使えない人間ばかりというわけではないが、単純作業しかできない中高年を高給で雇うわけにはいかない。馬鹿げた宣伝文句で人を募集するにしても、それを馬鹿げていると感じ取れる人間がどれほどいるというのだろう。それらのすべては実態を反映していない。その辺で満足いく結果を期待しているわけがない。つまらない仕事に夢を抱くほど馬鹿になりきれない人間はいくらでもいるだろう。スポーツは堕落するための娯楽だ。政治は虚栄心を養うための見せ物か。株価の上がり下がりに一喜一憂するには理性がありすぎる。そんなわけで誰もが馬鹿になりきれるとは限らない。お笑い芸人に無理矢理笑わせてもらうには何が足りないのだろうか。君の思い通りになるにはこの世界の構造は複雑すぎるか。身のまわりに響いているすべての音を聞き取っているわけではないが、何となくそれらの音には君自身の内部から聞こえてくる沈黙の音が混じっているらしい。またくだらぬ嘘をついている。


9月20日

 人を演じているのは影ではない。本心では予定調和を嫌っているようだ。粘土細工のような操り人形は、意識がないのに良く動く。気分転換を理由に当てはめて、誰かは娯楽にうつつを抜かしているらしい。そういう語り方はよくわからない。だがわかっていることは語りづらい。わかっているのはそんなことではない。何を否定しているのだろうか。誰からも相手にされないのだろう。何とか書かれた内容に反発して、してやったりという子供じみた自己満足に浸りたいのかも知れず、今さら何をどう述べていいのかわからなくなる。何を認めたくないのだろうか。偽りの心理ゲームにでも参加しているつもりか。それが君の思うつぼだとは思わないか。見知らぬ誰かの感情がどこで炸裂しているというのか。誰でもない誰かの感情が邪悪にきらめく。そんな表現はわけがわからない。君はそこで見捨てられているのかも知れない。温度変化について行けないようだ。ならば君はいつ死んでしまったのか。それでもわけがわからない成り行きだ。何がもとでそうなってしまったのではなく、そうならない成り行きを選べなかっただけだ。だから何事もわかったふりをしてはいけないのだろうか。ますますわからない話になってきたようだ。頭の中だけで何かを語っているふりを繰り返す。ふざけるのもいい加減にしてほしいか。ならば今度は東へ戻らなければならない。どこへ向かって歩いているわけでもないが、たぶんそれが気に入らないのだろう。君はそこで立ち戻れずにいる。そんなはずはない。すでにここに戻ってきているではないか。ここまで後退してきた。退いてくる途中で力尽きて、そこで死んでしまったはずだが、面倒くさいので理由もなく蘇り、何事もなかったかのようにそこに佇んでいる。人を狼にたとえてみても何も見えてこない。それは小説の題名か何かか。冗談に持ちこたえられなくなる。人それぞれで勝手な言い分があるらしいが、時間は常に過去から未来へ向けて進んでいて、逆方向にさかのぼることはできず、人が絶え間なく移動を繰り返すと、一方的にゴミが増え続ける。核融合反応が進行すると重い物質ばかりになる。それらの間にどんな関連性が認められるのか。でたらめなことを述べているようだが、君の話をしているわけではない。君とは誰なのだろう。心は暗黒物質に魅せられているわけではない。死体も社会が作り出した製品の一種なのだろう。なるほど死体には情報が詰まっているらしいが、誰がそれを活用しようとしているのか。子供だましの謎解き探偵がマンガの中に登場している。なぜそこで謎解きを繰り返しているのだろうか。読者の気晴らしのためにそんなことをやっているわけか。君には関係のない問いだろう。君は答えのでない問題が好きらしい。答えがわかっていてもわざとそこまでたどり着かない。この世に正論などあり得ない。わけがわからないままでけっこうだ。いつまでも執行猶予中のような中途半端な状況を継続させようとしている。そんなできるはずのないことを夢想している。そこで何を計算しているのか。形式的なことを述べている。四人の英雄たちがそれを求めている。たぶんそういう曲を聴いているのだろう。ただひたすらそれを繰り返す。差異と反復を知らない言説には用はない。君は無用な人間になろうとしているようだ。どこまでそれを探求すれば気が済むのか。一向に反省の兆しがない。ならばそれを探求とは言わない。また面倒くさくなりかけている。どうしても無視できないようで、さかんにちょっかいを出そうとしているらしいが、それが結果的に墓穴を掘っていることになる。何とか具体的な反応が生じてほしい。そしてざまあみろと天に向かって叫びたいのだろうが、それが幼稚な感情のすべてか。我ながら情けなくならないか。それでは神の意志など生じる余地がない。君が無神論者である理由がその辺にあるのかも知れないが、何となく馬鹿げているように思われる。そこから内部へ一歩も踏み出せない。危険でも何でもないのにその気が起こらないようだ。若かりし頃の思い出を歌っている場合ではない。それでもなお何を許せないのだろうか。いったい誰が誰を破滅へ陥れたというのか。そういう物語は古い時代に流行していたように思われる。今は何もない。何ももたらされていない。だから総じて評価に値するような言説はない。言説以前の問題として何を説明すればいいのかわからず、何事にも本気になれない理由もその辺に漂っている。どこの誰が首相になろうとそんなことはどうでもいいことなのに、メディアはそれを断じて認められないようで、さかんに話題作りをごり押ししているようだが、何となくしらけている印象を拭えずにいる。馬鹿げた予定調和を継続させなければ、自らの存在意義を信じられなくなってしまうのだろう。しかし美しい国づくりとはいかなることだったのだろうか。教育を再生させたかったようだが、そんなことを述べていた当人がまともな教育を受けてこなかったようで、とんだ醜態をさらす羽目に陥ってしまったらしい。


9月19日

 誰かとどこかですれ違う。階段で足がもつれて冷や汗をかく。そんな体験を言葉にすればそのときの気分を反芻している気になる。それの何が楽しいのか。君が体験している現実は物語にならない。君は置いてきぼりにされているらしい。その理由はわからない。道草でも食っていたのか。草食動物ではないだろう。本当はわかっているのにわかっていないふりをしている。本当にわからないのかも知れない。焼き立ての瓦にひびが入っている。パンか何かと間違っているのではないか。あり得ない話だ。物語の続きを知りたいところか。来週になったら雑誌が発売されているはずだ。どこかで連載マンガを読みたくなっているのだろう。読んでいる途中から何かを探している。何かがもたらされているらしい。光が散乱して、見たこともない影を形作る。君のことを述べているわけではない。言葉が循環している。あり得ない言語表現かも知れない。対象としての事物が消失している。またそこから遠く離れてしまったらしい。意識が文字を記している場所を捉えきれなくなっている。それが何を語っているとも思えない。何も始まらない状態が長引いている。気がつけば何も考えられなくなっている。そこから何を否定したらいいのだろう。本気になってはいけないのだろうか。花鳥風月がどうしたというのか。そこに何か決まり事でもあるのだろうか。何となく順序を無視しているようだが、何を直そうとしているわけでもなさそうだ。国民の信頼とは何だろう。誰が誰に信頼されようとしているのか。その努力が水泡に帰さないようにするにはどうしたらいいのだろう。別に言葉尻を捉えてそれを批判しようとしているわけではない。どこかに黒幕が潜んでいることになっている。話の成り立ちが黒幕の存在を必要としているらしい。それはありふれた物語的展開だろうか。どうしても何かを操作している意志が必要なのだ。だがそんなことを語ってその先をどうしたいわけでもない。フィクションのすべては幼稚な段階にとどまっている。無理にそれをもたらそうとしているのではないにしても、すでに終わりが見えている段階で何をやろうとしているのか。まさかそこから時間的にさかのぼって過去のエピソードを持ち出す気か。時間稼ぎも甚だしい。何とか終わりを回避するために講じた苦肉の策という感じだ。ますます現世から遠ざかる。君は火の鳥を見たことがあるだろうか。不死鳥のたぐいが何を誘惑しようとしているのだろう。そこに物語が生じる可能性を探っているらしいが、地道な努力が裏目に出ている。たぶん何について述べているわけでもないのだろう。何を予感していたわけでもない。予期せぬ出来事に遭遇している気がするが、それは何でもないことだろう。まだ何も語っていないようだ。依然として無表情を崩さない。しかし雨が何かを誘っている。そんなことはあり得ない。あり得ないからこそ現在がある。もしあり得ないことが起こってしまったら、この世界はどうなってしまうというのか。それをこれから考えようとしているわけではない。何をどう考えようと、退屈な気分から逃れられるわけもない。はじめからあきらめていたのかも知れず、神は何をどうする気もなかったのかも知れない。人は人であり、人が神の姿を自分に似せて妄想している現状がある。人には理想としての人が必要なのか。誰もそんなものは求めていない。誰もが欠陥だらけのままで生き続けている。それが個性として肯定されている場合さえある。勘違いも甚だしいか。制度と制度の狭間からそこから抜け出す出口が出現するだろう。人は欠陥だらけの制度を作り、妥協の産物として利用され、足かせとなって自らの動きを制限し続け、時には感動を呼び込むかも知れない。制度を覆せば英雄として祭り上げられ、英雄と呼ばれる役割を担わされて滅び去る。馬鹿げた話に違いない。自らの栄達を求めてがんじがらめの制度を利用しにかかる。他人を陥れて自らの利益とするわけだ。奇抜な策略によって制度の矛盾を突いて儲けている気になる。要するにゲームにはまっているわけだ。他人を出し抜いたつもりになる。それはつかの間の気晴らしになっていて、それで一安心のようだ。少しやり方を工夫すれば、自分も他人も生かして、それで丸く収まったような気にもなれる。それで自己満足に浸れるというものか。役割分担という使命を課せられ、社会の中につなぎ止められて、目的に縛られた人生を送らなければならなくなる。真面目になればそうなるより他はないだろう。嘘だと思うならその仕事を続けてみればいい。君はそこで馬鹿げた終末を呼び込んでいるわけか。なぜそれを肯定できないのか。感動できなければ人生の意味を感じ取れないか。それこそ馬鹿げた話に違いない。今さら運命にさらうつもりはないが、影は何とかそこから逸脱したいらしく、さかんに感動を拒否しているようで、人々が作り出す群れの雰囲気に染まらないようにしているみたいだ。無駄な悪あがきだろうか。それでも何かを信じているようで、近い将来に社会が崩壊することを期待し続けている。


9月18日

 秋が近く暗闇が深くなる。傍らで危険信号が点滅しているらしい。何を探しているのかわからないが、なかなか目的の事物に巡り会えない。誰かの宝物を銀行の地下金庫で見つけたわけではなく、これからコンビニ強盗にいくわけでもない。ただ迷路の出口が見当たらない。夢はそれから何を導き出すのか。目的がないのに目的があるように見せかけている。そんな演技は誰からも歓迎されていない。そこから離れたいのではなかったか。静かな船出を迎える。また誰かが嘘をついているらしいが、目くじらを立てるほどの嘘ではないだろう。目を閉じれば不協和音が聞こえてくるが、それはフリージャズのたぐいか。スティールドラムの音に幻惑されているようだ。誰もそんなものに興味はない。マンガの中では大冒険の旅へ出発した一行がどこかの港から船出したはずだ。それはいつの話でもなく、すでに物語の始まりから十年の歳月が経っている。別にそれを読んでいるわけではなく、ただのあらすじが画面上に提示されていて、それについて何を思っているわけでもない。ではわざわざそんなことを述べなければいいではないか。何も考えなければ何も出てこないが、考えれば考えるほど何も出てこない。どうやら君は夢の中で辛らつな批判にさらされているようだ。現実の世界では批判に値するようなことは何も述べていないはずだ。だがそんな思いこみはすぐに裏切られる。そのことで誰も君を批判したりしない。話になっていないので批判しようがない。それで心の奥底を見透かされているわけでもなく、もはやその手の危機的な状況からは脱している。適当なところで妥協を図っているようだ。確かに音楽との唐突な出会いが話になるわけがない。それこそが唐突なことだ。何の脈絡も感じられず、話の前後がまったくつながらない。なぜそうなってしまうのか理解できない。そう述べながら現実の出会いを避けているようにも見える。何となく文章の内容が他人との交流を嫌っているように感じられる。それは誰かの自家中毒なのかも知れない。自らが内包している毒によってその身を滅ぼす。そんな風にして虚無は誰かの心を内部から蝕んでいる。表情に病的な陰りを醸し出そうとして、見え透いた演技で訴えかける。誰かに見られていると思いたいのだろう。だから必要なものまでゴミ箱へ放り投げる。それで満足している。見え透いた演技では誰も満足しないだろうが、とりあえず満足したふりをしていればいいということか。それでも君は勝ち続けている。勝っていると思いこんでいるわけか。何に勝っているのかわからないが、とりあえず勝ったふりをしている。内心は虚しいだけか。何もないのだから虚しくて当たり前か。冗談で鬱状態を再現しているだけだろう。しかしいつ君が鬱になっていたのだろうか。君の話をしているわけではない。つまらない話なら願い下げにしてもらいたい。今さらそれはないだろう。まったく話になっていないように感じられ、それ以上は何も詮索したくなくなる。スランプの時が訪れているようだ。とりあえず間がないので、つかの間を求めて右往左往している。わざとそうしているのだろう。そこから抜け出すきっかけをつかめない。演技であることをいくら明かしても、それを真に受け取るわけにはいかないようだ。そう述べていること自体が馬鹿げている。君は話の内容を把握できていないようだが、それで何を述べていることになるのか。いったい何について言及しているのだろうか。少なくともこの国の未来について憂慮しているわけではない。それは苦し紛れの見解を求めている。何事も深く考えてはいけないようだ。国際貢献とはいかなることなのか。海上で無料ガソリンスタンドをやり続けることがそうなのだろうか。その手のボランティア精神を誰がどこで発揮すればいいのだろう。悪しき慣例を作ってまでやり遂げることがそうらしい。何となく説得力を感じられない。軍事クーデターで政権の座についたパキスタンの大統領を支援することが何になるのか。民主主義とは何だろう。結果的にそれはい良い方向へ進んでいるのだろうか。眠くなるような音楽に聴き入っている。すでに眠ってしまったらしい。この世界でいったい誰がテロと戦っているのか。少なくとも君ではない。面倒くさいのだ。誰かがテロと戦っていれば世の中が良くなるのだろうか。きっと良くなるはずだ。たぶん誰かが考えている正解はそんなところにあるのだろう。君はこの世界が良くなってほしくない。向上心の欠片もない。まったく眠気覚ましにもなりはしない。そんな嘘をついている者の気が知れない。それについて占い師の見解を聞きたくなる。耳を傾ければ相変わらず誰かの歌声がしている。もういい加減にやめてくれないか。耳にこびりついて離れないのは耳垢の一種かも知れないが、何を語っているのかわからないほど遠くまで来てしまったとは思えず、無理を承知で空疎なことを平然と語り続ける。そこまで来たら大したものだ。まったく誰からも歓迎されない招かざる客となっている。


9月17日

 今さら何に魅せられているのだろう。それはくだらぬ似非哲学問答だ。あからさまな答えの出現に一瞬たじろぐが、今やそれすらも脇に追いやられ、それがいつの記憶なのか定かでない。それとは何だろう。それを今から思い出すところか。記憶は誰かを闇の向こう側へ放逐する。光に包まれた世界が懐かしいようだ。ただのかすり傷だが血が滲んでいる。誰かが見ている光景はたわいない。なぜそんな成り行きになってしまうのか。何もないのに言葉が出てくる。事物の先に虚無がある。気がつけば空疎な言葉が並んでいる。数日後には今年最後の残暑に見舞われるらしい。それが何に対して打撃になるのだろう。問題の核心がない。問題そのものを理解できず、何を問われているのかわからない。とりあえず何を述べても意味がない。そこに生じているのは本当の意味ではない。たぶん君は架空の意味を想像しているのだろう。だがあまりにもくだらぬ内容なので感情的に否定できない。まだ終末に間に合うだろうか。何を未来の人々に託したいのだろう。それは冗談のたぐいかも知れない。無駄で無意味な言葉の羅列であり、結果的には虚無の勝利だ。君の言説がどこで認められているわけでもない。たぶん世界には終わりも始まりもないのだろう。それは宇宙の始まりや終わりとは無関係であり、人間の妄想から生じている世界のことだ。個人の欲望からこの世界が生じている。そんなことがあり得るだろうか。またくだらぬ嘘をついているらしい。説明がない。説明が説明になっていないような気がする。また何かを否定している。心がそれを押しとどめようとするが、それは無理というものだろう。否定の力は文章のいかなる修正も受けつけない。そこで君は何かを問いかける。無力な存在なのだから仕方がない。また間違っているのだろうか。語り方が間違っている。否定の力を見くびっていたらしい。否定作用はいかなる事象も否定せずにはいられない。放っておけばすべてを否定してしまう。それが文章をだめにするが、それでかまわないのではないか。今は何でもかまわないのだろう。それ以上でも以下でもないわけだ。だめなことを述べている現状がある。正しいことを述べることにこだわりはない。正しいことがだめなのではないか。またいつもの意味不明な矛盾を提示しようとして、くだらぬ思惑に囚われ、この世界の本質を見失いつつあるようだが、今はそれでかまわないのではないか。何かがわざとらしく循環しているようだ。君はそうやってだめな人間になりはてた。そういう物語なら興味を惹くだろうか。だが堕落しているのは君だけではない。ありふれた人々は皆堕落している。娯楽にうつつを抜かし家族のために働いている。だがそれの何が堕落なのか。またわざと辻褄の合わぬことを述べようとしているのではないか。悪あがきの一種かも知れない。どうやらこの世界では君自身の終末が迫っているようだ。はたして終末の後に君は存在しているのだろうか。安易に終末を弄んではいけない。言葉の意味として終末を意識できなくなる。それが本当の終末ではないからか。この世に本当の終末などあり得ない。妄想としての世界には終わりも始まりもない。それが現実の世界の延長である限りにおいてそうなのだ。君はそこででたらめなことを述べているようだ。そしてそのでたらめさに甘えている。何でもかまわないと思っている一方で、思考することを放棄しているわけだ。結果的にそうなってしまうのだから、それはそれで仕方のないことか。何かを考える上で、その土台となる思想がない。それについて君はどう思っているのだろう。それを否定することはたやすい。いくら否定しても否定し足りることはないだろう。ところで何を否定したのか。確か何でもかんでも否定する姿勢を否定したいのではなかったか。まるでとってつけたような不自然さだ。述べていることがぎこちない。本当にそう思っているなら、それは嘘に違いない。考え方がそこでねじ曲がっているようだ。紋切り型の闘病生活にいそしんでいる誰かは、それが不満でたまらないようだが、そんなのも嘘に決まっている。ならばそれらの言説は冗談で満ちていると勘違いしていたようだ。今さらそれはないだろう。何事も理由をねつ造しなければならないという強迫観念は願い下げにしてもらいたい。そんなところまで面倒を見きれないか。何事も無責任な立場で言葉を連ねたいらしいが、それでは何も説得力が湧いてこないだろう。それを何とも思わないというのなら、それはそれで楽しいことではないか。だがそれがどうやって冗談につながるというのか。何が冗談なのか判然としないが、その一方で何を述べているのかよくわからない。やはり君はその辺からだめになってしまったようだ。だめになってしまったから平然とそんなくだらぬことを述べられるようになり、それは喜ばしいことかも知れないが、相変わらず誰にとって喜ばしいのかよくわからない。まだ冗談が続いているのかも知れず、それがいつまでも続いてしまって、冗談の始まりも終わりも感じ取れなくなっている。ただ何かが続いているとしか思えなくなる。


9月16日

 何か夢でも見ていたのだろうか。日付は相変わらず数日前のままだ。何の進展もありはしない。確か作り話の中では誰かが君のことを気遣っていた。それだけでは話になっていないような気がするのだが、そこで意識は何かを喪失している。何かではなく具体的に何を述べていたのか。たぶんわけがわからないだけでは気が済まないのだろう。それは見知らぬ誰かの心だったかも知れないが、誰の心をのぞき込んでいるわけでもない。また面倒なことになってきた。その誰かは心の空洞でいもしない怪物の姿でも妄想していたのかも知れない。そんなことができるわけがない。君はそんなところで行き詰まっている。休息が必要だったかも知れないが、それだけのことに時間を使いすぎだ。何か忘れていないか。遠くから微かに声がする。それは君の台詞ではない。それが誰の台詞であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいことではないのか。なぜ声に耳を傾けないのか。少し頭は混乱を来して、誰かは気が触れているように思われる。なぜか言葉が言葉を飲み込んでいる。その精神の有り様が理解できない。さらに意味がよくわからないが、気休めに言葉を繰り出しているうちに、頭の中で何かが炸裂しているようだ。その爆風で意識がどこかへ飛ばされてしまったらしい。知らず知らずのうちに誰かが用意した作り話の中に迷い込んでしまったらしい。それもあり得ない話か。それについて説明を放棄しているわけを知りたい。ただ面倒くさいだけなのか。それでは説明になっていないことは承知しているが、本当にそれだけなのだ。何を開き直っているのだろう。どうもそこでやっていたことが、何も記憶に残っていないようだが、気まぐれに何をやっていたのか。作り話の中でその登場人物が気の向くままに行動していたわけではない。ただ何かのついでにそれ風の言葉が付け足され、それらの雰囲気を言葉がなぞっているようだが、内容は何もないらしい。現実の世界では身体が心を制御できていない。まったく文章として意味を担えない。でたらめなことを述べているだけか。そんなところで話を放棄しないでほしいか。ありふれた人間はありふれたことを言う。そうでなくても人間自体が言葉としてありふれている。ならば述べている内容の何もかもが無駄なのか。言葉によって偽りの事物が無駄に生成しているのだろう。それでもそこに書き記されているのは君の記憶に違いない。物語の中では誰の記憶から何を取り出そうとしているのか。その取り出し方が支離滅裂なので物語になることはないだろう。ではそれらの記憶の断片を用いて、誰かの外部から何を操ろうとしているのか。それは身体でも心でもありはせず、そこに記されつつある文字列のたぐいだ。ではそこで何がどうなってしまったのか。なぜそこで立ち止まってしまうのか。疲れているからだろうか。神経回路のどこかが焼き付いているのかも知れない。それでも画面上には何らかの文字列が表示されている。そこに記されている文字列に見覚えはないか。何か以前読んだことのあるような文章だったかも知れないが、同じような言い回しの連続は退屈だ。頭が退屈にやられているらしい。ならばそこから別の時空へ移動してみたらどうか。誰かは自らが述べていることの意味を求めている。意味ならそこにあるだろう。だがそこから続けて述べることができない。どうやら風が止んでしまったようだ。また忘れた頃にまた風が吹いてくるだろう。そうなるまではやはり意味がない。状況の変化に頭が対応できていない。何も変わらないというのは間違いだったのだろうか。はじめからそう思っていたわけではない。変わるときはいくらでも変わるものだろう。だがそれが何を意味するのかわからない。知ろうとしていたのはそんなことではない。わかっているのはわからないことだ。それをわかろうとしていない。そして放っておけば心がひねくれてくる。無意識のうちに話のどこかで辻褄を合わせようとしている。一時的にそれが無理でないと思っている。いずれ何をどう修正しようと何も変わっていないことに気づくだろう。そのときになってそれが気に入らないと思うわけだ。まったくの予定調和的な話の展開か。だからそのとき思いもしない状況の到来に頭を抱えているわけではない。内心自らの愚行に感づいていながら、わざとらしくしまったそぶりをしているだけだ。そういうところが気に入らないようだが、君はどこからでも遠ざかることが可能なのか。いったいどこから遠ざかろうとしているのか。別に大自然が醸し出す恐怖に直面しているわけではない。言葉遣いがおかしい。まだ他者に対する気遣いが足りないようだ。そこからぐれてしまうが、群れからはぐれているわけではない。人はいつも群れることを好むが、中にはそれを嫌って孤高の存在を目指している愚か者もいるらしいが、君もそれのたぐいなのか。しかし馬鹿な冗談では何も通じない。どこへ何を通じさせようとしているのでもない。ではなぜそこで間違ってしまうのか。それは見えているものを感じ取れていないからだ。そう述べていること自体が間違っているのではないか。何となくそこで思考停止状態のようだ。


9月15日

 別にそれらの文章は意味の複数性を提示しているわけではない。気休めに記していけば、言葉はどこまでも組み合わさり、またそれに付け加えられるべき意味が適当に散乱しているようだが、それはどこへ到達するための努力なのか。文章はそこで意味を織りなさなければならない。それは何かの冗談だろう。ならば読み手が意味を決定すべきだ。今回はずいぶん投げやりに語っているようだが、語っている内容がだんだんいいわけじみてきた。何がどうなろうと本気にはなれない。たぶん今は損得勘定をやる段階ではないのだろう。それどころか未来永劫そうなのかも知れない。短期的な駆け引きが無意味だとは思わないが、長期的に見ればなるようにしかならないだろう。いくらそこで工夫を凝らしてみても、時が経てばそのとき行われていた駆け引きのことなど、簡単に忘れられてしまっているわけだ。時の経過とともに行為の重要度が薄れていってしまう。そしてそんなことをいくら述べてみても無駄か。しかし欲望とは何なのか。欲望の質感を言葉で示せるだろうか。どうも感情にまかせて突っ走ると、表現的には悪趣味もいいところだ。誰かはそればかり執拗に繰り返してきたのだから、今頃になってそれ相応の報いを受けているのは当然のことだろう。そこから嫉妬の心も生まれてくる。人はいくらでも奈落の底へ落ちることができる。君にとってそんな考えは到底受け入れがたいか。たぶんそれは考えでも何でもなく、ただの戯れ言に過ぎないのかも知れない。しかしならば何をそんなに焦っているのか。いつもそこから何かを得ているようだが、それに対してわけのわからないコメントを繰り返す誰かは、それらの空疎な文章に我慢がならないのかも知れない。だがそれは仕方のないことだ。たとえそれがマンネリであろうとなかろうと、そんなことしか述べられない現状がある。だからそれらの反応もありがたくちょうだいしておこう。現状では空虚から空疎が生じている。そんなはずがないと思うなら、それにふさわしい言葉を並べてみたらどうか。すべてがまったくの冗談だとは思えない。いくら馬鹿げていてもそれはそれで何らかの真実を含んでいるはずだ。それらの感性は何をずらしてその隙間に入り込もうとしているのか。そのいかがわしさは歴史的な実証主義とは相容れないものがあるらしいが、そんな冗談を述べていると腹が立つ人がいるようだ。そして何とか下世話な話題を持ち出そうとする。格好つけているんじゃないということか。だがそこから繰り出される紋切り型のルポルタージュには魅力を感じない。結果的には無難なアートとともに誰かの人格が成り立っているようだが、それを危険だと勘違いするところから芸術が生じていることには、わざと無関心を装っているのだろう。しかしそれならば芸術とは何なのか。そんな問いに意味があるとは思えない。意味などわけがないだろう。だがはじめから意味を求めているわけではなかったはずだ。ではなぜそこに生じている制度から逃れようとしているのか。しばしば君はそれが自由だと勘違いしているようだが、実態としてはそこから逃れようとする限りにおいて制度にとらわれていて、それらの文章に意味を付与することが制度だとは思わないが、そこで述べていることが破綻している現実に気づかない。何がそこで矛盾しているのだろう。わかりきったことを訊かないでほしいか。気がつけば時計の針がどんどん遅くなり、ついには止まってしまったようだ。電池がなくなったわけではないとすると、機械そのものに故障を抱えているということか。それでもそこで時間が止まったわけではない。それは当たり前のことだろう。君にはそれが何のたとえになっているのか理解できない。述べている途中で心が外れてしまったようだ。いくら思考を巡らせてみても、一向に言葉が意味に突き当たらない。意味不明でないことは確かなようだが、とりあえず冗談ではないと思っているだけか。ならばその程度の思考力で現実の何を捉えられるわけもない。そして何となくその辺で面倒くさくなってきたので、君はそこで目を覚まし、時間が深夜のまっただ中にあることに気づく。いったい夢の中で何を考えていたのか。それは誰からの嫌がらせだったのか。君の亡霊はいつまでも誰かにつきまとい、忘れた頃に蜂の一刺しのごとくに攻撃を加えてくるようだが、それでどのような結果を期待しているのか。何を強がってみても、人間としての業がそこから生じてきて、それと似たような反応しか示せないことは明らかなところだ。何をどのように結びつけてみても、言葉以外の何が示されているわけではなく、その言葉を受け止める側に未来が託されている。感情的な側面ばかり強調しても、それはそれでそんな文章として解釈されるだけだ。何がそこでの不具合を解決してくれるわけでもなく、かえって亀裂が深まってしまうこともあり得る。それが望むところだと思うなら、そのままそんな調子で話を進めてゆけば、そんなことに興味を抱いている人たちが集まってくる。


9月14日

 相変わらず気分が天候に左右される毎日を送っているようだが、虚無がそんな嘘に動じる気配はない。至って平静を装い、何に関しても無関心でいられるらしい。たまにはそんなはずはないと思いたいのだろうか。架空の眼に何が見えているわけもなく、そこからまなざしが対象に向かって延びている気がしない。それでも何かが網膜に映っている。それでも嘘のたぐいか。たぐいではなく本当に嘘なのではないか。だがそれでは退屈を紛らわすことはできないだろう。思考が及ぶ範囲を広げないと、同じようなことしか述べられなくなる。たぶん誰かはそれでかまわないと思っているのだろう。影はそれが気に入らないらしいが、誰かの意識は誰の思い通りにもならない。何を思うまでもなく、文章として記されているそのすべては劣化しているようだ。感性が摩耗していて、何も感じられなくなっている。それでも言葉が循環しながら空白に降り注ぎ、何やらわけのわからぬ文字列を構成している。世界の隅々に配置された人々は何に興味を抱いているのだろう。いったい誰によって人の意識は配分されているのだろう。神でなければ他に誰がいるというのか。まったく冗談にさえならないことを述べているようだ。それを本気に理解してはならない。冗談でなくともすべては冗談の範囲内で述べていることだ。その対象となっているのが、君の周りを取り巻いている虚無それ自体なのか。しかしそれの何を虚無と見なしているのだろう。それは事物であり情報であるだけでなく、それぞれがそれぞれに他の誰かの思惑によって操作されているように感じられ、それを行っている者の正体が神だと見なしてしまえるのだが、君は神を信じない。ただ理由もなくその存在を拒否している。ではそれがその場に生じている冗談のすべてなのか。神という言葉は冗談で使っているわけか。何も冗談になっていないような気がするのだが、そこからどうやって冗談に結びつけるつもりなのか、その辺が理解の範疇にないようだ。常に言葉が何かから逸脱している。そしてそれを意識する度に疲れる。すでに眠たくなっている。それを催す原因は無駄に言葉が詰め込まれすぎているからか。もはや文章とはなりがたい。意識は自然の鼓動に同調している。何かが音を奏でているようだ。音ではなく調べか。旋律の理論に適合しないから雑音に近い。それで救われた気分に近づけるだろうか。指先がプラスチックの表面に触れているうちに何を感じ取れるだろうか。それは冗談ではないのかも知れず、ただの感覚に過ぎず、言葉になるような現実ではない。心が虚構を受けつけなくなっている。言葉が構成するフィクションに反応しない。だがそれでもやることはわかっているようで、何かの巡り合わせの結果として、君を無視しながら文章が構成されている。そしてまたもや自己言及に行き着いている。業を煮やした影がその場に何もないことを物語っているつもりだが、本気に受け取れない雰囲気がある。しかし冗談ばかりではつまらないだろう。川は流れ時も流れ、場所も心から遠ざかろうとしている。要するにそこへとどまれないということだ。どこまでも遠くに流され、意識を解体する虚無の作用が優勢となり、乱雑さが増大して、やがてすべてを忘れてしまうだろう。自らが語っている内容をまったく理解できなくなる。はじめからそうなのではないか。過去の思いがそこで消失しているようだ。すでに感じ方が当時とは異なっており、当時の意識から導き出された顔はどことなく苦しがっているように感じられ、何やら引き潮に乗って沖へ流された溺死者のような風貌を思い出すが、それが何を意味しているわけでもなく、やはり何かの冗談からありもしないことを語っている誰かがそこにいるような気がして、思い出ではなくねつ造の趣をわざと醸し出しているようで、それが何の気晴らしにも結びつかず、かなり常道を逸脱して横道から獣道へと入り、まるで行方不明者のような気分を空想している誰かの姿をなぞりながらも、そんな嘘を真に受けようとはせず、ただその場の雰囲気をかき乱すようなことを述べている。そこから何を悟ることになるのか。何を予想しているわけもなく、どうなるべきか考えを巡らそうにも、そのとっかかりから躓いているような気がして、それに関する情報が頭に入ってこない事実を認めざるを得なくなる。そんなのも嘘のたぐいか。まだ直面している現実から逃げているような気がする。すでに君はそれ以上のことを述べているはずだ。それが作業の成果として提示されている。誰がそれを示しているのか知らないが、それを邪魔する者などいはしない現状に気づくべきか。いったい影はどこで何をやっているのか。何の出現を阻止しなければならないのか。睡魔の助けを借りなければ何もできない。だから今はそれくらいで妥協する必要があり、言葉を使って何らかの意思表示が為されている状況を受け入れるべきだ。眠気が途切れ途切れにやってくる合間に思いついたことがその場に表示されているわけで、それを隠蔽する理由はどこにも見当たらない。黙殺したければしていればけっこうなのだろうか。


9月13日

 まだ煮詰まっているのだろうか。おそらく文章を書く才能がないのだろう。気休め的にいいわけを述べるとすればそうなる。まったくこの世の何を馬鹿にすれば気が済むのかわからない。泥水の中を何が泳いでいるわけもなく、たぶんそれはいつの話ではない。そういう語り口が気に入らないようだ。何も思わなくてもいつものように時が流れ、夕闇が迫る頃家路につき、そんな嘘を振り払う気がしなくなり、何につきまとわれているわけでもなく、他の何をどうするつもりもなく、誰かは決まって夜に語り出す。当然語っている内容に君は含まれず、他に時間がないのだから仕方がないということで済まされる。書きかけの文章にはこだわりが感じられない。個人の意志を反映していないのかも知れず、無理に話の辻褄を合わせようとしていないようで、支離滅裂をそのままさらけ出している。何が面倒くさいのか、あるいは何をそんなに戸惑っているのだろう。文としておかしいことはすでにわかっているはずだ。苦しみぬいた結果として出てきたものがその程度ではがっかりだ。だが苦悩が永遠に続くわけがない。苦悩が終わる以前に命が尽きている。どのような経緯でそこへ至ったのか知らないが、烏龍茶だけでは体に堪える。ジャガイモの油揚げを食べながら、苦し紛れに関係のないことを述べている。そこに言葉を記す場所が残されているとは思えない。このまま同じようなことを延々と述べ続けるべきなのか。誰に何を尋ねているのだろう。偽りの悩みでは心が動かない。別に何を動かそうとしているわけでもない、という嘘も受け入れられない。ではどうすべきなのか。そんなことを述べているうちに、何かが煮詰まり続けて固形化してしまったようで、何かがどこかにこびりついて、その汚れが取れなくなっている。今は修正をあきらめて、それらの不自然な文字列を眺め続けているようだが、それについて何も感慨を抱けないことをいぶかしく思う。でたらめな話の中で何を思うだろう。まだ冗談の続きが残っているのだろうか。君には関係のないことだ。まったくつながらない。情報伝達がそこで途絶えているのかも知れず、それについて君は何も思わない。状況が君の言説を必要としていないのかも知れない。君はそのとき何を期待していたのか。そして今は何を忘却すべきなのだろう。それにしても数日後は暑すぎる。唐突に不安を抱いている。言葉になりようがない。心は虚無の支配に浸食されている。そんなはずはない。眠気を振り払うのがやっとで、他に何をやろうとしているわけでもない。そんな時間帯もあったらしい。何がそこでの事件となりうるのか。それは事件ではなく事故のたぐいか。まるでとってつけたような理由がほしいところだが、それは何をやるための理由になるのだろうか。やる気がないのに何をやろうとしているわけでもないだろう。そこで時間が途切れ途切れの意識を置き去りにして、どこか遠くへ流れていってしまう。それもそんなはずがないだろうか。そこで君が何を思っても無駄か。君の思惑を無視しして、言葉も君を助けようとしない。君が君でないような気になるのは、君に課せられた使命が君を裏切っているからか。なぜそこから遠ざかれないのだろう。何から遠ざかろうとしているつもりなのか。また遅れてしまいそうだ。時間を取り戻せない。それは君の時間ではない。それでも君はこの世界の存在を認めなければならず、自らが生きているのでも死んでいるのでもない、と思いたくても思わせないような何かに注目しなければならなくなる。それが今直面している現実なのだろうか。ならばもはや命脈は尽きているのではないか。なぜそう思うのかわからない。それは単なる言葉のあやかも知れず、使っている言葉の意味がわかっていないことも相まって、その場にさらなるでたらめが醸し出されようとしているらしいが、それでも何かを語っているつもりになれるだろうか。ただわけがわからないだけでは物足りないか。それを回避したければどうすればいいのだろう。直面している状況をどうしようというのか。誰の指図も受けつけないような成り行きに未来があるわけがない。別に催眠術にかかっているわけではないが、意志とは無関係に勝手に適当な言葉を記している。そうまでして言葉を連ねたければ、そんな現状を認めるべきか。それを認めたからといって何がどうなるわけでもない。今現在の状況がそうなのだから、そこからいくら遠回りしようと、今を超えた地点にたどり着くことはないだろう。しかし今の何に興味を抱くべきなのか。通りには人がまばらに立っている。あてもなく歩いているのかも知れない。何が目的だとも思えない。誰が君に話しかけようとしているのか。そんなことはあり得ない話か。君はただの亡霊だ。その姿が人の目に見えるはずがない。当初はそういう話ではなかったはずだが、現状の何を捉えることもできず、気がつけば文字を記す指先を眺めているだけの状況だ。だがそれで何に気づいたことにもならず、その場の殺風景を認めようとしないばかりか、進んでそれらの殺風景の一部になろうとしている。本気でそんなことを思っているのだろうか。


9月12日

 話はそこで終わらない。他の誰かに気を遣っているのだろう。ありふれた言葉が並んでいる。無理に続けようとしてもそこで行き詰まる。体調が思わしくないようで気分が悪くなる。それは昨晩のことだろう。それで何を否定したいのか。まだ何も話していないような気がする。架空の人格に含まれるそれぞれの意識がそれぞれに思いを抱いているらしいが、それが文章に反映されることはない。たぶん君には関係のない思いだ。結局どこから遠ざかっているわけでもなかった。死に至る病を患っている人には希少価値があるだろうか。しきりにがんと共に生きようとしているらしいが、それは誰に勇気を与える試みなのか。だがそう述べて何を問うているわけではない。世の中にはそういう成り行きの人が多いのだろう。今の君には関係のないことか。一時落ち込んだの体調は幾分持ち直している。一応は回復傾向のようだが、作業が進む気配は一向にない。何も思いつかない時間帯に入っているようだ。そんな現状認識にそれほどずれはない。そして本当にお別れの時間が迫ってきたようだ。今さら空を引き裂いて救世主が到来するとは思わない。それでも変わり身の速さは天下一品か。まだ秘密を知られているわけではない。隠し持っているものがそれほど有効だとは思わないが、少なくとも気休め程度の効用はあるらしい。偶然の巡り合わせが現状を混乱に陥れる。成り行きが期待を裏切っている。気力を振り絞って不具合を是正していかなければ、本当に終わりとなってしまいそうだが、今はそんな成り行きになってしまってもかまわない。それどころか執拗に終わらせようとして、何も施そうとしない。何もできないといった方がより現状に近い。今操作しているそれは万能の機械なのか。物語の中で誰が何を語っているのだろうか。様々な言葉が弾け、あらゆる方向に飛び散ってゆく。君はそれが罠だと知らずによけて、別の方角を見つめているようだが、周りを取り巻く風景の中で、何に興味を抱いているのだろう。それは物語が作り出した架空の風景だ。言葉が何かをねつ造している。君にはそう見えているらしいが、それが罠だとしたら、君の心象風景は誰によってもたらされているのだろうか。あるいはまったくの見当違いか。本当に眠たいのなら眠ってしまえばいいだろう。一つとして不完全の汚名を晴らす材料はない。そこで何が汚されているのかさえわからず、何に向かって努力しているのかさえ定かでない。まったく無関係な複数の文章を一つに統合して、それで何か述べている雰囲気を形成している。本気でそう思っているのだろうか。わからないがそう思っているのなら、それでかまわないのではないか。何の評価にも値しない試みなのだから、それはそれで当たり前のことだ。どこへも持って行き場のない文章なのだろう。だがそれで何を実現したつもりになれるのか。言葉の連なりは何も語りはしない。ただ連なっている以外に何を示しているのか。誰に読まれることもよしとしない。読む以前にまったくの出来損ないのように見える。読むに値しないばかりか、文法的に間違っているのではないか。だがそれがどうしたのだろう。わざとそう述べているとうそぶくつもりか。回りくどすぎる。いったい何について述べているのだろう。まだやる気になっているのだろうか。なぜそういう方向で話がまとまろうとしてしまうのか。まだ疑念の噴出が止まらないようだ。放っておけばいくらでも出てくる。それは際限のない疑問符の連続になる。そこから何歩先にも躓きの石が転がっていそうだ。それが罠だと勘違いするほどのことでもないだろうが、そこでわざと躓いて転んでみせるのもありがちな成り行きか。誰に注目されたいのかわからない。たぶんそのぎこちない動作には尾ひれがついて、大がかりでわざとらしい演技を伴った躓きを連想させてしまう。誰かは何事も大げさに見せないと気が済まない体質のようだ。そこまで来てしまったのだから他にやりようがなく、それなりの後始末をつけなければならなくなり、君はそこで必死になって具体的な事物について語ろうとするが、何もないのにできるはずもなく、挫けてしまってふてくされている。そして破れかぶれの雰囲気を醸し出して、その場をごまかそうとしているようだが、冗談はもう打ち止めだ。結局誰かに読ませられるような代物ではなくなり、いつもの意味不明でそれをいいわけとして活用したいらしいが、やればやるほど虚しさがこみ上げてきて、そこで行われているつもりの言葉のパズル遊びも、最後のひとかけらが合わずに苦悩している。はじめから完成できない文章だったのではないか。何をどう語ろうと、それが何について述べているわけでもないという点において、そこまで述べてきたすべてが否定されてしまい、そこからどのような修正も受けつけないような言葉の連なりを呈していることに気づかされ、もはやあきらめること以外にどうすることもできず、そうかといってあきらめてしまったらそこで終わってしまい、そこから先に言葉が続かなくなってしまうわけだ。


9月11日

 誰かの口から手短にドラマが語られ、それに関する心理ゲームが発動する。君たちは誰にかによって何かを見せつけられている。しかし何が語られようと馬鹿げている。そこには言葉以外に何もない。たとえば教育が再生したらどうなるのだろうか。何かそこに目的らしきものがあるとは思えない。手探り状態で冗談のたぐいが語られ、それに関して実感が何も湧いてこない。なぜそれほどまでに自由民主党なのだろう。人が変われば社会も変わるのだろうか。君はどこまでも政治的無関心を貫き通す。たぶん感情的になれないのだろう。相手をやっつけた気がしない。それは勝負ではなかった。通常の職務を遂行しているだけか。そこに至る前になめてかかってしまう。理論家が空想に耽っていてはまずいらしい。それはガラス瓶ではなくペットボトルだ。状況は最悪の結果を招きつつあるのだろうか。絵にならない構図かも知れない。だが今はそれを生かさなければならない。まったくのでたらめだが、何に反感を抱いているわけでもない。このままでは何もできなくなってしまうだろう。そんな嘘は通用しない。ではなぜそこから遠く離れてしまったのだろう。君は成功することを目指しているのではない。ただそこから遠ざかろうとしている。なぜそうなのかわからないが、とにかく遠ざかろうとしている。この世界から遠ざかりつつある。机の上が雑然としていないか。その調子で行く先も告げずに出て行くと、冬空の下で凍えている。それがいつの話なのかわからない。ひらめいた言葉は現在の時空からかけ離れているようだ。傷だらけの風情が気に入っているらしい。たぶん時間調整が利かないのだろう。ブレーキがどこにあるのかわからない。それらの夢は幻を形成している。嘘なのかも知れない。君は勝ち馬に乗ったつもりだろうが、焦りの色を隠せない。何が安定に向かっているはずもなく、やがて幻滅の時が訪れるだろう。遠からず失速するはずだ。そこには埋め合わせることが不可能な亀裂が走っている。青の風景は竜の到来を待ちうているわけではない。誰かが君を守っているような気がしてくる。だから机上の空論でもかまわないのか。理由になっていないが、そのときはそれでかまわない。わかりやすい展開を求めているとは思えない。誰もが過ぎ去ろうとしているのだろう。時が過ぎ去り人が過ぎ去り時代が過ぎ去る。やがて誰もいなくなってしまうだろう。予言が誰に向けられているわけではなく、誰に対して予言が告げられているわけでもない。それがすでに予言でなくなっており、現実をそのまま反映した言葉の連なりになっている。今や君が逃れようとしている世界の出口は完全に閉ざされている。引力が強烈に作用を及ぼしていて、誰も出口までたどり着けなかったようだ。だからこの世界で願いを叶えようとは思わない。それは誰の願いでもなくなってしまう。外へはみ出ることすらできない。決められたレールの上を一定の速度で移動してゆく。何について語っているのだろう。妨害が入っているのかも知れない。何のための妨害なのかわからない。それがなければ今頃はどこをほっつき歩いていることになるのか。何をやっている気にもなれない。幽体離脱のたぐいかも知れず、部屋の中には天井から君自身を見下ろしている君がいるらしい。それに関して科学的には何が証明されているのか。体に悪いのはアルコールのたぐいか。何を過剰に摂取しているのだろう。意識がそこまでたどり着けない。他にも何かがあったはずだ。そこに至っている理由が見当たらない。もっと忙しくなってほしいようだが、なぜそうやって現実を忘れようとしているのだろう。まだブレーキがかかっている状態だ。すでに心は虚無に引き寄せられている。何も見いだされないことに魅力を感じている。精神的に持ちこたえられそうにない。人ぞれぞれでそれに対する感じ方にも程度の差があるはずだ。真摯に耳を傾けるつもりはない。受け止め方にも考え方にも違いがある。その場合は誰の人格を利用すればいいのだろうか。他の誰を陥れるつもりで話を進めているのだろうか。まさか命がけでカードゲームに興じようとは思わないか。それはわざとらしい支離滅裂だ。もはや手の施しようがない段階まで来てしまっている。まかり間違ってもそこからの大どんでん返しはないだろう。だから安心してつまらぬ戯れに興じていられるのか。本気になれない原因がその辺にありそうだが、誰が本気になろうとしているわけでもないことも確かだ。この世界では本気になってしまった者から去ってゆく。人は永眠するためにのみ生きている。しかし誰に気を遣う必要があるのだろうか。雌雄はすでに決しているのではないか。誰もそこから浮かび上がれない。すべての人間がおぼれかかっている。空気が酸素不足なのかも知れない。それは君に課せられた使命ではなく、思い当たることは何もない。君は誰のために生きているのだろうか。自らの影のために深呼吸が欠かせないようだが、それで君が生かされているとは思わない。すでに影は死に体か。


9月10日

 寝ぼけ眼でどこかを見ている。まだその段階ではなかったようだ。他の誰かに順番が回ってきたようだ。瞬きしているうちに何がもたらされるのだろう。なぜそこまでやる必要があるのか。何をやろうとしていたのか忘れてしまった。そんな台詞は聞き飽きている。もはや台詞でさえない。言葉を発する前に沈黙が訪れる。ならば君はこの世界に何ももたらせないだろう。それも毎度のことだ。そこで行き詰まるのにも飽きている。現状において何をしくじろうと、そこからこの世界が始まる。世界は君の外にある。君がこの世に存在している理由はない。だがあの世にも存在し得ないとしたら、君の存在はどうやって証されるのか。実際はそうではないと思う。誰が何を証そうとしているわけではなく、そのような行為そのものが不在なのだから、従って何も証されない。実際に何がどうなっているわけでもないらしい。ただあるがままの現状がそこにある。だから何も証しようがない。自らによって繰り出された言葉が自分自身の思考が反映されるのを拒否している。しかし君のいわんとしていることがわからない。要するにタリバンもアルカイダももう少しリラックスしなければならないということか。どこからそんな見解を持ち出してきたのかわからないが、まったくの無関係だ。君の変わり身には意味がない。それらの言葉はこの世界と何の関わりもなく、ただ適当に連なっている。たぶんそれは嘘に違いないが、成り行きの必然性を求められない。意味がないだけではないか。そしてそこから立ち直るきっかけがつかめない。ならば無理に立ち直ろうとはせず、そのまま貧窮の時をやり過ごしていればいいのではないか。誰に向かって物申しているのだろう。誰でもなくても、それはそれでかまわないのか。ではなぜ気休めを求めているのか。誰がそれを求めているのだろう。たぶんそれとは無関係に意識は過去を思い出しているのだろう。そうしているうちに何に反抗しているのかわからなくなる。何かに逆らって言葉を繰り出している現状が馬鹿らしく思えてくる。できることならそのときを思い出してほしいか。だがそれで話がどうなるというのか。聴いているそれらの音楽が現状を反映していないということだ。夢とはそういうものだろう。だがそれは誰の夢でもなく、夢という言葉によって何か得体の知れぬ成り行きを空想したいだけなのではないか。文の内容に整合性が欠けている。ならば誰の名前をノートに書き込みたいのか。そんな話もあるにはあったが、死に神にはそれとは別の思惑があるらしい。名の知れぬ誰かは人の生死などに関わっている暇がないのかも知れない。いつもせわしなく動き回っているが、仕事がはかどっているとは思えない。たぶんそんなことに関心はないのだろう。気晴らしや気休めだけではどうにもならない疲れを覚える。何かに追われているのだろう。余裕を感じられないので無意識のうちに閉じこもろうとしているが、閉じこもる場所がない。君は甲殻類ではなさそうだ。そこで何を語っているのか知らないが、たぶんそれは誰の話でもありはせず、ただ閉じこもるのが面倒なだけではないのか。とりあえずその辺の事情は、主観に訴えかければいろいろな見解が導き出される。ただそうではないと思いたいだけか。君は相変わらず現実逃避に余念がなく、言葉の使い方も間違っている。やり過ぎているのだろう。それは映像表現のたぐいだろうか。冗談が過剰に生じていて、それにつられて瞳孔が開いている。わかりにくい文章表現だ。どうせでたらめなのだから、わかってもらわなくてけっこうか。理解する手間を省いているようだ。それですっきりするはずがない。どこまで自己流を貫き通せば気が済むのか。身勝手にもほどがあるだろうか。だからいつまで経ってもお手並み拝見とはならない。何が作り出されているわけでもないが、何がどこから生じているのだろう。人知の及ぶ範囲には何もありはしない。偶然が君の心を蝕んでいる。言葉が摩耗しているらしい。だが自業自得というわけでもなく、誰が招いた災禍でもないだろう。いきなり終わってしまうとも限らないが、誰がそんな展開を予想しただろうか。だからまだその段階ではないと述べていたではないか。痛し痒しでは何も示せない。水分の補給が足りないのだろうか。砂浜に波が打ち寄せている。言葉に病などありはしない。良い面と悪い面を足して二で割ってみても結論は出てこない。たぶん冷房が寒すぎるのだろう。それで何を理解しているわけではない。でたらめの限界を超えている。感覚が鈍い。疑問はいつも遅れてやってくる。その辺のさじ加減を忘れていた。今となってはもう手遅れだ。それでもまだ機会が巡ってくるのだろうか。気休めの時間がやってくること願っている。もう何も考えなくてもかまわない。何を肯定できるわけもない。導き出されているのはただの文章なのだから、あとはそれ読めばいいだけか。読んで納得するかどうかはともかく、美的なこだわりを後生大事に抱えていると、それがもとで破滅するだろう。


9月9日

 現状のとりとめのなさに打ちのめされる。別に息を潜めるような状況ではないが、さっきから何を押し黙っているのか。いくら急かしても何も出てこない。文章の行間から漏れる雰囲気は、期待はずれの様相を呈している。誰かの意識はそこから何を連想しているのだろう。たぶんそこで意味がわからなくなる。また嘘を記してしまったのならそれでもかまわない。言葉を書き記しつつ誰かにとっては、言葉なら何でもかまわないのだろうか。何を組み合わせても、そこに生じる意味の存在も無視している。闇の中に誰が潜んでいるわけでもない。何にうちひしがれようと、それほどふさぎ込んでいるわけではない。それらの労苦はいつか報われるだろう。言葉によって何を実現させようとしているのでもないにしても、嘘でもかまわないから少しはねぎらいの言葉を期待してもいいのではないか。もちろん本気でそう思っているのではないが、何となくそこから醸し出される否定体質を肯定してみたくなる。本当は冗談ではないのだろう。誰かは別の場所でしばらく考え事をしていたらしい。気のせいかも知れないが、秋の気配を感じている。少し早まってきた日没の時間帯に、くすんだ情景を眺めているつもりになる。エレベーターは五階で止まったまま動かない。十三階段の先に見えない階段が天へと延びている。誰かは首をくくる場所でも探しているのか。話の展開が早すぎる。何を途中で省略しているのか。俄には省かれるべき言葉を想像できないが、意味不明な妄想が誰かの心を脅かしている。それが冗談だと思われる。笑いをこらえたついでに妄想の内容を知りたくなるが、そんなものなどどこにもありはしない。そこで書き記しているそれ自体には何も含まれず、それらの文章は空疎な無内容を反復しているだけだ。それが何を脅かしているのでもない。たぶん何かの勘違いなのだろう。ただ言葉がつながらず、話を構成できないようだが、それでも自然と言葉が湧いて出る。要するにまったくのでたらめに違いない。見上げれば壁伝いに蜘蛛がこちらへ近づいてくるが、その小さな虫に何の脅威を感じることがあるのだろうか。しかしそれを省けば他に何があるというのか。何を苛立っているのだろう。今日も誰かがどこかから言葉を発しているらしい。遠すぎて顔が判別できない。それは顔ではないのかも知れず、何かの立て看板の可能性もあるが、たとえそれが工事中の看板であろうとなかろうと、顔のない君にとってはどうしたわけでもないが、そこから発せられているつもりの彼からのメッセージとは何なのか。携帯端末が表示しているそれらのメールは、盲目の君に何を伝えたいのか。それが何のためになるというのだろう。読んでみれば期待はずれだろうが、それをどうしようというのでもない。麻疹の一種だろう。誰もが一時的にうなされる。たぶんそこで何をためらっているのでもないらしい。誰かの秘密は隠し通されるべきなのか。それが秘密でなくなれば何の価値もありはしない。だからいったん公開されたただの情報に値打ちはない。君はまた嘘をついている。影はいつまで経っても現実の世界に戻ってこない。誰かが虚構を作り出している間に、行方知れずになってしまったらしい。数日後の空は晴れているようだが、いつまで経っても何もわからない。わからない状況を変えようとは思わない。たぶん他に記すべき言葉が見つからないのだろう。もう夏の蒸し暑さはこりごりだ。ならば後は秋になるだけだ。それとこれとは無関係だ。わかっていることをいちいち述べている場合ではないか。しかしそれ以外に何があるというのか。それがわからなければやめてみよう。ますますわからなくなる。何を感情的に反抗しているのか。冗談で述べているわけではない。何かを意識せざるを得なくなる。そんな表現はおかしいだろうか。今となってみれば美しい国とはいかなるものだったのか。なぜなのだろう。何がおかしいのか。何もおかしくはない。それが当然の成り行きなのだ。君は何を焦っているのだろう。それらの感情的な反応に感動しているのだろうか。そこにも意識があり、そこから人間らしい感情が生じていることに感動しているわけか。何とかしてその場を荒らしたいのか。それもうなずける話だ。狭い範囲で何かを主張している。それはどういうことなのだろうか。どういうことでもないのはわかっているはずだ。何を語っているわけでもないのもいつもの通りか。何となく難しい局面を迎えていると思っている。だがそれで何がどうなるわけでもなく、過ぎたるは及ばざるがごとしのごとく、過剰な言葉の噴出によってくだらぬ言説を維持継続しようとして、どうもそれを肯定したい気になっているようだ。要するに戯れ言でしかないだろう。そんな成り行きに頭が対処できない。何を動揺しているのか。何ももたらせないことに腹を立てているのか。だが何に憤ってみても仕方がない。現実に何もないのだからどうしようもない。どうしようもなければそこで終わらせたらどうか。それは価値のある提言だろうか。たぶん何を述べているのでもない。


9月8日

 何となく文章のつながりが難しくなってくる。いつまでもとりとめのない思いにとらわれているようで、誰もいないのに架空の誰かを引き留めようとしている。それはどういうことだろう。わざと矛盾させているみたいだが、意味が通らないのは毎度のことか。彼らは何と戦っているのだろう。見えない敵という敵がどこに潜んでいるのだろうか。ただわけがわからないようだが、それらの戦いに決着をつけようとしているのではない。できるだけ長引かせて、戦いを楽しんでいるのではないか。現状では決着などつけようがないだろう。もはや戦いに決着がつくのはフィクションの中だけか。それの何が気に入らないのだろうか。そうでなければどうなるというのか。確かに何もないだけでは話にならない。しかし何を思い悩んでいるのだろうか。誰が何を述べているのか。意識と自覚がない。自らが何を見聞しているのかわからなくなる。見たまま聞いたままの言葉を書き留めているわけではないが、おかしなことを述べて他人の気を引こうとしているわけではない。しかしかなりおかしい。でたらめに言葉を並べて文章が成り立つわけがない。それに関して何を考えているわけでもない。別にそんなことはどうでもいいことだが、何について何を述べたらいいのかわからない。誰かが君を呼んでいるようだが、それを無視してさらに道のない荒野を進んでいるつもりになる。現実からかけ離れた話だ。説教師には心が読めない。それは誰の心でもないから読めないのか。しかし何を張り切って演説しているのか。血気盛んな若者など少数派に過ぎない。この世界には何ももたらされない。それを大前提として認めなければならない。それは呆れた見解になるだろうか。わざと間違ったことを述べている。だがそんなことに気を遣っている暇はない。何に満たされているわけでもなく、水位が以前より上昇しているとも思えない。大雨の予感がしていたのは数日前のことだ。それから何日が経過したというのか。だが誰の心配が杞憂に終わったわけではない。君にとっては無関心なだけだ。その予感が当たっているか否かは君にとってさほど重要なことではない。時計の針が正常に動いていようといまいと、誰かの感覚は時とともにそこから遠ざかり、ただ忘却を利用して何事もなかったことにしてしまう。そういうやり方が我慢がならないようなら、出来事が起こった後の事後記入表でも作って、時間ごとの経過をそこに記入してみればいい。そこから何がわかるというのか。ただ怠けていただけでは済まぬ問題も浮かび上がってくるだろう。空に雲がせり上がってくる様を眺めていたのはいつのことか。またそれとは関係のないことを述べているらしいが、そこに何か問題があるとは思わない。そう思ってしまうことが問題なのだろうか。考えている内容が支離滅裂だ。まったく話になっていないようだ。脳裏をかすめている記憶を取り出せない。そんな話ではないはずだ。たぶん嫌がらせは嫌がらせを続けている本人を苦しめているのだろう。そのくずのような人格から悲惨な言葉が絞り出される。それで何を述べているつもりになれるのだろうか。くずにはくずがふさわしく、くず同士で意気投合したいのかも知れないが、そのすべては架空の域を出ない話となっている。なぜ人間はその程度の範囲でこじれてしまうのか。単に馬鹿なだけでは気が済まないようだ。君はそこから遠ざからなければならない。些細な感情の行き違いから亀裂が深まる。馬鹿げた冗談の応酬から気まずい雰囲気がもたらされる。誰もいないのにそんな言葉が響き合う。他に響いてくるのは屋根を叩く雨音だけか。それらの現実は冗談にもならない成り行きを構成したいらしいが、まったくわけがわからない。無理に語ろうとしているのがいけないのか。わかりきったことを述べないでほしい。とりあえず攻撃の対象となる架空の相手を想定してはいけない。しかし何が架空なのか。架空でなければならない理由があるのか。それはセンスの問題だろう。また外れているようだが、何が外れているのだろう。自問自答で何がわかるというのか。出てくるのは答えでなく、あくびばかりのようだが、眠たいことが何の理由になっているのか。眠たくなるようなことばかりを述べている。それは君の言説ではない。無理矢理繰り出された言葉がきしみをたてているようだ。それで誰の苦悩を表現しているのか。ごり押しばかりではらちがあかない。そんな厳しい状況に笑ってしまう。誰かはどうかしているようだ。頭がおかしいのではない。そういう現実逃避に意味はない。君たちは何を追悼しているのか。壊れたと思っていた腕時計が電池を交換したら動き出す。どうもその先に言葉を続けられない。テロで死んだ人は運が悪いのだろうか。その命は交通事故で死んだ人のよりは希少価値があるのかも知れない。死んだ人は待ってくれない。放っておけば忘却の彼方へと消え失せる。だから君の勝手な言動を認めるわけにはいかないらしい。それはまたしても理由になっていないようだが、それでかまわないのだろうか。何を求めているわけもない。


9月7日

 たぶん無駄なことを語っている現状を肯定しなければならないのだろう。数日後の空は曇っていて、ようやく蒸し暑さからも解放され、そんな現状認識はつまらないと思うが、そう思わなければ、何となくどこまでもおかしな雰囲気に包まれているような気になり、またそんなことを述べている現状を認めるしかなくなり、それが語っている自らの首を絞めていることを忘れてしまいそうだ。どう考えても何もない現状を打開するには至らない。だがそれで死ぬわけでも生きるわけでもない。生き残ろうとするならもう少し気の利いたことを述べている。死のうとしているならもう少し切羽詰まった緊張感に満ちているはずだ。それに関して何か思い当たる節はないか。苦し紛れでもかまわないから何か適当な事実を暴露してみたらどうか。衝撃的な真実というやつをもったいぶりながら語ってみればいい。それこそが冗談に違いない。馬鹿相手に本気を出せばそこから人気者への道が開けるかも知れず、そんなくだらなさに動揺するでもなく、まったくのでたらめに無感動が対峙しているだけで、わけがわからないにもほどがあるわけでもなく、何かが無制限に絞り出されているようで、それは尽きぬ言葉の連なりを妄想させるようだが、実際にはどうなるのかわからない情勢にある。何かが誰かの無我夢中に共鳴している。間違っているかも知れないが、それを押し進めようとしている。まだ間に合うだろうか。たとえ間に合ったからといってそれがどうなるわけでもないが、とりあえずぞこから自己満足がもたらされるのだろう。何の価値もない自己満足だ。そのようなやり方はまったく肯定できない。考えるいとまを与えないほどの時間の進み具合だ。急激に引き戻されているらしい。どのようなことも躊躇なく記されようとしている。とにかく何かを書き記せばそれでかまわないのだろう。そんなやり方がどこで通用するわけもないが、とりあえずのやり方としては正解なのだろう。結果的には間違っているのかも知れないが、その過程においては正解なのだ。それで間に合わせの文章が連なっている。やる気になっているのだからその流れを押しとどめることはできない。躊躇していたらそこで終わってしまう。それがそこで課せられているノルマなのかも知れない。だから居眠りしている場合ではないわけだ。君はそこで誰を裏切っているのだろう。幻想の未来を引き裂いている。架空の登場人物を省いている。だから物語になっていない。わざとわけのわからないことを述べている。それはどうでもいいことなのかも知れないが、それでも話をねつ造する気になっているらしい。何となく嘘をつきたいのだ。それで誰を陥れようとしているのでもないが、それでも嘘は嘘に違いない。現状では何をどう述べても嘘になってしまう。そんな現状に誰かの感性が埋もれている。それをことさらに掘り起こそうとは思わないが、それでも結果は結果として、それらの空疎な内容を受け入れなければならず、そこからしか前へ進む方法は見当たらない。見当たらなければどこかへ隠れているのかといえば、その可能性はあるのかも知れないが、それを探っているほど時間的な余裕はないらしく、ようやくここに行ったって切羽詰まった様相を呈しているようで、そんな状況の変化に驚くでもなく、とりあえず何かを述べながら突っ走っている現状があるらしく、それを認めようと認めまいと、そこにどのような内容があるとも思えず、結果として示されている言葉の並びを読んでいくと、それはいつもの自己言及だとわかり、何のことはない空疎がそのまま続いているだけだと認識されるわけだ。しかしそれでおもしろいだろうか。そんなことを述べていて楽しいか。そういう自己否定もいつもの成り行きだろう。要するに君はそんな風にも述べることができるということか。何となく当たり前のことを述べているだけかも知れないが、それにわざとらしく驚くつもりもなく、ただ淡々とそれらの作業をこなしている自らにねぎらいの言葉でも投げかければいいのだろうか。ますます頭がおかしくなっているような気がしてくるが、それも演技の一種かも知れず、そんな架空の演技を通して、架空の話に何らかの一貫性が備わってくるのだろう。君はそこで何を述べているのでもないということか。今さらわかりきったことを述べないでほしいか。だがそれで間を保っているのだろう。そこに生じている間から文章が言葉の構成物として目の前に浮かび上がり、何でもないようなことを述べている自らを、その存在の一部始終として感じさせるのかも知れない。今の君はそれで満足すべきなのだ。満足していれば、他の不満も自ずから浮かび上がってきて、それとの対比において向上心でも生まれてくるのかも知れず、それを利用しながら前進させていけば、そこから先が何とかなるような気もしてくるはずだが、それは独りよがりな考えでしかないのだろう。それによって何らかの前進が図られ、実感として前進しているような気がして、それなりの自己満足を得ているのかも知れない。


9月6日

 架空の世界では話を成立させるために誰かが何かをけしかけている。それで気まずい雰囲気というわけではないが、何となく無愛想な顔をしている。いつもの好戦的な口調はどうしたのか。影は何を生業として生きているのだろうか。秘密が明かされるのは物語の中でだ。すべては架空の話だ。語りたくもないことまで虚構の中で語られる。たぶん君は納得がいかないのだろう。なぜそんなところで躓いているのだろうか。そこからわざと遠回りしながらぎくしゃくしたいのか。そんな風に語ることができたら苦労はしない。何もないから苦労しているのはいつものことか。君はそこから話がどうなってしまうかわかっているのではないか。要するに話にならないわけだ。話を成立させる気がないらしい。だからいつものように横道に逸れて、藪の中で迷ったふりを繰り返し、何となく途方に暮れて、困ってしまったつもりになる。それで心臓が締め付けられるような胸の痛みに耐えているとは言い難い。そんなことを述べて何になるのだろうか。唐突な文章の出現に驚くでもなく、まったく脈絡を感じられないようだ。言葉遊びにもほどがあるか。遊んでいる風を感じさせないほど追い込まれているはずなのに、なぜか気が抜けている。どこからも力が湧いてこないようだ。だからそこから何が見いだせることもないのだろう。もちろんそれが何の理由になっているとも感じられず、どこでどのような結果がもたらされているのでもない。ただそんな現状を否定したいだけなのか。単に否定したいだけでなく、ただの冗談だと見なして思考の対象から遠ざけたいのか。だが何を遠ざけたところでいずれは戻ってくる。現状が君の心を蝕み、君を破滅に導くだろう。たぶんそういう物語なら感動するのかも知れない。しかし話の内容は何もない。感動のもととなっている出来事がどこにも見当たらない。心動かされるような体験とは無縁の暮らしの中で、感性が摩耗し、何も感じられなくなっているようだ。何がどうなろうと、誰かを突き動かすような原動力とはならない。君がやっていることはそこから遠く離れているわけではない。実際にやっていることといえば、地上の狭い範囲で動き回り、そこから自らの行動の根拠となる言説を導き出そうとしているだけか。君は何のために生きているのだろうか。その答えをねつ造するために行動しているわけか。だがそれが答えになっていない現実に気づくべきだ。そんなのは嘘だろう。嘘でなければ真実を構成できないなら、それは致命的な欠陥を抱えていることになるだろうか。それの何が致命傷として機能するのか。君は君自身をどうしたいのだ。何をどう操作すれば何がどうなるのだろう。たとえ何がどうなったところで、それが何になるというのか。ことさらに空疎な文章を長引かせるだけか。成り行き的にはそんな否定的な見解しか導き出せないようだが、何をもたらそうとしているわけでもなく、何をどう思っているわけでもないとしたら、それらの文章はただの無駄でしかない。それを否定するのは簡単なことだ。ならば否定できないような成り行きにもってゆかなければならない。君がそれらの空虚を肯定しなければ、すべては水の泡となってしまう。しかしそれがすべてではない。水の泡からも虚無が生じてしまうだろう。冗談でならそんなことも述べられる。冗談でなければ本気になるしかない。本気になれば気が触れて、正気の沙汰ではなくなってしまうだろうか。気分次第で冗談と見なしてみたり、それが苦しくなれば本気になってみたり、そのどちらもが空疎なことかも知れず、まったく実態を反映していないような気がするのだが、ならばそれ以外にどのような説明が可能かといえば、そんな説明などどこにもありはしないということになりそうだ。そんなわけで君が本気になれないのは明らかか。いったい現状の何に対して本気になればいいのだろう。君はそこで何を見極めようとしているのか。それは何かの感覚だろうか。ただ何もしないうちに時間だけが過ぎ去っているような気がしてならない。何もできないうちにそこから退散しなければならなくなる。まるで時間切れで強制的に退場させられるような感じだ。この世界では居場所がどこにも見当たらない。たぶんそれは幻覚の一種だ。逃げていては何もつかめないことはわかっているものの、これが逃げずにいられようか。先が見えているのにそのまま突き進むわけにはいかない。進んだ先にくだらぬ結果が待ち受けていることを知りながら、それを目的と見なしてしまうのは馬鹿げているのではないか。そんな疑念を払拭できないままに、結局はそこにたどり着いてしまい、予想通りの結果に感動するわけもなく、無理にその結果を肯定するのもおかしく思われ、それをどのように解釈しようと、否定的な見解以外にあり得ないような状況に直面しているわけだ。だからそこから何を導き出すつもりもなく、それに関して述べている言説そのものが空疎な内容に終始するしかないだろう。当分はそれを打ち破ることはできず、現状に甘んじているしかないのではないか。


9月5日

 気晴らしとは何なのか。嘘かも知れないが、君には現実が見えているはずだ。ならば今こそそこにある現実について語らなければならない。あくびだけもたらされる世界ではない。では何か緊迫した事態に陥っているのだろうか。自らの生死を賭して敵と戦っているのはマンガの中の登場人物だ。それを読めば読むほど現実の世界から背離する。だからどうしたというのか。戦場カメラマンは無駄なことを生業としている。たぶん何かを知らせたいのだろう。何か崇高な使命があるのだ。君には及びもつかぬ魅力の虜となっているのかも知れない。そこに見せたいものがあるらしく、誰かは他人の生き様を平面として切り取ってくる。絵になる構図というやつを探り続けている。それでは物足りないのだろうか。たぶんその絵が君を裏切っているのだろう。現実の別の面を見せてくれる。それは商売といういかがわしい取引に関する現実だ。誰もが事物を売買しながら生きてゆかなければならない。そしてその事物はどこからか奪ってこなければならず、それを奪い取ることで他の事物の価値を貶めなければならない。要するに高く買い取ってくれるところに奪い取った事物を売り飛ばさなければならなくなり、そこから疚しさが生じてしまうわけだ。その結果他の誰かに陰口をたたかれる羽目になり、罪悪感に苛まれるわけだ。だから自らがひどいことをやっていることに気づくべきなのだ。そういう成り行きなら興味を抱くか。しかし何事も中途半端で終わらせなければやりきれなくなる。そこで何を思ってみても後の祭りなのだ。だからそういう疚しさはすぐに忘れてしまえばいい。気づいた後は忘れ、忘れた頃にまた気づき、そんな繰り返しを経る度に慣れてきて、いずれ何とも思わなくなるだろう。他人を傷つけることに鈍感になってくる。テロとの戦いというお題目にいつまでもしがみついていると、哀れな末路でも待ち受けているのだろうか。国際貢献とは幻想のたぐいか。他国から良く思われようとしているだけか。君は何のために生きているのだろうか。何でもなければ生きている意味がないのかも知れないが、それでもかまわないと思うようになってしまえば、その先には何が待ち受けているのだろうか。たぶん何も待ち受けていないのだろう。他人を殺めることに何の意味もありはしない。他人を生かすことに意味があるとも思わない。目的に従順な人々にはそれに殉じなければならない使命が課されている。それは恐ろしいことだ。命がけの人々には死んでもらうしかない。修羅の道を歩んでみれば何かが見えてくるのだろう。だが見えたところでそれは君には関係のないことだ。世の中の役に立つとは虚しさを味わうことだ。幻想にしがみついていることを自覚できなくなる。実際に役に立ったからといってどうなるわけでもない。ただ理由を模索するのはおかしいのかも知れない。気休めにも気晴らしにもならない。それは哲学などという大げさな言葉を用いて説明できるようなものではない。ただの行為であり、何かをやっていると思いこむことに等しい。ただ人々はこの地上でうごめいている。そこにどんな目的を設定できるだろう。目的に沿って行動しているように装うことはできるが、それが何になるというのか。何かになっていると思いこみ、納得できる結果をその手中に収めたつもりになれるかも知れない。それが誰かの人生のすべてか。虚しいとは思わないか。思わなければそこで耳を塞ぐべきだ。目を閉じて何も見ないようにすればいい。それでも何かを見聞しているつもりになれる。他の大多数の人々と情報を共有しているような幻想に浸ることができるはずだ。しかしそれで何がわかるだろうか。時として何かをわかったつもりになれる。しばしば満足することもできる。それで楽しいか。楽しければ他の何を忘れたらいいのだろう。忘れられないことなど何もありはしない。何もなければ楽しいはずだ。ただ楽しむために生きてゆけばいい。だがそんな言葉に飛びつくほど純真な心を持ち合わせているわけではない。ならばそこからどうすべきなのか。仕事を続ければいい。続けていけばやがて他に何もできなくなり、嫌気がさしてその仕事をやめたくなり、やめてしまえば一時的に自由な気分を味わうことができる。それが誰かの物語を形成しているのかも知れないが、それがどうしたのか。何か感動するようなことを物語らなければならないのか。それで楽しいだろうか。楽しくなければどうするのだろう。どうもしなければ時が過ぎ去り、誰かの寿命が尽きて死が到来する。死んでしまえばすべてが終わりか。そう思いたくなければ輪廻転生を信じればいい。ああいえばこういうで、抜け道はいくらでも出てくる。だがそういう抜け道を利用しすぎると、何でもなくなってしまうだろう。こだわりが消え去り、虚無にとらわれた心を持つようになる。しかしそう述べていることは冗談ではないのだろうか。君は他に何か忘れていないか。忘れているとすればそれは何なのか。今さらそれを探ってどうするのだろう。どうもしない。


9月4日

 自らが招いた状況以外の何を批判することもできない。しかし状況とはどんな状況なのだろう。それほど落ち込むほどのことでもない。すでにどん底に行き着いているのではないか。それは何の底なのか。心の奥底をのぞいているわけではない。かなり粗雑なことを述べているようだが、そんなやり方で気が済むとも思えないが、他のやり方を模索したところで、誰の気が済むというのか。気が済む済まないの問題で何かを論じているとも思えず、述べていることが何の説明にもなっていないようにも思われる。実感としてはそんなところだろうか。君は何を見失っているのだろうか。文体などにこだわっているわけではないが、自然と気に入らないことを述べている状況のようだ。それが自ら招いた状況なのだろうか。まったく説明になっていないようだが、何をそんなに楽しんでいるのか。君とは別人の誰かがどこかで何かを楽しんでいる。それが嘘だとは思わない。確かに嘘ではないが、無理矢理話の辻褄を合わせようとしている。そんな調子でまたくだらぬ言説に終始するのだろうか。どうやら君は何もわかっていないようだ。たぶん誰のことを述べているわけでもないのだろう。それがその場にもたらされた文章だ。退屈ならそれを消去してみればいい。今さらそれはできない相談か。誰に何を相談しているわけでもない。君はそこから退散したくなり、遠ざかりたくても遠ざかれない理由を探し始めるが、一向に理由は見つからず、結局は途方に暮れたまま、その場で文字を記し始める。どうも何がどうなっているわけでもないようだ。目に映る風景を意識せず、何を空想しているわけでもなく、どこまでに続く時の流れに身をまかせるつもりもなく、場所も時期も定かでない記憶を呼び覚ますこともなく、何をやっているとも思えないような行為を続けているだけのようだ。何もわかっていないのだからそれは仕方のない対応か。現実に対処するような問題ではないのかも知れないが、いったい何が問題なのか。何を見つけ出したつもりになりたいのだろうか。そこに並べられた言葉はすべて予想外の結果から遠ざかっている。だが紋切り型とも思えない。取り立てて何について述べているわけでもないということか。この世界の出来事に文章が結びつかない。そんなことはどうでもいいように思われ、現実に対峙している意識が誰の意識でもないように思われてしまう。それが何を意味するかもわからず、意味という言葉が意味するところのものを感知できない。たぶん今は夜なのだろう。現実の日付から遠く離れて何を思うだろうか。意識のことを気にとめているわけではない。迷走しているとも思えない。迷う以前に走っていないわけだ。だが何に釘付けというわけでもない。何もなければ何ももたらせないことはわかっているものの、それでも何かをもたらそうとするのは矛盾しているようだが、それもわかっているとして、では他に何を語ることができるというのか。道に迷い行く先々で立ち往生して、ややこしい成り行きに業を煮やして道から外れ、今は道のない荒野で孤独を楽しんでいるつもりなのか。それで何がわかるというのか。もはや勘に頼るぐらいしかやりようがないが、つまらない冗談もその蓄えが底をつき、そうかといって今さら真面目になることもできず、自らでは何も立ちゆかないのなら、見知らぬ誰かとくだらぬ情報のやりとりでもしたらいいのかも知れないが、そういう自己卑下的な表現にも嫌気がさして、本気でそう思っているわけでもない意識を捨て去ることもできず、結局何がどっちつかずなのかわからなくなり、そうやって心が移ろいゆく状況を言葉で表しているのかも知れないが、現状とはそういうことなのだろうか。何がそこでの現状だと思っているのか。いつの間にかまた振り出しに戻っているような気がするのだが、次第に言葉を連ねるのが苦しくなっていく状況の中で、それでも継続をはかろうとする意志がどこから湧いてくるのかわかりかねる。ただのいいわけで済ましてしまえば事足りるようなことかも知れず、何を語っているのでもないように思ってしまえばそこで終わりかも知れない。思い悩むことなど何もありはせず、何もないから悩んでいるなどと語るのはおかしいのかも知れない。それは贅沢な悩みだろうか。贅沢でも何でもなく、そこから滲んでくる雰囲気が何かを裏切っているようにも思われ、その何かとは何なのかを言葉で示そうとする試みを何かが妨げているようにも思われるが、それがどうしたのだろうか。どうもしないが、どうにかしようとするとますますどうにもならなくなり、さらに何を語っているのかわからなくなるだけか。あくびとともに作業を中断したくなり、時間を気にしているように装いながら、これから何の予定もないのにそわそわし出すのはわざとらしすぎるだろうか。今の君にとってそれは見え透いた嘘だとも思えない。ならば今こそ本当に困ったふりをして、誰かに助けを求めるべきではないのか。別に助けてもらおうとは思わないが、偶然の気まぐれで助かってしまったら誰かに感謝しなければならない。


9月3日

 誰かは残り少ない日々に何を託しているのか。すぐに死ぬわけではない。どこでこの世界は閉じられるのか。世界の終わりに関してどんな疑念も抱いていない。夏に日焼けするのは当たり前のことだ。心の底が抜けている。鍋底が割れているようだ。それはコークスの火ではない。ならば闇の中で何を思う。言葉になっていないのではないか。この世界に関して何も思わないなら、それは君の台詞ではない。きっと何もないのだろう。心はどこかで壊れている。煉瓦の塀が所々で崩れかけている。敷石が浮き上がり、誰かのまなざしを釘付けにする。あり得ない情景の中へと導かれているのか。しかし目的が不明確だ。それで昨日より少しはやる気になったのだろうか。たぶん何もわからない。相変わらず何も語れない。それが近頃の決まり文句になりかけているようだ。そんな言葉を駆使しながらも、話がないのに話の本筋から外れた言いぐさに終始する。何を叫びたいのかわからない。架空の文章のどこかに誇大妄想が記されているらしいが、なぜそれを冷やさなければならないのだろう。今聴いているのはそんな曲ではない。しかし破滅とはどういうことなのか。実際には破滅の話にはなっていない。君にはそれがわかっているのに、それを認めようとしない。迷路とは何だろう。ひたすら自らのうちに閉じこもり、防御の体勢を崩さない。罠の他に何が張り巡らされているのか。よく見れば壁に貼られたポスターの中で誰かが微笑んでいる。意味不明に拍車がかかる。おかしな言い回しに終始している。表面的には冷却期間が必要らしい。神は信仰から外れている。神の話をしているわけではない。わざと支離滅裂を装っているつもりらしいが、本当に混乱状態なのかも知れない。何を記しているとも思えない。言葉によって作られた暗闇で誰かの目が光っている。それはどういうことなのか。どこかで光が屈折している。ますます述べていることがわからなくなる。何を取り戻そうとしているのか。成り行きがおかしな徴候を示していることはわかっているが、不吉な予感がしているとは思わない。意識しているのは誰の意識でもありはしない。意識は闇に包まれながら眠っている。夢の中で炎に包まれているのは何なのか。それは誰の意識でもない。何かを見とれている間に対象が溶けかかっている。この暑さはもはや残暑ではないが、陽の光が残響となって照り返してくる。具体的には何も述べていない。君は何を妬んでいるのだろう。かつての調子を取り戻せない。文章としての整合性がまるでない。偶然の巡り合わせに期待しているわけではない。言葉を繰り出していた頃の感覚を取り戻そうとしているわけではない。それはかつての話だ。何かいいわけじみていないか。まだ何も出てこない。君の影は完全に孤立している。だがすべては作り話の範囲内だ。影も虚構の意識をあてがわれているだけか。君の場合はどうなのか。何を検証すればいいのだろう。そういう難しい話ではないのかも知れない。ではそこで何が問題となっているのだろうか。何も思いつかないので、何も満たされない。考えられないのはそういうことなのか。それはどういうことでもありはせず、どうにもならない状況の中で何を考えているのでもないらしい。本当に何も考えられず、そんなことを述べているうちに、さらに頭の中がこんがらがってくるようだ。空っぽの頭蓋骨の中で蝉が鳴いている。くだらぬ表現だ。言葉になっていない。なぜそうやって後戻りしようとするのか。何がそこでの感情となっているのだろう。ただわけがわからないと思っているらしいが、君の都合がそこに反映されているようで、誰の意識がそう思っているわけではなく、わざとそう述べているだけなのかも知れない。何とか文章を構成しているが、頭の中が整理できていない。君は浅はかなのだろうか。誰かはこの世界をわかっていない。この世界は世界ではない。それが嘘だと思うならどうしたらいいのだろう。間に合わせの言葉が見当たらない。君にはどんな言葉の持ち合わせがあるというのか。誰が何を知ろうとしているのか。過去の君は今の君とは別人の誰かだ。本気でそんなことを述べているとは思わない。すべては気晴らしなのだ。だがそんな気休めの言葉を信じているわけではない。見つめている先には画面があるらしいが、興味がないのにテレビを見るべきではない。では他に何が気になっているのか。たぶん心の奥底では何もわかっていないのだろう。誰の心かわからない。それ以前の問題ではない。夜になって暑くなくなっている。もう取り返しがつかないようだ。何を取り返そうとしていたのか。疲れているのは誰なのだろう。その目に光が取り戻されることはない。だいいち文章としての整合性が考慮されていない。何の話にもなっていないようだ。辻褄合わせや帳尻合わせすら放棄されている。何も語らずにここまで言葉を記してきた。当然やっているのはピンボールゲームではない。貨物列車の最後尾で猫を見かけたような気がしたのだが、意味不明とはどういうことなのか。


9月2日

 暗闇に包まれて時間の経過がわからなくなる。誰の意識も感じられない。雨はいつ止むのだろうか。ありふれた天候に嫌気がさしている。そんなことはないはずだ。ではそこで何を述べているのか。誰かがどこかでそんなことを述べている状況がある。またいつもの作り話なのだろうが、そんなことはそんなこと以外にあり得ないだろう。同じ言葉を重ねて記す。意味のない行為に違いない。すでに雨は止んでいるのではないか。そんなことに興味はない。いつかまた雨が降ってくる。小雨程度で勘弁してくれないか。砂漠では意味を成さない。それが無意味というわけではないが、そこから漂ってくる意味に価値などありはしない。意味に価値を求めているわけではない。何の価値も見いだせない現状に呆れている。雨はいくらでも降り続くので、客観的には水不足というわけではない。雨が降らなくても海水は有り余るほどある。だから水が人を呼んでいる。一人でも多くの人間が溺れてほしいようだ。何もないというのは嘘か。当初はそういう話ではなかったはずだ。だが何がそこでの話になっているのだろうか。話ではなく言葉だ。またいつものようにわけのわからないことを述べている。近頃は何もないのに続けているので、同じような無内容ばかりで、要するに話がつまらなくなっているようだ。しかしそんな成り行きにどれほど苦労していると思っているのか。それは誰の台詞だろう。またいつものごまかしが生じている。そのうちどうにもならなくなるだろう。今がそのどうにもならなくなってしまった状態なのではないか。それが君のねらいなのではないか。何をねらっているのかわからないが、そうやって誰かの破滅を呼び込んでいる。ならば君ははじめから君自身を破滅させることをねらっていたのではないか。意識してそうしていたわけではない。無意識のうちに自らの破滅を呼び込んでいた。だがすべては作り話なのだろう。身のまわりには壊れかけの機械がありすぎる。誰もかもが壊れかけの機械のたぐいか。何を基準に壊れているか否かを判断すればいいのだろう。そう思っている時点で、すでに壊れているのではないか。まずは頭が壊れていて、次いで身体ががたがただ。膝関節の軟骨がすり減っている。会社はそこで働く人間の犠牲によって成り立っているのだろうか。今日も誰かが会社に殺されているようだ。それは悲惨な制度だが、幸福をもたらす制度でもある。誰かが死ねば他の誰かが幸せになるのだろう。それはありふれた見解だろうか。たぶんかなり馬鹿らしいことを述べている。それでは何を述べている範疇にも入らないか。何も思いつかないのだから仕方がない。そんな内容で妥協すべきか。学習能力が低下しているのかも知れない。現状から何を学んでいるのか。何も学んでいないのなら、頭がいかれているのだろうか。取り戻さなければならないものが多すぎる。いつそれが戻ってくるのか見当がつかない。まだそれについて区切りをつける段階ではないはずだ。終わっていないと思っているわけか。そろそろ終わらせなければどうにもならない。過去を引きずりすぎている。そろそろ停滞の時空から離脱しなければならない。できるわけがない。停滞は停滞として受け入れるべきだ。それを受け入れたらそれでおしまいか。君には生きる場所がない。それが場所ではないだろう。時は流れ、場所は君から遠ざかり、放っておけば君は置き去りにされてしまう。言葉を連ねるための余白が残されていない。すでに夜が明けている。様々な出来事が同時並行で進行していて、気がつけばどうにもならない状態になっている。神経がすり切れているようだ。何が馬鹿げていようとそれが現状なのだろう。現状では何も変わらない。何も変えられず、何を変えようとも思っていない。無理なのだから仕方がないのだろうか。無理なのにここまでやってきた。仕方がないでは済まないから継続をはかろうとしている。何が済まないのかわからない。それは意地か何かのたぐいか。意地でも何でもかまわないから、そんなことを述べている現状があるらしい。やはりそれはそんなことでしかないようだ。そこに居合わせた誰もがそんなことを思っているのかも知れず、それはいずれあきらめの境地に達してしまうのだろう。できるはずのないことをやろうとすれば、結果は自ずからそんな有り様を呈する。その時点で君に何ができるとも思えないが、それは君にもたらされた運命なのだ。そしてその運命とは何ももたらされないということだ。それが嘘だと思うなら、何か苦し紛れの行動でも起こしてみればいい。なぜそれが苦し紛れになるかといえば、それは現状で焦っているからか。その焦りを取り除くには何をやればいいのだろう。何もやらなければ焦りも自然と消え去り、平常心を取り戻すことができるはずだ。だが何もやらなければ何ももたらされない。そしてそれが運命なのだから仕方がないというわけか。そんな予定調和を受け入れることができるだろうか。受け入れられなければ、今まで通り焦ってもがいていればいいだろう。


9月1日

 まだ正気に戻り切れていないのだろう。どこへ戻りたいかもわからず、冗談で人生という言葉を使いたくなる。そんなわけでようやく日付的にも今月に入ったようだ。しかし大幅に遅れている。どうも現在の日付に追いつくのは永久に無理な情勢だ。だが誰かはそれでもかまわないと思っている。理由は何もない。理由を探るような状況でもない。それで何がわかるのか。冗談である以外に何を知りたいのか。たぶんそういうことではないのだろう。ただ何もない。そう思っているだけだ。そう思っているだけで実際には何もかもが存在している。確かに世界中を探せばたいていの事物ならあるに決まっている。だがそれを探そうとは思わない。今さらそんなものを探して何になるのか。探す気がないのにそれはないだろう。幻覚にとらわれているわけではない。それは嵐のたぐいか。空気はその地帯に何を引っぱってきたのだろうか。ただの風かも知れない。少なくとも山嵐ではない。それは冗談のたぐいなのか。なかなか本音が出てこない。無理なことはわかっている。無理でなかったら今頃どうなっていただろうか。ただ正気でないということか。それでは現状と何ら変わりない。変わらなければどうなるというのか。どうにもならないから変わらないわけだ。しかしそんなところで字数稼ぎをして恥ずかしくないか。それが君の本音なのだろうか。何が本音というわけでもなく、すべてが冗談であってもかまわない。それは勝手な言い分だ。何でそうなってしまうのだろう。自由な雰囲気にあこがれているのだろうか。どのような精神状態を装っていようと、気を抜くことができない。誰かが嵐のただ中を歩いているらしい。それがどんな空想に行き着くというのか。まだそんなところで立ち止まっている。情報は情報でしかないが、何かが近づいてくるらしい。それをさかんに伝えようとしている。実際に伝えている。誰かが何かを伝えようとしていて、実際に他の誰かがそれを伝えている。しかし君には関係のないことだ。なぜそこでそういうことを述べてしまうのか。あり得ない成り行きに向かっているのかも知れない。そんな深刻な状況ではなく、精神状態も安定している。いったい誰のことを述べているのか。頭が混乱していて文章も意味不明だ。それがいつものことだと思っていること自体がおかしいだろうか。おかしいのもいつものことなのではないか。おかしくなかったことなどあり得ない。否定が連続しているらしいが、それも適当な成り行きなのだろう。要するにここにいたってまだ停滞中なのだろう。何を述べようとしても結局そうなってしまう。具体的なことがない。言葉がそれを拒否しているようだ。拒否しながら拒否していることを述べようとしている。何となくうんざりしてくる。うんざりしているがそれが心地良い。感覚が矛盾しているのもいつものことのようだが、それも虚構が記されている証拠かも知れない。述べていることが現実から遠ざかっているのかも知れず、現実自体が虚構の一部となっているのかも知れない。虚構としての現実が言葉によって表現されているのだろうか。それで何がわかるのか。わかろうとしているのではない。ただ文章が記されているだけで、それがそこでの現状であり、そんな現状が作り話の中で構成されている。嫌気がさしているのだろうか。そうであったとしてもそれは当たり前のことだ。そんなことばかりなのだからそれで普通の状態なのかも知れない。目的がないのが普通なのだが、それでは何も述べられなくなる。だから何でもかまわないから架空の目的をねつ造しようとしているのだろう。それを達成しようとは思わない。本気になれないわけだ。本気になるという感覚がわからなくなり、同時に冗談で何を述べているとも思えなくなる。何をどう述べてもそれは誰の言説でもない。誰もがそれらの言説の所有権を放棄している。魅力がまったくないのだろう。それは魅力とは見なせないだけか。そんな調子でどこまで語っても何ももたらせないだろう。だがそれがどうしたわけでもない。外では雨が降り続いているようだ。嵐はその後どうなってしまったのか。数日後にはそんな話題で盛り上がっているのだろう。それとは関係なく君はどこまでも無言を貫いている。何に対しても興味を持てない。誰かの興味をつなぎ止めるつもりはないらしい。それが限界を示していて、文章自体が空疎で何も語らなくなっているのだろう。それは驚くべき内容になっている。そんなのは嘘に決まっているだろうが、何となく驚いているのかも知れず、それは誰の驚きとも合致せず、空疎な驚きとでも言い表せるのかも知れないが、それを誰がどう表現しようとしているのでもない。何となくそこから言説が導き出されて、それに何の意味があるわけでもないのだろうが、とりあえずそんな調子で言葉が連なっているらしく、それは何もないことを肯定しつつ、そういうやり方では何ももたらせないことにがっかりしているのかも知れない。だがそれでも君は何も語らないだろう。空虚のなすがままなのか。


8月31日

 何となく力が入らなくなる。たぶんどこかに良くなる兆しが見えているのだろう。だが悲惨な情景を見せられると調子が狂ってしまう。眉をひそめるとはそういうことなのか。一向に改善の兆しがないようだが、言葉のつながりがおかしいのはいつもの通りだ。そんなことを語って大丈夫なのか。何を語っているのかわからないが、発せられた言葉に実感が伴っている。何はともあれようやくここまでやってきた。架空の意識が何かの深淵をのぞき込んでいる。しかしそれが深淵である根拠を示せない。深淵であることが何か重要なことなのか。何について語っているのかわからない。言葉だけが先行していて、具体的な事物が見えてこない。そんな案配では先行きが不安になってくる。しかし他に何があるのだろう。さらに遅れてしまうだけか。とりあえず情報を伝達させなければならない。それはあり得ない話だろう。どこに神が宿っているわけがない。どうやら何ももたらせなくなってしまったらしい。架空の目標を見失っている。なぜそれらの状況を本気に受け止められないのだろうか。君が承知するはずもない。まったく承伏しがたい結果だ。感覚的に虚ろな目つきを求めている。わざとそんなことを述べているのだろう。君がもたらそうとしているのはありふれた言説に違いない。そこから何かがわかろうとしている。鼓膜がうねるような音の波を受け取る。未知の出来事を体験しているつもりになる。そういう処理の仕方が紋切り型の反応を招く。調子が狂っている。何かを妨害されているのかも知れない。何かが割れて何かを導き出そうとするらしいが、答えは未だに出てこない。紫の壁紙を連想させる模様だ。光の当たり具合を調整する必要がある。意識はそこから逃げだそうとしている。安易に自我を崩壊させているようだ。それに関して言葉を連ねるのは簡単なことだ。ただでたらめな内容を突き詰めればいい。体調が気候変動について行けなくなり、何かが次第に衰えてくる。それが事の次第を説明している文章だとは思わない。いったいどこに迷い込んでいるのか。精神などどこにもありはしない。文字を記しているだけのように思われる。一息ついている場合ではないらしい。なぜそれらの停滞から抜け出そうとしているのか。いくらもがいても罠から逃れることなどできないのではないか。では何をあきらめたふりをしているのだろう。今さら否定の連続を醸し出したいのか。何も脈絡を感じ取れない。それでも無駄に無駄を重ねていることが唯一の救いとなっている。何とかしようとしているようで、そうやって努力することが肝心らしい。少しでも正常な日付に近づけなければならない。それがさしあたっての目標となるだろうか。当たり前のことを述べているに過ぎない。どこから圧力が加えられているわけでもない。何も進んで消耗戦を繰り広げようとは思わない。それが何について語っているのかわからなくても、何らかの抑揚に基づいて言葉を繰り出していることは確かだ。しかしそれらの身体は何に射貫かれているのだろう。具体的な説明が皆無のようだ。たぶん目的は何もなかったのだろう。君はこの世界に何ももたらせなかった。それが今ここにある状況を物語っている。たぶんそれが何でもないのだろう。それとして意味を担えずにいる。何を見てそんなことを述べているのか。わけがわからないのはいつものことだが、今回はそれだけでは済まないような気がしている。まさか狂気の領域へと踏み出しているわけでもないだろう。要するにそれは血湧き肉躍るような体験とはならない。ただの無言に近い。君は難しいことを述べているような気になり、何となく相対的に優越感がもたらされたと勘違いしているようだ。それはどういうことでもなく、何となくそういうことなのだろう。しかしそれが何に対する助け船になっているのか。そこからますますわけのわからなさに拍車がかかると思えるだろうか。そんな言説以前の言説がもたらされている。現状とはそういうことだ。それで危機を切り抜けたと思いたいのだろうか。逃れられたのはほんの一瞬に過ぎず、さらに混迷の度を深めようとしている。状況的にどうしようもない。遠くからかつての感覚が戻ってくる。それが君にもたらされているわけではないと思いたい。なぜそれを拒絶するのだろう。もう少しで破滅を遠ざけられるのに、そういう流れに逆らってしまうのはどういうことなのか。そういうやり方では納得がいかない。後味の悪さを追求しているようで、少し戯れが過ぎるように思われてくる。それも冗談だと割り切ればその場を取り繕うことができそうだが、そればかり続けてしまうと、納得しがたい状況になってしまうことは確かだ。何についても感覚の希薄さがそこへのめり込むのを阻害しているようだ。どうやらそこで立ち止まってはいけないらしい。たとえそれが勘違いだとしても、実際にそこまで行けないのだから、そういう状況を受け止めなければどうしようもない。確かにどうしようもないが、そのどうしようもなさから何を学んだのか。


8月30日

 言葉がどこへもとどかない。そんな夢を見たらしい。現実の世界では時間的余裕がない。何となく感覚がおかしいようだ。何気なく日付を見れば、まだ先月の時空で言葉を記している。どうやら文章が今月へ到達するのは気が遠くなるほど先になってしまいそうだ。そんなわけで何となく悲観的な気分が醸し出されているようだが、誰がその場に漂っている空気を読んでいるとも思えない。感覚が邪魔をしている。そしてどんなわけでもないが、君はまた誰かに出し抜かれているのだ。架空の心を働かせるとそんな気がするだけで、本当のところはよくわからない。その辺の事情を詳しく知ろうとするのが面倒くさい