彼の声51

2005年

11月30日

 ようやく数日遅れで先月が終わろうとしている。もうやめたらいいのにやめられない。やめられない事情など何もないだろう。何もないのによくここまで来たものだ。君は言わんとしているのはそんなことではないはずだ。まだ君はどこかで生きているようだが、たぶんそこから遠くへは行っていないはずだ。しかし何も期待に応えていないことに変わりはない。相変わらず沈黙したままのようだ。過ぎゆく時間に蹂躙され、まるで虫けらみたいに蹴散らされている。そして無駄に言葉をもてあそびながら、つまらぬ強がりに凝り固まっている。まだ遅くないだろう。やめるには遅すぎることはない。まさか早すぎると思っているのか。少し早すぎないか。もう少しひねりを効かせてからでも遅くはない。墜落の一瞬前に何が思い浮かぶだろう。誰がそこで逆噴射したのか。自分の殻に閉じこもりながら、まるで蟹のように横歩きを繰り返す。事態は今より少しはよくなるのだろうか。君は愛という言葉を知っている。冗談でそんなことを述べているのだろう。君はそれを理解していない。その言葉自体の使用法を忘れている。きっと死ぬ間際に何か思いつくだろう。それが単なる勘違いだとしたらどうだろうか。どうもせずに、ただそこで死んでゆくだけだ。君は理解してくれないだろう。灯油の匂いでも漂っているのだろうか。まるで放火現場のように感じられ、それがフィクションであることを忘れている。火を噴きながら誰かが後ろから迫ってくる。鬼のような角が額から突きだしているらしい。そんな嘘では信じてもらえないだろう。それはどんな問題なのだろうか。誰かの意味不明な冗談には一応警戒しておこう。それはどのような感触なのだろうか。どうやらポケットには穴が開いていたようで、そこからコインと鍵を落としてしまったようだ。別に騒ぐようなことではない。そんな作り話の中では誰かが騒いでいるかも知れないが、地べたに一日中座り込んでいる乞食には騒ぐ気力がない。何か拾い物でもあったのだろうか。みんなそれを見ながらゲラゲラ笑い転げている。何かおかしいのかわからないらしい。新しい傘でも買ったのだろうか。スリが他人の財布を抜いているのを見かけたことがあるだろうか。そんなことに興味があるのではない。踊っているのは誰でもなく、たぶん君でもないのだろう。何かの起爆装置を踏んでしまったらしい。爆発して手足がちぎれ飛び、それが漫画の一場面であることを思い出す。よくできた文章ではなさそうだ。何をもったいぶって話しているのだろうか。無理なことは承知しているはずではなかったか。君はただ闇雲に言葉を連ねるのが好きなようだ。誰かの指先がこの世界の全体を指しているわけではない。それは世界地図でしかないだろう。疲れたら休めばいいだけのことか。地図とにらめっこしてもどこにも行けはしない。それで疲れていることになるのだろうか。群衆を見ていると疲れるらしいが、誰も見ないで壁を見つめているのもかなり疲れるだろう。静寂に包まれていると、どこからともなく沸々と妄想の雲が湧いて出る。誰かの絵の中で、バベルの塔にかかっている黒雲はそんなものかも知れない。資本主義者は何を考えているのだろうか。それはただの金儲けなのだろうか。何かの一環であることは確かなようだが、いつまでも社会の秩序を保つことばかり考えている社会主義者を馬鹿にしているのだろうか。社会の秩序を利用しながら金儲けができるかも知れない。株価が経済の実態を反映していないのは危ういことかも知れないが、それがスリル満点のばくちを打つ必須条件なのかも知れない。君は策を弄しすぎて策に溺れる。それがおもしろいのだから仕方がない。そのうち凍てついた大地から石油でも噴き出すだろう。それがだめなら海岸で塩でも精製しよう。冷えた七面鳥を食べられるだろうか。いったい何に傷ついているのか。そこからでたらめに述べてはいけないのだろうか。何かがぐるぐる回っていて、そこが頭の中だとしたら、君はくるくるパーになったことになるらしい。そんな冗談なら笑ってもらえるだろうか。腐りやすい肉はハイエナにでもくれてやるのが正しい判断なのだろう。まだまだその先に続きがあるようだ。誰が誰と手を組んで、何をやろうとしているかを知りたいようだが、複雑なことは何もない。扉には蝶番が取り付けられていて、そこに誰かが入ると扉が閉まる仕組みになっているだけだ。そこはトイレでしかない。言葉と文字が一致するはずがなく、思いと考えも不一致を構成している。やりたいようにやっているつもりが、他人の思惑に振り回されている。寝て起きて考えて、そのとき何を思っていたのか忘れていることに気づく。どこまでも間が抜けているように思われ、底なしの愚かさを見せつけている。誰も理解してくれない。誰からも無視されている。それが被害妄想でも形成しているのだろうか。ありもしないことを述べている。だからそんなものでは物足りないのだろう。汗がだらだら流れている。それは画面上の俳優だ。死刑台は本当に十三階段なのだろうか。首をつって殺される運命はどこの殺人犯に訪れるのだろう。あまり思わせぶりなことを述べてはいけない。何かのたがが外れているのはわかっているが、誰かはもう壊れてしまったのかも知れない。ではこれから誰かの意識を再建する必要がありそうだ。我慢が利かずには眠ってしまいそうだが、何を聴いても子守歌に聞こえてくるのは仕方がないだろう。まぶたがだんだん重くなり、まるで催眠術にかかったように眠ってしまうらしい。それはそんなに遠くの未来ではなさそうだ。つい最近一日中寝ていたような気がするが、まだかなり眠たいらしい。それがどうしたというのだろう。大したことは何もなさそうだ。こうしてわけのわからない文章に導かれ、意識はますます意味不明に近づいている。それが何のことやらさっぱりわからない。まだそこから続けようというのか。もっと自らの言説に自信を持っていいのではないか。それが大きな勘違いであることは承知しているつもりだが、それでもかまわずひたすら前進し続ければ、何となくそれでうまくいっているような気になるらしい。それは甘くて古くさい展望になっているかも知れない。だが偽りの心に嘘をつくことができるだろうか。それはどういうことなのだろう。まだ自ら設定した水準に達していないのだろう。だが傷つくことを恐れ、何も語ろうとしないよりはマシかも知れない。まだ心の中に沈殿しているわだかまりを解消するには至っていないが、少しずつでもいいから改善の余地を見出せるようなことを述べていきたいようだ。そこからしか語り始められないのだから、そうやって語り続けるより仕方ないのだろう。力任せに言葉と言葉をつなぎ合わせ、強引に文章を形成しているらしいが、それがそのときのやり方なのだ。


11月29日

 スピーカーから不協和音が聞こえてくる。そんなスピーカーは要らないと思うだろうか。雲の切れ目から日が差し込んでくる。要らないのはスピーカーではなく、不協和音の方だろう。間の抜けたことを語っているらしい。誰がつかの間の安らぎをどうしようとしているわけでもなく、何がどうなっているわけでもない。とりあえず思い浮かんでいることを言葉にしているだけだ。そしてそこから逃げても無駄であり、思いつかないことは語れない。別の時間帯において、何かをそこで見かけたらしいが、まだその場の空気をつかめていないようだ。見かけたものなどどうでもいいのかも知れない。たぶん昨日と同じようなことを述べているのだろう。それで疑問が何も湧いてこない。誰かは昨日よりも低い場所から語っているようだ。そこで何かが見出されているかも知れないが、それは言葉には結びつきにくい雰囲気か何かだろう。思いつくことは何もありはしない。なぜそうなってしまうのかわからないが、とりあえずこれから知っていることを述べなければならない。それは知り得ないことになるだろう。君はそれを知る前に消滅してしまう。それを見つけたのは君ではない。誰がそれを見つけたわけでもなく、すでに見出されているものを改めて見つける必要はないのかも知れない。しかし見つけられないものと見つける必要もないだろう。もはや何を述べるのも困難となっている。誰かは自業自得気味に災難を呼び込んでいるのかも知れない。自らの存在が災難そのものだ。そしてそんな状態に苛立ちを覚え、誰かはたまには怒鳴ったりするらしい。そんな誰かについてこれから話をでっち上げようとしているわけだ。またわざとらしい嘘をついている。だが嘘をついているのは君ではない。周りの環境に同化しようとしているのも君ではない。何か精緻な言い方を模索しているわけでもなく、それについて何かいい考えが思いついたわけでもない。そして数日後に降ってきた久しぶりの雨に浮かれているわけでもないらしい。君は誰かに狙われている。その狙いをフィクションの中で明らかにしたいようだが、それを明らかにできる人物がフィクションの中には見当たらない。そこで何を企んでいるのかを知りたいが、君が何を企んでいるわけでもない。君を狙っている誰かがフィクションの中に入り込めるわけでもない。言葉がどこかで暴走しているようだ。だが知っているのはそんなことではない。もうすぐ眠たくなるだろう。そして今日も一日が終わろうとしている。そこで一日が終わり、また別の一日が始まり、またその一日も終わろうとするのだろう。そこで何が繰り返されているのか、それをわかろうとしないらしい。たぶん君は老いているのだ。そこから時間がだいぶ経過している。そこで何もしたがらないのは誰でもない。誰もが何かをしようとして、実際に何かをしている。それは恐ろしいことかも知れない。だが恐ろしいと同時に何でもないことだ。君にはそれの何が恐ろしいのかわからない。そこに何の意味も見当たらないことが恐ろしいことだと思うが、誰がそんなことを思っているのかわからない。下弦の月が地平線の向こう側へ沈もうとしている。君が見ている光景を思い出す。それはいつもの夜だったかも知れない。それ以上の言及は無理のようだ。画面から遠ざかろうとしている。本当に遠ざかっているらしい。言いようのない雰囲気を感じている。それを見ていることは確かなのだが、過去にはそれとは違う光景にも遭遇している。なぜかそれを思い出そうとしているらしいが、意味がよくわからない。本当は何から遠ざかろうとしていたのか。言葉とともに文章から遠ざかっていたようだ。何かが足りないようだ。気力が失せている。何をやる気もしないらしい。たぶん他人からの助言など何も聞こうとしないだろう。それが末期的な症状であることはわかっている。そんなことをやっている意味は何もありはしない。心身のバランスが崩れているのかも知れないが、それが何を述べたいのかわからない理由にはならない。本当にわからないのなら、そこで語るのをやめればいい。たぶん結論はすでに出ているはずだ。その結論に逆らう理由もありはしない。なぜそうやって強情を張ろうとするのだろうか。無理なのだから仕方がないだろう。無理であることはもとから承知していたはずだ。ならばわけのわからないことを述べていないで、さっさとやめてしまえばすっきりするだろう。すっきりしたいのは山々だが、何からそれの作動を阻んでいるようだ。それは今までに述べてきたことから生じている何かだ。それでも続けるのには気力が必要だが、一方でそれをやめるのにも、続けるのとは逆の気力が必要なのかも知れない。君に惰性を止めるだけの意志の力が残っているだろうか。止められるものなら早く止めてほしいが、その結果についてはその先を読んでもらえば一目瞭然かも知れない。そういう突き放し方は無責任だろう。もとから責任の所在などはっきりしていないか。何かが戻ってきているようだ。それはしばらく前に述べていた言葉の連なり方だ。見えてきた光景とはそんなものなのか。また何かが繰り返されている。その何かにのめり込もうとしているらしく、体調が思わしくないのに、そんなことなどお構いなしに時間がどんどん進んで行き、何もない空白を押し広げているような気がする。この宇宙は膨張しているらしいが、それとも何らかの関係があるのだろうか。できることならそんな状況からは逃れたいのだが、言葉がそれを許してくれないようだ。まだ先へ連なるつもりらしく、さかんにわけのわからない連なり方を模索しているらしい。いったい君は何を考えているのか。そんな疑問は予定調和だ。そうではないやり方を模索していたのではなかったか。そんな繰り返しから抜け出ようとして、何か別のことを語ろうとしていたらしいが、気がつけばまたいつものパターンに舞い戻っている。それは誰かの意志の弱さが反映された結果かも知れないが、それがどうしたわけでもない。ただ無理なだけなのだろう。それ以外にはどうにもできない。だからそんなことを述べているわけだ。それがそこでの結論のようだ。空洞が暗闇で満たされている。もうすぐ朝になりそうだが、今はまだ夜だ。夜が明けるまでは何とかけりをつけたい。それは無理だろう。すでにそれから数時間が経過していて、今はもう昼だ。いったいこれまでにどれほどの時間が過ぎ去ってしまったのか。無駄に費やされた時間だけ、あくびの回数が積み重なってゆくのだろう。そんなわけのわからないことでは済まなくなりたいが、今はそれで済んでしまうらしく、もはや言葉のゴミは処理能力の限界を大きく上回っている。本当にそこで終わってしまうかも知れず、終わった後に何をやるべきか真剣に考えなくてはならない。


11月28日

 また何やらつまらないことを述べてしまうかも知れないが、この社会について何をどう述べても、現実に何がどう変わるわけでもないだろうが、とりあえず単純な言説は無効だと思われる。言葉ではどうにもならないことばかりなのかも知れない。実際に何をどうしたいのかを知らず、何事もどうにもならないように思われ、それに関してどう語ったらいいのかわからなくなる。自らが何をやりたいのかわからない。人はただ生きているだけではだめなのかも知れないが、それ以外にどんな生き方があるのかを知りたくなる。なぜそこでそんなことをやっているのか、その理由が信じられない。何となく時間的に追いつめられたままで、一向に埒が明かないようだが、誰かはこの期に及んでまだ陽気に振る舞えるような気がしてくる。現実にはその気もないのに、誰が陽気に振る舞うはずもなく、それは無理なような気もするが、それでもまだ心のどこかに、その状況を許容できる余裕が残っているのかも知れない。ここは何とか冗談でも飛ばしながら、その場を切り抜けるしかやりようがなさそうだが、それでどんな状況を思い浮かべているわけでもない。とりあえずは何も思いつかないので、適当に言葉をつなげているだけなのかも知れない。そしていつまでもそんなことを思っていると、何となくその先を語る気力が失せてくるが、状況的には意地でもその先に言葉を進めなければ気が済まないような雰囲気になっているようで、もう何が何だかわからなくなっているのはもちろんのこと、なぜそんなことを述べているのかわからなくなってきて、その惨状から目を背けたくなり、その辺でそれでも述べ続けている誰かの真意を知りたくなってくるが、どこにも真意などありはしないことは、知りたくなる前からわかっていることだろう。それがつまらない予定調和の言説を形成する原因となっているらしく、いつまで経ってもそんなことしか述べられない現状に苛立つばかりのようだが、そこで誰が苛立っているのかもわからないままに、そんなことを述べていることで、さらに苛立ちが増してくるように感じられ、そんな述べ方自体が、そこでの言説の何もなさを物語っているのかも知れず、そんなどうでもいい内容を飽きもせず繰り返している現状が、あからさまに示されいるだけで、そんなていたらくではもう終わりかも知れないが、終わりたいのに終われない現状に呆れ果て、その理由はただやめるにやめられないということでしかないと思うが、それでもなぜやめられないのかを知りたい。たぶん君は何も知り得ないだろう。次の瞬間それは違うように思われる。生きることや死ぬことにどんな意味があるわけでもない。生き続けることは死を先延ばしにしているだけだが、何もそこですぐに死んでしまう必要もありはしない。そんなことはどうでもいいことなのだろう。そしてどうでもいいから何も述べられなくなる。何かを述べるということは、どうでもよくないことについて述べることになるのかも知れず、それを見出さなければ、その先へは言葉をつなげられないのかも知れない。だから君はそこで行き詰まる。そして苦し紛れにありもしないフィクションをでっち上げようとする。それが君の物語となるのだろう。だが君が欲している言葉はそこにはない。それが気に入らない原因だ。現状はそんなところのようだが、まだ何か気づいていないことがある。君はそれを知ろうとしているようだが、その知ろうとしていることが気づいていないことと一致するはずもなく、知ろうとしていることも気づいていないことも、まだまったく思いついていないのかも知れない。それらの文章はそれを思いつくような言葉の並びではない。だがその代わりに何を述べれば気が済むはずもなく、ただ闇雲に無駄な悪あがきのようなことを述べ続け、そこから物語の断片らしきものを空想する以外は、何もできない状況に追い込まれているのかも知れない。そしてそれで何か述べていることにしたいらしいが、まだそれだけでは足りないようだ。説明が中途半端であるように思われるが、何を説明しているのかは相変わらずわからない。とりあえずそれがわからないふりをしておかないと、その先に言葉がつながらないらしい。何となくそうではないように思われるのだが、やはり一方ではそんなことを述べている現状を認めざるを得ず、それを認めながらも、それでは意味不明だとも感じられ、何とかまともな意味を担うような文章に修正したいらしいが、そこから何を修正したらいいのかがわからない。そして君はまた嘘をついているようだ。逸脱しすぎた文章をもとの軌道に戻さなければ、さらに意味不明となってしまうだろう。それは望むところかも知れないが、強がりもいい加減な水準にとどめておかないと、いつしか本気でそんなことを述べている自らに気づいてしまうだろう。しかしそのとりとめのなさをどのようにも表現できないことがもどかしい。それをわかっているのに言葉で示せない。すでに感性はこちら側からあちら側へ到達してしまったらしく、あちら側から見れば、すべてがどうでもいいことに思えてくるのは当然のこととしても、それがなかなか的確な文章表現に結びつかないようで、この世界で人々がうごめいていることについて、その状況にどのような言葉を当てはめればいいのかがわからない。それは語らなくてもいいことなのかも知れないが、他にどうしたらいいのかもわからず、とりあえずそのことについて何か述べなければならないような気がしてきて、こうして言葉を連ねているわけだが、どうもそれは違うような気がしてきてしまうらしい。言葉を連ねれば連ねるほど、その思いから外れて、何やら言葉自身に言葉の連なりが折りたたまれて、述べようとしていることが虚無にすり替わってしまうように思われ、結局何を述べているのでもないような言葉の連なりを読んでいる自らに気づくことになる。つまらないことにこだわりすぎているのかも知れない。やはりそこで何を述べているのでもないことを認めざるを得ないようだ。そしてそれはどういうことでもなく、単なる意味不明だと斬って捨ててしまえばそれでかまわないような気もしてくるのだが、そんなことを述べながらも、やはり君はわざと嘘をついているようだ。まさかそれでしてやったりなどと、勘違いしているわけでもないだろうが、何となくまだ本心は何も明かされていないような気がする。まるで冗談を述べているつもりになっているのかも知れず、深刻さはみじんもなく、どのような状況になれば深刻な気分に導かれるのか、わざとそうなるように、試行錯誤でも繰り返しているつもりなのかも知れないが、とりあえずは陽気な気分を装い、口笛でも吹きながら、適当に嘘でもついていれば、何となくその場は丸く収まるのかも知れず、現にそうやってその場を切り抜けているつもりなのだろう。だがそんなごまかしはまったく通用していないのかも知れない。


11月27日

 何かわかりやすいことでも述べてみよう。簡単なことなら君にも理解できそうだ。例えば雪山を眺めながら風を感じている。雲の上にも空がある。空の上にも空がありそうだ。何を見上げて何を思っているわけでもない。すべては常に生成され続け、そのすべての中に何が入っているわけでもなく、それらはみな空虚から生み出されている。たぶんそんな勝手な思い込みも、その生成され続けている中の一つなのだろう。君は空集合のことでも述べているのかも知れないが、それは数学的に正しいことではなさそうだ。ただあやふやなことばかり思い浮かんでくるらしい。それで言葉を操って何かを述べているつもりなのかも知れないが、実際に語られている内容はどこにも見当たらない。そこに提示されているそれは内容などではなく、不可視の内容についてあれこれ述べているつもりになっているだけのようだ。そんなことを述べながらも、現実の世界に現れている力を利用して、何かを理解しようとしているのかも知れないが、相変わらず誰が何を述べているわけではなさそうだ。たぶん不在の誰かは何かを悟っているのだろう。君という言葉に内在されている能力を引き出す方法を模索している。そしてなぜ気まぐれにそんな嘘をついてしまうのか理解できないようだ。それが誰の気まぐれなのかもわからないが、本当にわかりやすいことを述べているわけではないらしい。何をどのように述べようと、それは為すべきことではなく、安易な否定調の積み重なりがそこでの文章となっているだけのようだ。依然として語るべきことは何も語られず、当初に抱いていた妄想は、すべては木っ端みじんに砕け散り、灰燼に帰してしまったらしいが、望みが完全に消え去ってしまったわけではない。そこにはまだ残滓が残っているはずだ。それはそのままでは使い物にならないがらくただが、歳月を経て風雨にさらされ、いつか何らかの輝きを放つようになるかも知れない。それは今を生きる君には感知できないことだ。時が流れて一つの時代が過ぎ去り、その間にも様々な出来事が積み重なり、その場を支配する制度が、次第にその重さに耐えきれなくなって、やがてよろめいて倒れる時がやってくるかも知れず、倒れたところがそこらしいが、そこがどこなのか知りたいわけではない。知り得ないことを知ろうとしても仕方がないだろう。そしてなぜそれが仕方ないのかわからないが、とりあえずわからなければ仕方がないので、さらにその先に文章を続けなければならなくなる。もはやそれらの無内容は冗談の域をはるかに超えているのかも知れず、もうすでにそれらの何が冗談だったのか忘れているように思われ、今では何もわからなくなっているのかも知れない。だがそれでも相変わらずまとまりを欠いた文章はさらに続いてしまうようで、何も思いつかないのに文字を記している現状に変わりはなく、それを修正するきっかけがどこにも見当たらない。しかし何を見つけようとしているわけでもないのだから、見当たらなくて当然のような気もするが、それ以外のことをやる時間で一日が埋まっている現状をどうすることもできず、それでもまだまだあきらめきれないようで、未だに先月の時空でフィクションを書き連ねようとしているらしいが、それの何がフィクションなのかわからず、何やら朝方の冷えた空気は、意識を眠りの奥深くへ閉じこめようとしているらしく、闇は言葉がそこから発せられないようにしているのかも知れない。そんなわけでまだ誰かは眠りについている。しかしそれが数時間前のことだろう。その間に様々な出来事があったはずだ。それを文章で示すことができるかも知れないが、君がそれを語れるはずがない。語るのは君ではなく、他の誰かなのであって、君が体験した出来事などにはまったく興味のない誰かだ。そして君がわかろうとしていることは、その誰かとはまったく無関係なことに違いない。たぶんそこに行き違いの原因があるのであり、さっきからちぐはぐなことを述べている理由もそこにある。しかし文章を修正することによって何を解決しようとしているのでもなく、そう簡単に物事を単純化できるわけもなく、ありふれた言説に堕するわけにはいかないようだ。目的はそれらのどこにもありはしない。しかしおまえはすべてを知っているはずだ。いきなりおまえもないが、何となくふざけているようで、本気でそんなことを述べているようでもある。そこから何かを立ち上げたいらしいが、適当な言葉が何も出てこないようだ。何かの片手間にそんなことを述べているだけかも知れない。だが君は知っている。この先につまらない罠が張られていることを知りたいわけではない。そんなことは織り込み済みで、その先に通り抜けたいようだ。雑念を払い除けて悟りの境地に達したいわけではないが、とりあえず今の状態を何とかしたいらしい。たぶん何かを述べなければならないのだろう。適当な言葉をはめ込んでパズルを完成させたいのかも知れない。それができたら苦労はしないだろうが、次第に近づきつつあるようだ。何に近づいているのか不明だが、とりあえずそこへ到達しなければならない。そのためにはもう少し適当なことを述べ続けなければならないようだ。だがそれで虚無から遠ざかれるわけでもなく、何をどう語っても虚無感がつきまとうのは今に始まったことではない。君が逃れようとしているのは、君には認識できないある感覚なのかも知れず、その感覚を言葉で表せずに、その手前で延々と足止めを食っている。それ以降は何も述べられなくなるが、何となくそれでかまわないのかも知れない。今はそんな状況を肯定しなければならないのだろう。たぶんそこが限界に違いない。そこから枝先が枯れ始めるように、心を覆っていた何かが萎れてくる。やる気を失うとはそういうことかも知れない。やる気を失ったその先から虚無感が生じてきて、灰色の影を伴いながら、次第に心を満たし始める。それで君は満足するような錯覚を覚えるらしい。あきらめの思いに満たされているようだが、現実にはまだそこまで到達していないのかも知れない。どこに至ることもできずに、中途半端な精神状態にとどまり続けているようだ。それではふざけることもできはしないだろう。今さらふざけて何になるのかわからない。何とかそこから逸脱しなければ、その先はないだろう。しかしそれがふざけることだとすれば、ふざけられない現状はいかんともしがたいところかも知れず、その先にどのようにも言葉をつなげられなくなってしまう。ではやはりそこであきらめてしまうことになりそうだが、本当にそれで満足はずもなく、フィクション以外では虚無感などどこにもありはしない。だが本気でそんなことを述べているわけではなく、そんな嘘は下らぬ言い逃れでしかないだろう。今となっては何もかもが遅れすぎているように思われる。


11月26日

 誰かが笑っているかも知れないが、ケセラセラは笑いではない。それはスペイン語の一種かも知れない。だが何もそこからなるようになるわけではない。まだ先月の時空で言葉がうごめいている。それが許せないらしいが、なるようにはならないだろう。それがなるようになっていることの証だとしたら、君は絶望しなければならない。だが絶望したからといって、何がどうなるわけでもない。どうにもならないのなら、やはりなるようにしかならないだろう。だから何を述べているのもなさそうに思われる。そして何も述べていないのに、何かを述べているつもりになっているのも、いつものことだろう。状況的にそういう成り行きなのだから仕方がない。もう完全にあきらめてしまったようだ。明日はさらに遅れてしまうだろう。まったく時間に追いつけないまま終わってしまうらしい。何が終わるのか不明確だが、それを話の内容から類推するのは誰の役目でもない。そこからどこへ行くのかを知りたいわけでもなく、何が行くのかも知らないまま、何かがどこかへ行ってしまい、それがおもしろいかどうか知るつもりもないが、たぶん誰かがそれを読んでおもしろいと思うかも知れない。それは奇特なことだ。そんな思い違いや嘘でも、今はありがたいことなのかも知れず、それ以降に言葉をつなげる理由となりうる可能性はあるだろう。それこそが思い違いもいいところかも知れないが、いくら勘違いを重ねても、それで言葉がつながるならそれでかまわないのかも知れない。だがそれで何を述べていることにもならないような気はする。他に何も述べられないから、そんなことばかり述べているのかも知れない。人目を惹くためのレトリックなど何も持ち合わせていないので、中身が無内容なら無内容が示されるだけだ。だがそこでお終いではないのだろう。すべての言葉が出尽くした後から、さらにその場の状況にふさわしい言葉を絞り出さなければならない。だからさらに無内容になる。君が望まない展開にさらに近づいているようだ。そんな風に語りたくないのに、現実にはそう語っている。それは誰かの呪いが作用してそうなっているのかも知れない。他の誰のせいにしても何も始まらないが、それでおもしろと思うならそう思ってもらっても結構だ。だがそれで話が済むわけがないだろう。それでは済まないからそうやってさらにつまらないことを語っているわけであり、それが語り終わらないうちにやる気が失せようと、言葉だけは勝手に連なっていってしまう。それがそこでの宿命なのだろうが、同時にそれは誰の宿命でもなく、誰の宿命について語っているのでもない。君の宿命はすでに明らかになっているはずだ。とりあえずそこであきらめたらお終いのようだ。お終いにならないうちに何か適当なことを思いつかなければならない。要するにそこで何かを語っているふりをするのが君の宿命らしい。だが言葉だけでは物足りない。物足りないならその先を続けなければならない。君がその先を求めているのなら、いつの日にかその先が見えてくることがあるだろう。それは君自身の死かも知れず、君が死んで彼が現れるのが、そこでの筋書に沿った話の展開なのかも知れないが、その日がいつやってくるかは誰の知るところでもなさそうだ。それは何かのたわごとだろう。誰かがどこかでたわごとをほざいているらしい。だがそのたわごとの中身が明らかにならないのが、そこでの話の内容なのだろう。要するにそれらは何もわからず何も明らかにならない話なのかも知れない。そんな話がそこにあることになっている。一応あることにはなっているが、それはあくまでもフィクションの中での話であり、実際にあるかどうかはわからない。誰にそれがわかるわけでもない。わからないからわからないままに無内容を続けていられるのかも知れないが、仮にわずかでも内容があるとすれば、それはどのような内容でもあり得ないだろう。何を肯定して何を否定しているのかわからなくなる。それは深刻なジレンマでも形成しているのかも知れないが、別に進退がそこで窮まっているわけでもない。そんな状況でも君はまだ希望を捨てきれないようだ。一縷の望みが忘れた頃に叶えられるかも知れない。だから今こそすべてを忘れてしまおう。しかしそんな都合よく忘れられるわけもなく、思い通りの展開には程遠いまま、相変わらずそこには虚無がたたずんでいるらしい。表情のない壁に何かが貼り付いているらしく、もしかしたらそこには何かが記されているのかも知れない。虚無も一つの言葉であり、それを記せば文字に過ぎなくなる。だがそれで何かが救われるわけもなく、救いようのない言葉の連なりが沈黙とともに記され続ける。まるで延々と連なるのが使命であるかのようにとどまることを知らず、誰の意も介さず、どこからも排除されているかのように無内容がそれ相応の態度で振る舞っている。おまえの意見は却下する。おまえに何かを述べる機会など与えない。それがこの世界の掟なのだ。だからそうやって何も語らずに無駄な言葉を連ねることに専念するのだ。そして静かに終わりの時が来るのを待っていれば、最後になっても何も起こらないだろう。何も起こらないことがおまえにふさわしい最後なのだから、その最後を受け入れるしかない。おまえの宿命とはそういうものだ。何も悲観する必要はない。黙っていればすぐにそのときは訪れるだろう。だがすぐとは何十年後のことかも知れない。それが今すぐであったなら、それではあまりにも虫がよすぎると思わないか。まだ苦しみが足りなすぎる。もっと苦しまなければつまらないだろう。何もできない煩悶のただ中で絶望の支配を受け入れなければ、真に苦しんだことにはならない。それでも苦しみが足りなければ、他の適当な誰かを呪えば少しは気休めになるかも知れないが、呪詛の対象となる者は憎むべき者でなければならない。だがそれでは話が少々逸脱気味だ。言葉に窮して冗談が続かなくなってきたようだ。まったく馬鹿げたことを述べているようだが、それでも語っている途中では、いくぶん本気になっていたようで、何となく何か述べているような気になれたらしく、それで少しは気晴らしになったのかも知れないが、その後が続かない。君には他人を呪う動機も必然性もありはしない。悪人のふりをすることさえできないらしい。軟弱者なのでそれを貫くことができない。それでは物語の登場人物としては失格だろう。何よりも呪詛の言葉が思い浮かばないのが致命傷となっている。盲目の視線では暗闇にわら人形が溶け込む瞬間を見定めることなどできはしないだろう。それがどういうことを暗示しているのかもわからないが、どこかの物語の中にそんな瞬間が描写されていたかも知れない。そしてそれがどうしたわけでもないが、何となくそんな光景を思い浮かべながら、誰かは不気味に笑っているようだ。それが意味のある文章だとは思わない。


11月25日

 何が嘘なのかわからないが、たぶんそれは嘘なのだろう。そんな的はずれなことを述べながら、君は目標を見失っている。何事も嘘で片づけるのも気がひけるし、もとから目標などありはしないが、たぶんそれも嘘なのだろう。どうやら今回は何を述べても嘘になってしまうようだ。そんなことはあり得ないだろう。あり得ないついでに、それは今から数時間前の出来事だったのかも知れないが、夕焼け空を見たこともない鳥が飛んでいく。まさかそれがコンドルであるわけもなく、背後からBGMにオカリナの音色が聞こえてくるわけもないが、それを眺めながら誰かは過去に聴いた曲でも思い出しているのかも知れない。しかし内容も文章もおかしな具合になっているようだ。別にそれを誰が語っている設定でもないが、それに関して誰かのご都合主義に染まった精神は、それが技術だと主張したいらしく、一方では技術的にそれを述べるのが困難だと言い訳したいらしい。確かに何を述べるにも一応は技術が要るが、実際にそこで述べられているそれは、技術でも何でもなく、言語的なあやふやさに対する無知を利用してわけのわからないことを述べているだけかも知れない。それを明確に述べるにはまだ知らないことが多すぎて、とりあえず何が知らないのかを明らかにしなければならず、それができなければ、明確なことは何も述べることができず、そこで体験した出来事を言葉で表現することは困難であり、それでも何かを述べようとするなら、わからないことを隠蔽するしかないようだ。しかしそれでは結局何を述べているのかわからなくなる。要するに君は無理なことを述べようとしているらしい。それでも誰かには譲れないことがあるらしい。だがいくら維持を這って述べ続けてみても、何もない現状に変化する兆しはないようで、ある時を境にして風向きが変わり、どこからともなくそれがわかるきっかけがやってくるわけもない。焦れて思わず次のように叫びたくなるわけもない。誰かヒントを与えてくれないか。冗談でもかまわないから、誰かは無理な願いを聞き入れてくれる対象を探しているのかも知れないが、その一方で、君は何の返答も期待せずに、静かに無内容を語り続けようとしている。たぶんありふれた意見が誰かには必要なのだろう。だがそこまでたどり着くには、要らないことを山ほど述べなければならない。それは誰かを困らせる試みのようだ。だが本当に困っている節はどこにも見当たらない。どこを探しても何も見つからないのに、なぜそのことで困らないのかわからない。誰かの前提としては、何かを述べるにはそれ相応の言葉を収集してこなければならない。だが言葉がどこからもたらせるのかわからない。そこで君は迷いながら悩んでいるふりをしている。それ以外には何となく何も成さそうに思えるようで、猜疑心に苛まれ、また元の木阿弥に戻ってしまうようだ。何かを強引に変化させようとして、かえって変化できないようにしてしまったらしい。つまらない話には気分が乗ってこないようだ。それが君のペースに巻き込まれている証拠だ。そこで何を見ているのかわからないが、切羽詰まった状況に逆らって、まだやる気だけはあるようだが、たぶん性懲りもなく無駄なことをやっているだけなのだろう。それでは希望を見出せない。世の中の流れに逆らえば逆らうほど、意識がどうにかなってしまうらしいが、何がどうなってしまうのかわからず、現実には何もどうにもなっていないのかも知れず、ただやる気が空回りしているだけのようだ。それで何も思わない状態が長引いているらしい。心はどこかからはじき出されてしまったようで、途方に暮れ、茫然自失の日々を過ごすことになる。そしてそれがそこで語られるフィクションの内容になる。しかしそこから言葉の連なりがまったく前へ進まずに、不自然に曲がりくねりながら、何やらいびつな渦を巻いているように思われる。述べれば述べるほどそうなってしまうらしい。だがそれでどこに回帰しているのかわからない。少なくとも以前と同じ場所へ戻っているわけもない。それが永劫回帰だと思われるのは勘違いだろう。君は永劫回帰の解釈を間違っているのかも知れないが、一方でそれはそんな大げさなことではないような気もする。何に逆らっているのかもわからず、途方に暮れながら、いくら雲一つない空を眺めても、過去の記憶がよみがえってくるわけでもなく、ただ何を述べているのかよくわからないだけであり、それは頭がいかれていることの証拠かも知れないが、いかれているのは頭だけでなく、言葉遣い自体もいかれているらしい。しかし誰に向かって何を語りかけているのでもないのだから、そんなことを述べるのはおかしい。どうやら他の誰かがそれらの文章によくなる兆しを感じ取ったのは、何かの思い過ごしだったのかも知れない。現にそんなことを述べているうちに、また何が何だかわからなくなってきたようだ。気の触れた君は真昼の日差しに浮かれすぎていたのだろう。だがそれは過去の出来事だったはずだ。たぶんその時間帯に君の意識が存在していたわけではなかったようだ。そこでは君とは別人の誰かが何かを述べていたらしく、また誰かはもっともらしく具体的な事物についても言及していたようだ。過去の時間帯の中で、誰かは風の作用について延々と語り続けている。風が砂を運んできて、砂丘を作り上げ、その砂丘が風の作用で移動し続け、やがて人家を飲み込んでしまうらしい。ただそれだけの話にかなりの時間を割いて不必要なほど詳しく説明しようとしているようだが、それ以外にどのような中身があるわけでなく、その退屈きわまりない講演もどきの中に、不定形の思惑とも思えないような意図が、まるでアメーバ状に貼り付いてきて、ついにはその言説空間全体を包み込んでしまう。それはじめじめした長雨の季節だったかも知れない。だが現実の砂漠地帯はそれらの言葉とは無関係で、たまに雨が降れば、砂の大地を水が流れ、砂丘を深く削り取り、雨が止めばまた風が吹き、削り取られて溝となった部分が砂によって埋め戻される。たぶんそれは単なる空想に過ぎない。誰かはそこで火星の表面でも空想しているのかも知れないが、火星に雨が降るわけもない。誰かはそうやって何となくおかしな方向へ話の内容を導いている。だがそこにどんな思惑や意図が介在しているわけでもなく、ただ何とはなしにおかしなことを述べてみたくなっただけなのかも知れず、君にはそれを止める勇気も気力もなく、ただ黙ってそれを聞き流しているだけだったようだ。誰かは感情の制御が利かないようだ。気持ちの整理もできていない。わずかな揺らぎが心に重くのしかかる。そこで何を見ているのかわからないが、それほどそれほど陰惨な光景ではないはずだ。それどころが何となくあほくさく思える部分もあるらしい。


11月24日

 なぜか頭が重くなってくる。重ければ暗いことでも述べられるかも知れないが、それが冗談とは思えない。いつものように何の根拠も理由もありはしない。何かを意識しているらしいが、すでに夜になっている。夜になったからといって何も述べられないわけではないだろう。たぶんそれは無駄だと思われる。また何となくそれは違うような気がする。しかしそれが何だかわからない。砂利道で急に躓いて、前のめりになりながらも、そこから体勢を立て直すつもりらしいが、いくら複雑怪奇に言葉を組み合わせても、またいくら文章をこねくり回したところで、いい加減なことしか述べられない。誰かは体調を崩しているのかも知れない。だからそこでギブアップしていいわけはない。もうそれらのいい加減な話の展開には飽き飽きしているようだが、それでも君は性懲りもなくそこから語り続けるつもりらしい。もう何も語る材料は何もないはずだが、何もないことから生じる虚無感を利用して言葉を連ねようとしている。たぶんそんなことは不可能だろう。そんな何もない状況下では、不可能という言葉を使うしかないようだが、それが虚無感を呼び込んでいるのだから仕方がない。それは嘘でも本当でもなく、ただの虚無感でしかない。それ以外の何ものとも思えないが、だからそこに何もないわけではないらしい。君が思い浮かべている未来の世界像は、虚無以外の何ものでもない。要するにそんな言葉を使えば何か述べているつもりになれるようだが、実体も中身も何もありはしない。それはただの言葉でしかなく、そんな言葉を通してこの世界を眺めると、何もかもが否定的に見えてくるらしい。だから述べていることが次第につまらなくなる。たまには何か愉快なことでも述べてみないか。何か肩すかしを食らったような気になる。ではこの世が廃墟を化す日を思い描く。冗談もほどほどにしておかないと、誰もついてこないだろう。それは嘘かも知れないが、世の中はだんだん軟弱な方向へと推移しているらしい。人々はごり押しを伴う激烈な感情を嫌い、常に優しく癒やされていたいらしい。もはや心身の合法的な激しさは、スポーツや芸能活動の中へと囲い込まれていて、それ以外を求める一般の者たちは、非合法な犯罪行為に手を染めるしかやりようがないらしく、そんな馬鹿げた状況が日々深化してきているようで、それも何かの冗談ではないかと思われるのだが、ある種の見方や考え方を受け入れる人々にとっては、それは冗談などではなく、真摯に受け止めなければならない大問題なのかも知れない。そんな成り行きでは、近い将来人類が滅びることは必然のように感じられるらしいが、フィクションとしてはそれでかまわないのかも知れない。そんな話ならいくらでもありそうだ。大げさに人類が滅亡してしまうからこそ、話の内容がおもしろく感じられるのであって、そんなフィクションを見聞しているだけでは、現実には何の心配も要らないだろう。すべては冗談の範囲内で片がつくことでしかない。確かに肉食獣的な瞬発力を身につけて、それを現実の世界で試してみたいという欲望は危険きわまりないが、スポーツやアクションゲームやそれに類するフィクションに接することによって、それらの欲望を一時的に紛らわしながら、現実の生活では癒しを求めている風を装うことはできる。ご都合主義もいいところだが、それが気に入らない人間は犯罪者になるしかない。もはや金銭欲と支配欲を暴力で満足させる時代ではないことはわかっているはずなのに、浅はかにもそれで自己実現を図ろうとしてしまう。だから今まさに迎えつつある癒しの時代は、非合法の暴力と表裏一体の関係を形成しているのかも知れない。思い通りに癒やされないことから生じる不満のはけ口が、何かのきっかけで暴力となって一気に噴出する。世の中が生き難く息苦しいから、それに反発する激しい感情に連動した暴力的な身体動作が発作的に爆発するわけだ。だがそんなことを述べているうちに、言葉遣いの拙劣さに気づき、自らがあまり本気で述べているわけでないことに気づく。やはり冗談の延長上にそんなどうでもいいような言説が生じているのだろう。幼稚な若者ならそんな内容でも真に受けるかも知れないが、本当は暴力と癒しの関係なんて何もありはしない。嘘でもかまわないから前言を否定したくなる。それ以上は考えるのが面倒になってしまったのかも知れない。何かを説明するのが馬鹿らしくなってくる。本当は癒やされなくてもかまわないし、暴力をふるう機会など永遠にやってこなくてもかまわない。わざと犯罪を犯さなくても、何気なしにそうなってしまう場合もあるだろう。気分が乗らなければ嘘もつかなくてもかまわない。いつも嘘ばかりついていたら疲れてしまうだろう。その場の成り行きに合わせているつもりでも、かなり的はずれなことを述べている時もある。言葉などどこからでも自然に生じてくるのかも知れない。最後に誰が勝利を収めても、そんなことはどうでもいいことでしかない。それは嘘かも知れないが、スポーツ番組ばかり見ていると馬鹿になってしまう。いきり立って怒鳴り合うことが何かの発散になるとすれば、それはそれでかまわないだろう。何を否定しているわけでも、何を肯定しているわけでもない、ということにしておこう。何となくその場の雰囲気に流されている。気分が乗ってこないようだ。やはりそんなことをいくら述べてみても無駄なのか。だがそこは奈落の底ではないようだ。まだ最低線までは下っていないような気がする。ならばそこから上昇してもかまわないようにも感じられるが、本当のところは気分がどうなっているわけでもなく、最高でも最低でもないのかも知れない。そんなことを述べているうちに意識がぼやけてきて、何を述べているのかわからなくなってくる。どうも気乗りしない時は、そんなことはどうでもいい、ということで何もかも片づけてしまいたくなるようだ。冗談もそこまでくれば冗談ではなくなってしまうらしい。しかしどこまでが冗談だったのかもはや判別が困難だ。安易に癒しだとか暴力だとかいう言葉を使ってはいけないのかも知れない。そんな言葉を利用して世の中を語っているような気分でいると、足下を掬われてしまうだろう。それだけでは何も述べていないような気になってくるらしい。世間で何が起ころうと、もはや君には関係のないことだろう。まさか君が山奥で隠棲している仙人か何かになってしまったわけでもないだろうが、今の君にはそんなことをわかろうとしなくても生きていけるのかも知れない。要するに君は社会という機構を構成する歯車の類か。そう受け取ってもらってもかまわない。架空の人物にどう肉付けを施そうと、あとからいくらでも修正可能だ。そんな修正の結果として君が君でなくなってもかまわない。


11月23日

 誰かが大地を暖めている。それが何を意味するわけでもない。相変わらずきっかけが何も見えてこない。きっかけの代わりに見えているのは壁のある風景のようだ。その動物はまるでカメレオンのように左右の目は別々の壁面を見ている。どこかに蠅がとまっているが、蠅の目は複眼だ。たぶん複眼である理由が生物学的には何かしらあるのだろう。蠅自身にはあずかり知らぬところで理由が出現している。それを考えてはいけない。蠅に考える能力はないはずだ。壁には壁面があるらしい。特定の材質でできている。それが人骨でできていない保証はない。おかしな言い草に笑いがこぼれる。当たり前のことを述べないでほしい。そこから何を述べようと、まだ時間内に述べられるような気がしてくる。どこかに何かのきっかけがあるらしく、どうやらそれを探り当てたような気になっている。勘違いも甚だしい。何かの文字が三重にかさなって見える。それは何かの書体なのだろう。やはり考える能力が欠如している。しかし誰の脳みそが蠅並みであるわけでもないだろう。どのような事態を想定して述べているわけでもない。ただ適当に述べているに過ぎないことだ。だから何が何だかわからなくなる。そしてそれをおもしろがっているらしい。だがわざわざ手の内を明らかにする筋合いのことでもないだろう。ここからどこに逃げられるわけもない。逃げ道がふさがれているから開き直れるらしいが、それだけで何がやれるわけでもない。何もやれないからいつまでも言葉を連ねている。いつまで経ってもそんなことの繰り返しだ。だからおかしくて笑いが止まらないのだ。フィクションの中では確かにそうだろう。この期に及んでまだそこからどこかへ逃げられると思っている。君はすでに失敗し続け、同じ過ちを繰り返している。そこで言葉に行き詰まり、苦し紛れに突拍子もないことを述べようとしている。その結果がそれだ。蠅の話などあり得ない。ではモグラの話ならあり得るかも知れない。その安易な発想が過ちの最たるものだ。だがそれで何を反省する気も起こらない。何とかしようと思っているからそうなってしまうのだろう。何ともできないから何とかしようと思う。モグラが地面を掘り進むが、君はそれについて何とも思わない。だからそこには話の接点が何もない。モグラより蠅の方が身近な存在のようだ。モグラと蠅は何の関連もありはしない。だがその無関連が地獄の責め苦となってこの身に降り注いでいるわけでもない。それはウケねらいの馬鹿げた言い草になるかも知れない。能力に欠けているのは君ではなく、彼の方なのかも知れない。ストレスで言語中枢がいかれているようだ。その眼を覆いたくなるような惨状に衝撃を受け、一刻も早くそこから立ち去りたくなる。だが立ち去ろうとしても、勝手に惨状が追いかけてくる。心はいつ何時でも大火事状態のようだ。どうやってもそうなってしまう状況に、次第に苛立ちが募ってきて、ついには感情の大爆発でも起こして、どこかに意識が消し飛んで、向こう側の世界の住人に成り果ててしまうかも知れない。そんな成り行きなら興味を保っていられそうだが、そんなわざとらしくも見え透いた嘘に、かえってその場がしらけてしまうような予感もしてくる。馬鹿げた振る舞いはその場限りの効力しか発揮できず、後は退いてしまう雰囲気が周りの空間から滲み出てくるだけだろう。何をどうやってもそれだけのことでしかないようだ。それはただの発狂に過ぎないのだろう。だがそれで誰が狂ってしまったわけでもなく、フィクションの中で言葉によって気が狂ったように見せかけたいだけだろう。だからそんなことに本気にはなれないようで、そんな文章との関わり合いをすぐに解消したくなってくる。やはり内容が馬鹿げていることに変わりはないようで、そんな発想しか思い浮かんでこないらしい。君はそこでそんなことを夢想しているようだが、そこから何か適当な話の展開を導き出したいらしい。虫のいい話だ。何となく収拾がつかないような予感がする。つけられるわけがない。興味を惹きそうなことは何も語っていないので、次第に虚無感が増してくる。そんな話ではなかったはずだ。どんな話もそんな話ではないのかも知れない。だからそんな話になってしまうのだろう。それがおもしろいと感じるなら、それは強がりだろう。つまらない話をおもしろいと思い込むことで、そんな話しかできない自らを納得させたいだけだ。だからそれがおもしろいと思い込みたい。それがそこでの感情なのだから仕方がない。それより他にそこでの対応はあり得ないだろう。何とかその場を盛り上げたいと願う者たちにとっては、そうするより他に選択肢はあり得ないのだろう。だから世間では多くのつまらないことがまかり通ってしまう。儀式とはそういうものでしかない。何とか滞りなくその場を円滑に切り抜けたいのだ。馬鹿げたことには目をつむり、くだらない振る舞いも大人のふりをしながら受け流す。それで何とかやり過ごせたつもりになるが、その退屈な時間が過ぎ去った後には、とりとめのない疲労感と虚無感が襲ってくるはずだ。そんな状況に耐え続けなければならない必然性を探りたくなってくる。何とかその場を丸く収めるためには、そうするより他はなかった、と自分に言い聞かせている者もいるらしい。それがストレスで頭が禿げるのも無理はない。禿げるのは遺伝以外にも原因があるらしい。しかしそれでも君は誰のことを述べているのでもない、と言い張ることができる。君はそんな抵抗が馬鹿げていると思っているようだ。何に抵抗しているのか不明だが、それでも何かに抵抗していると思い込みたいようだ。それらの現象を容認できない。それで何か適当に述べているつもりなのだろう。それが無駄なことだとはわかっていても、それを語らずにはいられないらしい。そうしないとまた何もできずに一日が終わってしまうような恐怖感に包まれているようだ。それは思い違いもいいところか。まだ朝の段階で何を予想してみても始まらない。すでに一日は始まっているのであり、これからどんな出来事に遭遇するともわからない。その思いがけない出来事について何か述べるつもりらしいが、何となくエンジンがかかってきたような気もしている。不完全燃焼がいつの間にか解消してしまったように思われ、このままの調子で述べ続ければ、何となく間に合ってしまうような予感もしてきたようだが、それは油断の類かも知れず、やはり思わぬ障害物に行く手を遮られて、そこで頓挫してしまう状況もあり得るだろう。やはり朝は今日一日の成り行きを予想する時間のようだ。まったく余裕くれていて、その余裕がいつの間にか焦りに変わり。夜になれば何もできなかったことを悔やむより他はなくなるのかも知れないが、そんなことを述べながらもその場は何とか切り抜けたつもりになる。


11月22日

 そのときのことをもう忘れてしまったらしい。どうも次第に追いつめられているような気がするが、何となくそこにむき出しになっている欠陥が、何かを語る材料となっている。そんなことはわかっているつもりだが、何をわかっていても、そこから先には何もありはしない。そこにあるのは同じことに繰り返しに過ぎず、その悪循環を打ち破れずにいるようだ。だから焦っているようだが、それ以上いくら述べても焦りが解消するはずがないこともわかっている。たぶんそれで何を述べていることにもならないだろう。それでもあきらめきれずに何かしら述べている現状に嫌気が差している。君の頭の中にある思考回路では、それらの現象を解析することは困難であり、それについて述べているつもりの文章も、それを理解する上では何の役にも立たないだろう。とりあえずそれは何やらおかしな現象に思えるが、具体的にそこで何がどうなってそうなっているかについては、何もわかり得ないようだ。理解しがたいからそれについて言及しようとする。無理だとわかっているのにチャレンジしなければ気が済まない。だがそれは嘘かも知れない。無理だと思わないから、何かを述べようとしているのだ。無意識のうちに無理ではないことを証明したい衝動に駆られているのだろう。だから執拗にできもしないことをやろうとしている。できもしないとは思っていないから、それをやろうとするのだろう。ことここにいたってまだそれが可能だと思い込みたいようだ。しかしそんなやり方では誰の同意も得られないだろう。何も語ることがないのに、それでも語り続けていれば、内容のなさがあからさまに示されるだけで、もはや呆れを通り越して、まったく相手にされなくなってしまうかも知れない。しかしそれでも何かしら述べているらしい。何となく言葉を連ねているようだ。どこの誰が何を求めているのか知らないが、完全にあきらめてしまって、そこから何も述べようとはせず、他に何も語らないとすれば、何も表現してないことになってしまう。そんな風にして君から言葉が遠ざかってしまえば、それはそれで幸福なことなのかも知れないが、だからそれをやめようとは思わない。たぶん理由は何も明かされないだろう。君はそのことについては何も語れない。だからその代わりに意味不明な言葉を連ねている。馬鹿げたことなのだろうが、そんな状況は無視して、ただ闇雲に気が狂ったように語り続ける。無理であり不可能であることは承知している。何もないのだからそれは当然のことかも知れないが、語る前提として何らかの語る対象が不可欠であり、それが現状ではあり得ない前提となっているのかも知れない。そこで何が語られているのかが、いつまで経っても不明確のままで、そのはっきりしない状態を利用して、わけのわからないことを述べている。それではだめだと思っているらしいが、そんなあきらめの言葉が頭の中で行き交っているうちに、それとは別次元の意識の中で、何か適当な出来事が通り過ぎ、今日も一日が過ぎ去ってしまったらしいことを悟る。時間がすさまじい速さで駆け抜けていくことを知って感動する。このままではあっという間に明日になってしまうだろう。一日が短すぎて意識が何を感じているのかわからなくなる。それでもなぜか季節は巡っているようだ。今は秋と冬が混在しているらしく、もうすぐ完全な冬になるのだろうが、冬になったからといって、この閉塞感が解消するわけもないだろう。何もできない状況が変化する兆しはない。できることなら季節など巡らせたくないが、君は全能の神などではないので、自然の摂理を動かすことはできない。だから確実に季節が巡っている実感を否定しがたく、そんな季節の移り変わりに影響されて、何かそれ相応の言葉を発しなければならなくなる。しかしそんなことをことさら述べている意図がまったくわからない。何を否定してみせたところで何がどうなるわけでもない。どう述べてもそれらの言葉には実感が伴わない。たぶん否定する対象が間違っているのだろう。そんなわけで相変わらずわけのわからないことを述べているらしく、そのついでにある晴れた日に道路沿いの紅葉に気づいてみる。街路樹の葉が赤く色づいているのを見つけて、それにつられてそんなことを述べてみたくなったようだ。ただその場の成り行きで興味のないことを述べているだけらしいが、そんな言葉を連ねれば連ねるほど、それ以外の出来事を記述できなくなる。心に残っていた余白が意味不明で埋め尽くされるだけで、まともな意識がどこかへ押し出されてしまう。誰かは嘘を述べているようだ。紅葉についてそれ以上は何を述べる気も起こらないが、そんな些細なことに無駄な言葉と時間を費やしていることに呆れ、他に何かを述べる気力が失せてくる。たぶん確実に後退しているようだが、いったい何が確かなのか、それをわかろうとしていないらしい。まさかこの世界に確からしいことは何もない、と断言するつもりはないが、何が確かなのか判断がつかない場合もあるだろう。確かなことは何も述べられなくなっているようだ。とりあえずそれでも何かしら述べているようだが、それがどういうことなのか何も見当がつかず、それに対応する言葉を見出せずにいるらしい。たぶんそれは予定調和の成り行きに違いない。はじめからわからないことを述べていることがはっきりしていて、それをわかるように説明しようとしているらしいが、はたしてそれを明確に説明することができるのか皆目見当がつかない。要するに君はいつものように意味不明なことを述べ続けているらしい。それは潔さからは程遠い行為に思われる。どう述べてもわけがわからないのなら、やめてしまえばいいのかも知れないが、それができないからわけがわからないままなのだろうが、たぶん語るのをやめてもわけがわからないままだろう。そこで何を語っているのかについて、できる限りわかりやすく説明することが必要かも知れないが、そもそも語っている内容がわからないので、自らの語っていることについて、何一つ明確に説明できずにいるらしい。まったく子供だましもいい加減にやめてほしくなる。そんなことを述べている場合ではないだろう。だがどんなことを述べている場合でもなく、何をやっている場合でもない。何もやらなくてもいいのに、それでも何かをやろうとして、さらに何かを述べようとするが、結果的には何を述べているのでもないように思われてしまうらしい。たぶんそこでは何かが繰り返されているのだろう。とりあえずうんざりするほど言葉を連ねている。そしてそれが意味のない無駄な行為に思われて仕方がない。そこから先にどんな言葉を連ねていいのかわからなくなるが、まだ何か足りないことがあるのかも知れない。足りないことが多すぎて、その一つ一つをいちいち数え上げる気も起きない。


11月21日

 何かのはずみでかろうじて制度のほころびがあらわになる。そんなことはよくあることかも知れないが、それにわざとらしく驚いてみせるのは、誰かに割り当てられた演技のようだ。アナウンサーくずれが画面上で驚いてみせる。新聞記者くずれも横で相づちを打っている。なるほど演劇的番組進行とはそういうものなのだろう。それは歌舞伎などに見られる大げさな感情表現に似ていなくもないが、そんなところに感応して言葉を連ねている君が情けなく思える。他に述べることが思いつかないようだ。どうやら今回もまともな内容から程遠い。目指すべき境地がないのだからそれは仕方のないことだ。相変わらず何を探しているわけでもなく、つまらない言葉のあやにいきり立つようでは、この先の内容も大したことはないはずだ。だが何も大げさなことを述べることが目的ではないのだから、たとえそれが些細なことであったとしても、それはそれで普通に受け止める必要があるはずだ。賽は振られ、ルーレットは回され、カードは手元に配られ、コインも積まれている。しかし何のゲームに参加しているわけでもない。要するにいつまで経っても君は傍観者のふりをしている。架空の話の中では、君の煮え切らない態度にたまりかねた誰かが、君に抗議するつもりのようだ。そんなやり方は卑怯であり、何かのゲームに参加しなければ、発言の機会など与えられないのがこの世界の掟だが、君の存在を無視して、ゲームに参加させようとしないのだから、卑怯なのはお互い様だろう。君には参加資格がないのだから、傍観者でいるより仕方がない。だから君はいつまでも意味不明で無責任なことを述べていられるのだ。それは何かのパラドックスなどではなく、極めて当然の成り行きに従った事実なのかも知れないが、作り話の中に事実など潜んでいるはずもなく、フィクションの中での事実は、嘘で塗り固められた言葉の塊に過ぎず、影だけで実体は何もない。要するにそこにはありもしない幻影が文章として構成されている。それがいかに本当らしく見せかけられようとしても、何となく嘘をついていることの後ろめたさが透けて見えるかも知れない。だが架空の君がそこで見ているものは、ただの言葉の羅列に過ぎないはずだ。意味を成さないものを意味があるように見せかけるために振る舞っている幻影の演技に魅了されているのかも知れない。君にはそれらの言葉の羅列が魅力的に見えるらしく、今やそれに囚われながらも、さらに目の前に映っている文字を組み合わせて、何か途方もないものを構築しようとしているのかも知れないが、今のところその試みが成功しているとは言い難いようで、何とか間に合わせの装飾を施して、みすぼらしさをごまかそうと必死なのかも知れない。誰かにはその試みがうまくいくとは到底思えないようで、何となく退き気味の姿勢で興味なさそうにそれらの文字列を眺めている。他人のことは他人のことでしかないが、自分のことも自分のことでしかない。共感できるような話ではないだろう。気に入らないのは他人の行いと自分の行いのと落差を感じ取っていることのようだが、そこで誰が何を恥じているわけでもなく、ただこの先何十年も同じ思いでいられるはずがないとも思っている。無理を承知で述べているのだから、それを可能としている精神状態を今さら放棄しても仕方がないだろう。何の見返りも得られないことをやっているに過ぎない。そこからはどんな展開も望めないだろう。今の君は根拠のない悲観主義に凝り固まっている。すがりついているのはそんなくだらないことだ。それを見かねた誰が助け船を出すこともないだろう。誘惑の正体が明かされることはない。そこから何かを得ようとする魂胆が浅はかなのだ。誰かは手持ちぶさたでまたあくびをしているようだ。何に飽きているのかわからないが、何となくその場の雰囲気からずれているらしい。そんな思いとともにどこかへ逸脱しようとしているようだ。ふと後ろを振り返れば何かに驚いたふりをしている。誰かが鬼の形相になっているわけではない。そこから適当に枝葉を延ばして、何か樹木のように言葉を構成できないものか。だがその内容を思いつかない。あまり無理なことはやりたくないが、それでも頭を使っているつもりのようだ。何を否定しているわけでも何を考えているわけではない。たぶんそんな前言を否定したいのかも知れない。個人の思考には限界があり、その行動にも言動にも限りがあるのだろうが、それでも何もないのに何かを断言したいようだ。結局君はどこにもたどり着けないだろう。またそんなことを述べている。時間に乗り遅れて危うく何もやらない状態になりそうになる。感性を野放しにしてとりとめのないことを考えている。使用する言葉を間違っているらしい。美しく思われることに心を奪われているのは勘違いかも知れない。誰かは心を病んでいる。誰かもわからないのに誰かもないだろう。何もわかってくれないらしいが、気づいたことはそんなことではない。些末な用事に気を取られている間に、何も思わなくなり、気がつけば夜になっている。それで何かをやっているつもりになれるらしいが、自らのふがいなさを反省してみたところでどうしようもないだろう。いつ何時でも心の琴線に触れているわけにもいかない。そこからどう話の辻褄を合わせるのか悩んでいるようだ。くだらない話をさらにくだらなく修正しようとは思いたくないが、わざと話を込み入らせて、わけのわからなさを醸し出そうとしている現状には嫌気が差している。何かそこから抜け出る方法を見出したい。やめればいいことは一目瞭然だろうが、やめるきっかけをつかみたくないことも、正直な思いであることもわかっている。しかしそれで何をもたらそうとしているわけでもないように思える。それなりに言葉の連なりがもたらされている以外に、何らかの実感がもたらされているのかも知れない。馬鹿げたことを述べているようだ。それで自己嫌悪でも表現しているつもりになれるはずだが、何となくそれだけでは物足りなさを感じてしまうらしく、結局そこからさらに無駄な言葉を付け足してしまうのだろう。君の焦りはよくわかっているつもりだ。何もないところから焦りを催す原因をねつ造したいようだが、何もないことが焦る第一の原因であることはわかっているはずだ。何もなければ何も述べられないから焦っているのだろう。だがそんなことで焦ることはない。そこで焦らなければそこで終わりだからだ。それはそこで終わらせないための方便に他ならない。だがいくら焦りを覚えたからといって何が導き出されるわけではない。そこから何を見定めているつもりになっているわけでもなく、ただ気晴らしに音楽を聴いているようだ。意識を失っているのかも知れない。時期的にはもう冬なのだろう。


11月20日

 君は君自身が仕掛けた罠にはまっている。そんな妄想に取り憑かれたふりをしているらしいが、そこに何もないことに変わりはないだろう。振り返れば遠くから誰かの影が迫ってくるのが見える。見知らぬ人に声をかけてみようかどうか一瞬悩むが、結局機会を逃して、何もなかったかのように振る舞っている自分に気づく。次の瞬間には何か妙案でも浮かんでいたかも知れないが、その瞬間は永遠に訪れないだろう。もうその時空は闇の彼方へ遠ざかってしまったはずだ。今はあきらめて別のことを思案している最中のようだが、未練がましくすでに過ぎ去ってしまった時空のことがいつまでも気になっているようだ。過去を意図的に遠ざけているのは君の方だと思うが、遠ざけながらも過去にあれこれ自身が抱いている妄想を重ね合わせているのも君の方だ。そしてそんな矛盾を利用しながら意味不明な文章を記しているのも君の方だ。それを無視して誰かがそれに対する付け足しを述べようとしている。そこからまともな意味を導きたいようだ。何の足しにもなりそうもないことがまともな内容なのかも知れない。この世界を見渡せば、人が行いつつあるすべてが利益追求型思考に支配されているような気がするのだが、それが当たり前のことであると思うたびに、言葉に窮してそれとは違う思考を導き出そうとして、無駄な努力を延々とやり続ける羽目に陥りそうになる。しかしそういう嘘を述べつつも、暗闇の中で誰かが別の何かをつぶやいている。君は利益のまったく出ないことをやっている。事実それらの文章からは何の利益ももたらされない。だがそれが偉いことだとは思わない。それとは別の仕事で利益を出しているのだろう。今の社会構造において利益を出さない者は生きてはいけないだろう。人間がそういう人間である原因はそんなところから来ている。人は生きている限り利益を求める動物のようだが、社会学者の類は利益の種類や性質を無害なものにしたいらしい。万人にとって人畜無害な欲望を人々の意識に植えつけようとしている。現実にはそれがフィクションにならない決まりはないが、人畜無害なフィクションでは面白味に欠けるだろう。しかし有害なフィクションでは個人にも社会にも深刻なダメージをもたらす。だが欲望とは何かの犠牲と引き替えにしかもたらされないものだ。他人の悲惨な境遇を通してでしか欲望が充足することはない。要するにおまえは誰かを支配したいのだ。合法的にしろ非合法的にしろ、自らの自由を得るために他人を不自由に陥れなければならない。あわよくば殺してもいいらしい。自らの存在を光り輝かせるために、他人の輝きを弱めなければならなくなる。時と場合によって命の炎を吹き消してもかまわない。自らを富ませるためには手段を選んでいる暇はない。冗談でそんなことを述べていれば楽しいだろう。君はそこから遠ざかるための手段を得たいらしい。言葉を用いてそれを示そうとしている。無駄な妄想を相変わらず抱いているようだ。結果的に人畜無害なことを述べている状況に持ち込めれば、その願いを成就したことになるのかも知れない。それが冗談で述べようとしている正体だと思えば、何となく馬鹿らしい気分を得ることができるだろう。本当にそれが馬鹿げた考えかどうかは、君が判断することではない。誰の判断をも受けつけないかも知れないが、それは誰からも無視されているのと同じ状況だろう。たぶんそれが冗談の至るまっとうな成り行きかも知れない。本気ではもはや何も述べられなくなっているようだ。いつもそんな嘘をついてその場をやり過ごしたいらしく、次いでわざと意味不明を装うには、そんなことを述べていなければならないだろう。正気を保つには厄介な世の中だ。そんな世の中からは精神的に遠ざかるしかまともにものを述べる術はない。だがそれで遠ざかっているわけではない。心身共に未だにこの世界の中でもがいている。それが君の現状に違いない。どうでもいいことの連鎖状況の中で疲労だけが蓄積して行き、もう何を述べても無駄だと思われるような心境に達した時、それが冗談だと嘘をついているつもりになる。そしてまた最後の言葉を忘れてしまったらしい。この世の最後に言葉など発せられるわけがない。最後の言葉はそれ以前にすでに発せられていて、しかもとうに忘れ去られている。ついさっきまで君は何かいい加減なことを述べていたらしいが、いつそれらの文章は結末を迎えたわけではない。すべてが終わればまた新たなる始まりの時を迎えるわけだが、それでも君は今を生きている。君に終末はあり得ないだろう。だから君に始まりはあり得ない。終わりも始まりのないフィクションの中に誰かが登場しているらしく、それが君でない証拠がどこにあるわけでもなく、君がいなければ彼には自分の居場所がないそうだ。しかし誰がそんなことを述べている証拠がどこにあるわけでもない。証拠があろうとなかろうと、そんなことを述べている現状の中に、君という言葉が記されているらしく、彼はそれについて何を述べようとも思わず、それ以外のことにも相変わらず無関心を装っているらしい。だからそこで悪霊が何を訴えているわけでもない。誰かはそんな他人事について何か述べているようだ。そこでは何らかの作用があってそういう成り行きになっているのだろう。だから意味もなく君は何かを見ている。何も見ていないように思えるが、何も見えていなくてもかまわないのであり、とりあえず何かを見ていると思っていれば、それで気が済むのだろう。君は風景を眺めている。何かに押し戻されようとしているのかも知れない。また以前と同じようなことを述べようとしている。占い師の言うことをどこまで信じようと、その人の勝手かも知れない。予言者の予言など無視されるのが当然の成り行きになっているらしい。人には人それぞれに違う運命が待ち受けている。そんなことはわかっているつもりだが、それでもそこから適当な見解が導き出される。その内容を今は知り得ない。なぜそんな成り行きなってしまうのかを知りたいわけではない。何となく話の本筋からは外れようとしている。本筋などもとからないのかも知れない。枝葉末節にこだわるのがそこでの話に違いない。それには妙な違和感を覚えるが、そんな話で何かを導き出そうというのではない。ただそういう話をしていたいだけなのかも知れないが、君にはそれが理解できない。話をしている方も、自らがしている話を理解しながら話しているのではないのかも知れない。ただ何となく話しているのだ。たぶんそれがおかしいと思われるのだろう。なぜそんな風に話をする必要があるのか意味を見出せない。意味など何もないのかも知れないが、とりあえずそうやって話をしていたいのかも知れないが、それが君には気色悪く思われてしまうのだろう。


11月19日

 架空の物語の中では、何となく面倒な事態に陥っているようだ。みっともない振る舞いは避けなければならないが、君はまだ自らの所業を知りたくないらしい。何かにつられてさっきまでの話があらぬ方向へずれ込んでしまう。言葉の断片がどこかへ飛び散り、北側の窓から誰かの顔がのぞき込む。それは無理だろう。文章がつながりにくいようだ。そんなわけで君は自らの無能さをさらけ出す。言葉に窮して皮肉を述べているらしいが、それの何が皮肉なのかを知りたいわけではない。ブラインドカーテンが何かの衝撃でバラバラになっているが、そんな光景を誰が空想しているわけでもない。できることならそれで不毛な対決はお終いにしたい。その場の成り行き的にはすでに終わっているはずだが、架空の登場人物はまだそこに居続けようとしている。さっさとその場から退場してほしいのだが、なかなかしぶとく場を占有し続けている。そこからはじき出されている君の方はといえば、かろうじて死の淵からよみがえり、何とかいつも通りの言葉を連ねたいようだが、またそこへはたどり着いていないらしい。それで何を説明しているわけではない。大げさな出来事をドラマチックに語りたいわけでもないが、まだ争いごとに首をつっこみたいようだ。水面に顔を出して、やっとのことで深呼吸ができたらしい。それではだめなことはわかっているようだが、とりあえず冗談の連続からは抜け出たつもりになる。しかし抜け出た先には別の冗談がある。それは冗談ではないと思いたいが、状況がそんな風には思わせてくれない。相変わらず狭い範囲で同じようなことを述べ続け、内容が何と同じなのか忘れていること以外はわからない。それは誰の話でもなく、おそらくそれは誤りでさえないだろう。何となく以前との内容の違いに気づいているらしい。無駄に言葉を弄しながらも、何らかのきっかけをつかみ、少しはまともなことを述べようと努力しているらしく、少し前から君は疑似対話形式を用いて語ることを放棄しているようだ。そんなことに今頃気づいても手遅れだが、何が手遅れなのか説明はしないつもりだ。説明できるような理由など何もないのだろう。ただ何となく今さら手遅れのように思われる。局面はだいぶ先に進んでしまっているらしい。だが別に重大な局面を迎えているわけではない。それが何のことなのかわからない。無理にわかろうとするほどのことでもないのかも知れない。わかっていることはたかが知れている。誰かは一度悪意に押しつぶされてみたいようだ。どこかに悪意が渦巻いているのかも知れないが、わざとそういうことを述べてみたいわけではないのだろう。とりあえずそこに再生のきっかけがあるらしい。冗談と悪意を混同してはまずい。誰かは椅子に座って微かに微笑んでいる。やり直せるものならとっくにやり直しているはずだ。やり直せないからそこで立ち往生している。わかりきったことを述べないでほしい。それを聞いている者は誰もいないが、何かが遠くから聞こえてくる。文章の中ではそういう述べ方になってしまうらしい。背景の色にこだわっているわけではない。ただわけのわからないことを述べているわけではないらしい。周囲に蔓延っている雑草が枯れてくれないから、その全体を見渡すことはできないが、何となく部分的に誰かの意図を把握しつつある。それは君の時間ではない。たぶん誰の時間でもないのだろう。それは当たり前のことかも知れないが、誰も時間を所有することなどできはしない。そこで何をやっているかが重要なのではない。何もできない状況にどれほど耐えられるのか。耐えている感覚がないが、自由を満喫しているわけでもない。それはどんな状況とも比較しようがない状況なのかも知れない。要するにわけがわからない。たぶん何もないからわけがわからないのだが、それで何とかなっている。音信不通なのかも知れない。音沙汰があればそれに気づくはずだ。君は気づいている。そこから自らの意識が離れていることに気づいている。興味を抱けないらしい。君にはそれがわからない。わからないからその先を述べようとしているが、その先には何もありはしない。すでに悪意を通り越して意味不明に至るしかないようだ。たぶん君がわかろうとしていたのはそういうことだろう。それは何かの罠なのではなく、誰も入り込めない領域に入り込むための試練かも知れないが、そういう試練なら避けて通るより他はあり得ないようだ。面倒なのでそこから先へは行かないことにしておこう。いってもわけがわからないでは仕方がないだろう。何が意味や意義を見出せるようなことを述べていたいような気になるらしい。それが何かの勘違いであることも一応は承知しているつもりだが、やはりふざけてばかりもいられなくなる。何となく普通のことを述べておいた方が無難な気がしてくる。だからそこから先へは行きたくなるのだろう。行けば必ず意味不明になってしまうだろうし、わけのわからないことを延々と述べる羽目に陥ってしまうだろう。それで気が済むのならそれでもいいのかも知れないが、そればかりではうんざりしてしまう。だからそれ以外のことを述べようとしているらしいが、結果的には元の木阿弥になっているようだ。放っておけば君の述べていることはそればかりになるだろう。今の君にはまともなことを述べるのは無理のようだ。架空の人物には荷が重いような気がする。そしてそれがそこでのフィクションらしいが、やはりそれではわけがわからないだろう。わけのわかるような説明からはどんどん遠ざかっているように思われる。たぶんそれをどこまで推し進めても、わけのわからない状態のままになってしまうだろう。最初から間違っているのかも知れない。ボタンの掛け違いをそのまま放置しているようなものだが、その間違いを利用してここまで述べてきたことも確かだ。正しいことは何も語れない状態から語り始めている。たぶんそれは君のやり方なのだろう。わざと間違っているつもりが、本当に間違ったやり方を呼び込んでいる。しかし何が正しいやり方でもない。今やっているやり方がとりあえずのやり方なのだ。それ以外はどんなやり方もないだろう。そこから遠くへ離れることはできない。何かしら語っているその状態がそこでの真実だ。そこから何を想像してみても、それは想像の域を出ない想像でしかない。現実に何ができるわけもなく、そこでやっているそれが、君ができることなのだろう。君のできることはそんな風にして限られる。その限界の外側には何もありはしない。空想を働かせているのも限界の内側だ。むやみやたらとその空想によって話を膨らませても、実際には何を語っているのでもないらしく、ただそれによって記された文字量が増えるだけだろう。増えた文字数だけ話が長引くかも知れないが、内容はそれほど変わらないようだ。


11月18日

 陰と陽を表す記号の存在に気づいてみる。それが画面上に現れている。君はそこで生きていると思っているらしい。何か深遠なことでも述べているつもりになれるだろうか。彼の地では平穏な日々が続いているようだ。戦争を知らないことは幸いかも知れない。君はまだそんなところで言葉を連ねている。そんなところとはこんなところなのかも知れない。それはどこでもない場所のようだが、その場所を探しているわけではない。意識はひたすらにそこから遠ざかろうとする。まともな言葉は何も導けないので、それが悔しくてたまらないらしい。架空の存在が何を思うわけもないが、戯れにそんなことを思っていることにしておこうか。君は相変わらずの不在を託っている。使用している漢字が間違っているかも知れない。暇で仕方がないので、何かもめ事でも探して、そこに介入するつもりのようだが、それは架空の話の中でのことだろう。君は状況をうんざりするような成り行きに持っていきたいらしい。そんな悪意に充ち満ちている。確かに現時点では過去の諍いは感情的な対立をもたらしている。それを解消しようとする者たちによって、静かに幕引きが図られているのかも知れないが、悪意の塊はまだ何かをやる気があるらしく、そんな意図とは裏腹に、相変わらず作り話の中でもがき苦しんでいる。誰もいるわけがないのに、そこに君がいるらしいことはわかっているはずだ。不在を装う君の存在をどこかで確認して、誰かがそれについて何かを語りたいらしい。君はそこから遠くへ行きたいと思う。物語からの現実離れした要求にはうんざりしている。それでも身体の再生が可能なら、何かそれとは違う曲を聴きたくなる。意味がないだろう。意図して何か違うことを述べようとしているらしい。それによってこれまでとは異なる言葉の響きをもたらしたいらしい。浅はかな願いは誰かによって却下されそうだ。では今こそ決断を下す必要に迫られてみるか。そこから何か意味のないことを述べたいらしい。しかし今は夜で何も見えない。何も見えなくても述べることはできるだろう。夜の寒さで指先が凍えている。嘘はそういうタイミングでつくものではない。そんなルールを勝手に押しつけられる。文字の組み合わせと言葉の連なり方が気に入らないらしい。だからそこから違うことを述べようとしているようだ。冷えた空気中に何かの音が響いているかも知れない。それは数日前に思っていたことだろう。ここで作り出している文章中にはない何かの到来を期待している。それを単純な無い物ねだりに終わらせたくはない。だから絶えず試行錯誤を続けているつもりのようだ。理由になっていないような気がしてくる。もうすぐ言葉が飽和状態になろうとしているようだ。それ以降は何も述べられなくなりそうだ。そこで何かを把握しているつもりらしいが、君にはそれが何だかわかっているはずだ。わかっているからそんなことを述べている。そしてそれが文章に変化をもたらしている。さらにそれは同時に何かを禁じているのかも知れない。無意味な問いかけをやめてしまったらしい。もうひたすら虚空に向かうのは飽きてしまったようだ。だがそんなありふれたやり方にも、少しは気休めが含まれていて、その気休めを利用して、それによって今までとは違ったことを述べられるのかもしれないが、一方ではそれをその場しのぎの語りに見せかけたいらしい。あまり本気には受け取られたくない。今は戯れ言であってもかまわないだろう。かまわないからそんなことを述べている。誰が君を非難しているわけでもない。非難に値しない存在でしかない。何となく意図的に論点を微妙にずらしている感が否めないが、誰か特定の標的が定まっているわけでもない。誰のことを非難しているわけでもないらしく、それは何の事件性もなく、そこからつまらない問題設定をしようというのでもない。また他に何を説明しようというのでもなく、それが何の説明になっているのか不明のままで、当然語り手の感知するところではないようだ。やはり君は何も語らずに、ただ言葉を適当に並べているつもりらしいが、そこから先へさらに何かを語りたいような気でいるようだ。語る対象もないのに、ただ何も語っていないように語りたいらしい。たぶん君は不可能を文章に要求しているのだろう。だから文章から得るものは何もないだろう。それはどういうことでもありはしない。それと同時にそういう語りが裏切られてほしいとも思っている。そしてさらに無駄に無意味に言葉を連ねようとしている。そんなていたらくから何とかまともな内容にたどり着かなければならないようだが、とりあえずどこか適当な境地にたどり着かなければならない。述べることが何もなくても、君は何かを述べなければならないらしいが、そんな思い込みは勘違い以外の何ものでもないだろう。しかしその思い込みの中で君は息づいている。君にもそれがわかっているはずで、その思い込みの中に躓きの原因もあるらしい。だから何かを述べることはおもしろいように思われる。たぶんそれは理由になっていないだろう。理由ではなく原因なのかも知れない。この世界がつまらない原因を知っていて、知ってはいるがそれを言葉で伝えようとしない。それはあたかも知っていることがわからないかのように語られている。君は何も語りたくないようだ。語れないのかも知れない。この世界がつまらないわけがないだろう。少なくともすべてがつまらないわけではない。おもしろそうな出来事に巡り会えないのかも知れない。あるいはそれをおもしろいようには感じないのだろう。そしてつまらなくないわけではない。それについてどう述べても違うような気がする。言葉が状況にマッチしていないのかも知れない。それ以前に何について述べているわけでもないが、それでも何かを述べているらしい。たぶんそういう感覚が勘違いなのだろう。そこから遠くへ離れたくなる。何かきっかけがほしくなる。飛翔するきっかけを求めているのかも知れない。地上から飛び立つための翼がほしいようだが、誰がそれを求めているのかわからない。要するに毎度おなじみで思いが矛盾しているらしい。君は何を求めているわけでもなく、ただ何か適当なことを述べているのだ。その述べている文章の中で、誰かがこの地上から飛び立つための翼を欲している。それはおかしいと思うが、たぶんその辺でわけがわからなくなっているのだろう。わざとそうしている節もある。そうしないと話が先へ進まないのかも知れない。そして君はそういう話が気に入らない。もっと違う話を構築しなければならないと思っているようだが、たぶんそれは無理だろう。君には可能性がない。何をやるにも才能が必要であり、その才能が不足しているようだ。だが本気でそんなことを思っているわけではない。話の内容としては、そういう述べ方もありなのだろう。才能というあやふやな概念を使えば、一応は何かを述べている風を装えるらしい。


11月17日

 何を考えているのかわからない。考えがまとまらないうちに眠気を覚える。何を眠たくなっているのだろう。本当に眠いのだからそれは仕方がない。眠気をこらえて懸命に言葉を操ろうとしている。夢の中では思い通りに身動きが取れないようだ。たぶん嘘かも知れないが、意味のない問いかけを無視することで何かを見出したらしい。そして今はその見出された何かについて語っている最中のようだ。語るきっかけがそこにあったらしく、そこから延々と同じようなことを語り続けている。そんな話がどこかにありそうだ。何かをひたすら読み続けていて、その書物を介して得られた妄想が、それらの話の内容なのかも知れない。だがそれについて語っている意識は内面から除外されている。何かが気に入らないらしく、そんな感情が誰かの心の内側にあるらしい。そういう設定を話の中に持ち込もうとしているようで、それでうまくいくと思っているらしい。心に余裕がないと考えが浅はかになる。それは何かの勘違いであってほしい。そう思いながらも、何となく彼について語るのが面倒になってくる。君は彼ではないから、誰のことを述べているわけでもなさそうだ。そんな嘘はここでは通用しないだろう。何も語らないわけなど何もありはしないだろう。何かを語るのに理由など要らない。そしてもう語ることには飽きているはずだ。興味が失せたそこから一刻も早く逃れたいのだ。もう時間的な余裕がない。それでもまだ時間がどこかに残されているかも知れないが、それは何をするための時間でもない。時間内には何も完成させられないから、こうして時間に追われているわけだ。だがそこで終わらせる気配はないように思われる。君はいつまでも強情を張っているらしい。そして強情を張りながらも肝心なことを忘れている。強情を張っている時間さえなくなりつつある状況に気づかない。明日と昨日の狭間に今日があるとは思えないが、何も考えずに何もできないことを呪っている暇はないだろう。しかしだらしなくうなだれている現状をどうすることもできない。それはまるで死ぬ間際に将来のことを考えているような間抜けさだ。だがなぜ自分が間抜けなのかその理由がわからない。とりあえず明日になれば何かを断言しなければならない。何か決めかねていることを決断したいらしいが、たぶん君に選ぶ道などありはしないだろう。選んでいる暇がないわけではないのに、現実には何もできない。いつものように安易な問いかけが無駄な回り道を招くらしい。その回り道の途中でやる気を失い、気がつけば何となく灰色の壁を眺めている。言葉がどこにも見当たらない。正気を取り戻すには至らないようだが、頭の中で何かの感覚が狂っているのかも知れない。しかし今さらそんなことを述べても無駄だろう。述べているそれは言葉ではなく文字かも知れない。空白に文字を適当に記しているだけか。そうすることによって、別にそれほど強力な達成感を求めているわけではないが、感覚的に何かをやり遂げないと気が済まないらしく、文字の分量がある一定量を超えないとやめられないらしい。だがそれをやり続けることに意味を見出せずにいるようだ。そこからどのような問いかけが見出されるわけでもない。何かをやり続けているのに、何もできないと思っている。たぶんそんなことをいくら述べても無駄だろう。時間が足りないようだ。できることならもっとゆっくり時間が進まないものか。時間を遅らせて何をやろうというわけでもないが、自らの生きるペースに時間も歩調を合わせてくれないだろうか。このままでは理由を見出している暇がない。ただ体験する何もかもが通り過ぎてしまう。そしていくら過ぎゆく時間を感じていても、何が得られたようにも思えない。確実に精神が老いているのかも知れないが、何かの季節が巡ってきたわけではない。移りゆく時の流れをやり過ごし、偶然に巡ってきた時機を逸しているのかも知れない。そして今日もそんなことを述べている。これからまた虚空に向かって意味のないことを問いかけるつもりらしい。いつも君は答えのでない問いかけを発しているようだが、よく考えてみればそれはおかしな成り行きだ。何か馬鹿げているようにも思われるが、何も考えなくてもそれは滑稽に思われる。だがそれで何を否定しているのでもない。ただ辺り一帯の空間に、何も感じ取れないような無味乾燥を推し進めているようにも思われる。それで何に至っているわけでもない。どこにも至りようがないのだろう。冷めたコーヒーをすすりながら、どのような状況も虚無で包み込もうとしているようだ。作り話の中では誰がそうしようとしているのでもないが、現時点で架空の君に可能なことは文字を記すことだけかも知れない。他にやっていることはどうでもいいようなことかも知れないが、そのどうでもいいようなことによって生かされていることも確かだろう。その状況をどうすることもできずに、ただ闇雲に言葉を並べ立て、それで何を主張するわけでもなく、文章の内容と君の伝えたいことは別の次元にあると思っている。たぶんどこまでもいつまでもその食い違いを保ち続けるつもりなのだろう。だから文章として記された内容は君には関係のないことだ。君が延々とそんなことを述べ続けているのは驚くべきことだが、君以外の意識にとってそれはどうでもいいことでしかなく、何に驚いているわけでも怖がっているわけでもないらしい。それでも話のどこかに興味を覚える部分があるかも知れないが、いくら窓の外をのぞき込んでも、夜の暗闇から何が這い出てくるわけもない。暗闇の恐怖は画面上でうごめいているだけだ。君は用意周到に話をずらして、それを知るきっかけをつかみ、同時にそれを無視しようとする。根拠のない強がりはそんなところから生じてくる。確かにそれでは意味がないだろう。意味など何もありはしないが、それで話がつながったと思い込んでいる。さっきまで何かしら語っていたはずだ。そして君は前もってその話の結末を知っていたはずだ。だからそんなに冷静でいられるのか。君がそこから逃げるわけがない。君は話の曖昧さの中に息づいている幻影そのものだ。他に内容らしき内容は何もなく、己の不在を利用してそれらの話の中に入り込んでいるのだ。実体を持たず、言葉として文章にも反映されないことを思っている。そういう設定なので、君はこの世界から疎外されているのだろう。それでもかまわない。実際にそれ以外の存在形態はあり得ないのだから、かまうかまわないの問題ではないのかも知れないが、それで何かを述べているつもりらしい。何も述べていなくても何かしら述べていることにしたいようだ。誰かの意識がそういう幻影のあり方を支持している。そういうわけで幻影は文章の中で無言を貫いているらしい。それがそこでの君の役割なのだろう。


11月16日

 どうもすっきりしないようだ。ここに至ってついに遅れを取り戻せなくなってしまったらしい。しかしなぜ焦らないのか。本当に無理を承知しているのだろうか。無理なのになぜ続けようとするのか。無理だと感じていること自体が勘違いなのではないか。それは嘘に違いない。しかしいくらそんな逡巡を繰り返しても無駄だろう。だめなものはだめに決まっている。だが何をそんなにためらっているのか。やめたいのならさっさとやめればいいではないか。やめたくてもやめられるはずがないか。それでもやめようとしないのはなぜだろう。やめられなければまたいつものように、わざとわけのわからないことでも述べていればいいだろう。とりあえず芸術は欺瞞だ。悲惨な境遇の一般人を食い物にしている。物語が許せない側面はそういうところにあるのだろうか。だがそれで何を否定しているわけでもない。またそうすることによって誰を助けようとしているのでもない。困っている人々は見殺しにされるのが通常の成り行きだろう。世界とはそういう場所なのではないか。問題は解決されるために生じているわけではない。では君を困らせるために存在しているのだろうか。見当はずれなことを述べているかも知れない。しかしそれで誰が困っているのか。そこで立ち止まって何に見とれているのか。目に映る光景を無視していてかまわないのだろうか。そこに何が映っているのか。まったく感知できていないのかも知れない。いつの時代でもそこに君の視点があるわけではない。誰の視点をも拒絶するようなわだかまりを感じている。それは誰の時代なのでもなく、書物の中に展開されている虚構の類だろう。だから君が読んでいる内容は無効なのか。そこから何も読み取っていないのかも知れない。だいぶ以前から君は読書を放棄している。そこに連なっている文字を読めないのかも知れない。それどころか読んでも理解できないのではないか。理解しようとする善意を意識が拒絶しているのだろうか。書く側が理解させようとしていないのかも知れない。文章がそれを読んで理解する事態を想定していないのではないか。そんな文章があるだろうか。それらの文章を誰が記しているのか。それは君が記さなくても続くようなものなのか。では君は架空の文章について何を述べているのだろうか。あるいは君は自らの悲惨な境遇を文章にしようとしているのか。だがそれがフィクションだとしたら、悲惨な境遇自体が嘘になってしまうのではないか。だから冗談でそれを述べているわけか。しかし冗談が悲惨であるわけがないだろう。それもネタ切れをごまかす一環なのだろうか。そこで何をわかろうとしているのではなく、無知を装っているだけで、本当はわかることを放棄しているのではないか。それとももうあきらめてしまったのか。何をあきらめていることになるのだろう。ただ想定外の事態の到来に困惑しているのかも知れない。なぜそう思うのか。事態を大げさに捉えたくないのか。体験しつつあるそれは、ただの深夜でしかないだろう。寝て起きてたまたま目覚めた時間帯が深夜に属しているだけなのかも知れない。ではそこからどう話を展開させることもないか。ただ何もなく、これから先も何もあり得ない。君はそこで自らの嘘を育てているつもりのようだが、そこが静かだと思いたいのだろうか。耐えられない騒音に包まれながらも、そんな状況をどう述べたらいいのかわからないか。精神の集中はどこへ行ってしまったのか。たぶんその時間帯にはお目見えできないのだろう。その代わりにどうでもいいように思われているだけか。何がどうでもいいのかわかりかねるが、何もわかろうとしていないのだから、それは至極当然のことだろう。何となく時間に敗れ去っているような気分でいたいようだ。だから何もやろうとしないのか。ではそこからどうすればいいのか。また寝て朝にでも目が覚めればそれでかまわないのだろうか。そんなことが繰り返されて現在に至っているのではないか。そこでは寝て起きるという反復が執拗に繰り返されているらしいが、それで何に反発を覚えているわけでもない。たぶん誰かはずるいことをやっているのだろう。そのずるさを誰も指摘できないのかも知れない。君には何がわかるというのか。架空に存在しているつもりの君は、何で商売をやっているのだろうか。誰かにはそれが何のことやらわからないのかも知れないが、メディアはそこから糧を得ていて、それらは莫大な収益を上げているらしい。この世界の中にある悲惨な出来事を映像に収めてきて、それを売りさばいて食っている。しかもそれは食っているというような水準の話ではないのかも知れず、人々の生を無駄に浪費し続けているだけなのかも知れない。そんな職業を顕揚する人々が許せないか。たぶんそういう人々は特権階級に属しているのだろう。文字であれ映像であれ、そんな情報を商売道具にしていること自体が、悲惨な事態を招いているのではないか。それらの情報の支配を受け入れる者たちにとっては無駄ではないと思うかも知れないが、現実に多大な予算を投じて作られたそれらのソフトもハードも、出現すると同時に片っ端から忘れ去られる宿命であり、残るものはほんのひとにぎりでしなく、それが途方もない無駄を実感させ、とりとめのない虚無感を蔓延らせている。勘違いの主な原因はその辺にあるのかも知れない。君はそれの何を知りたいのか。知っていることは何だと思っているわけなのか。そこに何があると思い込みたいのか。それが悲惨な現実だと勘違いしたいわけか。しかし記憶とは何なのか。廃墟の中にかろうじて見出される残骸が記憶なのだろうか。見聞した出来事のすべてが記憶に残るわけがないだろう。それでも君はそこで何かを体験しなければならないのだろうか。だがそれを体験して何がわかるというのか。何かをわかるために体験しているわけではない。それはどうにもならなくなった状況でしかなく、まさに何をどうしたらいいのかわからなくなってしまった状況を体験しているらしい。本当にそこからどうするつもりなのか。すべてがマイナスになっている事態をどう覆そうとしているのか。覆せるわけがないか。そんなあきらめの心境など無視しながら、外には冷たい風が吹いている。無意味な言葉の束を風の中に投げ出すことはできない。風は風であり言葉は言葉でしかなく、意識は風からどんな言葉を受け取っているわけでもないらしい。人々はみんな同じものをほしがっているわけではない。中には何もほしがっていない者もいるだろうか。それとも何かを欲しなければ人とはいえないだろうか。人でなければ神か悪魔か、はたまた何者でもない者なのか。とりあえず君はそこまでやってきた。何かの助けを借りながらも窮地を脱しようとして、必死にもがいているようだ。そしてその有様を誰かが黙って眺めている。


11月15日

 思いと想いはどう違うのか。感じと漢字が違うだけか。何か馬鹿げたことを述べてみたい衝動に駆られているようだ。それは誰の感覚から導き出されている風景なのか。君が見つめている風景は壁紙の一部に過ぎないが、そこから何か崇高な思いに囚われてみたいか。どうやら気分は未だに最低の領域を脱していないらしい。それは喜ばしいことかも知れない。何か気まぐれに強がっている。それでもやはり意味不明に変わりはないようだが、また誰かは切羽詰まって意味のないことを述べているのだろうか。どうせ結末はわけがわからなくなるだけだろうが、誰がそうなることを期待しているのか。要するにそれは期待外れに終わるということか。何を期待しているのかわからず、それが誰の期待なのかも知らない。それらの精神状態をどう表現したらいいのだろうか。気持ちから心が外れている。そんなわけで相変わらず焦点が定まらないようだ。何を語っているのかわからないままで、もはや言葉だけではどうにもならないだろう。しかし何を述べるにも言葉が必要なことに変わりはない。それは確かに当たり前のことだが、そういう方向で話を展開していっても意味がないか。できないことをやろうとしても途中で行き詰まるだけか。そんなわけのわからない話の内容にどのような意味を求めているわけでもないが、意味のない話をいくらしても仕方がないだろう。そうやってますます違った方向へと話がずれていってしまうらしいが、そこから軌道修正する気が起こらない。振り向けばテレビではまた政治家がつまらないことを述べているようだ。太鼓持ちのような司会者におだてられていい気になっている。だがそんなことはどうでもいいことだろう。誰がそこで何をやっているわけでもない。述べたいことは何もない。話したいことなど何もありはしない。それが今の率直な気持ちなのだろうか。素直になれないからそんなことを述べているのだろう。そんなわけでわけのわからないことを延々と述べつつ、どこかで根性がねじ曲がっているのかも知れないが、いったい人にどんな可能性があるのだろうか。無用なことばかり考えている使えない人間に、何らかの可能性があるのだろうか。たぶんそれは滅びない可能性だろう。しかしなぜ状況に適応できないのに滅びないのか。もう十分すぎるほどいい加減な状況に適応した文章を記しているではないか。たぶんそこには状況の変化に左右されない確固たる意志でも宿っているのだろうか。安易に利いた風なことを語るわけにはいかない。そういうことではなく、何となくだめな人間には、通常の意識では計り知れない魅力があるのかも知れない。そういうことでもないだろうか。どうもその辺で日本語になっていないような気がしてくるが、君は気分次第で間違ったことでも述べているのか。とりあえず状況に適応しながら、そんな状態に安住していては先がないらしい。では君は冗談でそんなことを述べているのだろうか。わざと間違ったことを述べているわけでもないか。だがそれで何を述べているわけでもない。何となく語り進んでいくうちに、そんなことはどうでもよくなってしまったのかも知れないが、何がどうでもよくなってしまったのかについては、誰かの想像にまかせておくとして、君はその先に何を述べればいいのかわからなくなる。わからないついでに、わかっていることはわからないこととはどう違うのか。確かにそこで誰が何を述べているわけでもないが、わからないことはそんなところから出てこないか。わかっていることはわからないことを目指して語り続けていることだ。誰がそうしているのだろう。面倒なのでそこからいきなり話が飛んで、そこで何かのついでに死んでしまったのは誰なのだろうか。また現実逃避してニュースでも見ているわけか。そうする意味と意図がわからないが、何かのついでに人が死ぬだろうか。それは交通事故の類か。君にとっては事故で死んだ人は忘れ去られる宿命だ。そんな決めつめはでたらめか。いったい誰によって死者が忘れ去られるのだろうか。面倒臭いので彼は死んでしまったことにしておこう。理由は何もなく、強いて上げれば目が死んでいる。では彼の声は永遠にどこにも届かなくなるわけか。そういうこじつけ気味の物言いは感心しないか。それは誰の台詞なのか。またごちゃごちゃわざと話を込み入らせて、語りを長引かせようとしているらしい。でもそれ以上述べても意味がないだろう。始めから意味がないのはわかっているはずだから、意味のないついでに、そこから先へ言葉を連ねなければならなくなる。そんなこじつけは理由になっていないから、そこから先にまともで意味のある言葉を付け足す必要に迫られているわけか。別にそういうわけでもないだろう。もはや言葉遊びにすらなっていないようだ。見聞する何もかもに興味を持てず、完全にたがが外れてしまって、それ以降は何を述べてもいいような気になっているのかも知れない。馬鹿なことでもくらぬことでも何でもかまわないのだろうか。正気を失ったふりをしながら、常識から遠ざかり、ありきたりの非常識には目もくれず、結局何に反発しているのかわからなくなる。たぶん何も思いつかないだけなのだろう。それ以上に見失っているものがあるのかも知れない。何をそんなにひねくれているのか。素直に喜んでもいいのではないか。それを明かそうとはしないようだが、何となくうまくいっているのではないだろうか。君はそれを忘れている。わざと忘れているのかも知れない。もしあなたがそこから飛び去りたいのであれば、あなたは鳥になるのだろうか。それはどのような状況で発せられた誰の台詞なのか。ただわざとわけのわからないことを述べているだけか。たぶんそれでは気が触れていることにはならないだろう。冗談でそんなことを述べているわけではない。飛び去りたいのではなく、忘れ去りたいのではないか。事件の背後に何があるわけではない。忘れ去りたいのはどんな体験なのか。たぶんそんな体験はとうに忘れ去ってしまったのだろう。そうやってわざと話を矛盾させて、忘れ去りたい体験を言葉で覆い隠そうとしている。それは嘘かも知れない。たぶんいつものように本気で述べているのではないのだろう。どこかの書物から言葉を借りてきているのかも知れない。だから語調がぎくしゃくしているのか。無知を書物から得た知識で埋め合わせても虚しいだけか。どこかへ飛び去ってしまったのは、今では失われてしまった初期の感性だろうか。だが架空の君に初期も晩期もありはしない。君の希薄な物語では彼を殺すことなど不可能か。誰を殺そうとしているわけでもないのに、誰かに対する殺意を感じるのは、どこかの台本から寸借してきた、話の前後の脈絡が不明な感情でしかないか。どうもそんなことを述べているうちに、自らの述べていることがさらに馬鹿らしく思われるようになってきた。なぜそんな風に語ってしまうのだろうか。


11月14日

 相変わらず何もありはしないが、誰かの内部には少なくとも言葉を排出している機構があるようだ。そこでは何が起こりつつあるのだろうか。何が起こっているわけでもない。ただ何も起こり得ない現状に苛立っているだけか。そうではないと思いたいようだが、現実にはいつもの夜に何をしているわけでもないらしい。ではそこから何か空想でもしなければ間が持たないだろうか。誰かがもたらそうとしている物語の中では、架空の出来事に疲れた感覚が鈍く反応しているようだ。だが君は出来事の内容を知り得ない。またそれとは別の時空では、安らぎを追い求めていた意識が、探し求めていたものにようやく巡り会えたような気がする。たぶんそれは嘘だろう。そこから見出された時は不穏な雰囲気を伴っているようだ。コーヒーを飲みながら、苦い記憶が脳裏によみがえったような気になる。窓ガラスが割れている。道路上が割れたガラスできらきら光っている。だいぶ以前にそれと似たような光景を目にしたことがあるらしい。しかしそれがどうしたというのか。ただそんな光景を眺めているだけでは物足りないか。満たされないとはどういうことなのか。空白の時を何で埋めればいいのだろう。それを言葉で埋めているつもりなのか。だがそれは君の言葉ではない。何かが違っているようだが、今こそ昔の記憶を呼び戻そう。たぶんそれで問題ないのだろう。ところで君はどんな文章を求めているのか。それは求めてはいないものかも知れない。まっとうな意見は何もなさそうだ。面倒なので精神のどこかが壊れているらしいが、そういう逃げ台詞にはうんざりしている。まだやる気が出ないらしい。虚ろな目つきはよりいっそう焦点を見出せなくなる。ピントが合っていないのかも知れない。そんなことを述べている間に、さっきまで眺めていたつもりの風景が、どこかへ消え去ってしまったらしい。それで何を見つけ出したつもりになれるのだろう。それらの風景から君の思いが滲み出てくるか。だが何かの抜け殻のようになってしまった今の君に、何を求めても仕方ないだろう。過剰な期待は禁物か。いったい君の実体はどこへ行ってしまったのだろう。君は誰かの捨て石だったのか。何を今さら未練がましいことを述べているのだろう。とりあえずそんなくだらぬ思いからは速やかに立ち去らなければならない。冷めたコーヒーを無理矢理口に流し込んで、それから君はどうなったのか。どこへ行ってしまったのか。まだそこには誰も現れていないようだ。誰もいない空白の時間帯で、たぶんまだわけのわからないことを述べているのだろう。しかしそこからさらに月日が経ってしまったらしい。もうそんなことは忘却の彼方の出来事になってしまったのか。それを忘れたついでに何か適当なことでも思いついたか。君はまだ自分が生きていると思っている。物語の中ではとうの昔に死んでしまったのかも知れないが、無理を承知で生き続けているらしい。ここは物語の中ではない。しかし現実の世界では何も起こらない。君は想像力が枯渇しているようだ。何も思い浮かばないだろう。なぜその身体は不自由なのだろうか。どうして無理が利かないのか。そこにはどのような思惑が渦巻いているのか。誰かを煙に巻いているつもりなのだろうか。このままではやがてどこへも行けなくなってしまうだろう。そういう言葉の使い方はあまり感心しないか。そういうことを述べているのではなく、他に勝手なことを述べているわけでもないが、なぜそこで話が立ち往生してしまうのか。面倒臭くなってわざとそこで立ち止まってしまう。それより先に進みたくなくなってしまうらしい。それは現実逃避の類だろうか。頭の中は空虚で埋め尽くされていたいようだ。それは何かの意識なのだろうか。しかし空っぽの意識が意識といえるだろうか。その実体は何もない。意識が誰に宿っているのでもない。やはりそこには誰もないらしく、たぶん意識はそこからどこにも至れないのかも知れない。だがそんな語り方では何を述べているのかわからないだろう。それで誰に迷惑をかけているのだろうか。語り進むうちに話の筋を見失っているようだが、話のどこで折り合いをつけるのかを知りたい。途中が何も見当たらないだろう。そしてどんな解決を望んでいるわけでもないようだ。それは事件ではない。すべてが君とは無関係な話なのかも知れない。しかし話の内容が明かされることはないだろう。誰に明かさなければならないのかを知らない。何を明かす必要があるのか。その他にどこに何が見出されているわけでもないらしいが、それでも君は言葉をその先に連ねたいのだろう。話にならない話を続けたいらしい。しかし何をどのように語ろうとも、そこから先は何も始まらないようだ。ではそこであきらめてしまうのか。何をあきらめたつもりになれるのだろうか。彼は自らの命と引き替えにして何を手に入れたかったのだろうか。それはどこかのサスペンスドラマの台詞か。わざとらしくどうでもいいような過ちを繰り返しているようだ。遠くを眺めれば夕焼け色が目にしみるか。それは何を示しているのでもなく、ただの風景について語っているだけか。ただの風景でさえなく、ただの言葉の連なりに過ぎない。君にはそれがわかっているはずだ。無駄に言葉が続いている。それがそこでの現状になるだろうか。途中で急停止して、わざと道に迷い、途中下車を試みつつ、何が何だかわからないふりをしている。それで何か冗談でも述べているつもりか。なぜわからなくなってしまったのか、その原因はわかりすぎるくらいにわかっているつもりか。だがそのわかっていることを文章で示せないらしい。何を恐れているのだろう。終わってしまうことについて、そんなことにいつまでも興味を抱いているわけでもない。それとは違うことを語る気でいるわけか。だが終わりについて語らずに、他の何について語ることができるだろうか。何をもったいぶっているのか。そんな余裕などどこにもないはずか。わざと隙を作っておいて、その隙を突いてくる者に敗れ去ろうとしているわけか。それはどこかの漫画の常套手段だろう。そうしないと話が進まないのかも知れない。敗れ去る者がいないと、その先を語れなくなってしまうらしい。だが対決の構図にはゆがみが生じていて、特定の人物を生き延びさせるように話を展開させていかなければならない。はたして君にそんな芸当が可能だろうか。君が語りつつ話には何が欠けているのだろうか。特定の音楽を想像しなければ、話の内容を理解できない。本当にそういうことを君が語っているのだろうか。君自身は何も語っていないような気になるのだが、そこに話の内容が存在するのだろうか。いったいそこで何を語っているのだろうか。結局は何が何だかわからないことしか述べていないのであり、そんなことしか語れないらしい。


11月13日

 なぜか逃げ道がふさがれているみたいだが、努力とは誰のために発動する行為なのだろう。誰が努力することを望んでいるのか。誰の言動に理解を示しているわけではない。誰がそれを成し遂げるのか。それが君の望みなのだろうか。眠たくなったら寝ればいい。それは君とは別の声なのか。過去において誰かがそんなことを述べていた。人生は楽しまなければならない。それが人生だと思い込んでいる限りで、それは誰かの人生なのだろう。誰の人生でもかまわないが、寝る間も惜しんで何をやろうとしているのか。目の前の画面を眺めているだけの自分が許せなくなったのか。映像の中で何かが起ころうとしているが、冗談ではなくそれはいつの出来事なのだろうか。誰かが毎日のように微笑みかけて、何かの悲劇を未然に防ごうとでもしているのか。だが何かは起こるべくして起こるだろう。別にそこで誰かの腕がちぎれそうになっているわけではない。なぜそんなことが起こるのだろう。要するに腕が筋肉痛なのかも知れない。何となくだるそうに装っているようだ。自信を喪失しているようで、そこから何を述べていいのかわからなくなり、偶然に耳から入ってきたけだるそうな音楽に心が染まっているらしい。それでは文章になっていないのではないか。繰り出された言葉が何かに煽られているみたいだが、そのとき何かが強風に煽られている光景でも思い浮かべているのか。目にしているのは派手な音響装置ではない。いったい何を述べているのか。それは別の日の午後の出来事なのか。気がつけばもう夜になっている。風の強い日に夜空を見上げると、何か得体の知れぬ感覚を取り戻すことができるだろうか。まったく前後の文章がつながっていないようだ。それでも今さら何の話をしているわけでもないが、話が飛んでいるのは気のせいか。気のせいでそれらの誤謬を片づけられるだろうか。それが叶わぬとしたら、いったい批評とは何だろう。言葉によって君は何を批評しているつもりになれるだろうか。夢の中で泥船に乗って川を下っている。そんな夢があったらおもしろいだろうか。どこかの宣伝文句によれば、夢は見るものではなく叶えるものだそうだ。そんな気の利いたことを述べようとすると、吐き気を催してこないのだろうか。何となく馬鹿らしくなってくると同時に、背中に火がついたような感触を得る。それはたぶん嘘だろう。ただの嘘ではつまらないのなら、それは幻だと嘘でもついておけば気が済むか。それもかなりおかしな述べ方だ。君はそんな馬鹿げた嘘をつきながら、それによって何を克服しようとしているのか。夜空を見上げながら何を探しているのでもないが、何も探していないのだから、何も見つからないと思いたいようだ。思いがけない発見と遭遇にはうんざりしているところか。でははたしてそれ以降に言葉を連ねられるだろうか。歴史は逆戻りしないか。そんな大げさな言葉は似合わない。何かが逆さになっているのかも知れないが、それを無視しながら引き潮に乗って何かが遠ざかる。君はそこで何を見出したのか。それは探そうとしていなかったものか。晴れた空から何が降ってくるのだろうか。雹でも降ってきて、ついでに雷の音でも聞いてみたいか。無理が祟って文章が疲弊しているように感じられるが、それは雑音か何かか。君以外の誰が雑音を発しているのか。画面上では誰かの顔が恐怖で歪んでいる。それにつられて言葉が方々へ分散してしまっているらしい。ふと見た光景をいつまでも眺めているわけにもいかないだろう。では心の中には何があるのだろうか。誰かの思いをどこに届かせようとしているのか。まったく意味が通じていないようだ。話になっていないのかも知れない。文章にほころびがありすぎて、どこから修正を施せばいいのかわからず、ただ途方に暮れるばかりか。しかしそれはわざとらしい言い訳に過ぎず、本気でそんなことを述べているわけではなさそうだ。どうにもならないことを述べているのはいつものことだろう。どうにもならないのにどうにかしようとして、さらにどうにもならなくなるのもいつものことに違いない。だから素直にどうにもならない現状を認める必要に迫られているわけか。だが君にはそれは認めがたいことに思えるようで、さかんに無駄な言葉を並べ立て、どうにかしようと今も虚しい試みをやり続けている。今こそを過去を思い出さなければならないか。いったい君はどこから来て何をやろうとしていたのか。しかしいったい君は誰にそれを問いかけているのか。そこには誰もいないのではないか。では風もないのに梢が揺れているのはなぜだろう。枝から鳥が飛び立って、視線の目標が一時的に喪失しているだけか。その他にそれらの文章は何を思わせるわけでもなく、他の何に惹かれているのでもないらしい。それで気が済まないのなら、それとは違う光景でも思い浮かべてみよう。芦原に木枯らしが吹いている。そんな光景を思い浮かべながら何をするわけでもないらしいが、誰がそれを望んでいるのか。それとは何のことなのか。例えば冬になれば心も凍りつくだろうか。だがそうなることで誰が得をするのか。ただわけがわからなくなり、他に何を述べようとしているのでもなく、これからどうなってしまうのかを知りたいわけでもないらしい。要するにでたらめなことを述べているだけか。しかし何がどうなればうまくいったことになるのか。そんなことはもう忘れてしまったはずか。だがなぜそこで文章をまとめようとしないのか。虚空に向かって何を問いかけても無駄だろう。ただそんなことは忘れてしまっただけなのか。そこからわけのわからぬことを問いかけている意識には、どんな言葉も届かない。意識には反省がないらしく、それが返答と見なされてもかまわないようだが、何かしら述べているそれは、誰の思いを反映しているのだろうか。そこからどうやって文章を仕上げるつもりなのか。気の利いた言葉は何も思いつかぬまま、そこから逃げ出したくなるか。実際に逃げているのではないだろうか。ただそんなことを述べているうちに、ますますわけがわからなくなる。実際に何もわかっていないのかも知れない。どうしたらその状況から抜け出られるのか。君自身がこの世界から遠ざかれば、すべてをやり過ごすことが可能となるだろうか。だからそれらの文章を読んでわかったつもりにならないでほしいか。そんなことはどうでもいい。早急に結論を出さなければならない状況なのだろうか。事の深刻さをわかっていないのかも知れない。君はそこで何に反発しているのか。忘れっぽいので過去の文章を読み返さなければならなくなる。それを読み返して何かわかったつもりになれるだろうか。ただ悩みごとが一つ増えただけか。それ以外にいったい何を悩んでいるのか。そんな現状を肯定する気になれるだろうか。


11月12日

 またわからなくなってしまったらしい。誰かが以前と同じようなことを述べていて、それを述べている当人はそのことに気づいていないようだが、何となくそれは違うような気がしてくる。なぜ君は誰かと出会って情報交換をしなければならないのだろうか。当たり前のことを訊かないで欲しいか。それが何らかの利益に結びつくのだろうか。君は何を糧にして生きているのか。君とは誰でもない誰かのことかも知れないが、それはさっき聴いた曲だろう。また以前と同じような言葉の並びになっているような気がするが、それらの文章が成り立つ可能性はどこにあるのだろう。それはどのようになる可能性なのか。まだそこに何か述べたい内容があるのだろうか。そこで何を探しているつもりなのか。何を見つけたいわけでもなく、ただ早朝の暗闇の中であくびをしているだけか。もう冬の寒さに震えている頃かも知れないが、他に何を感じているわけでもないらしい。それはいつの話なのだろうか。だれがそこまで知っているわけではないようだ。この先あまりつまらぬことにこだわっていると、そこで話が終わってしまうだろう。しかしなぜ話を終わらせようとしないのか。そこで途切れたらお終いか。何がお終いになってしまうのだろう。まだそんな時期ではないと思っているわけか。なぜかそこからさらに続ける必要があるらしい。君には続ける理由が一向に見えてこないのだが、とりあえず続けておかないと。そこでお終いとなってしまうらしく、理由は知らないが、お終いとなってはまずいようだ。しかしそれではわけがわからないだろう。やはり何を語っているのでもないように思われてしまうだろう。しかしそれで何か不都合なことでもあるのだろうか。そういうことを述べたいわけではないのか。ではどのようなことを述べる必要があるのか。それがわからないからそこから逃げ出したくなっているわけか。もういい加減にやめてほしいか。だが何をやめたらいいのかわからない、と嘘をつきたくなってくる。なぜそうなってしまうのだろう。まったくでたらめに言葉が連なっているように思われる。何かの限界を超えているのかも知れない。事物はどこへ行ってしまったのだろうか。具体的な事物について語れば、少しはまともな内容に近づくだろうか。ではいったい何について語ればいいのだろうか。これから何を否定するつもりなのか。なぜ事物の具体性を否定しなければならないのか。そういう話ではないだろう。またどこかへ逃げようとしている。だがもはや嘘も尽きかけてきたのではないか。これ以上は何を述べても嘘になってしまうかも知れないが、それでも嘘が見当たらなくなる。どのような嘘をついていいのかわからなくなる。だがそれも嘘には違いないだろう。要するに何も述べられなくなってしまうということか。時代に取り残されているのかも知れない。なぜそんなことを唐突に述べるのか不可思議だが、寝て起きれば何か適当な理由でも思いつくだろうか。昨晩はそこから何を述べるつもりだったのか。疲れてきたのでそんなことはどうでもよくなってしまったのか。それでも何か述べているつもりなのか。意味のない言葉の連なりはどこまで続いているのだろう。別にそれを見極めたいわけでもないのだろう。何を見ているのでもなく、どんな光景を眺めているのでもない。ただそこから遠ざかりたいだけか。一刻も早くそこから逃げなければ破滅してしまうか。誰が破滅することになるのだろう。それは素朴な歌かも知れない。なぜそう思うのか。誰がそれを歌っているわけでもない。そこにはただ文字が記されているだけだろう。そして歌詞の内容を把握しているわけでもない。馬鹿げた内容になっているかも知れないが、その代わりに何を示すことができるのか。何がそこで歌われているわけでもない。それが事物を否定することにつながるのだろうか。まったく根拠が希薄で、何が示されているわけでもないような気がしてくる。たぶん文章になっていないのかも知れない。つながりのおかしい言葉の並びをそのままにして、何らかの雰囲気が醸し出されることでも期待しているのか。それが何の可能性を示しているのだろうか。何のことやらさっぱりわからないか。わけがわからないままに次の曲を聴いているだけか。空気の振動を音と感じているらしい。それが馬鹿らしさの一端でも示しているだろうか。だがそれでも事足りるような成り行きになっているのかも知れない。何を開き直っているのだろう。だがそこからどうやって戻ってくるつもりなのか。もはや正気に戻れないようなことを述べているのか。誰がそんなことを述べているのだろうか。やはりそこには誰も存在しない。何を問いかけてみても何の返答も返ってこない状況が信じられないのか。君はどんな幻想を抱いていたのだろうか。わけがわからぬ問いかけには誰も答えようがないだろう。だからそこからどうやって戻れるのだろうか。戻る先がこの世界のどこにあるのか。別にこの世界のことを述べているわけではないか。聴きたい曲が偶然に選ばれたようだ。君はそんな解答を期待していたわけではなかったはずか。ではそこで息切れなのか。何を中断しているつもりなのか。そこからどこへ突き抜けたいのか。果てしない野望を抱いているわけではないだろう。誰かは若者のふりをしているだけか。まるで漫画のような人生か。誰がその漫画の主人公なのだろう。そこで誰が何を読んでいるつもりなのか。何かその他に指摘したいことでもあるのだろうか。なぜかそこで一目散に走って逃げる。何とか虚無から逃れることができただろうか。しかしそんな嘘はお見通しなのかも知れない。それらの結果を誰が見通していたのだろうか。君がどんな嘘を並べ立てようと、そこから先に述べることは無効となってしまう。常に無駄なのかも知れず、無駄だからこそ何かを述べる余地が生じているのかも知れない。要するにそういう成り行きが気にくわないわけか。ではそこからさらに検討を加える必要があるのだろうか。何を検討しようとしているのか。文章の内容がそれ以上複雑になるわけもないだろう。それは複雑なのではなく、ただ単にでたらめなだけかも知れない。自らの頭のおかしさに文章の内容が追従してしまっているのか。そんな風に思いたいのなら、それで何か気の利いたことを述べたつもりになれるだろうか。別にそんな思いに至りたいわけでもなく、何も思わずに言葉を連ねている状況を維持しているつもりになりたいだけか。それはどういうつもりなのか。やはりでたらめでしかないのだろうか。それ以外に何を感じ取れば気が済むのか。感動とは無縁の鬱陶しいだけの文章でしかないだろう。いつまでもそんな徒労気味の暗中模索を続けていられるだろうか。続けているうちはそれを続けていることになるだけか。だがそれで何を述べていることになるのか。


11月11日

 数日後の空は青く晴れ渡っている。ただそれだけのことを誰に伝えればいいのか。誰にそんなことを伝えようとは思わないか。では伝えたいことは何もないのだろうか。それ以外に伝えたいことをねつ造してみないか。何もねつ造しなくても、何か伝えたいことがあるような気もするが、思い当たる節は何もなさそうだ。面倒なので何も思いたくないのかも知れない。何も思わずに言葉を並べたいのか。はたしてそんなことが可能なのだろうか。言葉の組み合わせ次第ではそんな文章ができあがる可能性もあるのかも知れないが、そういう文章が構成されたとしても、それがどうしたわけでもないだろう。ただそんな文章ができあがるに過ぎないか。相変わらず誰が何を述べているのでもないらしい。君は何も述べていないのだろうか。どうも物事を正確には語っていないような気がする。そこには何か誤りでもあるのだろうか。あるとしてそれについてどう述べればいいのだろう。面倒なのでそんなことまで語りたくはないか。しかし他に何を語ろうとしているのだろう。語ろうとしていることを語っているわけではなさそうに思われる。それどころか何を語ろうとしているのかわからないのかも知れない。だから何について語っているわけでもないと思われるのだろうか。それらの語りの何が間違っているのか。誰がその間違いを指摘することもないだろう。君には何も期待されていない。ただ言葉を並べて文章を構成していればそれでかまわないのだろう。それ以外に何ができるというのだろう。何もできないからそんな状態になってしまったのではないか。だが君の言葉遊びもそこで行き詰まりだろう。中身のあることは何も語れないのだから、何を語ろうとそれは皆同じ無内容になるだけか。それが気にくわないらしく、君はしきりにそれとは違うことを語ろうと試みるが、虚無に囚われた君の意識が何を語れるはずもなく、結局いつものように苦し紛れの自己言及を繰り返すだけなのかも知れず、そんな結果に嫌気が差して、君はますますやる気を失ってしまうわけか。そんな成り行きが今ここで提示できる唯一の物語になるだろうか。君はそれを否定して見せたいようだ。何かを語ることでそれを打ち破ろうとしているらしい。しかしなぜそんなに必死になってそれ以外を語ろうとしているのか。内容の皆無な物語ではどうしてだめなのだろうか。わかりきったことを訊かないで欲しいか。誰に訊いているのかわからないだろうか。そんなことを述べたいわけではないが、君はそれ以外に何を望んでいるのか。それらの物語の内容がどうなってほしいのだろう。それがわからなければどうにもならないのではないか。ではそれを今から知らなければならないか。だがそれをどうやって知ることができるのか。何かそれを知るあてでもあるのだろうか。他の誰かが都合良く登場して、君に何かを教えてくれたりする展開などがあり得るか。そんな粗雑な話がどこにあるのだろう。それをやったらどこにでも転がっているような話になってしまうだろうか。案外そうなることが君の望みなのかも知れない。一度でかまわないからありふれた話を語ってみたい心境にでもなったのだろうか。しかしそこで君の心境について述べている語り手はいったい誰なのだろう。さっきまでは君が語っていたような気がするのだが、今はどこの誰が君のことを語っているのか。その辺が曖昧なような気がするのだが、わざと曖昧なことを述べているのかも知れず、それを述べている語り手自身が不明確な存在なのかも知れない。別に誰かが語っていようと誰も気にしないだろう。そこに誰が存在するはずもなく、ただ言葉が適当に連なっているに過ぎず、誰かそれを制御しているわけでもないらしい。あえてそれらの構成者を特定しようとするなら、例えばそれは誰かの無意識が言葉を構成していることにでもしておけば、それで何となく納得してくれるだろうか。誰が納得するというのか。別に誰に納得してもらおうとも思っていないのではないか。たまたまそんな文章になっているだけで、その文章のいわんとしていることを、誰にわかってもらおうとも、誰も思っていないのではないか。ではそれは無が語っていることにでもなるのだろうか。無とは何だろう。何もないことが無なら、それで何かを語れるはずもないか。だがそれがフィクションだと見なせば、何でもありなのかも知れず、無が何かを語ろうと、そういう話だと思えばそれでかまわないのではないだろうか。何となくそんな話にしておきたいような気がしてくる。何を語っているわけでもないのだから、それを何が語っていようと、そんなことはどうでもいいことだろう。そんな風に言葉が続いているのだから、それはそれでそういう話なのだろう。要するに語っているうちにだんだん投げやりに語っていることに気づいてくるらしい。そんな話もありなのだろうか。ここはそういうことでそのまま押し通すより仕方がないようだ。それ以外に何を語れるというのだろう。成り行き的にはそんな話しかあり得ない状況なのかも知れず、何となくそれでは虚しくなってしまうが、それ以外にやりようがないようだ。そこから君は言葉を構成している。そして君は自らの存在を言葉によって主張しようとでもしているのか。しかしそれで存在を主張していることになるのだろうか。そこには言葉以外に何が存在しているのか。はたして意識の存在を感知できるだろうか。仮に意識の存在を確認できれば、そこにその意識の所有者が存在している証にでもなるのか。だがなぜ文章にその所有者が必要なのだろう。そこから何か利益を期待できるような文章なら、当然その所有を宣言したくなる気になるのかも知れないが、何の利益も期待できないような無内容だとしたら、そんな文章など誰のものでもあってもかまわないような無価値なものでしかないのではないか。文章のあり方としてはそんなのもありか。例えばありふれた物語の作者としてメディアに露出するのよりは、誰のものでもない文章の生成に関わっている方が気楽かも知れない。まったくの無価値だと思われている方が、より自由なのだろうか。しかし自由であることは虚無的である。要するに中身が空っぽなのかも知れない。ただ言葉が適当にいい加減に連なっている状態を受け入れなければならず、自らが文章を支配しようとする欲望を捨てなければ、そういう具合にはいかないだろう。つまりそこに特定の話の筋を作り上げてはならないということか。だが実際にそんなことができるわけもないだろうか。何もないように思えても、そこには何かしら話の中身があるはずで、その中身に頼りながら文章を構成している現実は動かしようがないだろうか。たぶん実際にはそうであってもかまわないのだろう。そうであったとしてもそれを無視していればそれでかまわないのかも知れない。


11月10日

 相変わらず眠たくて言葉がつながらない。早朝に何をやろうとする気も起こらずに、このところの寒さでベッドから離れられなくなっているのかも知れない。そんなはずはないだろうか。それの何が見当違いなのか。しかし何をやろうとしているのでもないようだ。どこか得体の知れぬ作用によってもたらされた虚無に、周りを取り囲まれて、何もできなくなってしまったのだろうか。そういう話ではないはずか。意識には何もできないように思われても、それでも現実には何かしらやっているはずか。しかしそのやっていることが文章には結びつかない。何をやってみても、語るに至るような何が見出されるわけでもないらしく、何も得られない空っぽの心は、何かを探そうとしているのかも知れないが、自らが何を探しているのかわからないようだ。文章を構成する言葉でも探しているのだろうか。言葉はどこから湧いて出るのか。それで何を述べているつもりなのだろう。いつものように何を述べているわけでもなく、そんなことしか述べられない状況に埋もれてしまっている。だがそんな事態に落胆してどうするのか。そんなことはそんなことでしかなく、それについてどう思ってみても仕方がないのではないか。いくらそれについて言葉を重ねても、どんなことを述べているわけでもないことに変わりはないが、それでも何かしら述べていることも確からしい。だがそれがどうしたというわけでもない。それ以上は何を述べるのも無理なのかも知れないが、それ以下でも無理なのかも知れない。なぜ無理だと思われるのだろうか。何かを語るのが無理だとすれば、今語っているそれは何なのか。何でもないわけがないか。たぶんそれを延々と続ける状況になってしまうことを恐れているのかも知れない。少なくともそれではだめだということはわかっているらしい。それ以上は続けられないと感じていることを、続けてしまうことによって、何かそこからおかしくなってしまうような気がするわけか。だが別におかしくなってもかまわないのではないか。すでにかなりおかしくなっているのに、そこからさらにおかしくなってもどうということはないだろう。おかしくなりすぎて、もう元に戻ることもないかも知れないが、もともとどこかおかしかったような気がするのだから、今さらどのようなおかしさを醸し出していようと、それは想定の範囲内なのではないか。おかしくなる以前にあったかも知れない本来の姿がどうなっていようと、それを取り戻そうとは思わないはずか。しかしそれは何の姿だったのか。過去においてどんな姿が浮かび上がっていたのだろうか。それに関しては何も見えていないような気がしているが、そのとき何を見ていたわけでもないだろう。だがそのときとはどんなときだったのか。そのとき君は迷っていたのかも知れず、迷わずにはいられない状況だったのかも知れないが、そこが何かの分岐点だったのだろうか。すでにそれは違うと思われてしまう。目下の状況はどういうことでもなく、そういうことではないようだ。ではどういうことなのだろうか。そうなることは納得ずくでそれを続けてしまったのだから、今さら過去を振り返っても手遅れもいいところか。そしてもはや手遅れだからこそ、手遅れではなかったのかも知れないそのときの判断を、今さらながら後悔しているのだろう。それは冗談ではないか。何となくそんなことを述べているうちに馬鹿らしくなってきて、それの何が馬鹿らしいのかも確かめないうちに、無駄に言葉を弄してわけがわからなくなり、さらに無駄に無駄を重ねて、何もかもが無駄であるように振る舞っているだけなのかも知れないが、本当にそういう話なのだろうか。それではおかしいままにしかならないのではないか。そんな現状のどこかにつけいる隙があるだろうか。つけいる隙があればどうなるようなことでもないのではないか。ではどうしたらいいのだろう。良くなる兆候がどこにも見当たらないからそういう話になってしまうだけの話か。そしてそんな風に何も見出せない現状がいつまでも続いているらしく、それでも何かしら言葉が思い浮かんでくるのに、それがまったく文章に反映されず、その代わりにどうでもいいような言葉がいくらでも並んでしまうらしい。しかしそれで何を説明していることになるのか。やはりそれは違うのではないか。そんな表現は間違っているのかも知れないが、その間違いを修正できずに、現状がここに至っているらしく、そこから先に何をどう述べればいいのかわからないようだ。そこから先はまだ闇の中か。闇とは何を表しているのだろうか。心の闇は果てしなく続き、現実の暗闇は朝になれば消えてしまうので、闇には行き場がないのかも知れない。確かにそれはよくわからない状況になっている。しかし闇とは何だろう。闇が何のかをまったく説明できていないような気がするのだが、なぜ唐突に闇が出現してしまうのか。それはその場の思いつきでしかなく、そんな言葉で現状を説明しようとして、またいつものようにそれに失敗しているだけのことか。しかしどうやってその辺で釣り合いを求めているのだろうか。何と何が釣り合っているのかといえば、それがよくわからないようだ。その説明もわけがわからないか。心に巣くう闇と早朝の闇を比較して、闇と闇の間に何か釣り合いでも保とうとしているのだろうか。だが心の中に闇などあるわけがないか。闇がないのになぜ人は動き回っているのだろうか。まさか闇が行動の原動力となっているわけでもないだろう。君はそれに関して何か良からぬことでも考えているのだろうか。それはまたもや冗談の類なのか。とりあえず健康を保たなければならないようだ。わけもわからず健康になりたいらしい。だがシェイプアップに意味などありはしない。何らかの動作を繰り返すことで、何を磨き上げているわけでもなく、それは空虚のなせる業か。贅肉の何が気に入らないのだろう。肥満体質ではない者にとって、それは実感することのできない悩みだろうか。実際には何を悩んでいるのでもなく、何をそぎ落としているわけでもないのか。無駄な言葉が散らばり続けているだけだろうか。まだ誰かの精神は快方に向かっていないらしい。しかしそれは何かの病なのだろうか。何も思いつかずに困り果てているだけか。そんな風には見えないだろう。そんなことを述べようとしているのではない。その辺が思考の限界なのかも知れず、言葉はひたすら飽和状態に近づいているようだ。だがそれがどういうことなのか説明できずにいるらしい。やはりそれ以上はあり得ないのか。まだ何かが足りないだろうか。すべてが足りないと思いたいのか。物事を大げさに考えすぎなのではないか。そんな風に考える必要がどこにあるのだろう。必要もないことを考えることで何か得るものがあるだろうか。あやふやな達成感でももたらしたいのか。


11月9日

 まともにやろうとすると意識が分散してしまう。言葉はどこで怠けているのか。何がそんなにつまらないわけでもないだろう。いつものように時間的に余裕がないらしい。残り少ない時間の中で、簡単に述べられないことでも述べようとしているのか。それは少し違うような気がする。それほど造作もないことをやろうとしているわけではないが、やはりそれを難しいと述べてしまうと、そこから先に言葉を連ねるのが困難になってしまうようだ。それがおかしいと思われるのかも知れず、おかしいからといって別に死ぬほど笑いたいわけでもないが、何かを述べてしまったわけなどもとから何もなく、そんなどうでもいいような話の展開に笑っているのは、少なくとも君ではなさそうだ。君とは別の人格が意味のない場所にでも出現しているわけか。そんなわけなどあろうはずもないか。わけもないのに妄想が出現するはずもないが、誰かの文章上では、遠くからけたたましい笑い声が聞こえてくるように感じられるのは、どういうわけなのだろうか。君はそんな笑いを無視しつつも、無視できないことに語りの照準でも合わせようとしているのかも知れない。いったい何が無視できないのか。まだ文章の整理整頓が不十分なのだろうか。別にどこかの部屋を掃除しようとしているわけでもないだろう。とりあえず寝て起きれば辺りはまだ暗い。心の中では闇がどこからともなく忍び寄ってくる。そんな心がどこにあるわけでもなく、架空の心は暗闇の中で何を聴いているのか。内容のない物語の中では、誰かの足音が遠ざかってゆくよう感じられ、不安に駆られて足早にそこを通り過ぎ、実体の希薄な人影がいずこともなく消え去る。それらの言葉に実体が宿るわけもないだろう。たぶんそこで誰かが踊らされているのだろうか。言葉に踊らされて墓穴でも掘るのか。墓穴の中には誰の棺が横たわっているのだろうか。それは映画の中の一シーンでしかない。欧米の映画ではそんなシーンを度々見かける。だがそこから話を膨らまそうとしているわけでもなく、別に語り手が調子に乗っているわけでもないのだろうが、君は何かまずいことでも述べているのか。考えがかなり歪んでいるのかも知れない。その考え方自体に誤りでもあるのだろうか。そこで誰が何を考えているのか。すでに何かを見失っているのはわかっているつもりか。事物の具体性を捉えきれていないのはわかりきっていることだろう。しかしそこから降りてしまえるのか。ただわかりもしないことをわかろうとしているわけではない。自分が何がわからないかを見極めようとしているのかも知れず、少なくともそれをわかりたいのだろう。だがそんなことをわかろうとしなくても、すでにわかっていることがあるはずか。それを十分わかっているのに何をとぼけているのだろう。いったい何をわかっているのだろうか。それを言葉で伝えようとしないのはどういう了見なのか。別に了見が狭いとも思わないか。今はそういうことを述べているのではない。ではどういうことを述べているのか。何もできないことはないが、時間の経過が早すぎるのかも知れない。何のきっかけもつかめないまま、ただ何もかもが過ぎ去ってしまうように感じられ、はたしてそこで本当に時の流れを感じているのか疑問に思うところか。誰がそれを感じ取っているように思われるのか。誰もいないのに誰が何を感じ取れるのか。そういう前提が嘘なのではないか。不明確な感覚を基にして言葉を適当に並べるだけで、自分で自分を迷わせているだけだろうか。それが自分ではないと思いたいだけか。時々君はそんなことを感じているらしいが、ただ無理を承知で無理なことをやっているだけか。それでもそれは自らの計算の内でやっていることなのか。何をそこで計算しているのか。それは何かの時間配分になるだろうか。そうやってできもしないことをやってきたつもりになりたいのかも知れないが、それでは何も終わらないだろう。夢の中でそれを仕上げることができた瞬間を想像しながら、その時間の中で怠惰と戯れているのかも知れない。しかしそれはどういうことなのだろうか。それがわからないと感じられるのは冗談の範疇か。意識は何がわからないと感じられるのかをわかろうとしていないのかも知れない。その場の気まぐれでそんな文章を記してみるが、戯れに何を述べているのでもなく、それが戯れになっていないのかも知れず、ただ本気でわけのわからないことを述べているだけかも知れないが、その状態から立ち直るきっかけをつかめないようだ。そんな精神状態では立ち直るということがどういうことなのかわかるはずもないか。ついでに何が精神状態なのかもわからない。ただいい加減なことを述べている精神状態がどこかにあるらしく、それが誰のことを述べている文章なのかもわからず、それらの文章の中では誰が何をやっているかもわからない。言葉で示されているすべてが不明確なのかも知れず、やはり何が述べられているのかわけがわからない。誰がそんな文章を読むのか。読んでくれなければ読ませてみせるか。できるはずもないことを宣言してどうするのか。まだ君は妄想の中ではしゃいでいるのだろうか。そこからどうやってやり遂げられるのだろう。何をやり遂げようとしているのか。それでもまだ希望を捨てていないように感じられる。そんな状態で具体的な事物について何か述べられるだろうか。そこから何を述べるつもりなのだろう。まだそんなできもしないことをやろうとしているわけか。何ができもしないことなのだろうか。自分が何をやろうとしているのかもわからないのに、できもしないも何もあるわけがないか。今後それがわかるときがはたしてやってくるだろうか。そういう話の展開はつまらないか。しかしつまらないならどうしようというのだろうか。どうもしないでどうにもならない状況を端から眺めているだけか。誰がそれを眺めているのか。誰もいないのに自分以外の誰が眺められるのか。しかし自分が陥っている状況を自分で眺めることが可能だろうか。そういう言葉の込み入らせ方にも飽きが来ているか。ではそこからどうしたらいいのだろうか。どうにもできないのかも知れず、さらにそこから時間が経過して、時間的な隔たりがますます顕著になり、もはや過去の時間帯から抜け出ることが不可能なほど、現在から遠ざかってしまったのかも知れないが、それでも言葉の連なりが完結する気配は感じられない。そこで終わりにすることができないらしく、さらに無駄な悪あがきを繰り返そうとしているようだ。しかしもはやすべてが尽きかけているのかも知れず、いくら言葉を並べても、そこからは何も感じられない。いよいよ終わりの時が近づいているのだろうか。本当にそうであったなら少しは気が楽になるだろうか。もうすぐ言葉から解放されるときが訪れるのか。


11月8日

 どうにもならないとはどういうことだろう。気休めに何を説明しようとしているのか。だがなぜそれが説明になってしまうのか。説明では気休めにならないだろうか。そもそもなぜ気休めが必要なのかわからない。わからないのはそれだけではないだろう。要するにいつものように言葉につまっているだけでしかない。その状態から何を始めようとしているのか。ふと気がつくと、意味もなくわけのわからないことでも述べているのだろうか。たぶんそこでは何が始まっているわけでもなく、始めようとする思いが空回りしているだけで、そんな状況にうんざりしながらも、時を経るに従って音が分散して行き、それにつられて言葉も散り散りになる。そのときどんな音楽を聴いていたのか思い出せないが、そこからどのように言葉をつないでいくつもりなのかを、音の内部で知ろうとしている。やはりそれでは何を述べているのか意味不明か。君はそこで何と格闘しているつもりなのか。それらの思いがどのような文章を構成しようとしているのかを知りたいような気がするが、それがわからないからそこで行き詰まっているのではないか。ただ闇雲に言葉を繰り出す前に、少し頭の中を整理した方がいいのではないか。今さら何を述べているのだろう。もう手遅れなのか。何が手遅れだと思っているのだろう。半狂乱とはどういう精神状態のことをいうのだろう。誰が半狂乱になっているのだろうか。何におびえているわけでもないのに、何がそんなに怖いのか。誰かの眼は画面以外の何を見ているのだろう。それらの光景は何となく意味不明に思えてくるが、それは何かの感想なのだろうか。面倒なので何も考える気もなく、気分はがらくたのような有様になっているのかも知れないが、それが何の理由になっているかも意味不明だろうか。誰かが何かをほのめかす。気休めに何か挑発的なことを述べてみないか。君が狂っているわけではなく、君以外の誰かが狂っているのかも知れないが、それは君の感知しないところで起こっていることだろうか。誰が狂いたいわけでもないだろうが、それの何が挑発的なのか。もう屁理屈を述べるにも疲れてきた頃か。しかしそれの何が屁理屈なのだろうか。屁理屈にすらなっていないと思われるが、それは以前に述べたことだろうか。それ以前に何を述べているのかわからなくなる。話がまとまらないらしく、意識は方々へ分散しているように感じられ、特定の考えが利用されることもないだろう。それらの経験は何も語らない。経験ではないのかもしない。それの何がわからないのかわからないのだが、それは当たり前のことだろうか。もしかしたらまだ何も述べていないのではないか。何も述べられずに、それでも何かしら述べていることにしたいらしいが、それではただ矛盾しているだけだろうか。だからそれが意味不明なのではないか。それらの惨状を目にして、君は意味もなく笑い出すかも知れないが、それの何がおかしいのだろうか。惨状は惨状で笑いに逃げることなく、そのまま真正面から受け止めなければならないだろうか。客観的には無内容であるにしろ、それでも何かしら述べていると思いたいのなら、その内容を言葉で示さなければならなくなるだろうか。しかし肝心の言葉がどこにも見当たらないのだが、いったいこの世のどこに言葉があるのだろう。通常の意識なら、どこにでもいくらでもあるように思われるだろうが、なぜ君はそれを見出そうとしていないのか。それが出来るとは思わないのか。実際にやっているそれは、言葉を連ねることではないのか。そうではないと嘘でもつきたいわけか。そうだとすればさらに意味不明になるだけだろう。それをやるのが嫌ならば、では他に何をやろうとしているのだろうか。そういう方向に話を進めようとするのが、そもそも間違いなのではないか。何をやろうとしているのではなく、何かを語ろうとしているのだろう。だが少なくともそんなことを語りたいわけではないようだ。語りたくないことを語っている状況らしいが、なぜそんなことをやっているのだろうか。それをやりざるを得ない状況だとしたら、なぜそんな状況になってしまうのか。たぶんどこかが外れているのかも知れない。無理矢理何かを語るという行為自体が間違ったいることはわかっているつもりだが、語りたい対象がどこにも見当たらないのは、今に始まったことでもなく、だいぶ以前からそんな成り行きになっているのに、何か意地で語っているように見えてしまい、そういうやり方は見苦しいように思われてしまうのだが、それでもそれをやめられないのはどういうことなのか。何とかそれを継続させたいらしい。焦りながらも、まだ何も始まっていない、という実感を何とか覆したいのかも知れず、これから何が始まるのかもわからない状態のままではいたくないのかも知れない。無理なことを述べているのかも知れない。だがそれがわからないのは君ではないはずだが、では君には何がわかっているのだろうか。たぶんこれから何かを語れば、その語っている内容がわかることになるのではないか。しかしそんなのは当たり前のことだろう。では当たり前のこと以外は何もわからないのか。何もわからないわけでもなく、少なくとも当たり前のことはわかっているはずか。だがそれはすでに述べたことではないのか。すでに何を述べたことになるのだろう。何か気の利いた内容でも提示できただろうか。どうにもならないことをどうしようというのでもないらしい。川は流れ海に注ぎ、そこからとりとめのない浸食作用を被り、あやふやなことを述べている。たぶん間違っているのだろう。間違っていることがどうかしたのか。どうかしているのかも知れない。ただわけがわからなくなっただけか。わけがわからないまま、さらに時間が経過してしまう。嫌気が差して寝て起きれば、それは数日後の早朝になっている。気分はどの辺を彷徨っているのだろうか。そんな気分になりたいとは思わないか。どんな気分を求めているのか。君はそれに関して何を知っているのか。近くの暗がりから微かに聞こえてくるそれは、ゴキブリの羽音か。何か季節はずれなのかも知れないが、そこにどんな疑問を差し挟もうとしているのか。わからないことをわかろうとしているわけではない。では何がわかりたいのか。そんな問答の行き着く先でも見定めたいのか。それは虚無的な試みだろうか。少しの間でも対話の体裁でも繕いたいのか。それを構成して何になるのだろう。無駄に無駄を積み重ねているだけか。それでも少しは前進しているような気になっているのかも知れず、それで気休めでも得ているつもりなのか。あまり建設的なやり方とは思えないが、やらないよりはやった方がマシだろうか。そう思うならさっさと続きをやればいい。何を続けようとしているのか。またおかしなことを述べているらしいが、それで何を述べていることになるのか。


11月7日

 しかし問題の何が無効なのだろうか。誰かはそれがわからずに途方に暮れ、また空でも眺めているのだろうか。そして頭の中には雑草でも繁茂しているのか。それでは意味不明な表現になってしまうだろうか。とりあえず明確なことは何も述べられないようだ。この世に確からしいことは何もないわけか。例えば具体的に何が世間で問題となっているのだろうか。在日米軍問題とかがメディアによってクローズアップされているだろうか。それに対する解決法など簡単に思いつくが、それを実行に移そうとする者など誰も現れないのは、火を見るより明らかか。だがそれはどういうことなのか。要するに日米安保条約の是非を問う国民投票でも実施して、反対票が多ければ安保条約を破棄して、賛成票が