彼の声60

2007年

5月31日

 猫はどこかから戻ってきたのだろうか。何が気に入らないのかわからない。君はそれを知ろうとしない。ただ闇雲に言葉を弄している。目的があるわけではない。昨晩は雨が降り続いていた。何となく居心地が悪いが、疲れているのはお互い様だろう。気疲れと身体的な疲労の相乗効果で、異常に眠くなる。一度目を瞑れば何十時間も眠ってしまいそうだ。また今日も雨が降ってくる。実際に夕立は強烈だった。すさまじい勢いで屋根を叩く。誰かはその光景に感動したのだろうか。つまらぬ成り行きには常に勘違いが絡んでくる。人々はそこで繰り広げられている騒ぎをどう見るだろうか。ニュース番組がありふれた演出を施す。予定調和の与野党対決の構図が飽きもせず繰り返される。それはお粗末極まりない右往左往ぶりだが、国会議員である前に大人であるべきだろうか。君には関係のないことだ。ただ騒ぐだけでは何の結果ももたらさないだろう。最初からボタンの掛け違いだったかも知れないが、君が知るべき情報は含まれていないようだ。感性が衰えている。そう思うのは誰の勝手なのだろう。言葉に詰まればまたそこから逃げ出してしまうわけか。紋切り型にはまることを拒否すれば痛みを伴うらしいが、誰かが首をつって死んだのも紋切り型のたぐいだろうか。痛いの最初のうちだそうだ。国会の話などどうでもいいことか。やはり逃げの一手しか選択肢は残されていないようだ。誰かがどこかで報いを受けているのだろう。他言は禁物だそうだが、君は話が横道に逸れてしまうのを恐れているらしい。余計はお世話に違いない。過剰な自信は自らに破滅をもたらす。それが破滅でないはずがない。反応がわずかに遅れてくる。だいぶタイミングがずれているようだ。思考に柔軟性が欠けている。君はそれだけの人間だ。ただ考えているだけかも知れない。むやみやたらと無駄なことを考えている。功利主義からは遠く隔たり、何の利益ももたらさない言葉の連なりにとらわれている。それでも爆発的な言葉の増殖を抑えているようだ。そこで何が謎なのか。謎が謎を呼んでいるはずがない。他に何か断言することでもあるのだろうか。どのようにそれらの言葉を受け取ろうと、たぶん何かの勘違いに違いないが、人違いということもあり得る。ネット上で検索した人名には興味がありそうだ。だが影は君の存在を認めようとしない。君の影ではないらしい。どこかに君の影武者でもいるのだろうか。同姓同名ということもあり得る。では本当に実際しているつもりの君はどのような憶測に関与しているのか。ネット上には荒んだ雰囲気が充満している。誰かが思い出したように何かの虜になる一方で、君は過疎地帯に追いやられそうになっている。せめて誰かが心を奪われている当の対象を知りたい。君は誰のことを述べているのか。君ではない誰かが意味の定かでない現象に関わり合っている。まだ何もわかろうとしていないらしい。車のエンジンがかからなくなり、ぼやけた頭でその原因を探っている。それは嘘だろうか。嘘でなければ夢幻のたぐいか。いつの話をしているわけでもない。それが出来事といえるかどうか確信を持てない。確信を持とうとしていない。現実に体験していることが幻であってほしいか。確か夢の中では空を飛んでいたはずだ。気がつけば背中から翼が生えている。そのとき誰かは天使のような姿を想像しているようだ。何をいくら語ろうと、それはいつもの作り話に違いない。君は次第に自らが何を語っているのかわからなくなる。それはまるで催眠術にかかったかのような成り行きだ。スローモーションのような感覚に焦れてきて、言語的な飛躍と省略によって意味不明に導かれ、文章の内容を軽視しがちになる。ただ言葉を連ねているだけで満足してしまい、内容などどうでもよくなってくる。現実に遭遇している出来事が意識に追いついてこないようだ。何かが起こる前にそこを通り過ぎてしまい、起こったときにはすでに遙か遠くへ移動している。それで何を知ったことになるのだ。自らに問うてみても何も出てこない。ただ遠くから見慣れた風景を眺めている。何を語っているわけでもなく、どんなに言葉を費やしても、それ以外を見いだすには至らない。そこに適用しようとしているは誰の論理でもありはしない。要するに君はつまらない人間になってしまったのか。現状の何を納得できるだろうか。君は出来事から遠ざかるために言葉を連ねているようだ。現世を忘れようとしている。それはあり得ないことだ。昨日のことが何も思い出せない君に何ができるだろう。別に昨日の出来事について語りたいわけでもないが、語れば語るほどさらに勘違いが深まる。またつまらないことを述べてしまったらしい。ならばそこでおしまいなのか。何を終わらせようとしているのか。何を述べても妄想の世界から抜け出ることはない。どうやら思い違いも甚だしいようだ。現状に対する否定的な見解が列挙されているだけだ。そんなに大げさなことなのか。何でもかんでも問題視している。目的を達成するためのやり方が間違っているのではないか。目的と呼べるものが何も見当たらない。


5月30日

 なぜが冗談が通じなくなっている。ただの気のせいか。夢の中で一暴れしたわけでもあるまい。まどろんでいる最中に起こされてしまう。意味を解せない。相変わらず内容に突き当たらない。争点は何もないだろう。そして君が話をしているわけではない。怒りが湧いてこない。理由がないのだからそれは当然のことだ。話の内容がどこにも見当たらないのも当たり前の成り行きに違いない。誰が死んで他の誰が生まれようと、この際そんなことは関係のないことだ。どの際でもなく、実際に何もないのだから仕方がない。たぶん何もなくても誰の知ったことではないのだろう。この世界には何の出来事もあり得ないような感覚なのだ。紛争地域では相変わらず誰かと誰かが殺し合いを繰り広げているのかも知れないが、それがどうしたというのだろう。誰に関係があろうと、それは他人事に違いない。ニュース関係者の仕事になるだけだ。人々はどこからはい上がろうとしているのか。スタジアムでイベントを観戦するために生まれてきたわけでもないだろう。だがそれを否定して何がおもしろいのか。見せ物や催し物だけで生きているわけではない。誰かにとっては誰かが邪魔のようだ。他人に生きる権利があるとは思えない。危ういところで何かを回避している。それは交通事故のたぐいだろうか。見定めようとしている現象が見えないのではどうすることもできない。突発的に何かを体験して、それについて言葉を弄して何を説明しているのか。何かが違っているのはわかっていることだ。それでも生きているのだから、そういう生き方はそれなりに尊重すべきなのだろう。仕事とはそういうものなのだ。金を稼ぐという目的に縛られている。何となくそこから逸脱しそうになるが、眠気が襲ってくるのでかろうじて踏みとどまっている。物事を難しく考えるのは良くないことだ。疲労が蓄積している。曇り空から未確認飛行物体が現れ、君の意思を確認しているらしいが、何を考えているのかよくわからない。何を確認するまでもなさそうだ。何も考えていないのかも知れない。それを理解するのにどれほど回り道を通ってきたと思っているのか。誰に語りかけているわけでもない。そんなことは誰も思っていないだろう。それは誰にとっても関心のないことだ。正気でないのは君のせいではない。誰もがいつかは消えていなくなる宿命なのかも知れず、それを拒否することはできないのだろう。いつかは自らの限界を認めなければならなくなる。覚悟はできている。いつの間にか空が晴れている。工事現場で労務者たちがうごめいているようだが、そこにどんな目的を見いだすつもりもない。それは目的ではないのかも知れず、目的でないとすると何でもないのかも知れない。どういうことなのだろう。面倒くさいだけか。何を見いだすべきか迷っているだけのようだ。何を述べても空想の産物になり、そのことごとくが現実感を喪失している。それではまずいとなると、他にどんなリアリティが示されるべきなのか。経済的な豊かさに溺れるほどでもなく、貧困にあえいでいるわけでもない。まさか心の豊かさとかいう妄想にすがりつくほど幼稚でもないはずだ。人が人として行動するには人であることを忘れなければならないようだ。人が人であるならば、人は皆犯罪者となるより他ない。ルールを破った者たちこそが、無意識のうちに人が人であることを物語っている。彼らは過ちを犯すことによって、人の本質を人々に向かって示している。欲望に屈して人道から外れた行為に及んでしまうのが人間の真の姿であり、だから人にとって人は忌み嫌われる存在となっているわけだ。しかしそれで何がわかったことになるのか。大半の人々は自らが人間であることを隠している。欲望に抗しきれなくなったとき、人が人として顕在化するだけで、普段はそれを隠して行動しなければならず、それがジレンマやストレスを形成しているようだ。だからいつも疲れていて、多くの人たちはその疲れを娯楽によって紛らそうとするが、その程度では満足しがたいか。ならばたわいのない理由が導き出されてしまうようだ。人生には目的があり、その目的に向かう理由がある。正気を保つためにはその程度で我慢すべきだ。その先を求めるのはおかしい。何を超えられようか。せいぜいが回り道の連続であり、わざとわけがわからなくなったふりをしながら、自らの限界を忘れて、その限界内で精進しているように装い、ついさっきまでやっていた無駄な悪あがきをなかったことにしたいわけだ。そんなことをいくらやっても無駄だ。限界は限界として君をこの世界に限定している。妄想ですらそれらの限界から生じているのであり、限界を超えて妄想しているつもりでも、現実感が伴わないことは明らかだ。その時点で鏡に映る己の姿をのぞき込んでいる自らを理解できなくなっている。何を考えようとそれは独我論の域を出ない。君はそこから一歩も外へ出られない。ただ自閉的に自らと向き合いつつ、自らの容姿以外を認めがたくなっている。強引に外へ出ようとすれば、そこで暴力が生じざるを得なくなる。他者との軋轢が我慢の限界を超えてしまうわけだ。


5月29日

 あれからどれほどの時が過ぎ去ったのか。何らかの現象について述べているのではない。知らないうちに背景が消失している。君のせいではない。何となく意味のないことを語っているうちに昨日が過ぎ去ってしまったらしい。それをいいことにさらに自意識から遠ざかろうとする。この世界から遠ざかれるはずがない。君は世界なのか。辻褄が合っていない。それは君の言葉ではない。彼の声はどこにも届いていないはずだ。それは君の声とは違うらしい。複数の意識が虚無の周りで絡み合っている。何が蛇なのだ。蛇までも意味を失っている。君は蛇ではない。そこに理由を求めるのはおかしい。本質を見失っている。何が本質だと思うだろう。少なくとも思っているそれが本質ではないことは確かなようだ。君は何かを語るのが面倒だったのではないか。語っているのが君ではないとすれば、一応は辻褄が合うらしいが、そんなごまかしをいつまでも主張するのは滑稽だ。冗談で語っているとすれば、それでもかまわないのかも知れないが、何が冗談なのかわからなくなるのはどうしてなのか。冗談の意味を解せなくなる。了解できかねる文章の意味を認めるわけにはいかないらしい。それがどうしたといえばそういうことでしかないが、どういうことでもないのなら、そんなことをいつまでも述べていても無駄だ。言葉をいくら費やしても、何も述べていないのと同じことになってしまうかも知れない。だからそれがどうしたというのか。何を開き直っているのだろう。わけがわからないのはお互い様のようだが、君の他に誰がいるのだろう。場が存在しない以上、そこに意識が生じることはあり得ない。不在の意識を介して何を語っているのでもない。君はさっきから沈黙したままだ。押し黙ったまま口を開こうとしない。投げやりな態度ですべてを放棄したくなる。すべてとは何なのか。すべての他に何があるのだろう。要するに何もかもが馬鹿げているように思われてくる。さらに文章の構成などに気を遣う必然性を感じなくなり、どうでもよくなってしまうような予感がしてくる。何故にやる気がしないのだろう。本来ならそこから先は意味不明となるはずだが、それの何が不明なのか。それはほんの付け足しに過ぎない事情が作用してそうなってしまう。今さら苦し紛れに嘘をついてもつまらないだけで、そこから何も始まらず、何を開始させようとしているのかさえわからない。君には現実が見えていないようだ。何もない現実を認めようとしない。たぶんそれが現実だとは思えないのだろう。そういう逃げ口上はただ馬鹿げているだけだ。ならばなぜ彼は首をつって死ななければならなかったのか。時事問題について述べる必要性を感じない。見え透いた問いかけには卑しさが顕れている。彼らはまだそこまで語っていないのではないか。彼らとはそんな種類の人たちなのか。それは昨日の話だ。今日は今日でそれとは違う風が吹く。彼らは風の話をしていたわけではない。言葉が風にたとえられたところで、それのどこに説得力が宿っているのかを問うのはナンセンスだ。文章としておかしいのではないか。そんな風に思っている君にはくだらぬ成り行きが似合いそうだ。それらの成り行きのどこがくだらないのだろう。文章を記している誰かは返答に困り、久しぶりに冷や汗が吹き出てくる。そんな大げさであるはずがない。ただわけがわからないだけで、それ以外はどういうことでもない。たとえそこで否定的な言語表現が連続していようと、そこから何らかの効果を期待するのが人間的な弱さを連想させるが、君のどこが人間なのか。人間であろうとなかろうと、たぶんそれで何を述べているのでもないのだろう。返答するのが面倒なので、そんな成り行きとともに、さらなる意味不明な言い回しを求めて、誰かは言葉を連ね、ひたすら周りの状況を無視しようとするが、それで何かに専念しているつもりになれるのだろう。ただむさ苦しいだけか。偽りの仮面がはがれそうになる。頭がいかれているのは、正気を保つ上で必要な成り行きかも知れないが、いくら自らの頭がいかれていると思いこもうと、それだけでは狂気の世界へ踏み込んだことにはならず、ただの冗談として片付けられてしまうのがオチだ。誰が何を片付けているのか。それは便所掃除のたぐいか。いったいそれで何を主張しているつもりになれるだろう。もし何も感じないのなら、それは目を瞑って耳をふさいでいる証拠になるだろう。だが現状ではそれでかまわないのではないか。言葉に詰まって苦し紛れの狂気ばかり振り回してみても、それらのすべては冗談と受け取られてしまい、そんな空振り続きの状況から本当の狂気が生じるだろうか。別に気が狂うつもりはない。何事にも本気になれないのが君の性分だったはずだ。しかしそんなつまらない事実を認めてどうするつもりなのだ。事実でなければ認められないわけでもなく、たまには見え透いた嘘を真実だと思いこんでほしい気もするが、そんな気まぐれもこの際どうでもいいことだ。ここには何ももたらされてはいない。


5月28日

 なぜ昨日になってしまうのか。まだ努力が足りないようだ。それは君のための努力ではない。誰がそれを求めているとも思えない。たぶん何が続いているわけでもないのだろう。さらに誰かは常套手段に訴えかけている。どういうわけかここまでやってきた。様々な妨害工作にもめげずに何かを乗り越えてきたらしいが、実感が何も湧いてこない。それは被害妄想のたぐいかも知れず、実際には外部から何の作用も被っていない可能性もなきにしもあらずだ。何のことはない、ただの妄想でしかないのだろう。誰がそれを決めつけているわけでもなく、何が確定しているわけでもないが、何となくそこから先がないような気がしてくる。君はそこで終わりなのだろうか。君が終わったら、誰がその作業を引き継ぐのだろうか。誰が何をやりたいわけでもないらしい。それはフィクションの中での事情に違いなく、何かしら夢を抱いて、それに向かって努力している者などいくらでもいるのではないか。君が知らないだけだ。しかしそれを知ってどうするのか。一度知ってしまったら後戻りができなくなる。それはどういうことなのか。わからなければわからないままでもかまわない。何となく何かを知ることに慣れていないようだ。それはどういうことでもない。冗談で述べているに過ぎないならば、そこから横道にそれていくだけだろう。やはり面倒くさい。そんな精神状態で何かを述べるべきではないのかも知れない。だがそれは君の精神状態ではなく、述べているつもりなのも君ではない。要するに君には関係のない状況で、君とは無関係なことが語られているわけだ。戯れ言にもほどがある。いつまで経っても無内容のままでは嫌気がさしてしまう。そこから容易には遠ざかれなくなるだろう。また何かが執拗に繰り返されているようだ。それは飽きるまでとかいう生やさしいものではない。飽きようが嫌気がさそうがお構いなしに言葉が連なってしまうらしい。それはもはや言葉ではない。言葉としての体をなしていない。そこで誰が何を主張しているとも思えず、実際に何が語られているとも思えない。やはり語るのが億劫になっているようだ。気がつけば眠たくなっていて、眠気が言葉を連ねる動作の邪魔をしている。それは自我による必死の抵抗かも知れない。虚無に操作されて、無駄に意味不明な言葉を連ねてはいけないのだ。今さら決まり切ったことを述べないでほしい。同じような言葉の繰り返しになってしまうのは退屈だ。だがそれを避けられない成り行きを押しとどめることはできない。好むと好まざるとに関わらず、君はそれらの成り行きを見守りながらも尊重しなければならない。一字一句逃さず隅から隅まで精査しなければならず、それは君の能力の限界を超える行為となるだろう。ならばできるはずのないことをやらせないでほしい。何気ない会話から何をくみ取ろうとしているのか。何かの徴候を発見したつもりになれるだろうか。君の心は病んでいる。その程度の病なら取るに足りない。死ぬのも生きるのも難しいが、死のうが生きようが、そんなことは君には関係のないことだ。あくびがひっきりなしに出る。相当疲れているようだ。たまに気がつけば誰かが自分に乗り移りながら、怠惰に傾きつつある意識を押しのけて、ひたすら言葉を連ねようとしている。そんなのは嘘だろう。誰かにとっては嘘に決まっていてほしい気がするようだが、虚無をまとった他の誰かには通用しない。君は未だ何者にもなれず、そこから一歩も前に進めずにいる。そしてなぜか息苦しい。病の徴候があるようで、言葉を連ねる作業から降りて、一刻も早くそこから逃げ出したいが逃げ出せずにいるようだ。そしてそんな作り話にも信憑性を感じられず、次第に何を語っているのかわからなくなり、終わりが近づいているのを予感させる内容を記していることに罪悪感すら抱いている自らに驚く。誰かの意識は逃げ口上的にそんなはずがないと思いたいようだ。それは何かの磁力なのかも知れず、文字を記すうちに引き寄せられている当のものに心当たりはなく、それが何なのか知ろうともせず、その場をそのままに放置しながら、何食わぬ顔で通り過ぎようとして、かえって泥沼の深みにはまってしまうような成り行きを呼び込んでいる。本当にそうなのだろうか。何が嘘で何が本当なのか、事の真偽を分ける明確な境界線は存在しないようで、何を語っているのかわからないのと同時に、自らがさらなるわけのわからなさを無意識のうちに目指していることに気づき、唖然とするどころか、それらの文章がすでに自らの手を離れ、自立的に動作していて、君には関係のないことを君自身の了解を得ずに記し続けているのが君自身であることを認めざるを得なくなり、本気でそんなことを述べているわけではないと思いこんでいる君を、それらの文章は裏切り続けているのだろう。だがそれがどうしたわけでもないだろう。何を述べようと君の勝手ではなく、君を無視して文章が構成されてしまう事態が取り立てて変ではないと感じるだけだ。


5月27日

 そんなことは知っている。今は夜だろう。夜でなければ昼に違いない。あと半日も経てば昼になる。蛍光灯が明るすぎる。電気を消せばいい。光と闇の狭間で何を見定めようとしているのか。季節は昨日と同じだろう。時間的には何をやっているはずなのか。すでに夜明けが近い。もう朝になってしまったようだ。数日後は曇り空だ。あと何年生きられるだろうか。それは病にかかった者が抱く思いか。君のことを述べているわけではない。誰のことを思っているわけでもない。烏は人の名を呼んでいるわけではない。何も思わない。動物ではないようだ。君は何とも思わないのか。誰の話でもない。ただ言葉だけが記される。他に記すことはないのだろうか。もはや手遅れなのかも知れない。何が手遅れかは追々わかってくるだろう。すでに内容のないことが記されている。それでさっきから笑っているのか。意味不明に違いない。何もないのだから仕方がない。たぶん何も記すことはできないのだろう。記しているのは君ではない。それは言葉ではないのかも知れない。何でもないことだ。ことでもないのかも知れない。君はそこにとどまっている。気温の変動に身体がついて行けなくなっている。誰かは何者にもなれなかったことを嘆いているのか。無駄な問いかけはどこにも響かない。空間が閉ざされている。言葉がそこら辺に散らばっている。文章ではないのだろう。君は何を知りたいのか。それがわからないとは言わせないらしい。誰が何を強要しているのか。誰かの要請でもありはしない。何ものにもとらわれない心というものがあるだろうか。ものではないのかも知れない。心はさらなる変化を被っている。受け入れがたい変化だ。言葉がとどくはずのない高みに何者かが住まう。仙人のたぐいか。よどみのない口調で何か指示を出している。独り言かも知れない。またしてもそこまで到達していないようだ。何が至らないのかを知りたいところだが、何を問いかけても返答はない。何に向かって問いかけているのか理解できない。わからないという逃げ道を保持している。どこまでもいけるはずがない。言葉に詰まってしまうのは必然のような気がする。またそんなところでもたついている。やる気がないのはお互い様だろう。今さら何を語れと言うのか。誰に言われてそんなことを述べているのだろうか。未だにわかっていないようだ。本当のところは何もわかっていない。だからその辺で立ち往生してしまうわけだ。わかろうとしないのだから、何を忠告しても無駄だろう。独りよがりな行動に訴えるのが君の基本姿勢なのだ。そこを外せないのは甘えというものか。何が何でもそれを仕上げようとするが、それは無理だろう。目が見ているものを頭が認識できない。それはものではない。靄がかかっているようだ。君はどこまでもそれを信じようとしない。その姿勢は頑なだ。死の病などではないだろう。単なる転落死なのかも知れない。死であることに変わりはないようだが、君はそれが馬鹿らしいと思っている。不可能だとは思わないのか。何が不可能なのだろうか。死ぬ前に時間を止めてみたい。君がそう思っているわけではない。意識が連続していない。過去にさかのぼって何かを肯定したい衝動に駆られているようだ。誰に迷惑をかけているのだろう。貴重な時間を無駄に浪費している。君の行為を非難しているわけではない。意識が君から離れられない。なぜ昼になってしまったのか。気がつけば意味不明な問いかけが連続している。追い詰められている。余裕が感じられない。風を感じて何を思うまでもなく、到達させようとする意志が感じられない。またもや眠気に勝てなくなる。誘惑に屈しようとしているらしい。逆風のまっただ中かも知れない。なぜそんなところで躓いてしまうのか。わかりたくてもわかり得ないのではないか。君は君自身を知ろうとして、誰かは知ることを阻もうとしている。だからそこまで到達できないのだ。わけのわからない成り行きであることは承知している。無理して終わらせようとしていることは見え見えである。しかし無駄に言葉を連ねている。そこまで行く必要はない。行ってどうするのだろう。いうまでもなく同じような言葉の繰り返しなのだ。眠気に逆らうと寿命を縮める。すでに耐用年数を過ぎている。そんなわけでいつもぎりぎりのところで判断を迫られており、必ず手遅れになる一歩手前で行動を起こすしか方法はないようだ。その時点ですでに手遅れなのではないか。まったく精神的に切羽詰まっていて、そこから正しい判断を下すのは至難の業だ。この世界ではなぜ間に合わない状況ばかりが繰り返されるのか。先回りしてあらかじめ準備しておけばそんな風にはならないのに、必ずそうは問屋が卸さない成り行きに巻き込まれ、思いがけない出来事に遭遇して、驚きあっけにとられ、次いで何らかの対処を迫られて、思い悩み右往左往しながらも、何らかの対処法を模索することになるわけだが、いつもぎりぎりのところでかろうじて破綻を免れるわけだ。君はそれをどうすればいいのだ。


5月26日

 気温が下がり雲が流れる。早く結果が出て良かったのではないか。言葉が出てこない。敵の敵は味方かも知れない。晴れた空以外は何も変わっていない。記憶が戻らない。それは記憶ではない。記録を残しておけばいいのだろうか。安易な妥協策だ。テレビを見なければ作業がはかどる。君は何を忘れていたのか。そこから遠ざかるわけにはいかないらしい。幻聴と幻覚との間に関連がある。すべては幻のようだ。言葉だけの問題かも知れない。言葉を記憶している。何かの記憶素子のようだ。何かが下火になってきている。一つのブームだったのだろう。他に意味はない。感じているのはどす黒い心だ。性根が腐っている。刺激的な言葉を投げかけているが、その対象が未定のままだ。餌に飛びついているのはどんな動物なのか。色素が沈着している。連想していた言葉に裏切られ、何ももたらされないことに腹を立て、誰かがどこかでわめいているようだが、遠すぎて内容を聞き取れない。聞き取れなくても内容はわかっている。これから文章にして示せばいいことでしかない。それが君の主張になることはない。理由を聞かせてくれないか。聞き手が見当たらないようだが、彼はどこへ行ったのか。彼ではなく君かも知れない。少しはこれまでとは違う成り行きに目覚めたのか。かかっている曲は相変わらずだ。それは君のせいではなく、誰かが曲目を増やそうとしないのがいけないのではないか。それでもいけているつもりらしい。エンジンの掛かりが悪いようだ。失敗は誰にでも訪れるものだ。夜空から幽霊が降りてくる。星座を眺めて何を思うだろう。思わぬ方角から流れ星が飛んでくるが、それはテレビの映像ではないか。またいつもの回り道にはまっているようだ。何でもない風景の中に画面が埋もれている。君が掘り起こそうとしているのは誰かの死体ではない。そこで小休止しているのは怖くなったからではない。冗談が現実味を帯びてくる。やっとここまで来た。今日は昨日より疲れている。自動的に睡眠モードに変わりつつある。何かのスイッチが入っている。気がついたときにはもう遅い。君は奈落の底へ突き落とされて、現世にはい上がってこられなくなる。何が嘘なのだろう。ここは現世だ。過去でも未来でもない。日付的は過去の時空に属しているが、作り話なのだから仕方がない。どうやらまだやる気になっているようだ。懲りない人間に明日はやってこない。懲りているのなら、もっと違ったやり方を試しているはずだ。君のことではない。誰を守ろうとしているのだろう。歌は無意味だ。それは歌ではないから無意味なのだ。何か矛盾していないだろうか。意味があろうとなかろうと、どちらでもかまわない。何を妥協しているのか。なぜ興味を持てないのか。月日が語っているのではない。歳月が積み重なっているのでもない。そこまでたどり着けない原因などない。理由もなくうねっている。丘の上から何を眺めているのか。わからなくなるのなら、君とは違う理由を導き出せばいいだろう。理由を回避できない。やはり君の話ではないようだ。それどころか何の話でもない。相変わらず何もない。何もないから困り果てる。君はそれらの成り行きを信用していない。疑惑の人が死ねば一件落着らしいが、安易すぎないか。無駄に言葉を連ねていた日々が懐かしい。今でもそうだろう。いつまでもやっていられないはずだが、何かが矛盾していて、そこで破綻している。君は何を望んでいるのだろう。苦しいと思うなら、その苦しみから解放されたいと願えばいい。叶うはずのない願いではないはずだ。頭の中で虚無が成長している。そんな妄想に意識を支配され、他に何も思いつかなくなりかけている。調子に乗っていると、思わぬ落とし穴にはまり、他に何もできなくなってしまう。他がないのだから、それは当然のことだろう。それは落とし穴などではなく、どこかの袋小路なのではないか。唐突にそれを認めてどうするのか。愚かであることはわかりきっている。愚かでなければ何もできはしない。何もできない現状をいかに回避できるだろうか。それが空想の結果だとは思えない。虚無から遠ざかるほど眠くなるのはどういうことなのか。君にはそれが認めがたい。人はただひたすら経験を積み重ねる。そこに意義や意味を見いだすのは本人の自由だが、遠からず裏切られるだろう。幻想や妄想以外には何も見いだせなくなる。経験が人間を凌駕してしまうわけだ。君は君でなくなり、単なる物語の登場人物に成り下がってしまう。たとえば他人に君の人生を語られてしまったらそこでおしまいだ。すでに生涯が閉じてしまった証拠となる。他人はさかんに君を忘却の彼方へと押しやろうとする。無視の対象としてしまうわけだ。亡き者とするとはそういうことだ。君は遠からず使用済みの人間となるだろう。もはや用無しということだ。それで何が報われたのか。人が消失するためには何が必要なのか。言葉はすでに君のものではない。君に作者としての権利など備わっていない。いつまで経っても君は単なる傍観者に過ぎない。


5月25日

 いい加減な言葉の付け足しはやめた方がいい。面倒くさいことは嫌いなのか。たぶんそれは嘘だろう。孤独な状況が精神的に耐え難いらしい。だがそれが修練だとは思わない。そこでどんな修行を積んでいるわけでもない。頭がどうかしているのだろう。ためらいがない。何を選んでいるのか。言葉は選べない。空気も選択の余地はない。腕時計を必死にのぞき込んでいる。死期が早まっているわけか。何かの亜流ならいただけない。軽はずみな芸術談義にはつきあっていられない。他に何を否定するつもりなのか。無駄に金を貯めているわけではない。有用な使い道などありはしない。君の金ではない。詐欺師のたぐいには何かがもたらされる。罪悪感の欠片もない。それは何かの断片に違いない。言葉がまともに組み合わさって、やがて何らかの文章を構成するだろう。誰かはその日の到来を夢見ているらしい。向こうから何かが近づいてくるわけではない。夜になっても風が止まない。気候的は夏だ。数日後には温度が下がる。もうすぐ来月になる。やめた方がよさそうだ。だがそれはやめられない状況に分類されるらしい。何をやめようとしているのか。面倒なので説明など省いてしまいたい。誰かの船が近づいてくる。まだ生き残る希望を捨てていないようだ。君は何を打ち砕くつもりなのか。苦痛とともに言葉をかろうじて繰り出している。そんな嘘はつまらない。無駄な時間を過ごしているようだ。また何かが繰り返されているらしい。水の落ちる音を聞いた。のどが渇いているのだろう。水ならいくらでも飲める。言葉とは無関係に飲める。飲んでいるのはコーヒーではない。何をためらっているのだ。あと数時間で夜が明けてくる。午前三時に目覚めている。それはいつの時間なのだろう。言葉に時間は関係ない。何かの調子が狂っているのかも知れない。動揺している。心が異変を感じ取っている。その場に応じた状況ではない。むやみに他人を刺激すべきではない。誰かの背中に包丁が刺さっている。ニュースでそんなことが伝えられていた。透視している。網膜剥離のたぐいかも知れない。君の言葉ではないようだ。蜘蛛の目に蛍光灯の光が映り込む。意識的には何かを買いたいらしい。街中を彷徨っている。通信販売で妥協してみてはどうか。常識外れの価格に驚いたふりをしてみる。誰がそれを買うのだろうか。聴いたこともない音楽だ。視聴ブースで気に入ったふりをしている。誰に伝えているつもりなのか。何かが断片化しているようだ。すかさず間を差し挟みたい衝動に駆られ、その間に熟慮したくなる。誰にとっても理解可能な文章に再構成したいようだ。どうか手遅れとは言わないでほしい。アブドゥル・イブラヒムが多すぎる。印象に残ってしまうらしい。いやが上にも感情が高まる。そんなしかけなのだ。誰かが弦楽器とともに叫び続ける。彼の名を知っている。君とは関係のない言葉の連なりを思い出す。まだ時間が残っているはずだ。見せしめに血祭りに上げられている。時間をひたすら浪費している。君の話ではない。君と彼とは特性が異なる。誰が気休めに死刑判決を受けたのか。今や死刑も大衆の娯楽の一部を構成しているらしい。公開処刑はタリバンの専売特許か。わけがわからなくなっている。安易に意味不明に逃げすぎている。曲がった首をただして、もう少しまともな意見に集約させたいが、やはり意味不明のままで済ませたくなる。たぶんくだらないことを述べているのだろう。なぜ興味が湧かないのか。多少なりとも勘違いがあるらしい。それを批判するまでもない。色眼鏡を通して見ていればいい。君たちは何を守ろうとしているのか。それは現状維持に結びつく。明らかな背信行為に違いない。なぜか良心が咎めない。何かがおかしいことはわかっているが、そういうやり方で何が変わるというのか。君たちは何を演じているつもりなのか。何ものにもとらわれない。感性がそれを要求している。でたらめな意味不明を求めているらしい。それはどういうことになるのだろうか。そうではないと思いたい。何を忘れようとしているのだろう。数ヶ月前にはどんなごまかしが横行していたのだろうか。それをすでに忘れている。なんのことやらまったく思い出せない。NHKにも労働組合があるのだろうか。放送が政府や与党のごまかしを忘れさせる。次から次へと問題が顕在化しているように装うが、そんなことはどうでもいいことらしい。与党幹部の開き直り発言を正当化していればそれで済んでしまうわけだ。あとは時が経てば忘れてしまうだけで、選挙になれば改革という名の現状維持が国民によって承認されるだけだ。そんな風にしか推移しない成り行きがいつまでも繰り返されている。言葉尻を捉えて非難を繰り返しているだけでいいのだろうか。そんなやり方ではだめだから現状があるのではないか。たぶん何が変わるわけでもない。いつまで経ってもそんなことが繰り返される。確かに何も変わるわけでもないが、それが変化であり改革だと思いこまされるわけだ。いつまで経っても似たような者たちが同じような発言を繰り替えているのだろう。


5月24日

 いつもながらの風景が目の前に広がっているようだ。予定調和の展開に呆れている。投げやりな態度を改めなければならない。明確な目的があるはずがない。誰の要請を受け入れなければならないのか。それは君ではないのだろう。肝心なところで君は責任逃れの態度に終始する。調子に乗って突っ走ろうとするが、途中から何かが違っていることに気づく。それは昨日見た夢かも知れない。感覚がとぎすまされているとは思わない。一度手に入れた能力を手放す気がないようだ。影はいつまでも何かに取り憑いている。その何かが君だとは思わないらしい。相変わらずの否定口調だ。いくら否定し続けてもそれを否定し尽くすことはできない。何かが低い水準で繰り返されている。映画は何を訴えかけているのだろうか。社会不安を煽って、そこから利益を抽出したい。何かに支配されそうになる話はありふれている。このままでは人類全体が危ないということか。地球温暖化もそのたぐいかも知れない。君は虚無に支配されている。何かと何かの悪循環を絶つ話もありふれている。なぜ同じような言い回しが氾濫しているのだろうか。しかしおかしいと思うのはおかしい。この社会はどうかしていると思っている君の頭がどうかしている。君は自らが抱いている妄想から抜け出せない。それは気のせいかも知れない。ありふれた話ならテレビに満ちあふれている。どの話も不完全だ。わざとそうしているのだろうか。人災も天災もすべては利用すべき対象だ。年がら年中再評価の嵐が吹き荒れている。なぜそんなところから目的が生まれるのだろうか。目的はその内容によらずくだらない。何という決めつけだろう。根拠も理由もない。それらを探すつもりがない。何が重要課題であるわけではない。逆境からはい上がってくる話もありふれている。なぜ普通に暮らせないのか。それが普通だと思っていればそれでいいのではないか。では何に反論すればいいのだろう。手がかりを見いだせない。きっかけをつかめない。それがきっかけだとは思えない。きっかけがないから今が続いている。君は何を願っているのだろう。知っていることは限られている。何が許されざる行為なのだ。何を述べても遅れを取り戻せない。宗教を過大評価すべきではない。何を問題視するにしても、それを宗教のせいにしていいのだろうか。また何について述べているのでもないような気がしてくる。現状の何が君にとって不都合な要素を形成しているのか。話が進まなくなる。君の偏狭なこだわりが報われるはずがない。実際にどのような報いを受けているのか。何を知ろうとしているのだろう。何を認めようとしないのか。誤謬の連続となる。わざわざそんなことまでやる必要はない。思い通りにならない構造なのだから仕方がないが、それはあきらめきれない成り行きをなぞっている。それとは何だろう。言葉の連なりが何を示しているのか。あきらめてみてはどうだろうか。もうやめた方がいい。そういう趣旨なら簡単に述べることができるらしい。夢が現実になろうとしている。夢が何だったのか忘れてしまったらしい。それで何かを否定したつもりになる。他にまだ何か伝えたいことがあったかも知れないが、今はもう思い出せない。安易な娯楽に心を奪われている。ただ見ているだけではないのか。空中を魚が泳いでいる。見たこともない光景を思い出したつもりになる。空想なのか想像なのか、適切な言葉が思い浮かばない。ひねくれているようだ。そんなに明日の天気が気になるか。しかし文章になっていない。ひたすら意味不明だ。そこで何に気づいたのか。我慢が限界に近づいている。それで何を語り、言葉で何を示そうとしているのだろう。何も示されていないようだ。実際には何もない。空想すら消失している。自意識はどこへ行ったのだろう。何かに蝕まれている。夜になり風が止んでくる。通りの鼓動を感じた気がする。それは心臓の音だ。竹藪が縮小している。君が君でないことを証明したくなる。話の脈絡が感じられないが、話そのものが不在だ。それらの内容を理解しがたい。しばらく呼吸が止まっていたらしい。ただ眠っていた。紋切り型から逃れようとしている。それは君ではない。確かに君ではないが、それを語っているのは君自身だ。思い違いも甚だしい。君は何も語れないはずだったが、それが君でなければ事情が異なる。何だかめまいがしてくる。誰かの首がぐるぐる回っている。肩こりのようだ。また電話をするのを忘れてしまったらしい。相手が不在なのだから、それはする必要のない電話だ。枝葉を数えて、樹木の全体を想像する。言葉がどこかで舞っている。宙に舞っているのは羽虫のたぐいだ。やっと始まりの近傍までたどり着いたが、すでに意識がない。忘れようとしても忘れてしまいたいことを思い出せなくなる。また数行先に罠が待ちかまえている。犬に噛まれて狂犬病になるわけでもないだろう。貧相な空想力に頼りきっているのはおかしい。言葉に見捨てられているわけか。君はさっきから首をかしげるばかりだ。


5月23日

 同じ場面がいつまでも繰り返される。大前提としてそのやり方はおかしい。何も感じなくなる。正気とは思えない。戦略的に間違っていることは明白だ。現時点では何がもたらされているのだろうか。何がもてはやされているとは思えない。場所がわからず、現状の何も肯定できない。だが見損なっているのではない。いったい誰を否定したいのか。思い通りにゆかずに、何となく焦っている。それは遠回りということだ。誰かは東に回帰するそうだ。それが君の行き先でないことはわかっている。何を求めているのかつかめない。どこまで行っても意識は同じような文章から逃れられない。言葉の組み合わせを変更すべきだ。また無駄でわざとらしい問いかけの連続になってしまいそうな気配を感じる。何か気になることでもあるのか。眠たいなら眠ってしまえばいい。それ以外にどんな選択肢を有しているというのか。頭上の蛍光灯がまぶしすぎる。雨が近づいている。数日後の天気だ。空が暗い。目的がわからない。誰もが目的から遠ざかれない。それで目的を果たしたことになるらしい。何にとらわれているのかわからなくなる。そのこだわりを説明できない。それらの結果を利用したいが、対応する言葉が出てこない。雨が降ってきたようだ。日付が間違っている。日付に意味はないのかも知れない。何となくそこに提示されようとしている作り話を放棄したくなってきた。話になっていない。君は相変わらず幻想を抱いている。負けを認めるわけにはいかないらしい。考え方がおかしい。何に負けているのだろう。また雨に打たれて風邪を引いてしまったのだろうか。大自然の驚異の前に屈している。それほど大げさなことではない。一夜明ければ雨も止んで、また蒸し暑い日々がやってくるわけか。なぜ疲れているのだろうか。また遅れてきたようだ。美しさには中身がない。それは安易な思考から求められた間違いだ。蝙蝠が飛んでいるが、それが吉兆であるわけがない。しゃれた言葉の構成だ。何について述べているとも思えない。心は何ものにもとらわれない。矛盾しているのは当たり前のことだ。飽きているのも当然の成り行きに違いない。考えることを放棄したくなる。空気が入れ替わっても、やがて夏がやってくる。結局暑くなるわけだ。気休めを求めているわけではない。気休めにならないから疲れてしまうわけだ。たぶん何でもないのだろう。気持ちがそこまで至らないのだ。誰もが気が狂うきっかけに遭遇する。常識から外れて、美意識にこだわり、何でもないことに神経を集中させていることに気づく。芸術は感覚的な奇形物を構成する。それを肯定的に受け入れられるだろうか。何にのめり込もうとしているのか。ただの日常をどうすることもできず、忘れがちな記憶をつなぎ合わせて、忘れられない思い出にしようとしているわけではない。そこから何かが違ってくる。どうにもならないことをどうにかしようとしているわけか。ため息が出てくる。何がもったいないのだろうか。そこまで来ていて、そこから先に足を踏み込めずにいるらしい。常識的な視点を失っているのかも知れない。冗談にさえなっていない。それは違っているのだろう。それだけではだめなのだ。実質的に何ももたらされていない。それがわかっていながら、そこから先へ進めない。視覚と感覚がずれていて、正気に戻る一歩手前で足踏み状態に陥ってる。本気でそんなことを思っているらしい。彼らには何かを伝えなければならない義務でもあるのだろうか。それが仕事なのだから仕方がない。意味のわからない話をしているそうだ。君はそこから影響を及ぼされようとしている。何を検討しているのかわからない。どうやって行き詰まり打開するつもりなのか。自分に何を問いかけても応答はない。なぜそんなところで止まってしまうのか。それらは批判すべき対象ではない。だが見聞しているつもりのそれらが何なのかわからず、それらについて具体的に何も述べられない。またややこしいことに言及する羽目に陥っている。それが行き詰まりの原因なのだろう。無理なのにそこから前進させようとしている。あてがないのに言葉を連ねようとする。やはりそれでは意味がない。何ももたらされていない。それがそこでの現実だ。そんな何もない現実が君を正気に戻す。誰がどんな妄想を抱こうと、この世界はこの世界のままなのだ。何に対しても興味を抱けないのは、それが妄想ではないということだ。確かに何もありはしない。この世界以外には何もない。画面が揺らいでいるのは気のせいだろう。枯れかかった草むらから、何が飛び出すわけもない。あともう少しのようだ。何を我慢しているのか。君はそれをわかっている。わかっているが理解できない。それらの出来事は何でもないことだ。何でもないが、そこから抜け出られない。数日後の昼はまた暑くなる。相変わらず文章はまとまらず、何も主張が出てこない。現状の何を改善すればいいのだろうか。何事にも真剣になれない現状に変わりはなく、そこから抜け出ようとする気が起こらない。


5月22日

 まだ途中の段階だろう。話はそこで止まっている。そこに勘違いの原因があるらしい。昔の人は君を軽蔑していた。今は君を敬っているわけではない。誰かの理想を目にすると、めまいを押さえることができない。川の流れのように、何を川の流れにたとえようとしているのか。気がつけばのどが渇いているので、とっさに水を飲む。何を夢見ても虚しいだけだ。それはわかりすぎるくらいにわかっているはずだが、まだ本気になっていない証拠だろう。今さら何を知りたいのか。知っていることならいくらでもありそうだが、無理をする必要はない。何も知らないことにしておきたい。それらの文章には何が示されているのか。少なくとも何かについて述べられている。やる気があるのかないのかわからないが、とにかく言葉を連ねてみよう。君がそう思っているわけではない。何のことはない、誰かは君の中に信じるものを発見しそうになる。ものとは何か。神がものであるはずがないか。やはり本気になってはいけないようだ。どこまでも砂漠が続いていると思ってはいけない。トンネルの向こう側にはまた違うトンネルが続いている。信じるに足る理由を見いだせないのはいつものことだ。それらの嘘が見え透いているわけがないだろう。目の下を虫に刺される。藪を抜けたら間伐を怠った杉林だ。なぜ歩いているのかわからなくなる。なぜ陽気にしゃべり続けているのか。時折くしゃみが止まらなくなる。興味のないことを述べるべきではない。まだそこまで到達していない。なぜそれについて語ろうとするのか。何かが君の邪魔をしているようだ。冗談半分に言葉を繰り出している。いい加減な言葉に連なりに不満を抱いているようだ。冗談だけではないと思いたいらしいが、思いに必死さが足りない。何を完成させようとしているのでもないらしい。生身の体を置き忘れてきた。思考がどこに宿っていようと、それが現実の力を欲しているわけではなさそうに思え、ただ考えるために考え続けているだけかも知れない。時間的にさらに遅れてくる。君の出現を待っている余裕がないらしい。無駄に言葉を弄して、性急に結果を求めている。それの何が無駄になっているのだろう。不必要な問いかけを多用している。それで何をごまかしているのか。述べていることは抽象的なのだろう。そんなのは嘘に決まっている。何に対して抽象的なのか、その対象が定かでない。この世界に何があるというのか。またそれだ。何もかもがあるらしい。君の目的となる対象を除いて、それ以外のすべてがそろっている。何もない方があるかにマシな状況だと思う。そこにないものはない。ないものは存在しないだけでなく、空想することすらできない。空想しているあり得ないものは、やがて目の前に現れるだろう。そんな嘘は信じられないというのなら、どんな嘘なら信じられるというのか。何の変哲もない音楽を聴いている。ジャズのたぐいに決まっているらしいが、当たり前のことを述べないでほしい。にわかには信じられない。何を信じれば救われるのか。救われようと思っていないのなら、何を信じても救われないだろうか。それで救われてしまったらどうするのか。世の中には思いがけぬきっかけが待ち受けている。君の策略は見え透いている。わかりやすい話の展開は避けがたい魅力を醸し出すだろう。何を避けなければいけないのだろうか。そのとき君は何に屈していることになるのか。くだらぬ問いかけの羅列に呆れかえっているだけだ。話はまだそこまで行っていないのではないか。進行状況を見誤っている。くだらぬ話の展開にうんざりしている。どこまでもまとまりに欠けているようだ。要するに話になっていない。君には才能がない。だからどうしたわけでもなく、ただ才能がない。それを誰が認めていることになるのか。君以外の誰でもないような気がしてくるが、君は君ではないと思っているようだ。話が破綻してから破綻しないように工夫を凝らそうとしている。鈍感なのだろうか。まだわかっていないことが多すぎる。今さらそれは遅すぎる。すでにどこへも逃げられない。行き詰まってから半日が経とうとしている。わかっていないのは誰かの方ではないか。正気を保っているつもりで正気になろうとしている。どんな言葉を繰り返し使用しているのか。使い古されたことわざを再生産しようとは思わない。単に意味がわからない。述べていることが理解できない。何を語ろうとしているのでもないらしい。いくら語っても何を語ったことにもならない。それは単なる帳尻あわせにもならない付け足しに過ぎない。そこから何を理解できるだろう。いつもの癖を再認識するばかりのようだ。それが君のやり方なのだから、それを認めざるを得ないだろう。だからいつものやり方を最後まで貫いてほしい。そこまでやれば本望なのではないか。志半ばというわけでもないはずだ。すでにゴールが見えている。時間的に間に合わないわけでもない。あとはそこから数歩歩いて、目的地に到着すればいいだけだ。何もない場所が目的地になる。


5月21日

 抽象的に理由を見失っている。それは言語的に間違っているのではないか。なぜそこまでとどかないのか。到達点が低すぎる。わからないが心の中で何かが増殖している。また冗談でそんなことを述べているのだろうが、疑念を抱いていることは確かなようだ。しかし相変わらず目的がない。だから現状を破棄したい。また誰かはくだらぬことを述べているようだが、君はそれについてどんな感想を抱いているのか。何を出し抜かれているのだろう。秘密など何もなく、見えているものはそれだけではない。それとは何だろう。君の言説は早くも意味不明に陥っている。ではそれをあきらめなければならないのか。わかっていることはそれだけだ。わかっていないからわかっているつもりになっている。わからなければわかるように努力すればいいだろう。とにかく何とかしなければならない。君はそこで何を読んでいるのか。何も読んでいないと述べておこう。それはいつも通りの成り行きだ。そうでなければ話にならないようだ。だからくだらなくなり、何を述べても何もかもが嫌になってしまう。またそんな嘘をついて間を保とうとする。言葉と言葉の間に何があるのだろう。それでは間になっていないのではないか。何も思わない時間と何もしない時間との間にずれが生じていて、二つの時間が重ならなくなっている。いったいそれがどうしたのか。自分でそれをわからなければならない。何が知りたいのかわからなくなる。知りたいのではなく、わかりたいのではないか。どちらともとれるだろうか。何となくそんなことを述べているうちに目が覚めてきた。昼は仕事に追われ、夜は言葉と眠気に追われ、考えている暇がないらしい。それで困っていることがあるだろうか。考えるいとまがほしいということか。何を考えていいのかわからなくなるだけだ。そんなことを述べているうちにも、言葉が君を裏切ろうとしている。文章に内容など要らないということか。それは誰の主張なのか。君が記している文章の中にそう読み取れる部分があるというわけか。君が何を表記しているのかについて、影は関心を持てない。君の影は君を見捨てているようだ。さらに何かが尽きかけている。さっきまで疑念が増殖を繰り返していたのに、なぜ今度は尽きかけているのか。人々はそれについて深く考えたりしないだけだ。なぜ戦う必要があるのか、それは生き残るため程度の答えで満足すべきなのだ。戦い自体が戦っている者の命を危険にさらしている。生き残るには戦わなければいいと思われるが、それに対しては、ただ戦って勝ちたいといえば、それが答えとなってしまう。戦っている相手に勝ちたいから、自らの命を危険にさらしてまで戦いたいわけだ。そこからどんな疑念が生じているというのか。君は戦わずして敗れ去りたいのか。物事を短絡的に考えすぎだろうか。どんな戦いに巻き込まれているわけでもない。何となくそれについて語るのが面倒くさくなってくる。そんなことはどうでもいいことに違いない。たぶん冗談でそんなことを述べているのだろう。やりたくないことはやらなくてもいいはずか。成り行き的にはそうもいっていられなくなるのが運命だ。運命とは何なのか。そこに何かやりざるを得なくなる宿命でも生じていて、何らかの作用によってやることを強要されているわけか。ではこれから何をやらなければならないのだろう。たとえば結果的に殺人事件の容疑者にされてしまう者なら、これから人を殺さなければならない。君の場合はどうなのか。君はこれから文字を記して文章を完成させなければならない。それとニュースで伝えられている殺人事件とは何の関係もありはしない。そしてそれについて何も述べられない君は何かと悪戦苦闘している。何かとは何なのか。それがわかれば苦労はしない。そこまで述べてきてまた疑念が湧いてくるが、そんな疑念など無視して先を急ごう。もちろん先を急ぐ理由など何もありはしない。気がつけばまた誰かが塩の歌を口ずさんでいる。歌の中の男は、自分の子供が自分と同じような職業に就かないように、ただ一心不乱に仕事に打ち込んでいる。金を稼いで、その金で子供を学校に通わせて、勉強して知識と学歴を身につけさせ、自分の置かれた境遇とは別世界で暮らしてほしいそうだ。何というありふれた話なのか。そんな環境から戦いが始まるらしい。馬鹿にしてはいけないのだろう。身の程知らずにもいい加減に気づいてほしいか。君自身が置かれている境遇とは何なのか。ただの何でもない世界に暮らしている。何でもありかも知れないが、やっていいこととやってはいけないことがあるらしく。もしやってはいけないことが発覚した場合には、ニュースで容疑者として紹介される仕組みだ。有名進学校の教師が五十歳の下着泥棒で、下着を盗みに忍び込んだ先が、かつての教え子の部屋だったそうだ。たぶん見ず知らずの他人からすれば笑い話のたぐいにしかならないだろう。その学校の教頭が記者会見の場で謝罪していた。誰かはそういう冗談を本気に受け取れない境遇にあるらしい。


5月20日

 ついに運命の神は君を見捨てたらしい。それが運命なら仕方がない。他の誰かの運命を借りてくるまでだ。その時点で君は運命の女神を見捨てている。冗談ならそれでかまわない。君はすでにそこから離れている。あてどなく文字を記すのが面倒になる。なぜ突然そんなことを思いつくのか。意味のないことを述べているのかも知れないが、君はそこから旅立つ必要に迫られている。物語的にはありふれた話の展開だろう。人はいつまでも同じ場所にとどまっていてはいけないらしい。ならば君の運命はどこへ消えてしまったのか。相変わらず君は画面の前に居座っているではないか。誰がそこから旅立ってしまったのか。今日はそれほど頭に負荷がかかっていない。いつもならおそらく面倒な事態に直面していたはずだ。話の中から何をくみ取りたいのか。君を理解させようとしているのではない。誰に何を理解してもらいたいわけでもないらしい。ただ旅先で行くあてがない。どこを見回してみても何の変哲もない街並みが適当に続いているだけだ。たぶん誰のためにこの世界があるのでもない。そんな思いを抱かせるだけの殺風景に囲まれている。わざとそんなことを述べている。面倒なことは嫌いなようだ。もうそろそろ出かけなければならない。人恋しさに誘われていると思えるだろうか。話をしたいとは思わない。君はそれらの運命を見捨てているはずだ。それがどういう成り行きを形成しているのかを知りたいが、誰がそれを教えてくれているというのか。ここは君の世界ではない。君はいつの間にか異邦人となって、どこでもない大地をさまよい歩き、架空の地平を目指して押し寄せてくる妄想に逆らいながら、必死に文章の継続をはかろうとするが、意味不明でそれ以外には何の作用も及ぼさないような事象に足を取られ、なんのことやらわからないままにどうでもいいような現象に巻き込まれ、唐突に射してくる陽の光を浴びてよろめき、自らが何を語っているのかわからず、君の意志を無視して繰り出される闇の言葉に動揺して、そこから先を容易には思いつけず、その辺で冗談に逃げたくなってしまうらしい。本気になってしまっては困るのだろう。何をもってそこで終われると思っているのか。状況は君をこの世界から引きはがそうとするが、それでとは違う力が君をこの世界に引き寄せようとして、君は相反する力の間でその身を引き裂かれようとしているようだが、君自身にも自らの身体を一つに保とうとする力が内在しているらしく、それによってかろうじて心身の均衡を保っているのかも知れない。冗談もそこまで述べれば気が済んでしまうのかわからないが、何となくその件はそれで終わりにしたい衝動に駆られ、話の途中で何かをやり残した気を中途半端に保持したまま、その先を目指してしまう。それで何がわかるというのか。外は新緑の季節らしい。その作業には終わりがない。何をどう語っても中途半端に思えてくる。それだけでは完結しないだけだ。言葉だけではだめらしい。文章には言葉以外に何が必要なのか。君は意味を解さない体質になっている。分からず屋というわけか。何も語らずに言葉を繰り出しているうちにあくびが出てくる。退屈をもてあましているようだ。晴れ渡った空はどこまでも青い。何事も君には似合わない。どのような状況になろうと、君にとってはどうということはない。何も感じないわけではなく、その時々でくだらぬ感情に心を支配されてしまうらしいが、思い詰めることが苦手なのだ。何も信じられないから長続きしない。なぜこの世界が存在するのかを問うてみても、問うている対象を見いだせないのだから、そんなのは無効に決まっている。君が感じているのは世界ではなく、夢想の世界でもない。気休めにこれが世界だとは思っていないだけだ。目的もなく時空を移動している。時間の経過と相対的な位置を変えているだけだ。心がそこまで追いついてこない。思いは過去の時空にとどまりながら、現状を否定的に解釈している。こんなはずではなかったと思っている。君はそこで何を探り当てたつもりになれるだろうか。感じているそれは何らかの鉱脈に行き着いた兆しなのか。何に到達したわけでもないだろう。どこにも到達することもなく、ただむやみやたらと言葉を繰り出しているに過ぎず、それで誰を満足さたことにもならないのはもちろんのこと、自分が自分の語ったことを見捨てているような感さえ漂っている現状を、言葉でどう捉えたら気が済むのだろうか。そんなことを考えているふりをしているうちに眠くなり、ついうとうとしていたら、目的地でもないどこかを通り過ぎてしまったらしい。それで何がどうなるというのか。何もかもが現状を構成しているだけだ。それが何もない現状だといえるだろうか。そんなことに関心を抱けない。君はまだそんなどうでもいい水準にとどまっている。自分がいない間にやけに外が騒がしくなっている。いったい何があったのだろう。君の運命は本来どのようなものだったのか。何になれて何になれなかったのかを知りたいところか。


5月19日

 余裕が感じられない。身体から心が外れている。心外とは違うらしい。こんな結果になるとは心外だ。何も感じられないが、状況的には最悪ではない。そこからどうなってしまうのか。時が経てばどうにかなってしまうのだろう。言葉が自然と積み重なる。何を予想しているのだろう。数日後の空は晴れている。雲一つ見当たらなくなる。継続が難しくなる。冗談ではないらしい。やはり文章になっていない。何も思いつかないのだから仕方がない。何かが違っているのはわかっている。それは予定になかった話の展開だ。言葉を繰り出すタイミングがずれているのかも知れない。つまらないいいわけに説得力は宿らない。誰がつまらないか否かを判断するのか。退屈にやられて勝手に血を吹いたわけではないが、誰が君におもしろい話をしてやってくれないか。誰かが冗談でそんなことを述べているようだが、君は何だか馬鹿にされたよう思われるらしく、不快な表情を顕わにする。それは過去の話に違いない。今さら馬鹿げたことを述べないでほしい。何を思いだしてしまったのかわからない。君はそこで誰の姿を見たつもりになれるのか。たぶん政治家が国家の制度を変革しようと思うのは、成り行き的には当然のことなのだろう。憲法を改正したいようだ。自衛隊という中途半端な名称の組織ではなく、正式な軍隊を持ちたいのだろう。彼らはもう何十年もそれにこだわっていて、国会で与党が圧倒的な多数派を構成している今が、自分たちの本懐を遂げる絶好の機会だと思っているようだ。NHKなどのメディアを利用して、さかんに集団的自衛権の行使が可能であるかのような憲法解釈を広めようとしている。彼らは戦争になったときのことばかり想定している。有事の際どうしたらいいのだろう。集団的自衛権の行使を否定していては何もできないではないか。そんなことではいつまで経っても心配事が尽きないか。やはりそういうたらればの主張はくだらないか。国家として他国に勝とうとしなければいけないのだろうか。このままでは悲惨な結末を想定せざるを得ないか。どうでもいいことだ。国家が国家に対して戦争状態になったり、突発的に軍事攻撃を被ったりする事態を嫌でも想定したいらしい。なぜ君にはそれが机上の空論だと感じられてしまうのか。国家は次第に無化されていかなければならないと思っている。そちらの方が荒唐無稽な考えではないのか。国家間戦争は第一次と二次の世界大戦で十分なのではないか。国民は納得できない税金の使われ方に怒っていればそれで事足りるだろう。その上に何で国家を守らなければならないのか。かつての植民地時代のように国家が他国を支配して何か利益を得るような状況が訪れるだろうか。なぜ莫大な労力を費やして他国を支配する必要があるのか。アメリカがアフガニスタンやイラクを占領したように、北朝鮮が日本を占領することができるだろうか。あるいは中国なら日本を軍事的に占領できるだろうか。いったい占領を正当化するための大義名分は何なのか。にわかには何も思いつかない。他国を軍事攻撃するより、貿易していた方が遙かに気が楽だ。たぶん商取引している現状を継続させていくだけだろう。北朝鮮のように破れかぶれ気味に自国の軍事力を誇示して見栄を張るのは馬鹿げている。いったい彼らに何ができるというのか。軍事攻撃できたとして、それでどうなるわけでもない。ただの意味不明でしかない。彼らの何を過大評価すればいいのかわからない。今どき国家に対してどんな幻想を抱くべきなのか。国家が国民に何をしてくれているのだろう。やって当然のこと以上ことを期待すべきではない。地球温暖化対策としてサマータイムを導入すべきとかいうのは面倒くさいだけだろう。しかしやって当然のこととはどんなことなのか。それなりの治安維持と、国民が経済的に悲惨な境遇にならない程度に支援することぐらいか。それと軍隊を持つこととの間にどんな関係があるのだろう。他国が軍事的に侵略してこないように、自国の軍事力を誇示しなければいけないわけか。現状でも世界でトップテン以内に入るぐらいの防衛費を計上しているのに、その上に何をやろうというのか。アメリカの下請け仕事でも世界の紛争地域でやらなければだめなのだろうか。その代償が松坂やイチローや松井がアメリカで金稼ぎができるぐらいでは割に合わない。いつまでも虎の威を借る狐のごとく日米軍事同盟ばかりにかかりきりになっているのは鬱陶しい。いつか当のアメリカから絶縁状を突きつけられてしまうのではないか。イラクで毎月百人前後の死者を出しているアメリカ軍は悲惨この上ない。自分の命令で何千人もの国民を死に追いやっているブッシュ大統領の心境を推し量ることはできないが、そんな行為を平然と続けられる国家はやはりどこかおかしいといわざるを得ない。考えるまでもなくそれは恐ろしいことだ。日本がそういう国家を見習うのは狂気の沙汰に違いない。ブッシュ氏から見れば北朝鮮の彼などは子供だましもいいところだ。独裁国家ごっこで多くの国民を虐げているとしても、やはりそれは子供だましのごまかしに過ぎない。だだをこねているだけだ。アメリカはそれを遙かに超える規模と予算を使ってとんでもないことを平然と繰り返していて、それでもこの国の首相と政権政党とその支持者たちは、日米軍事同盟を堅持しようとしているわけだ。そんな現状の中で憲法を改正して軍隊を整備して何をやろうというのか。


5月18日

 なぜかそこから逃げている。また無駄な問いかけと否定の言葉が連続している。戯れ言に未来はない。いくら待っても何も来ない。何に気づけばいいのだろう。機会がどこにも見当たらない。継続だけの文章のようだ。歌が君の心を揺り動かして、思いがけず彷徨い続けて漂流者となり、言葉は今でも嘘をついている。偽りの世界は97曲目に破綻を来すだろう。迷いが躓きを誘い、そこで逡巡している。時間的な順序が逆だ。君はどの場面を想定していたのか。心臓の鼓動が聞こえてくる。動揺の色を隠せない。心身が衰弱しているようだ。力を使いすぎている。警告を無視して暴走しようとしている。一気呵成に押しまくるつもりのようだが、今は文章を仕上げる段階ではない。何に躓いているのだろうか。足下に髑髏が転がっている。荒野に人影を見かける。幻想の荒野が果てしなく続いているようだ。それは驚くべき状況かも知れず、闇の中で何も見えないのに、何かに導かれるように勝手に歩き出している。なぜ意識はそんな見知らぬ場所で彷徨っているのだろう。何を幻視しているのか。それは光景ではない。実際には何も見えていないのではないか。そこへ入っていけない。気が散っているのではないか。語る要素が見当たらない。素材を探しているのかも知れないが、意識が言葉を受けつけないようだ。考えていることが抽象的で具体性に欠けている。力が入らないようだ。君はそこで何を見ているのだろうか。闇の中に君がいる。そんなことをいくら述べても無駄なようだ。所詮は子供だましの世界でしかない。どこかで落雷があったようだが、別に停電しているわけではない。夜だから暗いだけだ。君は理由もなくそこへ寄りつかなくなる。またいつもの回り道を通ってくるのだろう。だが最終的にここへ来るわけではない。山道は暗く上り坂がきつい。冗談でそんなことを述べている。藪の薄暗がりから突然何かが飛び出すが、君は至って無関心を装う。夢か幻でも見たのだろう。君たちは稼いだ金を何に使うつもりなのか。衣食住だけで満足するだろうか。なぜ生きなければならないのだろう。なぜ死ななければならないのか。そのどちらもがつまらない結末を予感させる。何を見て感動したらいいのだろう。同胞意識が欠如している。スパイダーマンの苦悩を理解できないか。いつの時代のヒーローもすべては奇形児なのだ。そこで何かをごまかしている。まともな神経を捨て去っている。正義の奇形児が悪の奇形児に同胞意識を抱くのは当然の成り行きだ。どちらも見せ物小屋の薄暗がりの中に生息している。君はそこで興味を失い、現実の世界に意識を向けながら、とりとめのない日常に埋没しようとしている。そういう成り行きが気に入らないのなら、どこかで正気を取り戻すべきだ。退屈な日々に耐え続ける。神はいつ降臨するのだろうか。何を信じているわけでもない。誰が御輿に乗っているのだろう。君は自らがかつて抱いた誇大妄想の内容を思い出せない。誰のことを語っていたのか。平和の断片が戦火の中に生じている。それは紙切れのたぐいだ。約束はふいにされ、誰かのごり押しも通じなくなる。まるですべてが水の泡となってしまったように思えるが、それでも君は結果に満足しているらしい。今日もまた無駄なことを述べ続けている。そんな結果が暗闇の到来を許している。またしても夜になってしまったらしいが、そこに何があるわけでもない。そろそろ就寝の時間なのかも知れない。まだ終わっていない。運命は君を迷わせる。運命に逆らうべきか従うべきか、どちらをとってもそれが運命だとしたら、どうしたらいいのだろうか。分水嶺に立っている。そこに岐路があると思いこんでいる。それは見せかけの岐路に違いない。どちらの路を選んでも結果は同じだろう。冗談でならそれでかまわない。すでに人格的な欠陥が顕在化している。さっきから何の話をしているわけでもない。君には君のやり方があるらしいが、それでは話になっていない。何もかもが断片化していて、言葉と言葉が組み合わされる前に、自ずから離れていってしまうようだ。文章としてまとまることを拒絶している。そして君は遠ざかりつつある。嫌になってしまったのか。まだその続きがあるはずだが、何となく中途半端にとどまりたいらしい。それが現状なのだから仕方がない。君には戦う理由がない。たぶん何と戦っているのでもないのだろう。慌ただしさの中で何もかも忘れてしまったらしい。それが君の日常なのだから仕方がない。今さら何を焦ることがあるだろう。いくら焦っても焦り足りなくなるだけだ。そんな精神状態では休んだ方がいいに決まっている。誰が何を決めつけているのか。それが弱音と受け取られることを嫌って、まるで子供の強がりみたいに振る舞って、頭がおかしくなる。まったく冗談では済まなくなりそうだ。しかし架空の物語はどこまで話が進んでいるのか。君が興味深いわけではなく、誰が誰のことを述べているわけでもない。途中からあらぬ方向に言葉がずれていることに気づく。それは方角ではない。


5月17日

 わからないことはわからないままに打ち捨てられて、誰からも見向きもされない。目的がそこにあるらしい。倫理とは何だろう。語りたいことが山ほどあるそうだ。誰の気を惹こうとして、そんなことを述べているのか。何を読もうとしているわけではなく、文章とは無縁の空を眺める。どこかに気持ちが引っかかっていて、ぎくしゃくした動作を経験する。何もなければ何も語ることはできない。虚空という言葉を使いたくないが、そこから何を見ているのかを知りたい。外では相変わらず雨が降り続いている。目指しているものが違うらしい。もうすぐ雨が止むだろう。何を考えているのだろう。それらの問いかけに意味はない。空が明るくなる。君が雨をもたらしている。君は神なのか。誰のことを述べているのだろう。妄想の世界で誰かがつぶやいている。霊はまだこちら側に来ていない。あちら側からこちら側の世界を眺めているだけだ。雨が上がって晴れている。昼になったらしい。今は夜だ。貧窮に耐えなければならない。何もないことを受け入れなければならない。否定が連続しているそうだ。人間に目的があるとは思えない。神に何ができるのだろう。何を支配しようとしているのか。それは空虚に違いない。何もないからそうなってしまう。その辺で一休みしないか。何もなければ休んでしまえばいい。休むのはいいが、そのまま永眠してしまわなければいいが。なぜそこで意識が途切れてしまうのだろう。人は働かなければ生きてはいけないそうだ。場合によってはそうかも知れないが、人によっては生きていかなくても済んでしまうだろう。誰かが病室で永眠しようとしている。たぶん面倒くさいのだろう。生きていくのが面倒くさいのではなく、病気に打ち勝つのが面倒くさいわけでもない。それについて語るのが面倒くさいのだ。何かに流されていく。水面で漂流しているのは枯葉のたぐいだ。意識がそれに重なるわけがない。空気と隔たっている。隔絶した地域に誰かが暮らしている。誰でもない。誰かがいないと文章を構成できないらしい。別れを告げることができない。思いこんでいるのは思いついたことだ。文法的には問題ないらしい。まだ本気ではない。弾けているのは枯れ草についた種だ。緊張感に欠けている。緊迫した事態ではないようだ。だいぶ重くなってきたようだ。それは文章ではない。わざと安易な気持ちになる。どこまでも去ってゆく。君は霊的な存在でさえない。何者にもなれず、どのような精神状態を写し取っているわけでもない。写真の一種だろうか。批評的対象ではないようだ。音楽的に不釣り合いだが、何のことを述べているのかわかりかねる。わかりやすい話ではない。だが君がすべてではない。この世界がすべてでないのと同じことではない。間違っているようだ。本気になれない。間違えた文章表現を改めるつもりがない。そんなやり方は安易なごまかしにしか結びつかない。空疎な言葉から離れられない。それをそのままにしておけない。惨めな気持ちでいっぱいになる。それで何を強がっているのだろう。少なくとも君には理解可能だ。誰と分かり合えるのか。間違いだらけの答案用紙に感動しているわけではない。答えが間違っている以前に、問いそのものが間違っている。それを問う必然性が希薄だ。足がつってしまったのか。それで魚を釣り上げられるだろうか。遠洋マグロ漁船に乗り込んでいる。君ではない。知識を披露する場が限られているようだ。浅はかなことを後生大事に抱え込み、あわよくばそれと心中する覚悟らしい。そんな機会がいつ到来するのか。何がうまくいっているはずもない。誰かが目の前を横切り、一瞬遮られた視界の先に虚空があるらしい。それとこれとは関係ないだろうが、それにもこれにも興味が湧かない。それにしても機会を逃し続けている。わざと誰かを泳がせている。その誰かがやくざであるはずがない。何が興味深い現象なのだろうか。途中で足取りが途切れている。自らのこだわりを全うしたいらしい。それで姿をくらましたわけか。京都に行けば鞍馬山があるそうだ。天狗とは何だろう。どこかに誰がいれば楽しいだろうか。そこにいない人物の姿を思い浮かべてみるが、それの何が楽しいのかわからない。またどうしようもないことを述べているようだが、何となくそれでもかまわないと思ってしまう。そこから巻き返しを図りたいらしいが、今さら君に何ができるというのか。それは以前に述べた台詞に違いなく、それを反復することに意義があるとは思えないが、何となく気分的には愉快な気がしてくる。どうしても朝日を拝む気持ちにはなれない。どこに罠が張り巡らされているというのか。不意に忍び寄ってくる眠気に惑わされている。君はそこで何を理解したのだろうか。言葉の乱雑さに呆れかえるだけではだめだ。迫り来る恐怖などに関わり合う必然性は感じられない。ゆったりと時は流れ、誰かの神経質な感情をものともせず、何かがよどみなく連なり、その連なった先にまたしても君の影が立ち現れ、ただ無言のまま佇んでいる。


5月16日

 何かの残骸に足を取られ、自らの影を踏んでしまう。それがどうしたのか。久しぶりに何かを問いかけているつもりらしい。当たり前のことを当たり前のように語っている。では何をひねくれているのか。秘密の人生などあるわけがない。いつものようにいい加減に言葉が連なっているようだが、たぶん何も語っていないはずだ。やはりいつもの成り行きに近づきつつあるようだ。疑念を払拭できない。そんなことを述べている意味を知りたい。違和感だらけの現実に埋没してしまう。それが君の主張ではない。主張とは何だろう。そういう問いかけが誤解を生む。それらがどうでもいいような日々なら、君はそこで何も思っていないのだ。疲れている。今は昼ではない。昼でなければ語れないことなどありはしない。ただ君の知らないことを語りたい。それは冗談に違いない。虚脱感に苛まれ、何も語る気がしなくなり、そこで誰かの歩みが止まってしまう。物語の中では死んでしまったはずだ。君は誰のことを語っているのだろう。確かに昼は仕事に明け暮れていたようだが、巡ってきたチャンスを生かせていない。それが絶好の機会であったなんて、にわかには信じられない。そこで何をやるべきだったのか。何を思いだしているのか知らないが、なぜか当たり前のことを述べてしまう。そんなのは嘘だ。そこから何が深まるわけもない。本気で述べているわけではない。君は何を利用して言葉の連なりを流通させようとしているのか。誰も君の言説を理解できないらしい。だから今そこで力を使い果たすべきではない。それは力ではない。単なる筋肉疲労だ。頭を使ってないようだ。見聞する何もかもが馬鹿げているように思われ、何を語る気もなくなって、自らの老いと衰えを自覚せざるを得なくなる。それも冗談で述べているつもりなのだろう。誰かが自らの誇りについて語っている。雨が降ったあとは晴れ渡り、晴れが長続きしないと次第に曇ってきて、やがてまた雨が降り出す。しかし天気の話をして心が満たされるわけがない。気分は相変わらず下降気味だ。最悪とまではいかないようだが、気乗りしないことは確からしい。そんな状況では、たたみかけるように言葉を繰り出すわけにはいかないが、それでどうということはない。そんな自分が情けなく思われる。どうやらその辺が限界のようだ。何も感じられないからどこにも行けなくなり、それがどこにも行けない理由となっている。理由が原因になるわけがない。なる場合もあるだろう。気がつけばまたおかしなことを述べている。おかしくて笑いが止まらなくなるが、何がおかしいのかわからなくなっている。それも嘘に違いない。そんな疑念を誰が晴らそうとしているのだ。それでも状況的にはしっくり来ている。限界を自覚しながらも、それが嘘だと思ってさえいる。わざとわけがわからなくなってしまうのだろう。それはいつもの冗談かも知れないが、たぶん君の話ではない。君はどこで何をやっているわけでもなく、仕事に明け暮れている。だから暇にまかせて語っているのは君ではないかも知れない。頭は数日後の蒸し暑さにやられている。少しオーバーヒート気味だ。無性に水が飲みたくなる。君は君を見失っている。戯れ言ではないのか。文章として意味をなさなくなり、投げやりな気分に心を支配されている。君はそこで終わりだろう。誰かがどこかで負け犬の遠吠えを耳にするだろう。話の中ではそういうことになっている。君は君をもてあましている。その存在を払拭できずにいるらしいが、それはどういうことなのか。どこかに君の存在に関する疑惑が生じているらしい。それは誰かの想像力をかき立て、誰でもないような君が、何らかの特性を備えて作り話の中に登場してしまう。そんなことがあり得るだろうか。そこに生じている疑念はとりとめがない。いわれのない中傷がどこに生じているのか。そういうタイミングでそういうことを述べるべきでない。文章の連続性を保てなくなる。端から不連続だ。意味をなさない言葉の連なりに呆れかえり、それに対する反撃の機会を探っているわけでもなく、何に対して反撃するつもりなのかわからなくなる。そろそろ反撃していいだろうか。しかし攻撃の対象が見当たらない。誰に攻撃されていたのかもわからず、どんな原因からそうなってしまったのかも、皆目見当がつかない。そんな白々しい嘘でその場を取り繕うつもりらしい。文章はますます意味不明だ。それが何を意味するのかわからない。何もわかろうとしてないのかも知れず、完全な失敗に終わろうとしている。それの何が失敗なのか。不細工でわけがわからない話の成り行きだ。そこからどうやって逃げるつもりなのか。何も見いだせない割には、それなりに言葉が連なっている。ただそれを肯定すべきかどうかわからない。問いかけの連続になってしまいそうなとき、そこで思いとどまって、あらぬ方向へ意識を逸らそうとしているようで、かなりの無理が文章の中に生じてしまっている。だから何を述べているのかわからなくなってしまい、そこからどう述べていいのかわからなくなる。


5月15日

 安易なことを述べているうちに雨が降り出してくる。そういう季節なのだから仕方がないだろう。安易なことを述べているのも季節からの影響を受けてそうなっているのかも知れない。実に安易な季節だ。くだらないことを述べている場合ではない。安易なのは季節ではなく、いい加減なことを述べている君の方だ。ならば君と季節と降り出してきた雨が文章の中で複雑に絡み合っていてほしい。勝手な言い分に違いない。しかし誰が嵐を呼んでいるわけでもない。またいい加減なことを述べている。そういう水準で何を述べても無駄だ。文章が何に対して有効に機能しようとしているのかわからなくなる。わからないからそんなことを述べている。雨が降り続いているのは数日後のことだ。それで願いが叶ったと思っているようだが、誰の願望が文章に反映されているわけでもなく、実態としては、その場の空気が君を操り、何か適当なことを述べさせる。本当にそうであったらおもしろいだろう。それから数時間後にはおもしろいわけがないと思う。雨が止んで何も思いつかない現状に気づく。君はそんな状況に不満を抱いているようだ。勝手な思いこみに至らないのは文章のせいではない。現実を拒絶しているようだが、それはどんな現実でもなく、そこからどのような認識も導き出せない。認識不足なのかも知れない。自らが窮地に追い込まれていることを理解できない。誰かは本当に窮地に追い込まれているようだが、君はその誰かとは無関係だ。何となく責任逃れ気味にそこから遠ざかってしまう。本気になれないのだから仕方がない。君は必死で文章を記し続けるが、内容に至らないだろう。それの何が不満なのか理解できないらしい。不満を抱いているのは君ではない。自意識はそこから戻ってこられなくなる。わけのわからない文章が迷路を形成しつつあり、次第にそこから逃れられなくなっている。遠ざかれないのだ。それはどういうことでもなく、どのような状況に陥っているのでもない。ただ矛盾したことを述べたいらしい。他に何も述べられなくなっている。冗談ではないが、冗談のような状況に陥っているのかも知れず、それが愉快でたまらない。述べていることが嘘でないことを祈ろう。それは君の言葉ではない。言葉にならず、文章を構成できなくなる。何もかもがあやふやに思われる。何を見聞しているのかわからない。何を求めているのでもない。それが何かを拒絶していることになるらしいが、嘘に決まっている。おそらく本心を明らかにできない性分なのだ。それは誰のことを述べているのでもない。すでに傷口がふさがり、痛みも自然と消えてしまったらしい。彼らは何が災禍を招いているのか理解できないらしい。たぶん娯楽に金をかけてきたつけが回ってきたのだ。ここに来てかなりの痛手となっているようだ。競争社会は格差社会に行き着いた。金貸し業者が馬鹿な人々から金を搾り取りすぎたようだ。メディア業者が商品の広告料で儲けている。単純労働では低賃金のままだが、そういう仕事に従事している者たちがいないと、人間社会は回っていかないらしい。資本主義には搾取される犠牲者がつきもので、それなくして多額の資産を形成する成功者は生まれない。低賃金の単純労働をなくす試みが積極的になされたことはない。仕事の質によって賃金格差が生まれるのは当然のことだ。そんな現状の何を述べても当たり前のことでしかない。それが今や全世界を覆い尽くしている資本主義の恐ろしさなのだろう。金銭的な成功を夢見る者がいる限り、その目的に応じて様々な金儲けの手段が考案され、より多く稼ぐ方法が脚光を浴びるたびに、そうではない方法で仕事している者たちの稼ぎが相対的に目減りするしかけとなっている。だから昔と同じやり方に固執している者たちは時代に取り残され、伝統工芸や伝統芸能などとしてメディアが肯定的に取り上げない限り、次第に社会の隅に追いやられて、今や低所得低賃金に甘んじているわけだ。メディアに低賃金の単純労働と見なされたら、その仕事はそれでおしまいだろう。それは一種の職業差別であって、それに従事している者たちは格下の人間と見なされてしまう。メディアが肯定できるような芸がなければ、それらはすべてつまらない仕事なのだ。だから人々はメディアを利用して自分たちが従事している職業を宣伝したい衝動に駆られるのであり、メディアに登場して自分たちのやっていることを必死でアピールする姿は涙ぐましい限りだが、それこそがメディアの食い物となっていることに気づかない。メディアは彼らの姿を情報として流通させ、そこから多額の利益を生み出すのであり、その利益は広く浅く嫌悪感を抱かれない程度に、普通の人々から搾り取られているわけだ。それは直接的にはNHKの受信料として毎月徴収され、間接的には広告料として毎日買う商品の価格に上乗せされていることになる。そんな風にして金を搾り取られるのと引き替えにして人々に何がもたらされるかといえば、それはただ幻想であり、要するに気晴らしの娯楽なのだ。何か心が豊かになったような錯覚に陥り、満たされた気分になるわけだ。


5月14日

 架空の人格が何かおかしい。君が管理している人格ではないはずだ。そんなものがどこにあるはずもない。気が動転してその場から逃げられなくなる。魔が差しているわけでもなく、誰が邪魔しているわけでもない。なぜ逃げようとするのか理解できない。自分から逃げているのかも知れず、闇が不思議がっている。君は闇ではない。闇に包まれているだけだ。架空の物語はすぐに終わるだろう。語っている当人がなぜか驚いている。何に驚いているのかわからないが、それが思いがけず驚きをもたらしている。そんなのは嘘だろう。簡単に否定すべきでない。嘘でなければ言葉にならない。そこから言葉がつながらなくなる。しかし依然として君の話ではない。その件については語らなくてもかまわないようだ。すでに気が済んでいる。気晴らしとしてこの世界を楽しんでいる。体験しつつあるのは、どうでもいいような世界になる。たぶん君の世界ではない。誰が世界をもたらしているわけでもない。闇が微笑んでいる。内面の向こう側に君の姿を確認している。それは闇ではなく、光の帝国だ。頭がどうかしているようだ。無責任な言葉に満ちている。心が満ち足りているらしい。安易なやり方だ。君は遠くから燃え上がる街を見た。まだ十分に幻影から遠ざかれていないようだ。言葉が意識についてこない。それでは物事の本質をつかめないだろう。思いついたそれぞれの言葉が分散しすぎていて、全体として文章になっていない。冗談のたぐいだろう。君のこだわりは尋常でない。いつまでも語り続ける。君は燃えさかる松明だ。冗談でそんなことを述べているのだろう。それが気に入らない。間違いと過ちの境目に空疎な気分が満たされている。過去に残酷な仕打ちを受けている人がいるが、そこで何を求めているのかわからない。何ももたらせない。床が傾いているのだ。疲れている理由を構造的な欠陥のせいにする。苦し紛れの言い逃れに近い。読む者たちを拒絶するような文章だ。腕時計が重すぎる。空が高い季節は秋だ。知性を感じられない。流行り廃りの文化ならその時代においてさかんになるのも衰退するのも当然の成り行きだ。言葉が言霊を有しているわけがない。文化とはいえないのではないか。君はわかっていないらしい。君は君ではないからだ。何を否定しているのかわからない。何も否定していないのかも知れないが、すべてを肯定しているわけではない。肯定できず否定もできない。どう判断していいのかわからない。考えるのが嫌になっている。また夜になってしまったようだ。仕事に明け暮れていたらしいが、いつ休息を取ったのか覚えていない。そこから遠ざかっているのは君ではない。君に心などありはしない。何を述べているかわからないのは当たり前のことだ。何も意識できない。君が何かを求めるべきではない。過ぎゆく時間が何かをもたらそうとしている。求めているものを受け取る必要はなく、もたらされたものを享受すべきだ。何かを肯定している理由を探りたいが、君は君自身の中で何を考えているのかわからないままだ。それで何がわかるはずがなく、何もわからないことを認めざるを得なくなる。やはり現実の世界から逃げているようだ。誰かがゲーム上で魔法の杖を探している。ジャングルでは極彩色の鳥がさえずり、そこから理由が導き出されるのを阻んでいる。見とれているうちに何を探っていたのか忘れてしまい、行き当たりばったりで刹那的な行動に身をまかせ、当初の目的を失って、何をやろうとしていたのかわからなくなり、それが君ではない誰かに課せられた使命であることを知る。君はつんぼ桟敷の除け者にされてしまったわけだ。少なくとも文章中では君が当事者ではない。何を述べているわけでもなく、何を思っているわけでもない。君はどこまでもそのままの自分でありたいらしい。何も述べられぬままに文中に登場し続ける。それが君でないことはわかりきっている。突然君の姿が見えなくなり、君が君を見ていないことが明らかになる。だが疑念を抱くには及ばない。それの何が矛盾しているわけでもなく、その映画は未来世紀ブラジルではない。資本主義的な消費欲求の虜たちにとっての譲れない主張は、すべての商業映画はハッピーエンドで終わらなければならない、という無様な信念だ。君が君でないことは、何に逆らった末に獲得した形式でもなく、ただ単に架空の人物にはそれ特有の人格が定まらないという事実に由来している。何かを語るのが面倒なのだ。それがやめる理由にならないところが、君にとっての人格的な欠陥を文中に構成しているのだろう。だからその場を立ち去らなければならない。冗談にさえならないようなわけのわからなさからどんな幻想がもたらされるわけもなく、君は黙ってそれらの文章を読むのをやめてしまうだろう。失望しただけでは物足りないらしいが、それでに何を無視できるわけもない。言葉が組み合わさって文章が構成されている事実を認めるか否かで迷っているわけではない。ただ何もない。それらの言葉たちは何ももたらさない。


5月13日

 そこに何かがあるらしい。誰かの気まぐれに惑わされながら、今はそう語る理由がないが、平常心を取り戻しているわけではない。時が流れ去り、嫌悪感とともに過去の記憶を失いつつ、そんな言葉の組み合わせに退屈している。たぶんまだ何も述べていない。今は数日後の朝だ。何もないのに何かがある。壊れているのは誰の心でもない。そのときの映像が心から離れない。意識にへばりついている。妄想のたぐいだろう。映像ではないのかも知れない。時計が狂っているのだ。記憶が定かではない。地面が乾いている。昨日と同じような成り行きだ。会話の中で本音が出てこない。それでも未来を見通しているつもりになる。やがて黙り込んでしまうだろう。安易すぎる。使い道のない感性だ。いつもの迷路に逆戻りのようだが、言葉に詰まって困り果てているわけではない。そこを抜け出しているつもりになる。どのような幻影を見せられようと、それは君とは関係のない時空で生じていることだ。誰が何を習ってきたのか知り得ないだけだ。何かに凝り固まっているらしい。言葉がうまく組み合わさらず、自然と目的のない語りに終始している。何を語っているのか定かではない。思い入れが足りないようだ。そんな理由では意味不明だ。目的がないことにこだわる必要はない。それが目的でないのだから、その先に何が待ち受けているわけでもないだろう。ただ現世に戻って来られなくなるだけだ。夢遊の世界で言葉が宙に舞っている。そこで何かを思い出している。君の語り口を知りたい。やはり知りたい理由を探しているようだ。同じような音楽が鼓膜に響いている。音の調べを記憶しているらしいが、それで何を言い換えているのかも知り得ない。霧に隠れて意識がぼやけてくる。それもあり得ない状況かも知れない。今は眠ってしまいたい。君に何を期待しているわけではない。何もないからそこで躓いている。そんなのは嘘だろう。あり得ない話ではない。反証するだけの材料がない。必死さが足りないのかも知れない。何かに対するひたむきな態度が欠けている。ならば誰かはもうすぐ死ぬだろう。君は彼の死を願っていた。密かに期待していた。実際にそうなったら狂喜するほどではないが、今でもそう思っているのかも知れず、実際に彼が死んだら君は喜ぶかも知れない。にわかに現実を帯びてきた話になりそうだ。彼は呪われているのかも知れない。誰かの作り話の中では確かにそうだった。君はそこからはじき出されてしまったはずだが、今でも未練があるらしい。それを信じていいはずがない。疑念とともに君は文章の中に構成されている。それは根拠の定かでない疑念だ。根拠を求めているのではないが、何を疑っているのではなく、すべてのおいて疑り深い。眠りに落ちたあとも夢の中でこの世界の有り様を疑っている。だがなぜやどうしてという言葉に興味はない。ただ気分が乗ってこない。他人が新聞を読んでいる。それがどうしたわけでもないが、活字の連なりが他人の興味を惹こうとしている。何がどうなっているのかを知りたい人が世の中には大勢いるようだ。それを横目で眺めながら、心の中では笑いが止まらなくなる。もはやいい加減にやめるべき時期に来ているようだ。成り行き的にそうなのだから、それを無視するわけにはいかなくなる。そんな戯れ言の中に君の本音が見え隠れする。気がつけばまただいぶ眠ってしまったらしい。眠たいから眠ってしまうのであり、他に理由を見いだせず、そんなつまらないことを述べている自らに否定的な印象を抱く。紙面上では事故や事件の報告がなされているようだ。涙を流しながらアルバイトにいそしんでいるつもりの演技を笑うべきではない。話が飛んでいるようだ。君に何ができるわけでもなく、客観的に何をどう判断しようと、感情に流されている現実の姿は隙だらけに違いない。なぜかすべてはありきたりの現実に包まれている。それは以前に語った話に酷似している。誰かがどこかで他人を殺め、金をかすめ取り、自分の欲望を満たそうとしている。それらのバリエーションが日常茶飯事のように展開しているらしい。それらの何に驚く必要があるか否かは、他の誰の判断を仰ぐまでもない。君が退屈しているつもりの日常の風景には刺激が足りない。それが当たり前のことなのだから、あえて他に何を求める必要はないように思われてしまう。しかしまだ彼の物語は終わっていない。これからいつまで続くかわからないが、何もないのに言葉が連なってしまうのは違うだろう。とりあえずそこから導き出される暫定的な結果を見定めなければならなくなる。退屈しのぎに何かを語っているというのは嘘だ。確かに嘘だが、そんな嘘をつかなければやっていられない。それらの回りくどい語り口に嫌気がさしているのかも知れないが、自分で語っておきながらそれはないだろう。馬鹿げた言葉の連続で気持ちが萎えてしまう。それでも時には理由のない言葉の組み合わせに驚き、感動に至ることもあるのかも知れない。まだ誰かの将来について述べていなかった。


5月12日

 目の前にはいつもの風景が広がっている。何か思うところがあるようだが、すでに数日後の夜になっている。せわしなさに我を忘れ、何も思いつかぬまま日々を過ごし、時折嘘をついているのかも知れないが、とりあえず何も述べるつもりもなく、そういう意味では目下のところ目的がない。どんな意味なのかわからない。それはおかしな言いぐさだ。それにしても何のために語っているのかわからない。気休めに言葉を並べている。それが気休めになっていないところが致命的だ。致命傷を負っても死なない君は矛盾している。君ではなく文章が矛盾しているのだ。君について述べているとは思えない。誰かがそれに異論を唱えようとしているらしいが、そんなことはどうでもいいことだ。それらのつまらない語りによって、何を認めてほしいわけでもないらしい。批判に値するような文章の内容ではない。危うくテレビ画面に釘付けとなりそうになる。それは昨晩のことだろう。そこから何の進展もしていないわけだ。それは君の話ではない。そして君に逃げ道などありはしない。そこからもがき苦しみながら、その場を取り巻いている空疎な何かを言葉で表現しなければならない。それが苦しみを伴っているとは思えない。そんなのは嘘に決まっているだろう。気まぐれにそんなことを述べているだけだ。君に反論の機会が与えられているとは思えないが、それが何の反論になるわけでもなく、決まり切った文章表現に意識が埋もれてしまうだけだ。そこで誰かの声が途絶える。お前はまだ破滅していないようだ。それは誰の破滅でもありはせず、同時に誰にとっても破滅であり続けるが、わざとくだらぬ矛盾を述べているだけだ。空隙をつかむような機会は永遠に到来しない。一瞬の間をおいて何事もなかったように再会させるつもりだ。君はいつもの世界で誰かと再会する。それが世界だとは思えないが、やはりそんなことはどうでもいいことだ。それで何を肯定しているわけでもないが、やがて何も真に受けられなくなるだろう。なぜそうなるのかわからず、そこで途方に暮れてしまうが、本気になれないのはいつものことで、安易な気持ちで何かいい加減なことを述べているつもりのようだ。何をわかろうとしても、それでわかったことにはならず、それは戯れ言と本音が絡み合っている証拠かも知れない。本気でそう思っているわけではない。脈絡のないつぶやきは果てしなく続く。それでも心の中で誰かのメッセージを優先させている。お前はどこにも行かないだろう。道標としてそこへとどまる続けるのだ。お前は誰かの道しるべとなるだろう。嘘だと思うなら、さらに生き続けてみるがいい。お前は死ねない。空虚に頭を侵されているが、少なくとも生きようとしている。それがお前の意志に違いない。この先は誰にも出会えない。何も見当たらない。歩みつつある地域は砂漠でさえない。砂や岩など君には似合わない。火星の大地ではなく、月面でもない。どこへも行けないのだ。そしてできもしない話の成り行きを言葉でなぞらなければ気が済まない。フィクションとはそういうものだろう。そこで目をつむれば自然と眠りにつくはずだ。そして夢の中で君がそれらの言葉から構成された文章を読み返して、あやふやな感想を述べている。つまらない文章だ。とりとめがない。あくびと交互に深呼吸を繰り返している。意味がよくわからないから、やる気がしないという結論に導かれたいらしい。数日後世界は退屈だ。いつものように現実と妄想が入り交じっている。それは夢ではない。文章には現世の何も反映しない。他人に好かれたくないのかも知れない。その代わりに何かに心を奪われている。君はその何かを文章で示せない。心を奪われているのは君ではないのかも知れない。そこから先に君の姿はない。また何を述べているのかわからなくなる。情熱が失せている。やる気がしない。誰かはそれをやる気と見なしている。やる気がないからやる気になっている。それはいつもながらの意味不明な矛盾らしいが、それで格好をつけるつもりのようだ。格好がつくわけがない。さらにわけがわからなくなる。言葉が続かないようだ。君にはそれらの成り行きが合っていないのだろう。似合わないということだ。状況が君そうさせている。だがそれでは感想にならないだろう。何についての感想を述べているのかわからない。無理に言葉を繋げようとするからそうなってしまうのだろう。そして見え透いた嘘をついている。それは何の代わりでもなく、ただ闇雲に言葉を並べながら嘘をついている。そう述べていること自体が嘘そのものだ。嘘だからそんな言葉の並びになってしまい、そしてそれも嘘なのだろう。だんだん面倒くさくなってきたようだ。投げやりになる一歩手前で踏みとどまっているつもりらしいが、それが君の文章だとは思えない。君はその何かを破棄しなければならなくなる。やめてしまいそうになる。馬鹿げた成り行きに終止符を打ちたい。できるはずのない妄想を抱いている。君の場合、努力とは荒唐無稽を追求することだ。


5月11日

 君は何かを封印しているらしい。もうわざとらしい問いかけはやめてしまったらしい。それしか文章上で表現できなかったのに、それをやめてしまったら何も残らないだろう。だからそれが馬鹿馬鹿しく感じられてしまうらしく、実際にくだらぬ内容なので、またいつもの冗談で片付けてしまう。だが容易には片付けられないはずだ。そこで何を考えているのでもない。時間が経っているが、忘れるほどでもない。何を忘れようとしているのでもない。それは昨日のことだろう。君は君を知っている。君ではない君がどこか異国の街を歩いている。ベルリンに天使が舞い降りた。昔そんな映画があった。天使は義眼の男と何か話していた。男は義眼だから天使の姿が見えない。それは嘘だろう。少なくとも片方の目では天使とは違う何かを見ているはずだ。君には世界を救う使命がある。それは唐突な冗談に違いない。別のスクリーンに映っている彼は、イタリアのトスカーナ地方で何かに出会ったはずだ。ノスタルジアは何か違っている。望んでいる風景を提示していない。君がそれを望んでいた。そこで死ぬことを望んでいたわけではない。それは何の物語でもなく、そんな映画など見ていない。君のことを述べているのではない。美しいだけでは何を述べていることにもならず、誰かはその場にふさわしい言葉の組み合わせを間違っている。致命的なミスを犯している。それほどのことでもないはずだ。ただそれ以外に何もない。それはいつもの決め台詞かも知れないが、今は忙しすぎて、感想を述べている余裕もない。たぶん本当に何もないのだろう。現に誰かがそれを認めている。認めているが、それでどうなるわけでもない。眺めているのは殺風景ではないが、うつろな目には何も映っていないようだ。君は完全にこの世界から離れている。君にとってこの世界は世界ではない。何かの一部に過ぎず、それは世界の一部ではない。ただ何を述べているのかわけがわからない。そしてそれを語っているのは君ではない。そんな偽りの現状について何か述べる機会が巡ってくるかも知れないが、今は夜だ。夜とそれとは無関係だろう。それとは君について述べている偽りの文章のことだ。それの何が秘密であるわけもない。何も隠されておらず、空疎な内容がそのまま提示されている。いつの間にか映画の話ではなくなっている。君はそれを理解していないようだ。思考が1980年代で止まっている。それ以降に物語は存在しないだろう。君の物語であるはずがない。君が文章の趣旨を無視しているのは、それを理解していないからではない。正しいと思われる行為を忘れてしまったらしい。正しいことをやりたいわけではなく、間違ったことをやりたいわけでもない。何もやりたくないのかも知れないが、それでも勝手に言葉が連なっている現状についてどう思っているわけでもない。要するに何も述べられなくなっているわけだ。回りくどい語り口でそれをごまかしているつもりらしいが、それはいつものことだろう。誰を責めているわけでもなく、君は至って無責任に語り続け、それが自分の言葉でないことに気づいている。それでこの世界を否定していると思っている。この世界のなんたるかをわかっていないらしい。現実の世界について語っていないようだ。外国で何を見聞してきたわけでもなく、この国の文化についてうんちくを述べられるほどの知識もない。だから具体的に何を述べているわけでもないことになるらしい。今はそれでいいと思っている節もある。やはり本気になれない。見るべきものが何もない。何に背を向けているわけでもなく、ただ思考を閉ざしているだけだ。考えるきっかけがつかめない。それで何を述べているつもりにもなれず、ただそんな現状を否定的に捉えているに過ぎない。言葉はどこにも向かわない。それが言葉ではないからだ。おそらく冗談でそんなことを述べているのだろう。言説を展開する上で、頼るべきものがない。文章を構成するための材料を欠いている。誰かの思考が語る空虚を言葉でなぞって、それが苦し紛れのいいわけをもたらし、そこから何を正当化しているわけでもないのに、否定的な文章の継続を、何もないことのいいわけとして正当化している現実がある。当然のことながらそれで何を述べていることにもならない。それで誰を馬鹿にしているのでもなく、今や君は本気でそんなことを述べているようだ。実質的には何も語っていないのに、フィクションの中では何かを語っているつもりらしい。とりあえずそこから目をそらしてはだめだ。正視することができないとしても、それを事実として受け取るべきなのだ。君は何について語っているのでもない。語っているのは君ではない。そんな言葉が執拗に繰り返されているようだが、そこにどのような理由があるわけでもなく、理由にならないようなことをいいわけとして述べているに過ぎないが、それで一息ついている余裕はなく、君はそこからさらに何かを述べているつもりにならなければ気が済まないようだ。それは虚しい試みになる。


5月10日

 考えれば考えるほど何も出てこない。そこが不思議なところだ。しかし何かが破綻している。システムとして欠陥を抱えている。それはシステムとはいえない。構造的に批判を受けつけない仕組みとなっている。何について語っているのかわからない。君はそこがわからなくなる。何を問いかければいいのか思いつかない。この世界を覆っている仕組みについて、何か明確な認識に至っているわけではない。なぜそうなってしまうのかがわからない。考えあぐねている。結果を予想するのは困難だ。そして早くもその結果に直面している。翌日は晴れている。朝から風が強い。そんな結果を期待していたわけではない。つまらない成り行きにがっかりして、何をやっても何も変わらないと思うようになるだろう。しかしそれで誰を見下しているわけではない。考え続けてはいけないようだ。何も出てこなければそこでやめておくべきだ。小手先のごまかしでは何ももたらされない。いくら考えても考える対象がどこにも見あたらないのだから仕方がない。不調の原因をどこにも転嫁できない。君が悪いのだ。君とは君でない君のことだ。下手なごまかしは見苦しい。それでも考えようとしている。だいぶ焦っているようだが、かつての安易な問いかけの連続には戻りたくないらしい。理由は定かでない。理由を考えようとしてないようだ。君は何も目指していない。ただひたすらどうにもならないところで粘っているようだ。ところで日本の政治家たちは国民を信用しているらしい。国民投票によって自分たちのやろうとしていることを支持してくれると思いこんでいる節がある。それは君の勝手な思いこみだろう。君は誰も信用していない。安易な性格だから仕方がない。それは誰の性格でもなく、君に性格などありはしない。そう述べて何を否定しているのかわからない。どうもそこから先へ進めないようだ。何も思いつかず、言葉も続かない。何となくその辺が引き際のようだ。終わりを認めなければならないらしい。思わぬところで躓いてしまった。そこでもがけばもがくほど罠に深くはまりこみ、容易には出られなくなってしまい、気がつけば数日が経っている。何を語ろうと何もできないことに変わりはないようだ。そして何となくそれでもかまわないと思い、さらに何もできなくなってしまう。言葉を繰り出すいとまがなくなっている。ゆとりを見いだせない。関心がない。たぶん憲法が改正されて日本軍が復活しても何とも思わないだろう。日本国民にはそれが似合っているのだろう。君は国民を馬鹿にしている。軍人は悲惨だ。上からの命令が絶対であり、逃げ場がどこにもない。陰湿ないじめが内部で横行していて、毎年自殺者も出ている。民主主義とは正反対の構造を有している。そしてほとんどの外国にそういう組織があり、日本にもそれを摸した自衛隊と呼ばれる組織があるわけだから、国民はその存在を容認せざるを得ないだろう。軍隊のある国家が普通の国家なのだ。日本も憲法を改正して普通の国家にならなければならない。そういうくだらぬ主張に反対する理由は何もない。人々が国民である限り、それは避けがたい愚かさの極みだ。国民が国民であることを願い、自分たちが国家を支えていこうと決意することが間違っているはずがなく、そこから愛国心も生じてくるのだろうが、そう思っている者たちが多ければ多いほど、くだらぬ世の中になっていくのだろう。国民とは愚か者の集まりなのだ。その理由も根拠も示せないが、何となくそう思ってしまうようだ。矛盾が矛盾であることを認識できない愚か者たちは悲惨だ。自分たちが国家に隷属していることに疑念を抱けないのだから、その愚かさに気づくはずがない。国民主権の中身まで深く考えたりしないようだ。選挙で投票することによって主権を行使していると思いこんでいるわけだ。実際に主権とはそういうものでしかなく、そこにどのような幻想も入り込む余地がない。実際に投票が行われれば事前の世論調査とさほど変わらない結果が出てしまう。誰が何を決めているとも思えない。正しい意見や説得力のある主張に耳を傾けることができない。まじめな人ほど馬鹿げた主張に同調する。国家という存在そのものが間違っているなんていう主張はナンセンスだ。間違っているのだろうが、その間違いが当たり前の世界に住んでいるのだから、当然のことながら、まじめになればなるほど国家の存在を自明のものと思いこむしかないだろう。わかりきっていることが間違っているはずがなく、間違っている理由も根拠も示されていないのだから、そんなわけのわからぬ主張は信用できない。君は自分が何を述べているのかわかっていないようだ。たぶんいつものように冗談で語っているのだろう。君は本気になれない。国家などという構成物の実態を真に受けるわけにはいかないらしい。そう述べる理由を見いだせない。何の根拠も示せぬまま国家や国民を否定し続けるのはおかしい。確かにおかしいが、そのおかしさをそのままにしておくわけにはいかないようだ。


5月9日

 何やら怠けようとする意識に逆らって強引に言葉が並んでいるようだが、それを読み返す余力がない。気力がないと述べた方がその場の状況に合っているかも知れない。実際に誰が何を読んでいるとも思えないが、言葉のバランスが悪い。さっきまでの勢いはどこかへ消えてしまったらしい。外界で何を見聞しても感性に迫ってくるものがない。君は天から下された使命を忘れている。それは芸術とは無縁の造形物だ。芸術にどんなこだわりがあるわけでもないが、視線を惹きつけるだけの要因を感じられないようだ。だが何を見ているとも思えない。目の前の光景を見ていないらしい。それでその場から逃れられたような気になる。何かに目覚めているのだろう。そしていつものように関係ないと思っているはずだ。自分に自信が持てない。信じられないわけだ。君はそれをわかっていないようだ。目に見える光景を無視している。現状に幻滅している。そこからどう行動すべきなのかわからず、どうしていいか考えあぐねている。世の中の底流を受け止めて、人並みの成功を求めているのかも知れないが、それはすでに果たされているのかも知れない。過去を振り返ればそういうことになる。冗談でそんなことを述べているようだ。戯れ言の噴出に歯止めがかからない。切羽詰まらないとやる気にならず、間が開いてしまうととたんに怠ける。誰かは他の誰のために戦っているのでもないらしい。それで戦っていることにはならないだろう。また何を批判しているとも思えない。少しは現状に対して前向きなことを述べなければならない。すべての事柄を理解しているわけではない。何かから圧迫を受けているようだが、それが何なのかわからず、わけがわからないまま、ひたすらそれについて考え込んでいる。何か妙案を思いついたつもりになりたいようだ。冗談ではないと思いたいが、確かに冗談を述べている場合ではない。できれば停滞の元凶を取り除きたい。誰かはそれに関して何か思うところがあるようだが、それを明かすことはできない。誰かの意図をはかりかねるが、おそらく何もないのだろう。ないものをあると言いくるめることの困難さでも実感しているようだ。疲れているわけではない。さもつらそうに振る舞うのはわざとらしい。本気で述べていない証拠になるだろう。それを述べてしまったらおしまいだったのかも知れない。他に述べることは何もない。そうかといってこの世の終わりが訪れているわけでもない。何もないことが空疎な気分を害しているようだ。それは矛盾している。人家がまばらな地域へと視線を移す。誰かはここではないどこかへ行ってみたいらしいが、すでにそこまで来ている。今や望みのすべてが実現しつつある。そんな嘘をついてみたかったようだ。何かをつかんでいるらしい。きっかけとなるような何かをつかんでいるつもりになり、そこからさらに言葉を連ねようとしている。過去にとってそこは未知の時空間なのだろう。もはやヒステリックな非難にさらされるほどの内容ではない。そうはならないだろう。どこまでも違うと思っている。関心がないのかも知れない。身体から毒が抜けるように、とげとげしい雰囲気が消え去ってしまう。君は未だに幻想を抱いているようだ。それで世の中が良くなる兆しを感じ取れるとは限らない。何かが確実に抜け落ちている。実感できるのはそんなところでしかない。何ももたらせない代わりに批判をかわそうとしているのかも知れない。あやふやな態度に終始している。どこまでもそんな案配のようだ。何かが覆い隠されている。遠くからそれを眺め続けていても仕方のないことだ。君には何もできはしない。だからそこから抜け出さなければならなくなる。空気が入れ替わってほしいが、それが叶うのは明日の晩になるかも知れない。それまでの間にわけのわからない話につきあう気力が湧いてこなければいいが、取り越し苦労に終わってしまうことを願っている。だが杞憂に終わらないのがそれまでの成り行きだったはずだ。すでに息切れ状態らしい。何を語っているのかわからなくなる。それでもどこから立ち去ろうというのではない。語るべき内容を見失っているだけだ。どうにもならないところまで語り勧めてしまったらしく、後戻りができずに困り果てている。それで誰の批判をかわしていることにもならないだろう。世の中に漂っている事象の何もかもを幻想や幻影で片付けてしまうのは虫が良すぎる。また安易な罠にはまっている。それを気休めで語ってしまうのはあまりにも愚かだ。徴候は以前から続いていた。言葉が君のもとを離れていってしまう。君はそれを食い止めようとしない。今は何もない。過去も未来もありはしない。何もないので気が抜けてしまう。運命の扉を開け放ってしまったらしい。そこで何を見たわけでもなく、ただのもぬけの空だった。未来をつかみ損ねている。ありもしない目的を見失ったふりをしている。君はあやふやなことを述べ続けるだろう。それが目的になり得ないから居心地が悪い。完全に精神の均衡を失っているようだ。


5月8日

 夕闇が迫るころ、誰かが物思いに耽っていた。心の中では何かが退潮傾向にあるようだ。天候的には久しぶりに晴れが続いている。また雨が降ることはわかりきっているが、それにしても暑い。馬鹿げたことを思いこんでいてはいけない。それは神の願いかも知れないが、あまり軽はずみな批判は勘弁してほしい。久しぶりに言葉で躓いている。攻撃口調にはよどみがない。何がどうなることを願っているのでもないが、それでも何かがどうにかなってほしいと思っている。君にそれがわかるとは思えない。それとは忘れてしまった過去のことだ。突然記憶がよみがえり、思いがけない事の成り行きに驚き、誰かは狼狽する。わざとらしくも見え透いた反応だ。何に逆らっているのかわからなくなり、それでも誰のことを述べているのでもないらしく、今はその何かが何なのかを知ろうとしている。誰かがそう願っている。誰もが抱かないような何かの到来を願っているらしい。それで何がどうなるとも思えず、実際にそこから遠ざかろうとしているのでもなく、それでどのような気休めがもたらされるわけでもないが、とりあえず誰かの意識はありのままの現実を受け入れようとしている。受け入れざるを得ない状況に追い込まれている。どう述べてもまともな文章にはならないだろう。背後から何を感じているわけでもなく、それは誰の視線でもない。気まぐれに記しつつあるのは、ただの言葉でしかなく、言葉が組み合わさって何となく文章になろうとしているようだが、それをあとから読む気がしない。結果的に君の努力は報われないだろう。わかりきったことを述べないでほしい。誰がそれを願っているのでもないが、少しはまともなことを述べてほしい。わかりやすい批判でもかまわないから、そこから遠ざからないでほしい。暑苦しい状況には耐えられない。精神が持ちこたえられそうもない。また危機を脱してしまう。一難去ってまた一難だが、そのことごとくを退けることはできない。そんな状況では誰の願いも聞き入れられないだろう。願いを叶えようとする気がしない。それでは願いではないだろう。実際には何も願っていないのかも知れず、何がどうなってほしいとも思わないようだ。それでは何も気休めにはならない。気休めに述べているわけではないが、鬱陶しい展開には嫌気がさしている。すでに夏なのだ。早く夏が過ぎて秋になってほしい。それが目下のところの願いのようだが、君とは関係のない話だ。人には千の夢がある。その中のどれかを削り、どれかを保持している。そこからまともな話に持って行こうとするが、目下のところは何も果たせていない。君はその中のどれも選ばなかった。かつてと同じようなドラミングだ。技術的に衰えを見せない。もう腕が上がらなくなり、何を叩いていたのか忘れてしまったらしい。批判してはならないことを批判している。わざわざそこから継続をはかろうとする。未来がないから現在がある。そういうわけではないと思いたい。まっとうな意見としては、過去があるから今があるらしい。今がなければ将来もない。君は当たり前の成り行きを理解しようとしている。つまらない話になってしまったようだ。夜は明日になっても続いているだろう。そこで何かおかしいと思ったそうだ。南方の島が地球温暖化によって海に沈む。食い止める必要のないことだ。そこで考えるべき内容を見失っている。島と一緒に何かが水没しようとしている。体がだるい。寝不足かも知れない。まだ長くて遠い道のりのようだ。認識すべきはそんなことではない。否定しようとしている当のものに取り囲まれていて、それなしでは生きられないのかも知れず、そこから先は嘘になりそうだ。周囲から押し寄せる蒸し暑さに負けて、結局何もやらずに終わってしまう。そんな成り行きは受け入れがたい。それが嫌なら、もっと別の方面に言葉の連なりを引き延ばしていけばいいだろう。しかし何のための道のりでもない。自己から剥奪した心までの距離を測ろうとしている。どこかで落としてしまったようだ。それでも一瞬記憶がよみがえり、誰かがしてきた悪事の数々を告発しようとしている。それは虚しい作業となるだろう。言葉を闇雲に連ねているうちに、次第にその全貌が見えてくる。まだそんなところで語ろうとしているようだ。無駄で無意味なことはやめた方がいい。苦痛以外の何ものでもない。読み得ない文章をいくら構成しようと、誰を振り向かせることもできはしない。君にはそれがわかっていないようだが、そんな勘違いからそれらの文章が生み出されていることは否定しようがない。何かが差し迫っている。緊急を要するかも知れないのに、手がつけられない。怠惰なのだろう。だから何について述べているとも思えず、音楽を聴きながら闇夜に向かって吠えることもなく、この世界の何を否定しようとも思わないが、結果的にそのすべてを否定しているような気がする。そういう成り行きなのだから、それを受け入れざるを得ない。君にはそれがどういうことかわかっているはずだ。


5月7日

 作り話の中では誰かの野望が達成されようとしている。そんな筋書きでは退屈だ。誰が愚かなのではなく、日本人と呼ばれる人種がおかしい。気が狂っているのかも知れない。君は流行り廃りの現象について行けなくなる。いつものように馬鹿げたことを述べていればいいのかも知れない。そしてくだらぬ反発でも招いていればいいわけだ。いったい誰を挑発しているつもりなのだ。それはへそ曲がりのたぐいだろう。本気になってはいけない。誰かが群れから突出しようとしている。言葉は自己表現のための飾りに過ぎない。本質が抜けている。しかし物事の本質を見極めようとするのは虚しいことだ。誰もが今ある現状に不満を抱いているのは当然のことだ。生ぬるい自足の中で不満を抱き続けるのは愚かなことだ。矛盾していることは楽しいが、その矛盾が命取りにでもならなければいいが。この世界はどこまでもこの世界でしかない。ありふれた現状に不満を抱き続け、それを誰のせいにもできないことからくる絶望が、人をあらぬ方向へと導くのだろう。真偽のほどは定かでなく、結果的にどうなることにならないかも知れないが、たとえ憲法を改正して戦争への道を突き進もうと、それで報われるのはほんの一握りの人々に過ぎず、それは現にイラクやアフガニスタンで戦争遂行中のアメリカの現状を見ればわかることだ。間違ってもその場で戦っている兵士は英雄などではなく、単なる消耗品に過ぎない。戦いの中で巡り合わせや運が悪ければ死んだり怪我を負うだけで、本質的にそれは名誉の戦死や負傷などではなく、ただ結果的にそうなってしまうだけのことだ。人が人殺しの道具にしかならない現状がある。それは夢とか希望とかいう生やさしさからは遠く隔たっている。そんな現状を維持するために戦争をやっている。それは戦争のための戦争なのだろう。だから戦争に幻想を抱くべきではなく、そこにヒトラーやスターリンの再来を期待する者たちは裏切られる。今の時代にアレキサンダー大王やハンニバルやチンギス・ハーンが実在できないのと同じように、ヒトラーもスターリンも過去の時代にしか実在し得ない人物に他ならない。今や国家は資本主義と堅く結びついており、絶えず損得勘定の範囲内でしか動き得ない。仮にその中で独裁的な権力を掌握している人物がいようと、夢や幻想だけでは無謀な行為には踏み切れない。またそのような人物が安易に登場するマンガや映画の中で、いくら妄想をふくらまそうと、それもありふれた娯楽の範囲内でのことだ。浅はかな者たちに妄想を抱かせて、それらの者たちから金をせしめようとする思惑に踊らされているわけだ。架空の戦いには話の中で架空の相手を屈服させたときの高揚感だけが麻薬のようにその享受者たちに浸透する。それが罠だといえば罠なのだが、そんな罠はありふれていて、程度の差はいくらでもあり、大なり小なりゲーム好きにとっては、日常の中で浴びている陽の光のようなものでしかない。そしてそのような現状に焦点を当てて、そこからいくら思考を巡らせてみても、現に今ある世界を補完することにしかならない。そんなことを考えている者たちがこの世界の一部分として構成されているわけだ。何を述べても気晴らしの娯楽以上でも以下でもない。メディアが鳴らしているつもりの警鐘を真に受け取れない現状がある。愚か者たちは死ぬまで愚か者でいてほしい。変に賢くなってしまってはまずいわけだ。そこから金を搾り取れなくなってしまう。そういう意味で国民は馬鹿なままでもいいと思っている輩もいるらしいが、何が馬鹿で何が賢いのか、そもそもその辺の基準が存在し得ないような気がする。要するに何でもありで、そういう惨状を真に受けたり、本気になってしまってはまずいのだろう。そして他意は何もない。ありのままの日常を過ごしている。そうする以外に選択肢はなく、どう考えても現状を変えるような出来事には遭遇し得ないような気がしている。別に激動の時代になることを望んでいるわけではないが、そこからどうにもならない願望が漏れてくるようだ。現状に対する不満が誰かをつまらぬ言動を発することに駆り立てている。それを誰でもない誰かが遠くから眺めている。いつまでもだまり続け、誰かの言動に対して肯定も否定も表さず、ただ無言で眺め続けている。それらの言葉にはまったく興味がないようだ。何に対してどう考えていいのかわからない。それは何でもないことかも知れず、何でもないことを考え続けるのには苦痛がつきまとう。国家とは違う枠組みの中で考えれば、国家固有の憲法などは狭い範囲内での決まり事に過ぎないことがわかるだろう。国家と国家の運営に携わろうとする者たちにとって、国家とは違う枠組みなどは認めがたいのかも知れないが、今こそ国家を単なる行政単位の一つとして捉えておかなければ、いつまで経っても二十世紀的な国家幻想から抜け出せないだろう。日本人とか日本国民とかいう言葉を一人歩きさせて、そこに伝統とかいう特殊事情を見いだそうとする限りおいて、人々はくだらぬ幻想の虜となる。たとえば日本人メジャーリーガーなるものにどれほどの固有価値があるというのだ。松井とアレックス・ロドリゲスを比較して、どっちが格が上なのかわざわざ考えてみるまでもないことだ。


5月6日

 遠くを眺めているようだが、そこに何が見いだされているわけでもない。目の焦点が合っていない。遠くで雉の鳴き声がしている。何に気づいたのかわからないが、時間的にはありふれた早朝だった。架空の場所では昨日の早朝から時間が止まっているようだ。現実にはそれからすでに数時間が経過している。数時間どころではなく、そのまま何も語らずに数日が経ってしまうかも知れない。その間にどのような出来事に遭遇しているわけでもないが、とりあえず状況を認識できるように努力しなければならない。自分の置かれている立場がいかなるものかもわからず、それ以外に何がどうなっているのでもなく、何をどうしようとしているのでもないらしい。それはありふれた状況に違いない。何を見ているのか知らないが、視点の客観性が欠落している。何をどう述べても、相変わらずそう述べる理由を導き出せないようだが、それは試練ではないはずだ。仮に試練であったとしても、誰がそれを課しているとも思えない。この世界で行われている行為の何を賞賛する気にもならず、君はそこからどう行動すべきか判断ができすにいるようだが、体勢はうずくまったまま、そこから動こうとしない。すでに心肺停止状態のようだ。心と精神の間に何が差し挟まれているわけでもない。今となっては何をどう述べてみようと、そこから何のリアリティも感じられず、安易な問いかけでその場を取り繕っていたころが懐かしい。冗談のついでに述べることがあるとすれば、それらの問いかけによってわかったことは、君が何を望んでいるわけでもないことだ。腐りかけた頭の中に靄がかかっている。それでも現状に対する批判なら簡単にできそうだ。日本の音楽は繊細でそつがない。ほどよい形式で軽くまとまっている。破綻があまりない。それが物足りないと思うなら、至る所で破綻を来している荒削りな音楽を選び取ればいい。セオリーを無視したものを追い求めているようだ。外国ではありふれている。たぶんそんなはちゃめちゃで玉石混合のごった煮の中から突出した才能が出現するのだろう。それは競争などという生やさしい環境からは出てこない。悲惨であることは楽しいことにつながるらしい。馬鹿げた逆境が人を人でない人として作り上げる。確かにそれは悲惨なことだ。それは妄想世界から生じた幻影に過ぎない。君の才能は馬鹿げたことを述べるためにあるらしい。やはり本気になってはいけないようだ。誰の目を見て語っているわけでもなく、眼が口ほどにものを言うはずもなく、間違ったことわざもどきでその場を取り繕えるとも思えず、何気なく夜空を眺めてみれば、何も思いつかない代わりに、意味不明な言葉の連なりが画面上にもたらされる。そんなことの連続に嫌気がさしている。嘘に決まっているだろう。冗談を続けるのにも限度がありそうだ。すでに冗談になっていないようだ。昨日の昼に風雨が強まり、それを眺めている誰かが思いがけない感想を口にする。風情がある。ありふれた言葉を使って何かを語っている。それは批判すべき対象ではない。あらゆる方向から現実が迫ってくる。相変わらず何を批判しているわけでもない。偶然に語っている内容はとりとめがない。それで何を喜んでいるわけもなく、文章が破綻を来している。それをやめる理由がない。やる気がしないだけだ。相変わらず何を語っているのかわからない。季節が移り変わり、雨が降り続く。何と何が関係しているとも思えない。理由があらぬ方向へ移動している。理由ではない。それが理由になっていないが、答えになっている。爪を切り詰めすぎたらしい。言葉で装飾している。いくら腕組みして思案を試みても無駄だ。それが試論となることはない。君に自由はあり得ない。意志が雨音に遮られている。あくびとともに体内から何かが出てくる。すべての文は孤立する。結果的に何を記しているわけでもないが、それでかまわないのだろう。言葉を記す理由に思い当たらない。そこへ至らないうちに原点に回帰する。空疎な思いにとらわれている。筆舌に尽くしがたいわけではなく、直接紙に文字を記しているわけでもない。いつものように何かが違っていると感じる。ただ疲れているだけだろう。そして気がつけば翌日になっている。そんなことでしかない。またいつもの遅れを取り戻す努力が始まるわけだ。誰が何を求めているわけでもない。それが君の思いこみだとは思わないが、何も感じ取れない状態が続いていることは確かなようだが、感覚がおかしいとは思いたくない。ただ普通に暮らしているだけだ。いいわけにもならないようなことを述べているようだが、それが何に対するいいわけなのかわからず、動物に囲まれて生きている人々が狂人でないことを祈りながら、北の大地から届く便りをあてにしているわけでもなく、そんな前後のつながりを無視した文章の中で、君がそのとき何を考えていたのかを推測することは困難であり、誰にとってもどうでもいいことなのかも知れず、その辺で一区切りつけようと考えている。


5月5日

 脈絡が何もない。それを見たいわけではないが、あとから悔やんでみても仕方がない。切り取った枝葉を燃やしてしまう。過去の時空で誰かがつぶやいている。君に未来はない。それは安易な断言に他ならない。他がないのだからそうなってしまう。その辺から次第に意味不明を感じ始め、そんな雰囲気が投げやりな気分を心の外へ引き出す。何が顕在化しているわけでもない。またやる気になってきたようだが、それが型にはまっているとは思えない。心はすでに紋切り型を取り逃がしている。自由に振る舞えない。気が抜けていた。それは何かの予言だったのかも知れない。未来を見通すほどの力ではないが、これから起こる何かを感じ取れていたらしい。偶然に思っていたことが起きただけかも知れない。なぜか水を飲みたくなる。なぜそうなのかわからないが、モーリタニアに行って、世界の眼を直に見たい。君は誰かに見つめられている。理由は何もない。ふと見れば紙に火がついている。これから起こる出来事だろう。それではないらしい。明日は雨が降るそうだ。昨日の記憶から離れられない。誰が君を見ているわけではない。文章はどこにでも食い込んでいき、誰かの本音をえぐり出すことができるかも知れないが、残酷な仕打ちには心が耐えられない。何も批判できなくなっているらしい。冗談で弱音を吐いているふりをしているようだが、その中身までは踏み込めないらしい。文章は核心部を避けて通ろうとして、意志薄弱な一面をいとおしむ。もはや精神とは呼べないだろう。君の心には何も響いてこない。それは文章の内容ではない。口の中が苦くなる。いつ正気に戻ったのかわからない。遠ざかって振り返るとただの文章だ。近づいて見れば何でもない。何を見ているのかわからなくなる。謎が謎を呼び、謎に誘惑されて幼稚な冒険譚を読んでしまう。子供ではない。君でもなく誰でもない。何も語らないうちから水を飲みたくなる。関係のないことを述べているらしい。何と何が関係するのかわかりかねる。理由があるのかも知れない。水を飲みながらかろうじて命を長らえている。いつ死んでもおかしくない。だが立て込んだ状況ではなさそうだ。蒸し暑い。雨が近いのだろう。君はそれが情けないと思う。非情になりきれていないようだ。何の必然もない。何を見つけたことにもならない。言葉ではないようだ。探しているものが見つからないようだが、何を探していたのか思い出せず、たとえそれが見つかってもそれに気づかないだろう。このままではいけないらしい。宝探しの大冒険が支障を来す。虚しい試みを繰り返しているのだろう。虚構の世界で宝石を探している。それを見ている君は部屋の中で蒸し暑さに耐えている。何がもたらされているわけでもなく、別の時間帯においては音楽を聴いている。宝探しに進展があったとは思えない。何に導かれているのでもないらしい。誰かは子供だましに胸をときめかせる。そこで終わりではないはずだ。多くの足で踏みしめられて死んでしまう。風景を写真で切り取ろうとしているわけだ。ご都合主義の話の展開が君をそこに足止めしている。何を求めていようと明日になってしまうだろう。明日になれば忘れてしまうだろう。まだ常軌を逸しているわけではない。今日中にけりをつけたくなってくる。まさか死ぬはずもない。運命を変えようとしているのではない。それは誰の運命でもないが、何を気にかけているのでもない。そこに何があるのでもなく、つまらないおとぎ話の中にありふれた思いが渦巻いているだけだ。ブレイブストーリーはネバーエンディングストーリーのパクリだ。現実にはそんなことはどうでもいいに違いない。思っていることは他にもあるらしいが、そんなことは誰からも無視されるだけのようだ。無視できるだけマシなのだろうか。何がマシなのかわからないが、どこで間違ったわけでもなく、それが話の展開なのだから、それはそれで仕方のないことだ。現実の世界の有り様に関して本気であるのなら、救いようのない話の展開にしなければならないのに、それをためらっていること自体が遊び半分なのだ。やはり娯楽とはそういうものなのだろう。そこに救いを求めるのは馬鹿らしい。馬鹿らしいから子供だましで我慢すべきなのだ。誰も我慢などしていないが、日付的にはそれで辻褄が合っているのだろう。大げさなことではない。現実には些細な行き違いの積み重ねでしかないのに、それとは別のフィクションの中に救いを求めるのはおかしい。わだかまり解消するには、現実の世界を描き出さなければならず、おとぎ話のご都合主義ではお粗末すぎる。だから君はそこで方向転換して、古びた写真の中へと逃げ込もうとするが、ありのままの現実から逃げられるわけもなく、まず言葉が行く手をふさぎ、次いで成り行きが君を現実の世界に押さえ込もうとする。君はそこで何も見ていなかった。何も見ようとしなかったらしい。わざとらしい誘惑にうんざりして、魅惑されているつもりで虚無のただ中へと入り込み、何もないことを受け入れ、空白に意味不明な文字を刻みつけようとするが、それで何を成し遂げたとも思えず、自らのやっていることのすべてが余計なお世話の範囲内にとどまっているように思えてくる。


5月4日

 また些細な間違いに気づいてうんざりする。状況は昨日と変わらない。そのとき何をしようと思っていたわけでもないが、君に気候変動を阻止することはできない。もう手遅れなのだ。暑すぎる。何を述べても戯言であることは承知している。それでも誰かは予言が好きだ。無責任に他人の未来を占い、言葉で占いの対象を脅してみせる。他人を自らの思い通りに操りたいのだ。それは穿った見方かも知れないが、将来を悲観させることで、これからやってくる時間を先取りしている。誰かの将来が思いの外悪化してほしいわけだ。そんな意地悪なことは言うまい。まだ君には時間が残されている。要するに誰かは破滅を望んでいる。しかし君は誰でもない。誰もが誰かであることを望んでいるわけではなさそうだ。それが誰になるかはわからない。巡り合わせが悪いのだろう。それはおかしいと思う。自らが記した文章がおかしい理由を知りたくないようだ。おかしいままに済ませたいらしい。あとから修正を施すのが面倒なのだ。面倒ならそこから動き出さなければいい。動き出さなければ死んでしまう。ならば死んでしまえばいい。そう述べて誰が死ぬわけでもない。何もかもが無効かも知れない。それは過去の出来事だろう。君は冗談を述べながら、かろうじて死から遠ざかる。今ではそれがいつの出来事だったのか覚えていない。何を思い出そうとしているのでもない。途中で心変わりしてしまったらしい。君はそこで挫折している。何かにつけ込まれているわけだ。隙を作ってしまったらしい。魔が差してしまったのだ。邪念を振り払い、またやり直そうとしているようだが、今さら遅すぎる。すでに心が揺れ動いていて、何かの誘惑に屈しようとしているではないか。思わず笑みがこぼれかかる。そこで笑ってはいけない。誰かが意味深な笑みを浮かべながらささやく。すべては枝葉末節な問題に過ぎない。何をわかったことにもならないだろう。君はカフェイン中毒だ。自己陶酔に至らず、コーヒーを飲みたくなる。外がやけに騒がしい。火事にでもなったかも知れない。まだ炎天下ではない。そんな妄想は意味にならない。まるでお経のような歌声だ。君がそれに気づいたわけではない。誰のことを語っているのでもない。それはいつもの話の展開であり、ただ内容を導き出せないだけだ。君の色ではない。何が何だかわけがわからない。そこまで至らない。出番がやってこない。爪がはがれ落ちる。ますます意味不明になってきているようだが、それは夢の中ということでごまかせるはずだ。無理だろう。文章の破綻を他の何で補えるはずがない。それで少しは目が覚めたらしいが、目覚めたときには遅すぎる。すでに真夜中に近い。君はすでに見いだされている。生身の肉体ではない。切り刻まれて精肉売り場でパック詰めされている。たぶん鶏肉のたぐいだろう。わけがわからないのなら文章に修正を施せばいい。それができないからますますわけがわからなくなる。冗談で述べているに過ぎない。疾走感が薄れて、吹きだまりに泥水がたまっている。ぬかるみに足を取られ、よろけた拍子に何か適当なことを思いつく。枯れ草の上で蟻に絡まれながら考える。そんなことはないだろう。まだ途中だ。トリックスターを軽蔑しているわけはない。そのごまかしの手段に感動したい。過去の人は未来を閉ざされている。せっかくそこまで来たのだから、終わりまで話題を提供し続けたいらしいが、ある時期を境にあの人は今という紋切り型に支配されてしまう。箪笥の引き出しにしまわれて、滅多に日の目を見ることがない。あのとき君はそれを覚えていたはずだ。今でもそれを覚えていてほしい。いい加減にしてほしいそうだ。もう飽き飽きしている。誰のねらいを解き明かしたわけでもないが、君はそんな思惑から遠く離れている。それは誰の思惑でもない。いつの間にか不連続な接合部を露呈させている。そのついでに目から火が出る。唐突に意味不明だろう。ねらいなど何もありはしない。胸一杯の愛がどうしたわけでもない。調子に乗りすぎている。誰の身の上話に興じているわけでもない。そこから逃れられないだけだ。それが本当の苦し紛れなら、誰かが納得するはずだが、君は至って無関心を装う。意識は無に還元されている。何の思惑も働いていない。目が覚めれば暗闇に包まれているだろう。力を失って、どこかへ崩れ落ちる。誰がそうなっているのか知りたいわけではないが、この際それが君でないことを祈ろう。理由が見当たらないが、何の理由も見いだせないままに、そうなってしまっているのだから、それはそれで嘘ではないのだろう。嘘でなければ安泰というわけでもないが、この期に及んで何を導き出すつもりもなく、何を語っているのかわからないままに、それらの言葉の連なりを提示するしかない。ただそこまで語っている。無について言及しているのかも知れない。そこに何があるとも思えず、何もなければそれが無だと見なしてかまわないのではないか。誰に同意を求めているのでもないが、成り行きとしてはそういうことでしかない。


5月3日

 なぜか日常の風景が復活している。そしてわざと間違ったことを述べている。現状とはそんなものだ。誰と何を競い合っているわけではない。夢を叶えるために努力したり、目標を達成するためにがんばっているとは思えない。誰のことを述べているのでもなく、何を批判しようとしているわけでもない。そこで躓いてしまう。歩幅が合わないようだ。他人の主張に同調できない。君は余裕で批判をかわしているつもりだ。普通に暮らすことがいかに難しいかを力説するつもりはないが、普通に生きていればそれでかまわないと思う。普通であることの基準などなく、ただそれが普通だと思いこんでいれば事足りるだろう。この世界は何のためにあるのでもなく、社会に目的などない。人々はただ幻想を抱いていたい。意味を探している。それは虚しい試みだ。死ぬまで無駄なことをやり続け、死んだあとも次の世代に目的を託そうとする。絶えず何かを知ろうとしていなければ気が済まない。そこには絶えず矛盾がつきまとい、その矛盾を忘れようとしている。無意識のうちに生存競争を繰り広げ、くだらぬ自己主張を他人に認めさせたがる。自分の存在を天に向かってアピールしているつもりなのだ。それが鬱陶しいなら、そこで沈黙すべきなのだろう。静かに暮らすべきなのだ。見通しがない。他に何をやっているわけでもない。それは哀しいことだと思う。何事にも本気になれない。すべての事象が馬鹿らしく思えてくる。君はそれがフィクションだとは思えないらしい。作り話の内容を理解できないようだ。実際にわかっていないことはいくらでもありそうだ。愚かな戯れに金をつぎ込み、馬鹿げた信仰に心を奪われ、幻想に支配されている。見栄を張りたいようだ。四六時中宝石を見つめていたい。何に価値があろうと、価値だけを追い求め、結果的に身を滅ぼす。誰かはマネーゲームにはまりたいらしい。画面上の預金残高が増えるたびに狂喜する。自分を見失っている。作り話に感動しているつもりのようだ。君に何ができるわけもない。幻想のただ中に住まう者は幻影をまとっている。中身が何もない。誰がそれをわかろうとしているわけでもなく、わからないことだらけの現状を忘れようとしているだけだ。強がりは断定口調で武装しているつもりのようだが、浅はか過ぎる。謙虚さのみじんも感じられず、横柄な態度で未来をつかみ取ろうと必死の形相で前のめりに突っ走る。それで何を求めていることにもならないのが悲惨だ。それでも生き残ろうとする。身も心もぼろぼろになりながらも生き残ろうとする。自らの行動が寿命を縮めていることに気づかない。警告など簡単に無視して、次の標的を見定めて、欲望に向かってまっしぐらに突き進む。幻影に過ぎないものを追い求めている自らの有り様を認識できない。君はそれでも仕事をしている。さらなる暇つぶしへと進むことができずに、自らに課せられたノルマを達成するために涙ぐましい努力の連続だ。そんな嘘をついている暇さえありはしない。君が語っているのではなく、何に語らされているのでもない。誰かはそれでも言葉を連ねて空白を文字で埋め尽くそうとしている。虚しい試みだ。虚しいがそれ以外に方法はない。それは何を達成するために必要な方法でもなく、無為に時間を過ごすためのやり方のようだ。それが嘘だと思うなら、とっくにやめているはずだ。わからないからそこから続けようとしている。自らが何をやっているのかを認識せずにはいられない。確認作業が残されていて、それを言葉で説明しなければならない。難儀なことだが意味不明に思われる。結果が伴わず、何をどうしていいのかわからなくなる。無理に話を押し進めようとしているだけだ。そう思われて納得しても始まらない。それももうすぐ終わるだろう。頭が混乱していて、何からどう語っていいのか迷っているようだが、とりあえずそれらの文章を読み返して、何かいい手だてを思いつかなければ、そこで終わりとしよう。何をどう述べても作り話には限界がつきまとう。それが作り話である限りにおいて、ある種の嘘を含みざるを得ず、話に含まれている嘘から話自体が破綻を来している事実を隠すことができなくなる。見え透いた嘘が誰の目にも明らかとなってしまい、何をどう言い繕うと、限界を乗り越えることができずに、そこで終わりを迎えてしまい、そこから新たに語り始めるためには、破綻をなかったことにして、また破綻に至る過程を性懲りもなく繰り返しながら、話の終わりに向かってわざとらしく語り始めなければならなくなり、そんなことの繰り返しに嫌気がさしながらも、いつもの道行きを言葉でなぞることしかできはしない。君はそういう成り行きに退屈しながらも、一方では安心している。いつものオチを期待しながらも、そうなってしまったときのために嘲笑の準備に余念がない。そんなわけで万事怠りなくそれらの儀式が年がら年中繰り返され、それが日常の一部と化していることに疑念さえ抱けないほどのマンネリ状態なのだ。それでは何を述べていることにもならないだろう。


5月2日

 まだ何かが足りないらしい。気まぐれで今日の日付を確認してみる。何を考えているのでもなく、何に満たされているのでもない。辺り一帯に空気が充満している。地球の重力に絡め取られている。身体も物質も何もかもが影響を受けているらしい。心がゆがんでいる。そう感じられるのは本気になっていない証拠だ。根拠は何もない。そこから意味不明気味に修正を施し、わざとわけをわからなくしてしまい、誰かの邪魔をしているらしい。確かに何かが阻害されているようだが、それが何のためというわけでもなく、誰に対して何を思っているのでもないらしい。そこでの記憶はすぐに消え去る。どのような思惑を抱いていようとそれは同じことだ。限られた範囲内でそう思わせられているだけのことだ。君に何ができるはずもない。何かをやっていると思っていても、それは君の使命ではない。天の使命に忠実であるはずもなく、そんなことはすでに忘れている。君は猿ではない。人でもなく、言葉に頼って生きているわけでもない。それが理由になっていないのが致命的だ。落ち着きが感じられないのだろう。画面に何が映し出されていようと、そこから遠ざかろうとしてしまう。遠ざかる理由を見いだせぬまま遠ざかろうとする。その気がないのかも知れない。何もなければ次の機会を探ってみよう。何かがあったらあったでそれに飛びつくこともない。だいぶお行儀がいいようだ。素知らぬ顔でそれらの出来事を素通りして、どんな機会をも取り逃がしているつもりになり、わざと何もないと嘆いてみせる。冗談ではないのだろう。冗談にさえならない。嵐は去ったようだが。また気まぐれにやってくるのだろう。気の向くままに流離い続ける。それは誰のことでもなく、単なる自然現象として片付けてしまいたくなるが、それでも理由を見いだしたいようだ。そうなる理由がほしいらしい。そしてたぶんそれは嘘なのだろう。理由を見つけ出すのが面倒なのだ。それでは文章にならない。そこで会話が途切れ、影を見失い、誰のことを述べているのかわからなくなり、何を慕っているわけでもないことに気づき、ただその場の雰囲気に踊らされている自分に嫌悪感を抱き、そんなことではいけないと思うようになり、次第に用心深くなってきて、結果的に無口であることを疎ましくも受け入れざるを得なくなる。そんな成り行きを体験してみたい。どうも作り話になっていないようだ。何を物語る気も起こらない。聴いている音楽にも飽きてくる。それほどまでに真実を追究することもないだろう。それほどまでとはどれほどまでなのかを問う気にもならない。誰かはそこで終わりにしたいらしいが、状況が誰かの思い通りになるはずもなく、現実に拒絶されつつ、妄想の世界で思い通りの成り行きを追求する気にもならず、何となく虚しさがこみ上げてくるようだ。いくら述べてもその程度の内容におさまってしまうことが歯がゆいらしい。それでも何を求めているのでもないことに変わりはなく、すぐにそこから遠ざかろうとしてしまう。意識が眠気に勝てないようだ。それは昨日のことだろう。何を邪魔されているのか心当たりがない。偶然に見いだされた機会を利用して言葉を繰り出している。それほど余裕があるわけではない。何か政治的なことを述べようとすると愚かな意識たちが反発するらしいが、曲がった首を元に戻すことはできない。閉鎖的な状況に応じて、さらに曲がり続けるだけのようだ。虚空のどこかに閉塞感が漂っている。見渡す限りの殺風景だ。床にちり一つ落ちていない。状況的には何も説明していない。空が曇り始める。誰かが雨を待っているらしい。空はなかなか本心を明かさない。何かを述べるのが面倒なのだ。それでも言葉が連なってしまう現状をどうすることもできず、気がつけば今日の日付になっている。それは天気ではない。日の光を感じられない。目が見えないようだ。複眼に近づきつつあるが、それは虫の目を連想させるだけだろう。何を述べているのかわからない。依然として君の意識はそこにとどまっている。どこへも行こうとせず、何も語りたがらない。文字と文字の間に何かが隠れている。それを誰が見つけ出そうとしているわけでもなく、そのまま放って置かれ、無視に我慢ができなくなった意識は、自然と身の上話のたぐいを語り出すが、関心を持てないことに変わりはない。何をやる必然性も感じられない。何もできないのかも知れず、実際に何もやろうとしていないのだろう。そんなわけで文章の中で本心が明かされることはないらしく、それは誰の本心にもならず、そうでなければ何もない現状に変わりはない。何が物議を醸しているわけでもない。始めから何もありはせず、何が始まっているわけでもない。あるのはただの退屈な世界だ。語っていることがわからなくなる。理解ができないらしい。理解ができぬままにさらなる言葉の連なりが到来している。そんなのは嘘だろう。次第に追い詰められているようだ。言葉的に限界が近づいている。それ以上は何も述べられず、嘘ではないらしい。


5月1日

 別に気にしているわけではないが、なぜか調子に乗っている。愚かなことだ。愚かすぎて話にならない。未練がましく空白に言葉を並べている。外は闇に包まれ、夜を感じさせるが、そこからどんな話が続くわけもない。悩んでいるらしい。それは誰の心でもなく、君の意識が現世に生きている誰に宿っているわけでもない。本気になっていないだけのことだ。誰かが広告を見つめている。他の誰かが見ている画面には何らの映像が映っているが、それがどうしたわけでもない。人は何を求めているわけでもなく、妄想に包まれた意識は自らのあるべき姿を思い描いているに過ぎず、それは他人とは無関係らしいが、誰の感情を刺激しているわけでもない。仕事に追われ、かなり神経をすり減らしているようだ。さっきまでの眠気はどこへ行ってしまったのだろう。見定めようとしている現実が見当たらず、見聞しているつもりの何が現実なのか、言葉で説明しなければならなくなるが、適当な言葉が見つからない。状況的にはだいぶ難儀な成り行きになってきたようだが、そこでへこたれるわけにはいかないらしい。どうしようもなく君は大人げない。今は海辺を移動しているらしい。それは歌の内容だ。何を述べても口からでまかせとはなりがたい。三十分も遅れている。そして申し訳程度のゆとりがもたらされている。君は本気で述べているつもりのようだが、それが心の叫びなら冗談に決まっているだろう。何も決まっていないなら、とりあえずでたらめに言葉を繰り出せばいい。それが心のゆとりにつながるように思われ、他に何を真に受けるつもりもないが、とりあえず今は本気で述べているわけではない。埼玉あたりで急勾配を経験する。作り話的にはあり得ないことだろう。もう少し冷静になった方がいい。誰かは風邪を引いてしまったらしい。近頃は寒暖の差が激しすぎる。季節が狂っているのかも知れない。そこまで来ているのになかなか暖かさが持続しないようだ。何がそこまで来ているわけもないだろう。君が見ている光景は幻ではない。ありのままの現実に過ぎず、そこにどんな言葉を差し挟んでも嘘になるだろう。今の君に何ができるはずもない。だからそこから遠ざからなければならない。それはいつもの意味不明的なフレーズだ。すべては冗談で述べていることだ。本気になってはいけないらしい。人は誰も流離う運命のようだ。誰もがそう願っている。嘘をつくのもほどほどに願いたい。そこで足踏み状態なのはわかっている。そんなことはどうでもいいことだ。それも痛いほどわかりきっている。すべてはどうでもいいことなのだ。まもなく終わりが訪れるだろう。終わりが訪れたあとは、いいわけ気味に何かが再開される。そんなことの繰り返しで歳月が積み重なり、積み重なりつつ崩れてゆくだけのようだ。そんな状況に耐え続ける。だが恐ろしいことは何もない。何が恐ろしいわけでもなく、凶悪な殺人事件などはサスペンスドラマの材料にしかならず、戦場での悲惨な殺戮はスペクタクル映画の題材だ。すべての興味深い現実が商売道具となりはてる。だが誰にそれを伝えたいわけではなく、本気でそんなことを思っているわけでもない。そこで何が示されているとも思えない。告発すべき内容を伴っていない。すべてがおもしろ半分の遊び半分のように思えてくる。真剣になる気はなく、まじめに考えるつもりもありはしない。興味がない。政治家が人間とは何かを考えてほしいそうだ。まったく興味がないのはどういうわけでもなく、それらは車窓から眺めている過ぎ去る風景に過ぎないのかも知れず、人間について考えているうちに人間そのものが言葉として過ぎ去ってしまうわけだ。そんなことに興味を抱けない。考えているうちに考えている当のものが消え去ってしまう。それが意識ではない。思考を拒絶する風景でしかない。奏でている当のものが君の意識の介入を拒絶している。だから何について考えていることにもならず、結果的に何を批判しているのでもない。批判に値するような内容を伴っていない。安易な水準にとどまり続け、欲望で人を誘惑しているだけのように思われてくる。そんな風に物事を単純化して考えるべきではないのかも知れないが、そうするより他に出口を見つけられないのだろう。それは相変わらずの紋切り型に近づき、同じような内容を飽くことなく繰り返しているだけだ。そしてまだその続きがあるらしいが、それに意味も新鮮味もありはせず、ただ言葉が連なっているに過ぎず、それを読み進むうちに飽きてくる。つまらないと思いたい。そうなればそれまでの努力が水の泡になって、次いで区切りとしての終わりが訪れ、終わりのあとに執拗な回帰が待っている。出発点に戻ってくる。永劫回帰というわけだ。まったく難儀なことだと思うが、そこから逃れられるとは思えない。君はさらなる深化と単純化に遭遇するだろう。言葉が深くなればなるほど、簡単な言い回しに収斂されて単純化する。それは避けられない変化のようだ。誰もがそういう成り行きに屈服してしまうのだろう。


4月30日

 何に気づいてしまったわけでもない。何かが唐突に到来しているようだが、それは虚無ではない。もはや虚無と戯れている段階ではなさそうだ。悲惨な人々がテレビ画面に映っている。そこから退場できずに消耗戦を強いられている。ひたすらしゃべり続け、意味をなさない反射神経に心を支配されているようだ。ただ眠い。それ以外の感想にありつけない。すでに来月になってしまったらしい。政治家が外遊に出て、どこかの国の政治家と親交を深めようとしている。内容は何もない。子供たちが電車の中で騒ぎまくり、学生たちはひたすら携帯端末の画面を見つ